4. 帰り道の月
古書店の鍵を閉め、夜の街へと出ると、冷たい夜風が詩織の火照った頬を撫でた。
街灯が点々と続く夜道を、詩織は足早に歩く。
バッグの中にあるノートの重みが、歩くたびに腰のあたりにトントンと当たった。その感触が、まるで小さな心臓の鼓動のようにも感じられる。
ふと見上げると、夜空には見事な半月が浮かんでいた。
白く、冷徹な光を放つ月。
いつもなら綺麗だなと思うだけの存在が、今夜はまるで、巨大な一つの眼のように自分を見下ろしているように思えてならなかった。
『月光は記憶を変質させる』
日記の一節が、頭の中で何度もリフレインする。
詩織は首を振り、歩行速度を速めた。
早く家に帰って、温かいお茶でも飲んで寝よう。そうすれば、この奇妙な胸の痛みも、幻聴も、全てただの疲れとして消えていくはずだ。
しかし、詩織はまだ知らなかった。
その日記を手にした瞬間から、彼女の現実という名の平穏な水面に、1滴の青いインクが落とされてしまったことを。
そしてそのインクは、今夜の月光を浴びて、静かに、確実に広がり始めようとしていることを。
バッグの中で、折りたたまれた切れ端が、まるで主人の元へ帰ってきたことを喜ぶように、月の光を浴びて微かに、本当に微かに銀色に揺らめいていた。




