2-14 「友達のリアム」①
意を決する。
そう宣言するに相応しい精神になった。
強く、心を持って相手の心のカサブタを剥がす決意をした。
これが同年代や年上ならば相手がどのような人物であろうと、それによって精神の一部を潰してしまうことになろうと、まさに知ったことではない。
今回は子供だ。
本当なら絶対に触ろうとしない部分であるが、現状としてよくわからないことが起きているのでそれを解決していきたい。
言ってしまえば自分が行なおうとした偽善によって自らの首を絞められた状態ともいえる。
……どちらにせよ、問題は解決させる。
そこまで決意してからもたれかかっていたリキマルをどける。
気づかなかったが、どうやらリキマルは寝ていたようだ。
起こした事を「悪いな」と思ったが、俺の腕に顔をこすりつけ始めたので「やっぱり寝てろ」と思っておく。なんかこの状況だと相手の心を読んでるのか読んでないのかわからない。口に出さなくても俺の考えがわかるはずなのだが、どうなっているのだか。
俺は姉を呼び寄せるとリキマルを押し付けた。
本当に押して、付けた。
姉は怪力なのでリキマルを抱きとめると互いに肌を擦りつけあっている。そこはかとない不安に駆られるが大丈夫だろう。根拠はない。まったく同じ笑顔なのが気になるが、今はそれどころじゃない。
「リアム、ちょっといいか?」
「はい!」
俺の言葉に全力で返事をしてくるリアム。
ぜんぜん「ちょっと」じゃないしその笑顔が曇ることを意識すると物凄い罪悪感で死にそうになるが、話は絶対に進める。
俺は姉とリキマルで構成されたボールのような塊をソファの後ろに転がしておくと、リキマルの傍に座った。なんか俺が不安だったのでリアムを抱きかかえるように座りなおす。リアムもそれが嫌ではなかったんのか嬉しそうに背を逸らして俺と顔を合わせながら笑っている。
「まさゆみさんとリキマルさん見てたら、こういうのいいなって思ってたんです」
きゃっきゃとはしゃぎながらリアムが俺に体重を預けてぐりぐりと動いてくる。
「あのさ」
できるだけ力を込めて言葉を発する。
本当に「言葉を発す」に近いほど俺の喉から出た音に意思はこもっていなかった。ただ前振りとして、緩衝材として、パッケージされた単語を使ったに近い。
苦しいな。今、現在が。
「家に帰りたい?」
俺が逃げないようにリアムを掴む。ぎゅっと。
リアムは正気に戻ったように一瞬だけ無表情になると少しだけ俯いた。
そして――
「帰りたい……」
ぼそりと呟いた。
いや、俺に「言って」くれた。
俺の発言は明らかにおかしいものだ。
普通は相手に向かって「家に帰りたい?」などと聞かない。
返事は千差万別かもしれないが、それでも俯いて両手を強く握り締めては言わないだろう。リアムのその表情と仕草は明らかに普通ではなかった。まるで「帰りたいのに、帰れない」と言っているようにも聞こえる。
いや、それは予想がついていたはずだ。
たかだか予定されていた他人の昼飯を取ったくらいで怯えはしない。しかも家人自ら取り分けたものだ。多少心苦しくはあってもあそこまで心を崩さない。
リアムに何かしらあるのは明白だった。
「今、家まで送ろうか?」
「帰りたく、ない」
先ほどとまったく別の答えが返ってくる。
これで十分だった。
俺がリアムのために何かしようと思うのはこれで十分だ。
そもそも最初から本人の了承を得ずに行動していたのだ。悪手だ。どうすることもない、悪手だった。相手が子供であるから偽善心が揺れたとも言える。それでも少しくらいは何かをやってあげたかった。
しかし、このザマだ。
関係者っぽいのに失言をしてしまったせいで迂闊なことになった。そして地獄耳で相手の様子を伺ってしまったのがさらに俺の無駄な行動力に火をつけた。場を引っ掻き回しただけで何も解決していない。
そりゃそうだろう。
本人から何も聞いていないのだから。
だから今から、リアム本人に話を聞くのだ。
「リアム、俺はお前の味方だ。お前の力になりたい。だから話を聞かせてくれ。どうやったらお前は――リアムは笑顔で家に帰れる?」
聞いた。
聞いてしまった。
もう後戻りはできない。
結局、解決しなくてリアムを失望させることになるかもしれない。
実はリアムが悪くて他の連中に迷惑を掛け続けてきた嘘つき少女であり、その味方になるにはあまりに不適切なのかもしれない。
俺は予防線として敷いていたすべてを取り払った。
自分の発言と態度に、責任を持つ。
「……なんで、味方になってくれるの?」
悲しそうな目でこちらを覗いてくる。
憐憫を誘う視線だ。
筆舌に尽くしがたい。
「それは言葉には表せない」
「なん、で?」
「リアムが俺と同じだけの力を持っていたら、やはり誰かに救いの手を差し伸べているだろうからだ。不特定多数の人たちにじゃない。こうやって実際に会って、話をしたら、絶対にそう思う」
「それは私が弱いってこと?」
「そうだ。その通りだ。リアムは弱く、傷ついている。大人が手を貸すべきだ。なにより、俺もその決心がついた。あまり他人の生活に関わるのはよくないと思っているが、こうやって会ったのも縁だ。そういう運命なのだろう。何よりうち姉さんは人を見る目がある。リアムは良い子だよ」
俺はリアムの頭を撫でる。
俺が踏まれているような状態であるが問題はない。いくら背が高くても頭を撫でてやる。
「……うん」
それでも悲しそうにリアムは唇を噛んだ。どちらかといえば俺が下にいるせいか、その切ない姿がよく見えてしまった。
「じゃあ、ごめんだけど、いくつか質問するよ。実はさっきまで勝手に動いたせいでちょっと目も当てられない状態みたいになってるんだ。ああ、心が痛くなったら答えなくてもいい。答えられるやつだけ答えて」
気を抜くとリアムから視線を逸らしたくなってくるが、絶対に逸らしてはいけない。全力で押し留める。リアムの不安なまなざしから目を逸らさない。
では何から聞くべきだろうか。
あまり多くの質問をするのも辛いと思う。
できるだけ少なく少なくしていきたい。
「家は、姉さんが連れてきた、あの団地か?」
「……違う。あそこから引っ越した。今は新開発埋立地に住んでる」
「新開発埋立地……キノトアビルのある五行市か?」
「うん。朝からぶらぶら出歩いて、夜に帰る」
……う、ん?
出歩いているのか?
なんか思っていたのと違う。
てっきり外に出られない生活を送っていたのかと思ったが。
姉がそんなにも前から放っておいたのだろうか。
もちろん今日の今日まで見かけたことがなかったと言ってもおかしくはないのであるが。
「ずっとぶらぶらしてる。昨日も、今日も、たぶん明日からも、ずっと」
感情が混ざり合って暗くなった瞳が映っている。
当てもなくずっと街を歩いているだけなのだろう。
学校には行っていない。別にそれなりに知識と教養があれば行く必要はないといえるが、どちらかといえば行っていたほうがいい場所だ。
「けど、今日からは、たぶん帰れないかな」
「どうしてだ?」
「私が、いるから」
うちの姉のような言葉を返してくる。
ちょっと意味がわからない。
禅問答のようなそれなのではなく、あまりに端的に伝えてしまっているせいで要領を得ないのだろう。
一気に全部連続で聞いてしまいたいが、あまり捲くし立てて質問しても困るだけだ。できるだけゆっくりと質問していきたい。
「リアムがいたら帰れないのか?」
「うん、今日からは、私がいるから」
「それは二人目のリアムがいる、ってこと?」
「違う。私が、こうやって、ここにいるから」
「それはうちに、氷上家にきたから帰れないの?」
「違う。私が、私として存在するから」
リアムが俺の両手を取って自分の胸に当てる。
表情とは裏腹に早鐘のような鼓動が感じられた。
……何を言っているのか絶望的にわからない。
「一美ちゃんみたいに心が読めるんだよね。このまま読んでもらえると、嬉しい」
一瞬でわかる手段が俺の手の中にあった。
だがこれを使ってもいいのだろうか。
そしてそういう相手だと知っていて俺に触れているという事実に少し驚きを持ったが、リアムのように不安な精神状態の人間には逆に自分のことを正確に知ってもらえるというのは嬉しいことなのかもしれない。
しかし、そう言われてもあまり人の心を読みたいものではない。
誰かの心を読むときはおおよそのアタリをつけて読むことができるが、関連付けされている記憶である以上、その端や交差しているどうしても不可避な部分まで読まなくてはならない。
今回のように上手く説明できないから読んでくれ、というのはリアムの心のほとんどを読んでしまうことになるだろう。もちろん私生活の一部どころじゃない。全部だ。全部読んで把握してしまわないといけない。読まない部分というのは俺が既知ではない部分だ。心の奥の、隠し部屋になっているような、そんな気づきもしない部分だけだ。
それ以外は全部、読むことになるだろう。
あまりに抵抗がある。
リアムはまだ子供だからだろうか。
いや、それでも心を読まれることに抵抗を覚えないということはないだろう。
多感である時期だ。しかもこうやって何かと問題があるようなそんな瞬間は、なおさら読まれたくないのではないだろうか。
それでいて「読め」というのは、俺ではその心中を察することはできない。
それこそ心を読まないと。
「いいのか。読むとなれば全部読むぞ。自分が忘れているような恥ずかしい出来事でさえ俺は知り、そしてずっとずっと覚えていることになる。もっともっと大人になれば絶対に後悔する」
一度だけ、言葉を切る。
そして俺も強くリアムを覗き込んだ。リアムが俺を覗き込んでいるように、俺もまた。
「だから、今はつたなくても、自分の言葉と心で話をしたほうがいい。それが、人間ってものだ」
「――っ」
俺の言葉に気圧されたのか、リアムは怯む。
怯みはしたが、その決意を殺されたわけではない。まだ俺と視線を合わせている。
なんだかんだで一番怖いのは俺だ。
結局相手にすべてを委ねる振りをして、責任を押し付けているのだ。
不甲斐ない。
だがこの件に関しては間違っていない。
絶対に、今、自分の口で話したほうがいい。
もちろんリアムの口から話してもらうのは酷だ。すでにその時点で俺の心が痛い。
だが、それでも「相手の心を読む」などというものと比べるのであれば確実に「自分の口から話す」ほうがいい。
痛みにも、傷にも、つけ方や補い方がある。
「だから話してくれ。痛いだろうが、心を読むよりはいい」
俺はリアムの胸から手を離す。
リアムもそれに抗わなかった。押さえた俺の手から力が抜けている。
「すまん。苦しいだろうが、続けよう。話を」
「そうだな。それは私も聞きたい」
不意に聞こえてきた男の声。
その冷たく鋭利な声と同時に窓ガラスがすべて砕け散った。
魂が砕け散るときの悲鳴を思わせる音が響き渡り、そのすべての破片が外へと飛び散っていった。
見れば真っ赤な二重外套を着込んだ青年が立っていた。
鋭い目つきと隙のない物腰が痛いほどの強さを感じさせてくれる。
「邪魔をする。御剣理昇だ」
庭から土足で入り込んできたのは団地前で別れた御剣理昇その人だ。隣にはワークミッツと呼ばれた少女もいる。
姉とリキマルはすでに臨戦態勢なのかいつのまにか立ち上がって部外者の二人を見据えていた。
「随分と鋭い殺気だな。わざわざ窓ガラスは外側に飛ばしただろう。私の意も汲み取ってほしいものだ」
「いいね。ありがとう。その考えはイエスだね。けど日本の家屋と世界人類における家族団欒に土足で踏み込むのはマナー違反だ。あまり褒められた行為じゃない。そのまま叩き出されても文句は言えないほどだ」
武器と防具の力場発生に一秒か二秒ほどかかる。
この期に及んで御剣理昇は武器を持ってきていない。
おそらく携行兵器を持たなくても攻撃ができる俺のようなタイプなのだろう。しかもさっさと他人の間合いに入ってくるということはその発生速度にも自信があるということだ。
一秒か二秒の間に何十回か攻撃されてもおかしくはない。
装備がない俺が圧倒的に不利だ。
このまま力場を使えば御剣理昇は攻撃してくるだろう。
「まず、聞きたいことがある。戦闘に入る前にな」
理昇の開戦宣言を受け取ってからいくつかの魔法の式を構成する。発動しなければ見切られはしない。
とりあえずは防御だ。
リアムを守るのが先決だろう。
「そいつがリアムで間違いないな」
……なんだと?
御剣理昇の視線は俺と、そしてリアムに向けられている。
「初対面、なのか。知っているのに」
「お前らがどうやってリアムを見つけたのかわからないが、そいつには聞きたいことがある。雅弓、お前はその後だ」
ちょっと待てよ、どういうことだ。
御剣理昇の家にリアムは住んでいたんじゃないのか?
いや、確かにそんな話は出ていない。
最初に御剣理昇と会ったとき、リアム、ではないかもしれないが同じ外見の少女を探していたはずだ。雑ではあるが、てっきりなんらかの理由で二人が住んでいるものとばかり思っていた。
「おい、どういうことだ。なんでリアムを探していた。なんでリアムの顔を知らない。なんでここにきた」
相手が成人男性なら別に気にすることなどない。叩きつけるようにこちらの質問をぶつけていく。
「お前が知る必要はない」
ぶっ殺す。
防御準備の完了したリキマルにリアムを投げつけると俺は鉄食いを呼び出す。
「馬鹿が」
だが同時に不可視の斬撃が俺へ袈裟懸けに放たれた。
俺の体に斜めの線が走り、血華が咲いた。あまりの見事さに手を打ちたくなる。
俺の使う斬撃と良く似た、いや同じつくりの攻撃だ。アプローチは違うが結果がいっしょなのだろう。
そして連続で斬撃が放たれる。ギリギリで治癒が間に合う。
遊ばれているようだ。
俺と同じ能力者で間違いないか!
一方的に不利であるがまだ挽回できる。遊ばれているうちは。
リキマルは防御専念で手出しはできない。
姉は、ただわくわくと様子を眺めていた。姉はこういう人だ。本当に俺が危険なときは手を出すが、それまではまず茶々すら入れない。まるで「俺が勝つことを確信している」かのような振る舞いだ。勝つつもりではあるが、一般人がいるのだからできれば参戦してほしい。
俺の戦闘態勢が少しずつ整うに連れて御剣理昇は攻撃を強めていく。底意地の悪いやつだ。
その一撃が「まったく致命傷ではないが、状況的は致命的な手遅れになる可能性になる攻撃」を放ってきた。一瞬で治癒できず、余波が大きく、姉やリキマルはともかくリアムに大きなダメージが入る可能性がある範囲と威力だ。
不可視の斬撃が咲き乱れる。
防げない。
本気を出しても防げないという手遅れになった。
それでもいくらかの斬撃を引き受けるために自分の身を挺し、防御と相殺を行なう。
それがあってなお、リアムに斬撃が走るのだ。
悔やみはする。
が、恐れはしない。別に死ぬわけではない。最悪ではない。
俺は斬撃を庇いながら、次に確実に来るリアムへの大怪我に意識を向けた。
だが、それは訪れなかった。
その斬撃は容易く砕かれて散った。
「雅弓、随分と畜生然と構えるようになったな」
「……殺したいほど返す言葉もない」
リアムと御剣理昇の間に知った男が割り込んでいる。
その男の手には白の戦闘手袋をつけており、アームバンドで手首を出している。小ざかしいことに黒のベストを着用しており学生服であるというのにまるで執事めいた雰囲気をまとっていた。
氷上司が、俺の兄がリアムへの攻撃を防いだのだ。
兄は銀縁眼鏡をくいと直すと強気の表情で誰もが一度は口にしたい言葉を言った。
「ここはまかせろ。早くリアムを安全な場所に退避させるんだな」
「邪魔をするな、と言いたいが貴様、氷上忍者か。力ずくでどかすのは少々骨か」
うちの祖父の氷上家忍者軍団がどれほどのものかわからないが、ベースとなっている戦闘術の「氷上流護身術」は護身術の癖に誰よりも先に相手をぶん殴るというスーパー脳みそ筋肉思考だ。古武術であるといえるが、身内の恥なので是非ともカテゴライズから外してほしい。
とも思ったのだが、御剣理昇のセリフを見るとそこそこの知名度と強さを持っていると見える。
いや、この程度では俺の評価は変わらないが。
「とりあえず二キロくらい時間を稼いでくれ!」
俺と姉とリキマル、そしてリアムは逃げ出した。




