1-23 夢で会えたよ
あたりを見回す。
瑞香の部屋だ。
それ以外の場所ではない。
数年前から変わらない場所だ。
床の間に置かれている俺が送った時計がボロボロになっている以外、特に目立った場所はない。昔と何も変わっていない場所だ。
さっきまで胡乱な思考だったが、わずかにクリアになった。
やっぱりあれだな。
ちょっとくらい寝ていたほうがいい。
そうでなければ状況を把握するのも一苦労だ。
俺の目の前には攻撃用の『水』を放った瑞香がいる。間違いなく結婚できなさそうな強さと弱さを兼ね備えた最強の理不尽にキレる女がいる。ここまで考えて思ったのだが、そりゃ結婚できなくても仕方ないだろうとか思った。が、口にすることはない。誰だってそうだ。俺だってそうだ。
隣には氷神家の切人がいる。
昔から思っていたのだが、氷神家は慣習的に『強い名前』にすることが多いので、性別やなんやらを考慮しない場合が多い。四年前に死んだこいつの姉も力丸なる気合の入った名前だった。まあ俺とリキマルは婚約した間柄ではあったのだが。だいぶ変な女だった。瑞香には負けるが。
確か俺は夜中に家に帰ってきたら瑞香の手紙が玄関に刺さっていて、それを見て六時間かけてこんな山奥までやってきたんだった。
しかも開始時刻をずらされており、俺が余裕を持って行った時間にはすでに目的の御前試合は終了しており、瑞香の粋な謀により優勝者の氷神切人と最終戦として戦うことになったんだった。
かなり眠い上に疲労により俺の身体能力も落ち込んでいるのでいくらか眠ろうとしたのだが、瑞香に付き合わされて眠れておらず、今のようにうたた寝をしてしまった。
そしてうたた寝程度で攻撃されたというわけだ。
ここまで日守家の基本テンプレなので小憎たらしい以外に思うべきこともない。
常人なら「眠たいから寝かせてくれ」と瑞香にお願いして部屋を貸してもらうのだろうが、こんな危険な家でひとりで過ごすとかどうかしている。しかも断りを入れるということはその相手は俺が「眠る」ということを知っているというわけだ。どんないたずらをされるのかわかったものじゃない。
ところでうたた寝の時間を俺の内的時間に照らし合わせるとまったく時間が経過していないように思えるのだが……
「雅弓、さあ、最終戦ですよ」
「あの、できればでかまわないんですけど、ちょっと聞きたいことがあるんですがー」
「はい、なんですか?」
「俺、どのくらいうたた寝してましたかね」
「正確な時間はわかりかねます。ただ、一秒の半分と少しだった気がします」
目の前が少しだけ暗くなった。
一秒に満たない時間、ほんのちょっとだけ眠っていたら水弾で撃たれるとかちょっと横暴が過ぎて泣きそう。もちろん横暴が過ぎるのでそれを口に出すことはありえないのだが。
まあ気にしない方向で行こう。
あまり気にするとハゲるからな。俺みたいに見目麗しいやつがハゲたら世界の損失になる。そういう覚悟と振る舞いで生きているので俺は強いわけだが。
どちらにせよエキシビジョンマッチ以外のパフォーマンスにならないだろう。俺とキリヒトの戦いはもうそういうお話なのだ。
だから俺が負ける方向で進めばいい。
さすがに分家相手にやりすぎたからな。
俺が本気を出すとちょっと問題が出てくる。火神のハゲ髭達磨なんか頭を真っ赤にしてキレるだろうしな。さすがに塩辛が好きなおっさんにそれをやるのもどうかと思う。俺のせいで脳溢血を起こしたとか寝覚めが悪い。
「雅弓、本気は出せますか?」
「本気を出すとブーイングが酷くなりますね。俺は礼儀をわきまえない最低者であるので」
「私はけっこう好きですけどね。あなたの百面相は」
「気が合いますね。俺も変装は好きです。自信もありますし」
俺は物品転移能力を使ってかつらをひとつ引き寄せる。瑞香と同じようなかぐや姫カットの長いかつらだ。それをかぶると顔面の筋肉を操作して表情を変化させた。
俺が異能力を使わない範囲で全力を出す。
今の俺の顔は瑞香になっている。
「どうですかね?」
「まあ愛らしい。どちらの君で?」
俺は物品送還でかつらを送り返すと、いつもの俺の顔に戻す。全身の筋肉を完全にコントロールできる俺にとってこのくらいはたやすい。もちろんそんなくだらないことのために鍛えたわけじゃない。全身の筋肉をコントロールことによって肉体動作のミスや精密動作や筋肉の停止動作などをしっかりと行い、技術の高性能化を図ったのだ。
まあ無駄ではなかったな。
「じゃあ、最終戦とやらに行きましょうか」
一秒も眠ることができないんじゃ俺のパフォーマンスがどうもこうもあったものじゃないが、ほんのちょっとだけわずかに雀の涙ほど意識を失ったことにより、俺の気分が楽になったのでこのままで戦いたい。さすがにマジでどうかしてる。
「ね、ね、雅弓。先ほどの君はどなたですか? 教えてくださいませんか?」
執拗に聞いてくる瑞香を俺は優しく振舞うように、放り捨てる。こたえる気は一切ない。相手に悪い感情を与えないように笑顔と全身を瑞香に向けて注目を誘うが、絶対に答えない。あなたを気にしています、というアクションを全力で取る。
話は変わるが「あのさー、今日って何の日か知ってるー?」みたいなことを言い出す女はどうかと思う。
近寄ってくるが絶対に俺に触れようとしない瑞香を体捌きだけで自分から動かしてどかすと、キリヒトを押し出すように瑞香の部屋から出る。その後ろを瑞香もついてくる。
俺の隣に並ぶ瑞香。
三人並んで歩いても問題のない広さを持った屋敷の廊下を歩く。
その中でも先ほどの話を続けてくる瑞香だったが、少なくとも俺はこの廊下を渡りきって外に出るまで特にしゃべる気はない。このまま俺だけ無限回廊に飛び込んでもいいが、出てくるときに分家の連中が戦闘状態で立っていたら土下座不可避なのでやらない。もしも二日後にみんないないのであればやるのだが、二日とか一週間程度で張り込みをやめるほどアレでもないのでやはり土下座不可避だ。
土下座するのはかまわないが、それは俺がやるべきことをすべてやってからの手段だ。有効な手段が他にあるのにわざわざ悪手を取って土下座でごまかすことはやりたくない。それでは誠意がないからだ。悪辣なことも必要ならやる。やるが、それは最後の手段だ。
瑞香に適当に正しい返事を返し続ける。
しっかりと丁寧に優しく返している限り、瑞香は相手に対して誠実だ。
全体の二割くらいは誠実だ。
その少ない数字をさらに俺の不義で減らすことはない。
俺の中の瑞香イメージエンジンと瑞香フローチャートではあと五分くらいはいける。五分もあれば入り口にたどり着くし、そこからも更に聞いてくるという事はないだろう。
完璧な女なので完全とは言いがたいが、まだまだ取れる手段は多いので問題ない。
「雅弓、あのさ、今日は全力でやろう」
「ああ、もちろんそのつもりだ」
「あと稽古つけて」
「いいよ」
「あとさ、その、久しぶりに会ったね」
「そうだな。最後に会ったのは階段から落としたときだったか」
「あ、うん。そうだね……うん」
「雅弓、先ほどのむぎゅー」
俺は割り込んできた瑞香のほっぺたを軽く指で突く。かわいいままで不細工になる瑞香を見て「あはは、かわいいね」と瑞香を刺激する。いつもの状況でやったら瓦礫の混ざった濁流をぶつけられる案件であるが、このときならばいけるはず。
「ふふふ」
瑞香はそこそこ普通に笑う。
賭け、成功。
実は今の技ははじめてやった。
成功するかどうかは賭けだったが、俺の中のイメージエンジンが「やれ! やるんだ! それを望んでいる!」と言っていたのでやったのだ。迂闊にやってしまったのだが、なんとかなった。
冷静に考えるとやるつもりなどなかったのだが、寝不足が引き起こした奇跡のひとつだろう。失敗したら濁流ブッパで、得るものがたったひとつの微妙な笑顔とか割に合わなさすぎる。
きっと俺は何かの毒電波に操られていたのだろう。
姉さんが居ればわりとかなりの確率で俺の思考が持っていかれる可能性があるので、たぶん姉さんがいるのだろう。今日、家にいる気配がしたけど。
頭を冷やして精神防壁を張る。
いつのまにか解除されていたようだ。いい加減、自信のパフォーマンス低下で自動的に能力が解除されるとかやめてほしい。俺の異能力の式の仕様なので変更するのはちょっと難題ではある。だいぶランクが下がるのであればできないことはない。
そのできないことはないランクの異能は使っていて解除されていなかったことは付け加えておく。
武装力場をすぐに使えるようにしておく。
『武装力場』は俺がただの『力場』を改良した明確な意思を持って作成された特定力場の技術名称だ。今までのが手元で粘土を捏ねてぶつけていたのに対して、先に粘土を成型して素焼きしておいて組み立てて使うタイプだ。レ○ブロックがイメージとして近いだろう。発動と相手側の干渉に対して強い抵抗力を持つ。
威力は昔の俺の実力と比べて随分と劣るだろうが、問題ない。
今の俺ならば当時のリキマルと戦っても勝てるだろう。
それが目標だったからな。
どうにか屋敷の外へと出ることができると、俺は足早に定位置に着く。
その反対側にキリヒトも着いた。
そして俺の隣に瑞香が付いている。
俺はしつこい瑞香を抑えるために近くにいたハゲ髭達磨の火神家当主を呼ぶ。
俺のことは気に食わないらしいが最終戦が始まらないのは更に問題と思ったのか、さっさと瑞香を俺から引き剥がすと「誘惑するな(意訳)」みたいなことを言ってきびすを返していった。
誘惑しーてーまーせーんー。
キリヒトは袴姿で手には抜き身の刀を持っている。
普通の刀だ。多少の切れ味は補正がかかっているようだが、どこにでもあるような刀だ。鞘は氷神当主に手渡されて手元にない。居合いは使わないのだろう。俺に使うメリット極薄だからな。むしろ納刀した瞬間に押さえつけられてにっちもさっちもいかなくなるだろう。
それがわかっているだけでも戦力差の見れるくらいにはなっているのだろう。
大上段に構えるキリヒトが精神を研ぎ澄ませていくのがわかる。
正面に捉えている俺に最大の一撃を放つような鬼気迫る圧力が俺に襲い掛かってくる。侵食するような冷たいやつじゃない。常に己と勝負をしているような、自己の能力をすべて引き出すような剣圧だ。最速最短の必殺の一撃を放とうとしている様子が見て取れた。
俺は両手を大円を描くように頭の上まで持っていって構える。
ぴくり、と反応するキリヒトであったが開始の合図はまだない。
そのためにまだしっかりと待っている。
そして審判である火神が俺たちの真ん中、そこから離れた場所に立つと開始の合図を行おうと息を吸い込む。
――今だッッ!!
俺は空かすことなく奥義を放つ。
キリヒトの筋肉や呼吸の動きを完全に見切ったほんのわずかな隙を狙った奥義だ。
隙をなくすのは人として不可能だ。それを俺で言うところの「利き腕」など異能力を使って限りなく少なくするのだ。そしてそれを利用して誘いをつくって反撃を行うこともできる。すべては利用できるものだ。
だが!
この場においては俺のほうが早い!
キリヒトがどれだけの速さを持っていようが、初動の遅さは致命的だ。
バァン!!
俺の両手が地面に叩きつけられる。
キリヒトが俺の違法な行動による早さに勝負における敗北を滲ませた。
開始合図よりも早い俺の動きに合わせきれず大上段の型が崩れる。格好は微動だにしていないが、その筋肉や固定された骨、なにより機先を外されたことにより、俺相手には無防備同然の状態で突っ立っているといっても決して言いすぎじゃない。
いや、キリヒトそうじゃない! この技はッ!!
「参りましたーッ!!」
俺の土下座が炸裂した。
辺りは恐ろしいほどの静謐に包まれた。
なんていうか、みんな怖い顔で俺を睨みつけていた。




