六十八話「もう一匹の仲間」
「ん……」
そして朝。冷たい空気を鼻に感じて瞳を開けると、そこは変わらず空の上……つまりは気球の中で。まだ眠いと訴える瞼を無理矢理開き、私は一つ欠伸をする。体育座りのような態勢で眠っていたからか、体が少し痛かった。
「お、おはよう嬢ちゃん」
「あ……おはようございます。シロ様も、おはよう」
「ん、おはよう」
ぐるりと首を回しながらも一伸び。すると私が起きたことに気づいたらしいレゴさんが、声を掛けてきてくれて。それに挨拶を返しながらも、私はふと隣の方に視線を向けた。すると昨日隣に座ってくれたシロ様は変わらずに私の隣に居る。彼の体質から考えるに、私が起きるよりもずっと前に起きていただろうに。けれどそれでもシロ様は律儀に湯たんぽ役を務め続けてくれたらしい。
だがそれは素直にありがたい話である。何故かそこまで寒さを感じていないが、それでも肌に触れる空気が冷たいことはわかる。毛布とシロ様が居なければ恐らく寒さで目が覚めていただろう。上の方では袋のようなものが火に炙られ続けているのに降ってくる空気が冷たいとは、なんとも不思議な話である。……いや、炙られというのは少し違うか。実際に袋もどきが火で焼かれているわけでもないのに。
「……そうだ。ヒイラさんのお弁当……」
「ここにある」
「うん、ありがとう。皆で一緒に食べよう」
ではなんと形容するべきか、言葉に迷って。しかしそこで私は寝る前に考えていたことを思い出した。そう言えば桃花の宿の人達と別れる際、ヒイラさんからお弁当を貰っていたのである。そろそろ食べなければ悪くなってしまうだろう。折角のご厚意を無駄にするのも、食べ物を無駄にするのも、したくはない。
あの包はどこに置いたかと、視線を彷徨わせた私。するとそんな私に気づいたシロ様が、私の目の前に紫の包を差し出してくれる。それに笑顔で礼を告げれば、シロ様の視線は一度リュックを掠めた。恐らく、その中に居るフルフのことを心配しているのだろう。あの子は食いしん坊なところがあるのに、昨日は朝ご飯を一緒に食べたきり外に出してあげる機会がなかったから。時に喧嘩のようなじゃれ合いをする二人だが、なんだかんだと仲は悪くないのだ。
「良かったら、レゴさんも」
「お、俺も良いのか? 一応携帯食はあるが味気ないし、助かるな」
私としても心配だし、そろそろ出してあげなければ。そう考えた私は毛布を肩に掛けたまま、レゴさんの方を見上げる。恐る恐るとした誘いは、今日もどこか幼い笑顔によって受けて貰えた。そうか携帯食、そんなのもあるのか。冷静に考えて一週間ほどここに缶詰になるのなら、その手の食料は必須だろう。次の街に着いたら、私達もその辺りの食料を用意しておいた方が良いかもしれない。私達にはエコバッグがあるが、緊急時の食料があるに越したことはないのだ。
「……あの、実は私達にはもう一人……というか一匹、旅の仲間がいて。その子にも、ご飯を食べさせてもいいですか?」
「一匹? そんな話はカシ子から聞いてないが」
「珍しい魔物なので、最大限人目につかないようにしてるんです。無害な子なんですけど、その分ハンターの格好の獲物らしくて」
「……あー、成程な? で、その仲間とやらはどこに居るんだ?」
けれどそれについてを深く検討するよりも、今はフルフのことだ。おずおずと話を切り出せば、蜂蜜のような金色の瞳は意外そうに見開かれる。私達の事情をある程度はカッシーナさんから聞いていたらしいが、当然私達がカッシーナさんに隠していたことまでは知らないのだろう。フルフに関しては隠し通していたので、一番近くにいることが多かったカッシーナさんにすらも全く気づかれていないはず。
軽く事情を説明すれば、ワイルドな見た目に反して存外穏やかな気質のレゴさんは納得したように頷いてくれた。魔物ということで警戒されたらどうしようかとも思ったが、様子を見るに受け入れてもらっているらしい。これならば出した瞬間に斬り捨てられる、とかはないだろう。そう判断して、私はリュックのチャックを引っ張った。
「フルフ、おいで」
「……ピュ!」
「わ、そんなに跳ねると危ないよ」
フルフが出てこれる程度にリュックを開いて呼べば、今日も真っ白な毛玉は勢い良く飛び出してきた。というかこれはフルフが反応しているのか、それとも呼び出し機能くんが働いているのか。果たしてどっちなのだろう。できれば前者であってほしいと思いつつ、私は飛び出してきた真っ白な毛玉を手でキャッチする。籠の四方は決して低いわけではないが、この子がふざけて跳ねたら危ないのは確かだろう。この高度の紐なしバンジーは笑えない。
「この子が私達のもう一匹……の仲間です。フルフって言う名前の種族で」
「……これが、魔物?」
「……えっと、はい」
「ピュ?」
大人しくしててね、そう一声かければ久しぶりの外にはしゃいでいたその子は少し落ち着いて。私はそんなフルフを両の手のひらで優しく抱えつつ、立ち上がってレゴさんへと見せた。するとこちらを見下ろしていた金の瞳は見開かれる。レゴさんは心底不思議そうに問いかけた後、不可思議な生物を見たと言わんばかりに目を丸くしていた。そんなレゴさんの視線に、フルフもまた不思議そうな声を上げている。未知との遭遇、そんな言葉が頭を過ぎった。
「……いや、驚いたぜ。珍しい魔物だとは聞いてたが、マジで見たこと無い魔物だ」
「ピュッ!?」
「見たこと無い?」
「気球の操縦者になる前、討伐者みたいなことをやってた時期があってな。まぁまぁヤバい魔物は倒したことがあるんだが……まぁ危害のない魔物なら、俺らみたいなやつが倒しに行く必要もないしな」
つんつんとふわふわのフルフをつつきながらも、感心したように呟くレゴさん。そんなレゴさんに驚いたらしいフルフは、私の手に隠れようともぞもぞと動き出して。しかし私が手のひらを開いている以上、隠れる場所は少ない。しかもこの子にとって味方のはずの私は現在、話を聞くことに夢中になっていたのだ。
見たこと無い魔物、私はその言葉に引っかかりを覚えた。寧ろ魔物なんて、見ないほうが普通なのではないかと。けれどそんな疑問にもレゴさんは律儀に答えてくれる。どうやらレゴさんは気球の操縦者になる前、とうばつしゃ?という仕事をしていたらしい。魔物との関連性と倒したなどという話から考えるに、危険性のある魔物を倒しに行く仕事だろうか。私の考えていることが正しいのなら、なんともシロ様向きの仕事である。
「ピュ!」
「あ、悪い。普通に触れる魔物が珍しくてな」
「ピュ? ピュピュ」
「え、触って良いのか?……いや嬉しいけど、お前本当に魔物かよ」
だがそんな話をしている間に、どうやらフルフの怒りのボルテージが最高潮に達してしまったらしい。ふわふわな毛並みを逆立てて、触るな!と言わんばかりに鳴いたフルフ。そこで漸く自分が無遠慮に触っていたことに気づいたのか、レゴさんはフルフに謝ると同時に指を引いた。よっぽど友好的な魔物が珍しかったらしい。
しかしフルフとは存外賢く、寛大な生き物なのである。レゴさんの言葉を理解したらしいフルフは納得したような鳴き声を上げると、まだ近くにあったレゴさんの手へと飛び乗った。まるで「そうなの? じゃあいいよ」と言わんばかりに。そんなフルフに、レゴさんは戸惑いの声を上げていたが。
「人懐っこい子なんです。本当は群れを見つけてあげたかったんですが、その子と出会った森で見つけてあげられなくて……」
「それで連れてきた、ってわけだ」
「はい。珍しい子らしく、その上警戒心も薄いから……」
フルフに擦り寄られ、困惑しているレゴさんの私は簡単に事情を説明した。警戒心も薄い、のところで金色の瞳は納得に染まる。この子を放置したその結末は、彼にだって簡単に想像できたのだろう。幼い子供が見つけてお友達に、なんて絵本のような結末ならば大歓迎だ。しかし現実とは酷なものであり、大概は悪いハンターに見つかり珍獣として売り飛ばされた、なんて結末になってしまうだろう。こうして情が湧いてしまった以上、それだけはなんとか避けたい。
「事後承諾になってしまってすみません。この子も連れて行って良いですか?」
「乱暴な魔物じゃないみたいだし、気にしなくていい。それにこいつを今から空に放り出すってのは、あんまりにも心がないだろ」
「あはは……」
恐る恐る、尋ねてみる。しかし胸に過ぎった一抹の不安はどこへやら、レゴさんはフルフも受け入れてくれるようだった。真顔で告げられた後半の言葉に、私は苦笑いを浮かべておく。確かにそれはあんまりにもあんまりだ。少なくとも面倒見の良さそうなこの人には、到底できそうにもない。
「ピュ!」
「……なんだ」
「ピュピュ、ピュー?」
「……全く、うるさいやつだ」
「ピュ!?」
私達がそんな会話を交わしている中、レゴさんの手から降りたフルフはいつの間にかシロ様の元へと近づいていた。元気に挨拶をしたかと思えば、フルフはシロ様の肩に飛び乗って頬ずりをして。まるで元気かどうかを確かめるかのようなその行為。しかしシロ様にとっては鬱陶しい行動だったらしく、肩に乗っていたフルフはシロ様の手によって高くまで摘み上げられた。白いふわふわが抗議するかのように宙でジタバタと暴れている。
……うーん、可愛い。なんというか、大変微笑ましい光景である。うるさいと言う割にシロ様の口の端は、微笑むように僅かに上がっているわけだし。白くて小さい二人の交流は、大変に心によろしい。癒やされるとはこういうことを言うのだろう。
「……さて、お弁当を食べましょうか」
「そうだな……」
そしてそう思ったのはレゴさんも同じだったらしく。黄金の瞳はじゃれ合う二人を見て、優しく細められていた。気持ちはわかる。今ならご飯三杯くらいはいけそうだ。……少ない? 文化部所属の女子高生だった女にそれ以上を要求するのは、まぁまぁ酷な話である。
なんて頭の中で一人劇場を繰り広げつつ。私はそっと紫の包を解いた。外からでも五段あるように見受けられた重箱。私とシロ様とで平らげるのは到底無理だろうが、男の人が一人とよく食べる魔物が一匹。そんな二人が追加されたのならお残しの未来は回避できるだろう。楽しみだった朝ご飯タイムの始まりである。




