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「ある日」という日常のヒトコマ  作者: みここ・こーぎー
30/65

1-30 氷神家⑦

 普通の和室に通された。

 床の間がないことを除けば瑞香の部屋と変わらない。

 そんな殺風景な部屋だ。


 結局のところ押し切られた。

 落ち込んだキリヒトを隣にここまでやってきたのだ。さすがに相当に嫌われたかと思われたが、瑞香を先頭にここまでくるときに手を取られた。指を絡めて手を繋いで歩いてやってきたのだ。


 俯いていたためにキリヒトの表情は伺えなかった。『眼』を使えば顔を見ることなど造作もないことであるが、もちろんそんなことははばかられた。俺が見るべきではないと思ったのだ。ここで顔を覗けるほど俺も恥知らずというわけでもない。そしてここで顔を見られて俺の心を掌握しようなどと、多少なりともキリヒトは思っていないはずだ。


 俺はキリヒトと並んで座った後も手を握られっぱなしだ。

 あぐらをかいて座っている俺の隣に、寄り添わず、手を伸ばして座っているキリヒト。これくらいなら俺は許してくれると思っているのだろう。別に寄りかかられて泣かれても問題はないが、問題がないだけだ。俺はキリヒトに対して何か慰めの行動を取ることもなければ接吻のひとつもすることはない。


「準備をしてきますので、少々お待ちくださいね」


 瑞香がそれだけを言って出て行った。


 二時間ぐらい休憩しておけこの野郎、という意味ではないだろうと思われるが、俺の男性としての脳みそと思考が「そうなんじゃないかな?」みたいなことを発してくる。

 俺はその思考に軽く息を吹きかけて向こう側に飛ばすと、意味もなく考えていた。


 今更、何の用事があるのだろうか。

 本来であるのであればコーセツを逃がした俺の責を咎めるところであるが、残念なことにコーセツは殺されてしまった。もう、何もない。コーセツが死んだ以上、この日守家乗っ取りの話は本当に片付いてしまったのだ。

 一応、本当に一応という意味でキリヒトから話を聞けないこともないが、それくらいだろう。しかし捨て駒であるキリヒトから何かが聞けるというわけでもないし、そもそもそれは瑞香がやるはずだ。

 俺が聞いてもよいことなどない。

 いちいちコーセツを蘇らせて、もう一度くらい殺すことが関の山だろう。

 そのために俺が聞いてもよいことなどないし、そもそも「蘇らせる」という行為自体がこの世界の法則に反しているので不可能だ。死んだ人間は即座に魂魄分離を行われて振るいにかけられる。まったく同じ人物を再作成できないことはないらしいが、まず無理である上にそれを復活と断言してもいいのかと思うところはある。すくなくとも俺はどうかと思う。もしも俺が蘇ったら、俺は『氷上雅弓ひかみまさゆみ』であることを捨てるだろう。なぜなら――


 無駄な思考だ。

 無駄な思考をする時間ではあるが、あまりに無駄だ。


 コーセツが死んでしまったので、なぜコーセツが日守家を欲しがったのかもわからないし、あの『時間魔法タイムダイブ』の『呪布スクロール』を持っていた理由もわからない。『時神ばか』がやってきた理由もわからないし、二人の関係性もちょっと探りづらい。


 ただしかし、コーセツが死んだためにこの『日守乗っ取り事件』は、それこそ一応の解決をしたのだ。それは良いことであると思うべきだろう。もう、コーセツの欲望に巻き込まれる人間はいないのだから。

 巻き込まれる人間は、もういない。


 もしかしたら時神に翻弄されただけなのかもしれない。

 そもそも時神が何を目的に、あんなにひゅんひゅんと時間移動を繰り返しているのはわからない。あいつの寿命が無限だったとしても大昔の神代の時代から今までに現れることができる時間など限られている。そして未来にも行っている可能性が高い以上は、そもそも二十年にも満たない人生において『時神ばか』と三回も遭遇している俺が稀なのだろう。


 とりあえず俺の精神衛生上と向上心と、恨みとつらみと恨みが大きいのであいつを殺すための手立てをいくつか練っておくことにする。どうせ時神を殺すには情報が足りないので、魔法図書館と『遊戯館・楽園天国パラダイスヘブン』辺りに寄贈しておこう。とりあえず補完しておけば後の世の誰かが発展させて殺してくれるだろう。わりと憎悪している部類だからな。


 ぎゅ、と手が握られる。


 キリヒトだ。

 何を求められているのかわからなかったので、俺からも優しく握り返しておく。


 キリヒトがこの静かな場所で、畳を擦る小さな音を鳴らしながら近づいてきた。時間をかけて近づいてくると、おそるおそる俺の半身にしなだれかかる。


 振り払うか?


 そんな思考が流れたが、これくらいはどうということはないだろう。そのままにさせておく。


 キリヒトの強い、重い、痛い鼓動が聞こえる。

 それを聞いていると、次第にキリヒトの力が抜けていき、最後には完全に俺へ体重を預けてきた。


 あそこまで言われて、突き放されてもこうやってくるということは、キリヒトにとって俺は多少は大きい存在であるのだろう。おそらくコーセツから俺を倒すためだけに、『矢』を失った俺を確実に仕留めるための『力場』を覚えるために日夜、俺のことばかりを考えていたのだろう。自惚れという意味ではなく、明確な意思で力を得ようと思わなければ力は手に入らない。そのために俺を憎んでいたと思うのが普通だろう。

 現状において俺を殺すことに価値がなくなり、むしろデメリットにしか働かないので、コーセツ以外で一番感情を割いていた俺に情を移してもおかしくはない。


 キリヒトを、どうするべきだろう。


 俺が決めることではない。

 これは瑞香の分野だ。もちろん俺の家に居候をさせる、と瑞香が決めたのであれば俺はそのサポートをそこそこに行う予定であるが、その可能性は薄いのではないだろうか。確かに瑞香の考え――日守家の考えとしては俺の元に送るのも問題ないと定めるだろう。何せ、何か後催眠やコーセツが死んだ後の自爆行為などを考えると、どちらかといえば精神操作も可能で、真っ向からキリヒトを単独で取り押さえられる俺が適任かのように思える。


 しかし、別にひとりでやる必要などどこにもない。


 精神操作でいえば俺よりも得意なやつが何人かいるし、第三位階が四人くらいいれば問題ない。火神家辺りが人員も多く、どこぞの過疎ってる県の山の中で生活しているので氷上家うちよりも適任であるといえる。

 精神状況をおもんばかれば俺のところが良いだろう。

 だが、長期的な目線で見ればそれもどうかと思わざるを得ない。

 俺に依存してしまう可能性がなくもない。

 俺がキリヒトを完全に掌握して手駒にしてしまうのであれば、日守一族は満場一致でキリヒトの担当を俺に任せるだろう。俺だって任せる。


 だがそれは遠慮したい。


 理由は多い。

 キリヒトの第四位階上昇の条件が揃ったということもあるが、この先の人生、俺の傍は危険が多いだろう。第三位階では戦える可能性が低い。このまま殺されることもあるだろう。俺の時神殺害の技法が完成したら確実に現在の俺が狙われると思うし、アメリカからも狙われているし、何より敵を作りすぎた。

 俺の未来にまともな人生があるとは思いにくい。

 おそらく力及ばず死ぬことになるだろう。

 そのときにキリヒトの精神を二度も壊す必要はないはずだ。耐えられないし、耐えたくないだろう。俺から離れてさっさと自己の力で第四位階まで昇って欲しい。


 キリヒトが動く。

 俺と手を繋いだまま、それを無視するかのように俺の体を包むように抱いた。自分の顔を俺の肩に埋めるように擦りつけて、俺に潜り込むように体を摺り寄せた。


 さすがにな。


 俺は拒否することにした。


 肩を動かす。


「雅弓、もうちょっとだけ! もうちょっとだけでいいから……」


 止めた。

 我が身ながら意志薄弱である。


 それから少しだけ待ったかのように、瑞香が戻ってきた。

 襖が開いていつものような飄々とした笑顔で中に入ってくる。俺の状況に何か言われると思ったが、そうでもなかった。ただ笑ったままで俺を見ている。


「申し訳ありません。準備に手間取りました」


「まあ、それは別に。待たされるのは慣れている」


「あら、私はそんなに待たせたことがありましたか?」


「いや、女性に」


「そうですか。私は待たせてしまったようですね」


「聞けよ」


 軽口を叩きながら瑞香を見る。

 先ほどと六単むつひとえの着付けが違う。いや、同じではある。同じではあるのだが、一度崩れた服を直した後があるのだ。言い争いでつかみ合いにでもなったかのようだ。


 まあ瑞香と言い争いができるやつなんて俺を除けばハゲくらいしかこの場にいないんだが。

 後でハゲを憤死するくらいまでおちょくっておこう。「やーい、このハゲ女の服を掴んだぞー(意訳)」って俺が煽れば心の弱い奴はダメージを受ける。

 違うな。

 ダメージを与える。絶対に。



 どうしたの? ハゲに胸倉でも掴まれたの?



 と、聞こうとしたが、水の乱舞が飛んでくる様を幻視したので止めておいた。きっと俺は時神よりも予知のレベルが上昇するだろう。抵抗進化が当然としてもこのレベル上昇はちょっとどうかと思う。いろいろな意味で。


「ところであまりいちゃついていると、こちらとしてもやりにくいのですがどうしましょうか?」


「キリヒト」


 俺の言葉にキリヒトがのろのろと体を離す。

 名残惜しそうに、絡めた手を、指を最後の最後まで離さないように、ようやくと離す。


「では、早速ですが本題に入ります」


 一呼吸。

 俺の顔をしっかりと見据えると、瑞香は初手から切り札を切ってきた。


「リキマルは私が預かっています」


「!!」


 言葉がでない。

 なんと言えばいいのだろうか。

 言葉が出ない。


「あの時、あなたはにはリキマルの首も体も何者かに盗まれたと言いましたが、あれは嘘です」


 脳がまともに動かない。

 異能力ことばが紡げない。


 だが思考は可能だ。


 あの時、リキマルが死んだ直後、瑞香は「リキマルの死体が盗まれた」と言った。それは首のほうではない。残った体のほうだ。


 キリヒトに首を落とされてコーセツがそれを日守屋敷まで持ってきた。

 その間、キリヒトは自宅で放心していたようだ。首なしの姉から離れるように布団に包まっていたらしい。コーセツよりも先にやってきた日守家の人員がそれを確認したそうだ。

 そのときすでに首なし死体はなかったそうだ。


 俺は当初それを疑った。

 自分で山奥の氷神家までやってくると自分の異能力を全開にして調査したくらいだ。


 結果、わかったこととしては、


 何者かが堂々と歩いて死体を持ち出した、ことがわかった。


 死体を風呂場で洗浄して、殺害場所を綺麗にして、リキマルが回収していた俺の大きなバスタオルで巻いて持ち出したようなのだ。

 自分で出した結論を疑ったが、俺の能力ではそれが限界だった。


 俺のバスタオルが持ち出されたことにより、俺、もしくは俺の近親者が疑われたがいずれも状況的に不可能であることと、死体の利用法や保存方法の観点から無理であると判断されて犯人は見つからなかった。


 そしてその直後にリキマルの首も消えたと言ったのだ。

 さすがに高レベルの異能者が何らかの意図を持って盗み出したと結論づけた。

 ただしそれこそ『時神ばか』のようなありえないレベルの異能者でないとできないくらいだ。さすがに、その辺のじっぱひとからげがそんなことをできるほどここも甘くない。

 盗むよりも日守家を潰すほうが楽なくらいだ。


 だからこそ、死体の盗難に関して何も言うことはなかった。

 だからこそ、納得していたのだ。


 どうせ俺では守りきることもできなければ、何かできたこともなかっただろう。


 だがそれを瑞香は『嘘』だと言った。

 俺が調査したときに状況的に考えられることはだいたい考えた。反逆者の処分や死体の有効活用、ということでの内々にリキマルの死体を日守家が盗んだということや、今更やってきた時神が時の狭間にぶっ飛ばしたなど。


 だが無理なのだ。

 俺は無理だと結論付けたのだ。

 俺が最強で、俺の推論が完璧であると言うつもりは口が裂けてもない。リキマルを殺したのがキリヒトであると知ったのもついさっきの出来事だ。あのときに無理やりにでも会って聞いていればわかっただろう。だが瑞香の命令で会えなかったのだから仕方ない。

 俺が無理を言って氷神家まで出向いたのがイレギュラーなのだ。それ以上まで瑞香に何かを頼む気にはなれなかったし、そもそも聞くことも忘れていた。信じてなかった。


 そこまで踏まえた上で、リキマルの死体の盗難は信憑性のある事実だったのだ。


 それが――


「嘘?」


「はい、嘘です。実際は盗まれていません。心配なく預かっています」


 ようやく声が出た俺に瑞香はなんでもないことかのように返してくる。

 その通りだ。瑞香にとってはどうということでもないのだ。何せ事実を知っているし、何より何もなかったのだから。


「は、はは……そうか、死体はあるのか。そうか、よかった。じゃあ丁寧に火葬しておいてくれ。悪かったな。こんな時期まで隠させていて」


 何か、気が抜けた。


 わざわざ補完していた意味はわからないが、首謀者であるコーセツが死んだ上に時神の来訪も終了した、はず。念には念を入れて、今、俺に明かすのが正しい選択だ。瑞香は正しい。俺だってそうする。


「さすがに火葬するのは気が引けますね」


「そうか。土葬がいいのか? それとも最近流行の宇宙葬とかがいいのか?」


「いえ、どれも気が引けます。私はいいのですが」


 相変わらず何が言いたいのかわからないやつだ。ほとんどの発言において意味がわかるが、たまにバグったように話がかみ合わないことがある。ほとんどにおいて俺と瑞香の情報レベルの違いに問題がある。そしてその点に関しては瑞香は相違を理解しており、単に俺を翻弄しようとしてるのはわかる。

 わかるけど、別に無理して聞かない。

 こいつは話したがりなので黙っていても勝手に言ってくれるのだ。

 ちょろいちょろい。

 時間はかかるが俺の勝利は揺らがない。


「まああまり待たせるのも気が引けますからね。入ってきてください」


 瑞香が自分が入ってきた襖の向こうに視線を移して外にいるらしい何者かに声をかける。いや、そこに限らずずっとこの辺りは『眼』で見ているが特に何もない。

 さすがに瑞香が出て行ったときは瑞香がジャミングしてきたので瑞香の周りは見られなかったが、それでも多かれ少なかれ状況の確認は終了している。服を直しているようだったので無理に見ようとしないでよかったではある。ジャミング自体は破ることができるが、今の俺の出力ではどうしても相手に気づかれてしまうのでやりはしない。いや、別に相手に気づかれるからやらないわけではない。道理としてやらない。

 とにかく結果、この辺りには誰もいない。


 それこそこの日守家からリキマルの盗難を行った異能者がいるのであればさすがに察知できない可能性はあるが、その場合はまあ、なんというか、なんとかするだけだ。確かに俺でも察知できないものはそれなりにあるだろうが、少ないだろう。ぱっと思い浮かぶものでは、リキマルの『隠蔽ステルス』だろうか。


 ……リキマル?

 ……『隠蔽ステルス』?


 …………いや、まさかな。



 襖が開く。


 襖の向こうに色が浮かび上がる。


 いつのまにか俺は立ち上がっている。


 入ってきた人物が無作法に畳の縁を踏む。


 俺は手を広げる。


 入ってきた人物が驚いた表情をする。


 俺は、自分が持てる最速で、最高の精密性で、意思で、本能で、反射で――



「リキマルッ!!」



 入ってきた人物を抱きしめた。


「あ、えっと。ただいま……かな?」


 困惑した表情で俺の『眼』を見て挨拶してくる。


 そこには死んだはずの氷神力丸リキマルが立っていた。


 生きていた。

 生きていたと信じてもいいのだろうか。


 それでも俺はリキマルを力いっぱい抱きしめた。


 昔のようなガリガリではなかった。

 暖かい、生きている匂いがした。




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