二十八話「開かない宝箱」
「じゃあ私が旅の準備、シロ様がフルフの群れを見つける……でいいの?」
「ああ」
確認のために問いかけた言葉に返ってきた肯定。それに思わず眉を寄せてしまったのは私の方だった。何故かと言えば、答えは目の前の光景が物語っている。
シロ様の肩で跳ねるふわふわ。ピュイピュイと鳴くその姿はご機嫌そうで、きっと私達の話なんて聞いていない。なんならその肩の持ち主が鬱陶しさから真顔になっているのにも気づいていない。これから森へと出向いていく二人。そんな二人に対する私の目下の悩み事は、ただ一つ。
「……喧嘩しちゃ駄目だよ?」
「……ああ」
今度の肯定は、少し間が空いたような。だがそれを追求する暇もないまま、シロ様は肩で跳ねていたフルフを鷲掴みにすると外へと出ていってしまった。扉の向こう側から、ピュイー!?みたいな悲鳴が聞こえてきた気がする。しかし今度の私は、無邪気で無謀なあの子を助けることは出来ない。私はそっと、彼らが去っていった扉の方に向けて黙礼をした。
現在時刻、恐らくお昼頃。昨日シロ様が狩ってきてくれたうさぎのお肉を焼き串にしてお昼ご飯を済ませ、私達は今後やらなければいけないことについて話し合っていた。ちなみにフルフはお肉も食べた。どうやら雑食らしい。
そんなよく食べるフルフを傍目に話し合った結果、先程私が言ったような役割分担が成立したのである。私はこれからの旅のために、小屋で出来る限りの準備を。そしてシロ様はその間、食料探しを兼ねながらフルフの群れを探す。まぁ適切な役割分担だと思う。本当は私も群れ探しを手伝いたかったが、戦えない私が一人でこの森を彷徨ったところで結果は目に見えているので。
「さて、と」
一人になった小屋の中は、どこか異常な程に静まり返っている。それは耳を澄ませても、外の声が聞こえないくらいだった。これは、シロ様が以前よりも強い結界を張っていってくれたことが原因である。群れ探しで遠く離れる可能性もあるからと、いつもよりも結界を強化してくれたらしい。ついでに絶対外に出るな、という念押しも頂いていたりする。
真剣な表情を思い出し苦く笑いそうになって、しかし私はそこでリュックの方に目を向けた。私のやることは旅の準備。シロ様の目標と比べれば少し曖昧だが、けれど私の中でやることは決まっている。問題はそれが出来るかどうか、なのだけど。
リュックのチャックを開ければ、そこには真っ黒な空間が広がっている。そんな異空間じみたリュックに手を突っ込むのも、少し慣れてきた。私は相変わらず底に手が届かないリュックに手を入れながらも、心の中で静かに唱える。入ってるものが全部出てきてください、と。
「っわ……」
そうすれば当然、呼び出し機能が付いてるらしいリュックは物を全て吐き出して。どぱっと溢れ出てきた物に思わず声を漏らしてしまったのは、ご愛嬌というものだ。薄汚れていた床に、物が一気に散乱する。それを見てシロ様が不機嫌になりそうな光景だな、なんて思いつつ。
「えっと、水筒……筆箱……」
あの少年は色々と雑なところもあるが、存外綺麗好きだ。帰ってくる前に片しておかなければいけないだろう。そう考えた私は、とりあえず今は使わないものをリュックへと戻していった。水筒は無限湧き水製造機。筆箱は以前検分した結果、汚れや傷が発生することのない保存器具と化したことを知っている。これまた青地にチャックが付いているだけの小さくシンプルな物だが、その容量もどうやら小さめの鞄くらいには大きくなっているらしい。
そうしてそんな筆箱の中に入っていたシャーペンや赤ペン、消しゴムも変化している。とはいえその変化は他に比べれば微々たるもので、どれだけ使ってもシャー芯切れやインク切れ、擦り切れがなくなっているほどのものだったが。……いや、これを些細な変化と思ってしまう時点で、私は毒されているのかもしれないが。
若干自分の精神状態に疑問を浮かべつつ、私は次に三冊のノートを拾った。ノートも変化としては、筆箱の中身と同じ。ページが無限となった、使っても無くならないノートになっている。あと千切った瞬間に修復されるので、ちょっと怖い。シロ様はこれならホウフ?が作り放題だな、なんて呆れた声で言っていた。そのホウフとやらを作っているのか、時折紙とシャーペンを借りに来ては何かを書いてたりする。後ろから覗いてみたところ、何を書いてるのか私にはさっぱりだったけれど。
一週間の中にあった日常の一コマを思い出しつつ水筒と筆箱をしまって、ノートをしまって。ついでに今は使わない地理の教科書と、現代文Bの教科書、ジャムが半分くらい入っているお弁当箱もしまって。そうすれば外に残るのは、生物の教科書とあと一つ。私が愛用していた、裁縫箱だった。
裁縫箱といっても小学校高学年になれば学校から購入を求められるような、子供受けするデザインのあれではない。いや実際中学生まで私が愛用していたのはそちらだったのだが、高校生になってから使うようになったこれは、とある人から貰った入学祝いのプレゼントだった。
『尊。これあの子がね、貴方が高校に入ったら渡して欲しいって言ってたのよ』
眼前に佇むは、木で作られた箱。私が好きな菖蒲の花が隅に彫刻されている、取っ手付きの。木目はいつ見ても等間隔に揃っていて、そこに継ぎ接ぎめいた断面は見られない。これを代理人として渡してくれたおばあちゃんが言うには、たくさんお金を掛けて作られた特注品らしい。この世に二つとない、私だけの裁縫箱。
この裁縫箱は二段となっており、蓋をしている二段目をよければ下には鋏や端切れ布を入れておくような大きな一段目が待っている。上の二つに別れた二段目は刺繍糸を入れておくスペースと、糸切り鋏やチャコペンなどを入れるような小物入れになっていて。いつ見ても輝いて見えるそれは、掛け値なしの私の宝箱。本来持ち歩くものでもないのに、風呂敷に包んでいつだって持ち歩いていた何よりも大切な物。
今日も眩く輝くそれを私はじっと見つめていた。そうして暫く見つめた後、私はそっと二段目を封じている蓋を開けようと試みる。固く閉ざしている金属の留め具に優しく触れて、そうして外そうとして。
「……開かない、か」
しかし今日もその金具は、ぴくりとも動かなかった。半ば諦めていたとはいえ、その事実は胸に痛く刺さる。この異世界に落ちて一週間。何度もチャレンジした、私にとっての宝箱の解錠。けれど何度試したところで、鍵なんて掛かっていないはずのそれが開くことはなかった。シロ様にも頼んでみたが、シロ様に至ってはそもそも触れずに弾かれてしまったくらいである。どうやらこの開かずの宝箱は、私しか触れないらしい。そして唯一触れる私ですらも、開けられない。
「あー、困ったな……」
はぁ、と溜息が一つ。疲れ切ったような、心底悲しげなそれが、私一人しか居ない部屋に溶けていく。この宝箱が開かないことのデメリット、それはまず私の心にダメージが来るということ。だって本当に大切な物なのだ。命よりも大切かもしれない。それが目の前にあって、しかし使えないとなれば不安は積もっていくだろう。例えばもしかして内部で壊れてしまったのだろうか、みたいな。
そうして実際問題、これが使えないと私は心底困る。私の顔の状態を、覚えているだろうか。一番近くに居るシロ様が全く気にしていない様子なので忘れがちなのだが、私の左目は瞳が抜け落ちてぽっかりと穴が空いたままなのだ。恐らく事情を知らない人が見れば、心底不気味に思うだろう。
だからこそ例えば眼帯とか、そういうのを作りたい。それくらいならば多少不格好でも、裁縫箱に残っていた端切れで作れるから。けれど裁縫箱は開いてくれない。シロ様が封印が掛かっているのかもと四属性の解除の法術を試してくれたが、それでも駄目だった。何の変化もないまま、宝箱はそこに佇むだけ。
「もー、開いてよ……」
つんつんと裁縫箱をつついても、当然無機物である裁縫箱から返事が返ってくることはない。いっそのこと壊してしまえばいいと思われるかもしれないが、宝物であるこの子を乱雑に扱うことなんて私には出来ない。壊すなんて以ての外である。故に出来ることと言ったら、物相手に文句を告げるくらいのことだけ。馬鹿みたいだと言わないで欲しい。これが私に出来る最大限なのだ。
……それにしても本格的に街に行く話が出てきた以上、左目は本当にどうにかしなければ。ただの失明ならばまだしも、左目が抜け落ちるなんて怪奇現象に他ならないだろう。不気味だと、石を投げられたら泣いちゃうかもしれない。いやそれだけならばまだしも、私をなんだかんだ大切にしてくれるシロ様が激怒してしまうような気も。
前髪が目に掛かるならば切るべし、というよくわかんない校則さえなければ私の前髪も長かったかもしれないのに。そんなよくわからない恨み言を学校に押し付けつつも、私は裁縫箱相手に格闘していた。当然、そんな力任せで開くのならここまで苦労はしておらず。結局旅の準備なんて何も進まないまま、私はフルフと一緒に帰ってきたシロ様に冷たい目で見られることになるのだが。まぁそれは、ご愛嬌というやつである。




