第038話 力の制御
洞窟の空気が、ふっと緩んだ気がした。
このダンジョンのボス、グラナイト・ケルベロス。その巨躯が沈黙し、土煙の向こうから現れた老人が、バルディアの頭を無骨な手で撫でている。
世界一の鍛冶師、ヘパイストス・バルール。
バルディアが探し求めていた伝説の男が、そこにいた。
「よ、よろしく、ヘパイストスさん」
エミルはどこか緊張しながら、差し出された手を握り返した。ごつごつとした掌だった。これが伝説の鍛冶師の手か、と思う。
「お前さんらがわしを探しにきたという冒険者か。すまんの、バルディアが迷惑かけたわい」
「そんなことよりだ師匠! どうしたんだよ、全然戻ってこねえで! 心配するなっつっても無理だろ……っ」
バルディアはヘパイストスにしがみつき、声を震わせている。普段の威勢はどこへやら、まるで親に泣きつく子どもだ。
「ああ、ちょうどさっきの魔物、グラナイト・ケルベロスに襲われてな。なんとか応戦しておったんじゃが、気づけばこんなところまで来てしもうた」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、エミルの背筋を悪寒が駆け抜けた。
「おい小僧、気付いておるか」
「ああ、ヘパイストスさん。やつはまだ生きてるぞ」
ギャゴォォォオオオオオオッ!!
怒りに満ちた咆哮が洞窟を震わせる。
振り返った先で、頭を潰されたはずのケルベロスが立ち上がろうとしていた。噴き上がる魔力は、先ほどよりも禍々しく膨れ上がっている。
「ちっ、わしも衰えたのぉ。仕留め損なうとは」
ヘパイストスが舌打ちし、戦鎚を構え直す。
エミルも拳を構えようとした。
だが、足が鉛のように重い。
拳に宿りかけた黒い焔が、心の迷いを映すように揺らめく。
ブラドとの模擬戦で暴走した、あの悪夢がどうしても脳裏をよぎる。
だが、悩んでいてもケルベロスは待ってくれない。巨体をゆっくりと起こし、その紅い瞳が憎悪を込めてこちらを睨んでいる。
——そうだ。あの時とは違う。
おれには今、あの『黒焔』とは違う、『土属性』の感覚が確かにある。
あの黒い焔を、この力で包み込むイメージなら……。
やるしかない。ぶっつけ本番の賭けだ。
エミルは震える拳を強く握りしめた。
「いくぞ……!」
その決意に応えるように、足元の地面が低く唸りを上げる。
土の魔力が渦を巻いて集まり、ケルベロスの頭上に巨大な岩塊を形作っていく。拳に黒いモヤをまとわせる要領で、今度は岩塊そのものに、あの禍々しい力を練り込んでいく。
——もっとだ。
制御しろ、呑まれるな。
エミルは歯が砕けそうなほど食いしばった。脳の奥が焼けるように熱い。それでも、暴れようとするエネルギーを無理やりねじ伏せ、岩塊の先端へと一点集中させた。
逆円錐状の岩塊は、やがて光さえ吸い込むような、禍々しい黒い輝きを放ち始めた。
「なんじゃこの土魔法は……見たことがないぞ」
ヘパイストスが驚愕の声を漏らす。
——制御できている。
暴走していない。
「よし……! 『黒土の落弾』ッ!!」
叫びと共に放たれた黒い弾丸が唸りを上げる。それはケルベロスの三つの首の残り一つ、その脳天を寸分の狂いもなく貫いた。
グシャッ!
頭部が弾け飛び、黒い体液が噴水のように舞い上がる。
「はぁ……はぁ……ッ!」
心臓が耳元で脈打つ。全身から噴き出した嫌な汗が、背中を伝った。
安堵と同時に、自分の内に宿る力の得体の知れなさに改めて背筋が凍る思いだった。これが本当に自分の力なのか。いつかまた、制御を失う日が来るんじゃないのか。
だが、今は考えている場合じゃない。
ガァァァァアア!
ケルベロスはまだ止まらない。全ての首を撃ち抜かれてもなお、狂ったようにヘパイストスとバルディアへ牙を剥く。
巨体を支える右の前脚が、薙ぎ払うように二人を襲う。だが、伝説の鍛冶師とその弟子は、まるで舞うようにそれを躱した。
「トドメといくぞ師匠!!」
「ほほ、ひよっこめが言いよる!」
師弟の呼吸が、寸分の狂いもなくシンクロする。
バルディアのガントレットから螺旋状の炎が迸り、ヘパイストスは大鎚に大地そのもののような重厚な魔力を宿す。二つの力が混ざり合い、一つの巨大なエネルギーとなって、ケルベロスの頭上めがけて放たれた。
「「師弟共戦『星砕』ッ!!」」
ズドォォォォォォォォン……!
凄まじい衝撃波が洞窟全体を揺るがし、天井からパラパラと土砂が降り注ぐ。
断末魔を上げる暇もなかった。グラナイト・ケルベロスの巨体は、内側から食い破られたように粉砕され、ズゥゥンと地響きを立てて沈黙した。
今度こそ、ピクリとも動かない。
「……へへ、やったな……師匠」
「バルディア、強くなったな」
ヘパイストスの声が、父親のような優しさに満ちていた。その大きな手が、安堵の声を漏らす弟子の頭をそっと撫でる。バルディアの尻尾がぶんぶんと揺れるのが見えた。
「さすがバルディアが連れてきた冒険者じゃ。やりおるわい」
笑うヘパイストスの表情は、先ほどの威圧感からは想像できないほど柔らかだった。




