四十三話「素材屋の店主さん」
がらりと格子戸が小気味い音を立てて開く音。そうして扉が開くと同時に香ってきたのは、僅かに血が混ざったような不思議な匂いで。私は嗅ぎ慣れないその香りに足を戸惑わせながらも、しかしその扉の内側へと入り込んだ。なんせ前を行くシロ様の歩みに、私のような迷いは一切なかったので。
「おや、お客さん……にしては随分と小さいようだけど」
扉から入ってすぐ、そこには棚が置かれている。そう広くない店内に所狭しと置かれた棚たち。その上に並ぶのは見覚えのないものばかりで。何かの糸のようなもの、角のようなもの……中には見た目の情報からは何も理解ができないもの。まるで別世界に来てしまったかのようなその空間に、私は足を止めた。いやまぁ実際、別世界には来ているのだけれど。
だがそこで聞こえてきた声に私は慌てる。つい足を止めてしまったが、隣を見ればもうシロ様は居ない。きっとさっさと受付か会計か、人が居る方へと行ってしまったのだろう。不思議そうな男性の声に、私は慌てたまま辺りを見渡した。そうすれば棚と物だらけの世界の中、妙に開けた場所は見つかって。
「こ、こんにちは……」
「っ?……ああ、こんにちは。成程、お姉さんと一緒か」
小走りでそちらへと駆け寄る。そこには想像通りシロ様と、そして一人の男性が居た。勘定台というのだろうか。それを挟んで不思議そうにシロ様を見ていたその男性は、私と目があった瞬間に一度目を見開いて。けれど次の瞬間には納得したように頷く。そんな態度を見て思ったのは、この世界でも子供が一人というのは珍しいのだなということ。自分の居た世界と常識が噛み合うことに、少し安堵する。何故彼が驚いたような顔をしたのか、それはわからなかったけれど。
「あの、ここは魔物の素材屋さんで間違いないですか?」
「そうだね。そういう商売をやらせてもらってるよ」
男性は恐らく普通の人間のようだった。薄緑の生地で仕立てられた浴衣を着た、いかにも優しそうな三十代くらいの金髪の男性。私の問いかけに答えてくれた声も、淀みがなく滑らかだ。人好きのする笑みは商売人らしく、愛想の良いもので。
それにしても、本当にこの店は魔物の素材を売買している店で間違いないらしい。風で大体の地形が把握できるのはわかったが、店舗まではどうやってわかったのだろう。無言を貫くシロ様にちらりと視線を向けつつ、私はそこで店主らしき男性へと笑みを返した。浮かんだ笑顔がぎこちなくなっていないといいな、なんてそんなことを考えつつ。
「この子の勉強も兼ねて、集落から素材を売りに来たんです。買い取りは大丈夫ですか?」
「集落から素材を……? この辺りでは見ない子だけれど」
「えっと、実は最近越してきたんです。その、家庭の事情で……」
不思議そうな問いかけに、ぎくりと心臓が高鳴ったのを隠して瞳を伏せる。何かを突っ込まれそうになったら家庭の事情で押し通せ。我が話すのは不自然だから、お前に任せなければいけない。出発前にそう言ったシロ様の言葉が頭を過ぎった。案の定その想定通りになったことに、内心慌てつつ。
不自然ではないだろうか、ぐるぐると頭の中で巡る焦り。今まで生きてきた中で、こういう演技みたいなものにはとんと縁がなかったのだ。最悪怪しまれたらシロ様が黙らせるみたいなことを言ってた気がするが、なるべく乱暴なことは避けたい。もう聞かないでくれと、そのオーラを全身に滲ませる。根掘り葉掘り聞かれでもしたら、流石に設定を突き通すのは難しい。
「……そうか、家庭の事情。若い身空で大変だね」
「い、いえ……」
かくしてその願いは通じたのか、店主さんは眉を下げながらも同情するかのように頷いてくれた。内心よっしゃとガッツポーズである。もっとも表面上は困ったような笑みを携えたまま、ゆるりと首を横に振るだけに留めておいたのだけれど。
「素材は買い取ろう。でも、すぐには集落に戻らないほうがいいかもしれない」
「え……?」
「実は最近、郊外に危険な魔物が出没した可能性が高いらしくてね。見たところそこの少年との二人旅のようだし、帰り道で襲われたら大変だろう?」
「は、はい……ありがとう、ございます」
だが私の想定よりも遥かに店主さんは親切だった。素材を買い取ってくれる、その言葉に安堵して。けれど更に続いた言葉に、私は目を丸くする。危険な魔物、それがさっきシロ様が言っていたとある理由なのだろうか。しかしそれならば、いまいちシロ様が説明できないと言った理由がわからないけれど。
それにしても、危険な魔物。それが出没したからこそ、さっき街の入口に人が集まっていたのだろうか。私達のようにこの辺りの集落に住んでいる(設定)ならともかく、遠くから来た旅人ならばこの街から離れようとするのは不自然ではない。店主さんが今しがた告げたように、その帰り道で襲われなければ良いのだけれど。
「宿はもう取ったかな? 取ってないなら、おすすめを紹介するよ。あそこなら女子供の客にも親切にしてくれるだろうし」
「あ……ええと、まだです」
「そうかい! それなら買取の後で紹介証を書いておこう。千年樹がよく見える宿でね、きっと弟さんの勉強にも丁度いい」
しかし私がそんなことを考えている内に、話はトントン拍子に進んでいく。まだ魔物の素材買取が始まってすらいないというのに、何故か宿を紹介してくれるような話になってしまった。ここまで来ると、少しその親切が怖くなってきてしまう。そこまでのことをされるようなことはしていないはずだが。
「……あの、どうしてそこまで親切に?」
些か親切すぎる店主さんの態度が、少し不自然に思えて片拳を握る。やはりシロ様も同じように不自然に思ったのか、そこで私の服の裾を掴んできて。……ちなみにこれは怖いからという子供らしい動きではなく、いざとなったら私を後ろに下げて自分は前に切り込むための動作だ。大概シロ様の物騒な行動が読めるようになった自分を複雑に思いつつ、私はじっと店主さんを見つめた。
「いや……この辺りを良く知らない君たちはわからないかもしれないが、本来魔物の素材を街に売りに来るのは戦える人間の仕事なんだよ。中には同族の気配を感じ、近寄ってくる魔物も居るからね」
「え……?」
「……まさか道中にも危険があることを教えられていない、のか……?」
けれど、店主さんの反応は考えていた想定とまるで違って。私の目元辺りを見て悲しげに目を伏せた店主さんは、ゆっくりと首を横に振る。間違っても今私の裾を掴んでいるこの子が反則級の武人さんなんですよ、とは言いにくい雰囲気だ。思わず戸惑ったような声が零れる。
だがそんな声すらも、何か別の方向へと勘違いされてしまったらしい。心底悲しげに目を伏せた店主さんは、そこでぐっと唇を噛んだ。その目の奥には憤りにも似た感情が見えるような。なんだかわからないが、めちゃくちゃ同情されている気がする。多分そんな風に思われる必要はない、のだが。
「あまり言いたくはないけれど……こんな危険な雑用を任せるなんて、その集落は本当に君たちを受け入れてくれているのかな?」
「え、えっと……」
「……いや、戦えない身でありながら弟さんを連れてきている時点でその答えは明白か」
足元のシロ様が、なんだこいつという目を向けているのが見なくてもわかる。何をかくいう、私も同じようなことを思っているからだ。私の心底困り果てた声に、更に勘違いを加速させてしまったのか独り言を呟く店主さん。なんだかどんどん彼の中の誤解が、悪い方向へと向かって行っている気がする。ただ家庭の事情としか言ってないはずなのに。
あまり考えたくはないが……多分彼の中の私達は家庭の事情で集落へと移り住んで、挙げ句素材の売出しという危険な雑用を押し付けられる立場の弱い子供たち。みたいなことになってる可能性が高い。想像上の集落がなんだか極悪非道の場所になっていることに、私は冷や汗を掻いた。これが現実のどこかの集落に影響して、迷惑を掛けなければいいのだけど。
「……何かあったら直ぐに言うんだよ。この街が気に入ったのなら、ここに住むのも考えると良い」
「あ、ありがとうございます……」
訂正。店主さんは怪しい人でも悪い人でもなかったが、何やら思い込みと勘違いの激しい人だったらしい。だが詳しく設定を作り込んでいない私では、一瞬でストーリーを練った彼の勘違いを解くこともできずに。結局店主さんの勘違いに乗っかる形で、私は苦笑いを浮かべた。ただ素材を買い取ってほしかっただけなのに、私達の旅路は何やら思いも寄らない方向へと向かいがちである。




