五十二話「桃色の恩返し」
「じゃあお願いします、先生」
「ピュ!」
千年樹の見える大きな窓。よくよく見てみれば両端にカーテンが付けられていたそれを、都合がいいとそのまま覆って。そうして僅かに空いた隙間の正面にフルフを配置。片手で頼みごとをするようなジェスチャーを作って見下ろせば、満腹元気のふわふわは力強く鳴いた。心做しかいつもよりも勇ましい。
フルフの頭の上に光が集まり始める。シロ様の着ている浴衣、それの黒い布を作ったときよりも大きな光る球体が線を伸ばしていく姿。そしてそれは徐々に桜色……いや千年樹の色へと染まっては、艶と共に反物へと形作られていって。私はそれを見つめながらも、少しでもこの光が漏れぬようにとカーテンを限界まで合わせた。外から見たらどんな風に見えるのだろうと、若干戦々恐々としつつ。誰にも見られていないといいのだけど。
……数十分前、私がシロ様にしたお願い事。何を願ったかなんて、きっと察しの良い人ならばもう気づいているだろう。お察しの通り、それはクスノさんのための桃色の着物を仕立てたいというそんな願いだった。事情を知らない人ならば急に何を言っているのかと、片眉を上げられそうな願い。けれど私やフルフの力を知っているシロ様は、怪訝に思うのではなくシンプルに反対した。
『危険過ぎる』
まぁ、予想の範囲内の言葉である。私やフルフの力は言葉にすればたかだか布や服を作るだけのもの。しかしそれにしては、些か演出が派手すぎる。こんな風にカーテンで光を遮断しても、夜の中では不自然な明かりは目立ってしまうはずだ。
その光によって私達の力が露見するのをシロ様は懸念したのだろう。一瞬で服や布を作れるという力は戦闘にこそ向かないが、お金になることは私でも理解できた。フルフなんて、高品質の布を作ることだって出来るのだ。そんな風に狙われるであろう力が、万が一にでもバレるリスクは冒さない方が良い。シロ様の言うことは当然だ。
更に危険性としては理由はもう一つ。それは服を作ることでシロ様や私の法力が多少なりとも消費されること。指名手配に近い状態になっている以上、町中でこそ警戒を高めなくてはいけない。だからこそ法力は無駄に消費すること無く、有事の際に備えておくべきだと。
『でも、色々良くしてもらったのに何もせずなんて……』
『…………』
さて、そんな正論の塊であるシロ様の言葉を私がどう崩したか。そんなのは語るまでもない。私達はこの宿、主にケヤさんからは些か好意を頂きすぎている。宿代、食事代、その他諸々。決して安くはないであろう、されど私達を心配してくれた彼や宿の純粋な好意に、何も返すこと無く去るのは如何なものか。そこを突けば、何やかんや律儀であるシロ様は押し黙った。いわゆる、義理人情というやつである。そうしてシロ様は眉をこれ以上無いくらいに寄せながらも、結局は頷いてくれたのであった。
「ピュ!!」
「うん、すっごく綺麗な布……ありがとうね」
「ピュピュ!」
現在は部屋の隅でくたりと壁に寄りかかっているシロ様。どうやら気合の入りすぎたフルフによって、法力を吸われ過ぎたらしい。力ないその姿に申し訳なくなりつつも、私は機織りを終えたらしいフルフから布を受け取った。ご機嫌にぴょんぴょんと跳ねている辺り、その布はフルフにとっても会心の出来のようだ。
「えっと、シロ様がお疲れだから……静かにしてあげてね?」
「ピュ……」
しかしはしゃいでいるところ悪いが、部屋の隅には病人未満の少年が居る。無茶な願いを通した私が取れる責任といえば、休むシロ様になるべく障りがないようにしてあげることだ。布を片手に今度は静かにのジェスチャーを取ってみる。そうすれば理解してくれたのか、フルフは跳ねるのをやめた。茶色の目をシロ様の方に向けて動かなくなる辺り、本当にお利口である。
心做しか潜めているようにも聞こえた鳴き声は愛らしい。それにふっと笑みを零しフルフを撫でれば、心地よさそうに毛玉は手へと擦り寄ってきた。うーん、愛嬌の塊である。世渡り上手であるというのは重要なスキルだと、改めて思わされた瞬間であった。
「じゃあ私は仕立てるから。その、少し離れててくれるかな?」
「ピュイ」
だがいつまでもその姿に癒やされているわけにはいかないだろう。カーテンを今度はしっかりと閉めて、出来る限り窓から遠い場所へ。それにまるで雛鳥のように着いてきてしまったフルフに苦笑を零せば、素直なその子は今度はシロ様の方へと転がっていった。白い生き物同士が寄り添うようにしている姿は大変可愛い。カメラがあれば写真を取りたかったところである。
……そこでふと、シロ様と目が合った。ぐったりと疲れたように壁に凭れ掛かり、けれどそんな今でも強い意思を秘める瞳と。気をつけろとそう忠告しているかのような瞳に、私はへらりと笑った。左の小指をさらりと撫でて、予め配置しておいた裁縫箱へと視線を落とす。そういえば着物を作ったことはなかったなぁと、そんな事を考えながら。
なんとなく、今までで一番力を使うような確信があったのだ。それこそ、ばったりと意識を失っていまいそうな程に。
「……よし」
小さな覚悟の声。それを零すと同時に裁縫箱を開けて、乳白色の中咲いた菖蒲に触れた。瞬間糸が伸びて、手の中にあった千年樹の色を落とし込めた美しい反物が攫われていく。透明な光で出来た糸がそれを弄ぶのは、まるで踊っているかのようだ。地に落ちて誰かに踏まれる前、最後の美しさを表現しようとする花弁のように。
「白い花びら。それが右上から左下に掛けて、裾に来るように」
頭の中でぐちゃぐちゃになった思考を整理するように、呟きを一つ。確か着物の場合裾ではなくて、別の名前で呼んだ気もするけれど。でも今これを作っているのは私だ。私が好きなように考えて、後は糸君に任せるだけ。完成図はもう頭の中にあるのだから。
昔おばあちゃんの私物として、家にあった着物の本。当時の私には難しくって直ぐ閉じてしまったそれを、もう少しちゃんと見ておけばよかったと後悔する。裾、襟、後は……なんだったか。正確な名称は思い出せないまま、けれど私は必死に頭に描いた。指先から滂沱の如く零れていく力を、少しでも軽減できるように。
「っ……袖に柄はなし。シンプルにして……」
家にあった着物を思い出す。お正月には折角の機会だからなどと毎年着付けてもらっていたそれの、内部構造を少しでも多く。そうすれば糸は強く輝いて、抜けていく力は緩やかに減少していった。うろ覚えの記憶でも反映されるらしいと、安堵の溜息を吐く。あのまま消耗し続ければ最悪倒れるところだった。ぺたりと、床に座り込む。確信の通り、今までで一番の疲労感が体を襲っていた。
「……はぁ」
もう考える以外に出来ることはないと、思考はそのままに光をぼんやりと見守る。光の中で少しずつ、反物が形になっていくのを。私が知らない全てを、けれど私が伸ばした糸が紡いでいくその光景。私の無知を補完しては、本来の私には出来ないことを糸君が成していく。
例えばそれを羨ましいと、そう思うのは少しおかしいことなのだろうか。その技術を、知識を、尊敬すると同時に妬ましく思うのは。これを行っているのは他でもない、私だ。だけどどこか他人事のように出来上がっていくそれを、作り上げていく糸を、見てしまう。この糸が未だ私の力という実感がないというのが、正直なところだった。
「あ……」
着物の完成図を思い描くと同時、そんなとりとめのないことを考えて。そうしてそれから十数秒ほどだろうか。ふとした瞬間、光はぱっと消えた。ぷつんと指輪から伸びていた糸が切れていく。身を焦がすほどに熱くなっていた指輪が徐々に熱を失い、咲いていた菖蒲が霞んでいく。出来上がった桃色のそれが重力に従って床へと落ちていくのを、私はただぼんやりと見ていた。動く気力が、それを受け止めようとする余力がなかったのだ。何せ法力が全部持っていかれたのではないと思うほど、全身に力が入らない。
「っ、!」
「……使い過ぎだ」
寧ろ出来上がったという安心感から、更に力が抜けていくような。ぐらりと、目の前を真っ暗な何かが襲うような感覚。座り込んでいた態勢をキープすることも出来ずに、床へと崩れ落ちていく。ああ、頭をぶつけるなとそんな事を考えて、しかし私は床への衝突を避けることに成功した。耳元で聞こえたのは、押し殺したような低い声。
「……シロ、様」
「……まだ意識はあるか」
肩を何か温かいものが支えているような感触。霞む視界を開いて見上げれば、そこには不安そうに瞳を揺らした少年が居る。名前を呼べば彼は、安堵したかのように少しだけ瞳を和ませた。すっと頬に触れた手がやけに熱く感じるのは、今の私の体温が低いからなのだろうか。温泉にはちゃんと浸かったはずなのに、ぼんやりとそんなことを考える。
しかし瞳を開けていられたのはそこまでで。もう限界だと目を閉じれば、私の視界は再び暗闇に染まった。聞こえてきた呆れたような溜息。それにごめんねなんて心の中で謝りつつ、私は肩に触れている手に完全に身を任せた。瞬間、ふわりと体が浮き上がる感触。触れている手から伝わる温かな体温が、冷えた体に心地良い。
「暫く寝ていろ」
疲れから全てが微睡みに溶けていく。そんな中、声がした。労るような、褒めるような、そんな声が。柔らかいものに体が沈んでいって、体が徐々に熱を取り戻していって。だけど意識ももう限界だった。
深い眠りへと落ちていく。ありがとうもごめんねも、言葉として紡ぐことは出来ないまま。我儘に付き合ってくれてありがとう。疲れているのに無茶ばかりさせてごめん。そんなことを考えながらも、私は眠りに落ちた。罪悪感と満足感、それらを綯い交ぜにしてぐちゃぐちゃになった心に沈み込むように。




