2-1 登校拒否児童リアム
俺はあくびをしながらテレビに向かってゲームのコントローラーを握っていた。
赤のタンクトップと黄色のホットパンツという男が着るにしてはとんでもない格好であったが、手足が細くて貧弱に見える俺の体には良く似合っている。うちの姉が買ってきただけあってかなりスペシャルな逸品だ。
ゲームの中では俺の分身が整備されたサーキットをカートで疾走している。ちょうど右カーブにさしかかったので「まあこの辺だろう」という気分でドリフトを行ってタイヤを鳴らしながら強く曲がっていった。
「マサユ美ちゃん、私、そろそろお仕事出かけてくるね。ご飯は冷蔵庫の中に入っているから温めて食べてね」
「うん、わかった。ありがとう」
生返事をする。
ちょっと変わった返事をすると怒られたので、無難に生返事をしておくのが正解らしい。若干ショックだったがそういうものなのだろう。
少なくとも今は。
俺は『眼』で情報確認を行いながら状況に沿った行動を選択していく。
今はゲームをしながら生返事が一番なのだろう。ちょっとどうかと思うが。
俺は振り向いて視線を合わせて言葉を交わそうという欲求を抑えながら、またサーキットでドリフトを行う。その外側を緑の恐竜がグリップ走行で抜いていった。あれ、ドリフト遅くねえ?
「行ってらっしゃい、リアム。お客さんにイタズラされないようにな」
「うん、わかった」
そういうとリアムは立ち上がって家の外へと出て行った。
リアムは巨乳の娘だ。
身長は俺と同じくらいで百六十センチ。ぜんぜん幼さが抜けない娘で一挙手一投足に少女特有のかわいらしさが存分に残っている。レースのついた白のブラウスと赤のスカートが印象的だ。本来はロングスカートなのだろうが、リアムの手足が長くてちょっと長いミニスカートにしか見えない。
俺がなんとなく振り向くと、家の外に出て行ったリアムと目が合った。
綺麗な顔立ちをした少女だ。
小顔ですっかり垢抜けたような表情をしており常に笑顔で暖かみを振りまいている。高くて小さな鼻に大きな黒い瞳は、日本人が好む清潔感を持っていた。
そしてリアムの金髪が眩しい。猫っ毛のショートボブで気高い猫を思わせる気品がある。染めたものではなく地毛が金色なのだ。異能的なものだが。
ああ、そうだ大切なことを忘れていた。
十一歳だ。
小学校六年生らしい。
小学校六年生にあるまじき洗練された肉体であり、「ああ、そうか。異能って肉体自体も変化させられるんだ。いや知ってたけど」みたいなことを思わせる完成度を誇っていた。ちなみに一度変化させた肉体は異能ではないので『分解』はできない。
あと、なんといえばいいか。
そう。
彼女は今、『ソープ嬢』をやっていた。
うん、なんでこうなっているのかはわからない。
まあ、遊びだからいいのではないだろうか。
ちなみに本番なしのソープ嬢だそうだ。
ちょっと意味がわからない。この辺がこだわりらしい。わからないですね。
リアムは『職場』に行くとさっそく客を取っている。
「どこか痒いところはありますかー?」
「ないわさー」
客は俺の姉だ。
名前を氷上一美と言って、棒で悪魔を叩く系戦士だ。
身長は百三十八センチで恐ろしく低い。俺の双子の姉であるが、どうやら俺のほうが高いようだ。俺が女だったら姉と瓜二つになっていたかと思うと、ちょっと怖い。また彼女の胸は貧しい、というか女性らしさは特にない。発育の普通な小学六年生といったところだ。
顔は俺とそっくりだ。
姉が俺に似ている、というよりは俺が姉に似ているのだろう。双子だからという面もあるが、そもそも俺の性別はもともとは女として生まれてくる『予定』であったので、姉を基準に考えるが筋というものだ。
大きな黒い目に低い鼻、小顔、薄い唇、健康的だが白い肌、ぷにぷに、と言い出すとキリがないほど続く異能万歳な人間だ。肉体の部品のひとつひとつが上質の素材で作られているかのような高度さを持っている。普通の人間と趣が異なるほどだ。
特に姉の象徴たる膝裏まで伸びた艶のある綺麗な黒髪が一際印象深い。
黒髪の上で太陽光が波打つほどに濡れて美しく、その手触りも形のある流水を撫でているかのように申し分ない。欠点は後ろから見ると座敷童に見える。あと髪が結えないのがところか。
ただその愛らしさはまさに天使を思わせるほどにかわいい。
立っているだけで視線を奪ってしまうような無垢さがあり、姉を見た他人も癒されてしまうだろう。
さて、自画自賛はここまでにしておこう。
うちの姉は服を着たまま『風呂場』に寝そべっている。ああ、バスタオルの上に寝そべってリアムからマッサージを受けている。漣のように背中から流れた髪が左右に散って小さな背中を見せており、リアムはその背中を指圧マッサージで優しく揉み解していた。
「お客さん、どうですかー?」
「気持ちいいわさー。上のほうをもっと強くだわさ」
独特の語尾で姉が要求する。
俺が女に生まれていたら、俺もあの語尾だったかと思うと戦慄する。
「どうですかー?」
「あ、あ、あ、そこだわさ」
えらい官能的な声音で姉が言うのを聞いていると、すげー嫌な気分になってくる。
嫉妬とか自己投影とかじゃなくて、兄姉の性事情を素直に受け入れられるほど俺も大人ではない。普通無理じゃないだろうか。ほら、親のそれとか聞きたくないだろう。
しかし、二人を見比べる。
リアムは実年齢十一歳で大人顔負けの官能的な肉体を誇る。
姉は実年齢十七歳で小学生でももう少しなんとか、みたいな肉体を誇る。
足して二で割るとちょうどいいな、これ。
本人がどう思っているかわからないけど。
「ありがとうだわさー。これ、お礼だわさー」
姉は立ち上がると『一万円』をリアムに渡した。
「毎度ありがとうございますー」
リアムはそれを受け取ると、姉を見送って『家』に帰ってきた。
「ふう、今日も疲れたわー。マサユ美ちゃん、お昼どうだったー?」
「おいしかったよ。特にあのブルーベリーのベーグルサンドイッチは最高だったね」
「でしょー。近くのパン屋さんのおいしいお気に入りなの」
「さすがリアムだ。いいチョイス、最高だね。かわいいし」
「やだー、もう」
俺の肩がバシバシと叩かれる。痛い。なかなかのパワーだ。
「あ、そうだ。これ、今日のおこづかいね」
「ああ、うん。ありがとう」
俺はテレビ画面から振り返って受け取ろうとする。自然と振り向いたのだ。
「もう、マサユ美ちゃん。振り返っちゃだめー! すごい気乗りしない感じで当たり前みたいに受け取ってー!」
「お、おう。ごめんごめん」
リアムは怒り出して俺の顔を画面のほうへと押し戻す。両腕で左右から挟みこむように掴まえて、グギと音が鳴るほどの腕力で俺の首を捻る。痛い。そしてリアムの胸は豊満であると再認識できた。
「やりなおしー」
「ああ、うん。そこ置いといてー」
「はい、これー」
リアムは俺の背中に抱きつくように巨乳を押し付けてくる。
そして俺に『一万円』を渡してきた。俺はそれをしっかりと手で受け取る。ゲームコントローラーは『利き腕』で操作しているので特に問題はない。緑色の恐竜超速い。急カーブをグリップ利かせて曲がっていきやがる。あと赤い甲羅を投げたらバナナで防御した。ちょっと意味がわからないです。
「はいはい、そろそろお昼ごはんですよー」
廊下から顔を覗かせてきたリキマルが昼ご飯の鐘を鳴らしてきた。
「雅弓も一美ちゃんもリアムちゃんも手を洗ってきてくださいね。今日はオムライスです。雅弓の記憶にあったオムライスがおいしそうだったので、雅弓の記憶手順通りに作ってみました」
さらっと怖いことを言ってくるリキマルだったが、俺の脳内アーカイブを利用するのは姉もいっしょなのであまり気にしないでおく。いや、やはり気になるだろ、普通。
「はーい」
「わかったわさー
リアムと一美は大きな声をあげて二人並んで洗面台へと駆けていった。
「どうでしたか。『ままごと』は?」
「いや、斬新だったね。まさか嫁が『ソープ嬢』で旦那が『完全ヒモ』、自分の身を切って働いて貢ぐことに嬉しさを感じているままごとをする小学生って相当な希少性があるんだが」
「じゃあご飯が終わったら私も参加しますね」
「あれ、もしかして今、この家にいる常識人って俺だけか」
「はい、そうですよ」
「否定しろよ」
「はあ、まあ」
俺の発言に突っ込むことなく、俺の使う生返事で対応されてしまう俺。俺は何を言っているのだろうか。
リキマルは小さな頃から発言と思考を近くにいる人間に繋げて、それを利用し続けてきたために自分単体だとまともな発言にならない。子供より多少は信頼性があるくらいだ。そのために今なお他者の脳を使って思考を行っている。たとえば俺が近くにいるときは、俺だ。
またその言語中枢や思考方法にしても肉体の成長の中で意図せず高度化していくものなので、どうやって精度を上げて良いのかわからないので、とりあえずは放置のままだ。リキマルはコピー系の異能力を持っているが、特にそれは役に立たないらしい。ほんと使えない。
リキマルはエプロンを外して俺へ手を伸ばしてくる。
俺しか見ていない。
そういわんばかりの情熱と真摯さを持った視線だ。意図しているのか、常に笑顔のような細い目だ。昔よりはだいぶマシになったが、それでも細い体躯は改善していない。俺は意図的に細身であり、体を維持するためにそれなりに食べているが、リキマルはそうでもないようだ。いまだに二千キロカロリー以下の食生活を行っているようだ。
「リキマル、それ、俺の服」
群青のシャツに灰色のハーフパンツだ。
色落ちと色褪せが酷いために部屋着になった服だ。三年ほど着ている。いや、なんかそれ着て欲しくないんだけど。この意味わかって。
「え、うん。借りてるよ。私の服、少ないし。あとキリヒトも着てる。私たち三人、背格好も体格も似てるから着まわせるね」
ものすごい笑顔で嬉しそうに言ってくるが、さすがに普段着で女装するほど俺も気合の入った本物じゃない。せいぜい仕事の一環で女物の服を着るくらいなので使いまわしはできないだろう。あとキリヒトも着てるのかよ。
キリヒトはリキマルの妹で、まあ、それなりに優秀な女の子だ。特に目立った説明はいらないくらいの特徴のない特徴を有する。あ、黒髪でポニーテールをしていてちょっとキリッとした表情をしているくらいだ。
リキマルにしろキリヒトにしろ、女性では割と珍しい名前であるが、うちの一族ではそれなりに普通だったりする。基本的に性別は考慮される傾向にあるが、たまにはリキマルやキリヒトのようにまったく考えられていない場合も存在はする。
これはうちの一族に伝わる『命名法』という術であり、名前に引っ掛けて才能を追加するものだ。たとえばリキマルは漢字で書けば『力丸』となり、主に『魔除け』や『強い力の内包』を意味する。判定の基準は世界のどんなシステムがやっているのわからないが、適当で、プリズムのようにいろいろな意味を内包している名前であれば、やはりそれだけの才能を持つ。
わかりやすいほうが強い傾向にはあるが。
とにかく昼ご飯にするか。
俺はリキマルの手を取って立ち上がると、テキパキと室内を片付け始めた。
ここはリビングだ。
ソファに背の低いテーブルにテーブルとウイスキーがたくさん入った酒棚がインテリアとして置かれている。観葉植物はイミテーションだが雰囲気は悪くない。
現在、テーブルには大きなバスタオルが引かれてた『風呂場』があり、三人がけソファという『家』があった。俺は小物を片付けてバスタオルを畳む。オモチャ銀行券の『一万円』はボードゲームの箱に戻しておいた。ゲームは……まあ継続しておく。わりとおもしろい。『利き腕』を二本、そして『眼』があれば離れていても問題なく続けられるからな。
片付け終えるとリキマルと並んで廊下を歩いた。
よくよく見ると本当に同じ背格好で、改めて驚いた。
「あのさ、それコピー能力とかで俺の姿を真似ているとかじゃないよな」
「あ、あの能力? あれは姿を完全にコピーするだけで、一部分とかできないよ。できるかもしれないけど、私は無理かな」
ショック。
どうやら男の俺と同じ肉体を持っているらしい。
俺、貧弱すぎ。わざとこういう体にしているんだけど、ちょっと後悔してる。
洗面台まで歩いてくるとリアムと姉が石鹸で遊んでいた。
どちらが大きいシャボン玉がつくれるかという競争をしているのだろう。二人で一生懸命に指で作った輪に息を通している。
「こらこら、ご飯前に遊ぶんじゃない。ご飯が終わってから遊ぶぞー」
俺はリアムと姉を二人まとめてくっつけて抱き上げる。
二人ともキャッキャと声をあげながら笑った。
しかし、姉が登校途中で見つけてきた小学生を家に連れてきたときはどうなることかと思ったが、なんとかなるものだな。しかも別に姉も知っている娘じゃなくて、初対面と言っていたので不安が二倍だったが意外と大丈夫だった。
さすがにこれって未成年略取とか拉致とかにならないよな?




