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〜耐え難く、かけがえのない刻の合間の終わり〜

――形のない柔らかなものが、僕を包んでいた。

春の日差しのように暖かくて、安らぎと平穏で心を満たしてくれる。

今を幸せと言わないなら、いつ幸せなのだろう?

そう思ってしまうくらい僕はただ幸せで、このまま深く、深く眠りにつこうとして――


――甘ったるい匂いがした瞬間、激しい頭痛にみまわれた。


安らぎは動揺に変わり、平穏は異常事態に変貌する。身体の至る所から火を吹くみたいに痛みが吹き出し、視界の奥では閃光が瞬く。

そして閃光の間から見えたのは……名前も知らない学生を、僕が虐殺する場面だった。

僕の視界で捉えてるはずなのに、そこで荒れ狂っているのは僕じゃない。

怒りをたぎらす、触手の王子――友達だと語った、もう一人の僕のような存在。


(あぁ……そっか。僕がこんな事を言ったから、最近王子は出てこないのか。

そりゃそうだよね。友達っていった相手から……あんな風に思われたんなら)


次第に僕の意識が明確なものへとなっていく。

ふわふわとした幸福感は煙のように消え、実感的な肉体の重みを感じられる。

王子との不仲は僕のせいだ、僕の身勝手な思いが王子を……友達を傷つけたんだ。

でも、それよりも許せないのは――。


「――僕は、あなたを許しませんよ。カイマ博士」

「……あらぁ、まさか目覚めるなんてね。意識が混濁している間に終わらせたかったけど~、仕方ないわね?」


水底から水面へ浮き上がったような、それくらい急激な目覚め。

周りの状況も何も分からない中、カイマ博士が近くにいる事だけは分かっていた。

この……嗅ぐ度に身体を蝕むような、桃によく似た匂いのおかげで。


「思い出しました……校舎裏で、何があったのか。カイマ博士が何をしたのか。“実験”と“観察”……僕と王子を、どうするつもりですか?」


敵意をむき出しに、僕はカイマ博士を問いただす。

だけど博士は意に介した様子もなく、ともすれば楽しそうに微笑を浮かべるのみだった。

カイマ博士の態度が気になった時、ふと自分の身体が上手く動かない事に気が付いた。

場所は360度全てが白い壁に囲まれたようなところで、僕の家なのか外なのか判然としない。

光源は見当たらないのに周りは明るく、台に寝かされている僕の身体は――。


「え?」


――左腕と左足が、無くなっていた。


「あららぁ、今頃気付いたの? そうよね、痛みがないから理解しにくかったわよね~」


いつもの白衣には赤い汚れが付着していて、カイマ博士の唇も恐ろしいほど艶やかな赤色をしている。

いや、それよりも……僕の手足がない?

何度見ようと左腕と左足は存在せず、緑の手術衣のような服からは、右側の手足しか伸びていない。

だというのに、痛みは全く無い……普通を容易く通り越した異常に晒されて、それでも僕は懸命にカイマ博士を睨みつけた。


「僕に何をしたんですか!?」


博士は一瞬きょとんとした、外見に似合わず子供っぽい表情をした後。


「――あは、はははははっ。ははははははは!」


甲高く、ひび割れた笑い声を上げた。

赤い唇が裂けて更に真っ赤な口内が覗き、呪詛のような笑い声が吐き出され続ける。

いつもの温和で知的な博士からはかけ離れた声に、僕は二の句を継げられず呆然となった。

すると突然博士は笑うのを止め、首の動作だけでこちらを向いた。


――その手には、僕の左足が握られていた。


「私は切り落としただけよ? 別に鎮痛剤も何も使ってないから、もし痛みがないのならそれは君自身の力~……痛覚を遮断できる、触手体としての機能よぅ」

「触手、体……?」


おもむろに、カイマ博士は僕の左足を抱きしめた。

何をして――そう言おうと思った時、驚きの感覚が脳内に伝わってくる。


「分かるかしら~。君から切り離された左足は、こんな状態でも感覚を共有できるのよ。通常細胞というのは増殖と死滅を繰り返すものだけど、触手体の場合は違う……死滅もするけれど、その量は増殖のペースと比べると明らかに少ないの。一定の期間を過ぎれば細胞は増殖を止め死滅するのみになるけれど、これも触手体には当てはまらない……ほら」


もう片方の手に持っていたメスを、深々と左足に突き刺した。

僕の足からは血が一滴も出ないばかりか、瞬く間にメスは錆びて砕けてしまった。


「細胞は個々で生体活動を行えるようになり、血液という栄養の供給源は要らなくなる。血管を作るくらいならぁ、その場所に細胞を詰めたほうがいいって事。更には危険に関する適応力も高くなり、その際粘液や性質変化を繰り返して――こんな事が可能になっていくの」


カイマ博士はメスをもう一本取り出し、再び左足に突き刺そうとした。

だけど皮膚に当たった瞬間、まるで硬いゴムのように刃を跳ね返し、触れた先から溶かしていく。


「分かる~? 君は生物学的にも遺伝学的にも、人間の理想とするような進化を遂げたのよ!」


……こんなに狂った人がいるなんて……つまり僕は、クーちゃんを助ける為だと担ぎ上げられ、まんまとこの人の策略にハマったって事なのか。

――そう、だ。クーちゃんは?

他の皆はっ!?

僕の不安を嘲笑うかのように、カイマ博士は僕の足を無造作に放り投げ、何事かを呟いた。

聞いた事のない言葉を言い終えるのと同時、真っ白い空間に亀裂が走る。

床や壁、果ては天井にも縦横無尽に亀裂が走り、見る見るうちに隙間を広げていった。

雲の切れ間から光が差すように――空中に溶けていく真っ白な壁の代わりに、僕の視界は久しぶりの太陽光に溢れていた。

そうこうする内に真っ白な空間は消え失せ、僕を乗せた台だけがポツンとあるだけになった。

場所はどうやら……家の庭らしい。


「“実験”への最終確認を終了……連れてきていいわよ~」


博士は耳に付けたマイクのようなものに喋り、直後門の開く音が聞こえた。


「クーちゃん! ミッちゃん!」

「っ凛々――その姿、は」


門から入ってきたのは、あの遊園地にいた男達(確か有機体とか言ってた)に捕まったクーちゃんとミッちゃんだった。

クーちゃん達は両手を縛られていたけど、怪我をしている様子はない。

そこだけは安心し胸を撫で下ろすと、クーちゃんが火を吹くようにカイマ博士へ怒鳴った。


「カイマ……貴様凛々に何をしたんじゃ! 大人しく捕まれば危害は加えんと言ったくせに……この外道が!!」


どうやらクーちゃんは僕と手足が足りない事に怒っているようだった。

だけど博士は不思議そうな顔でクーちゃんを見返し、おかしそうに笑った。


「なにがおかしいんじゃ!」

「ごめんなさい、お姫様~。そうね、今の凛斗君を見たら怒るのが当然かしら……でも大丈夫よ、いつでも付けられるから」


その言葉に裏はないように思え、また僕もそう感じていた。

それはクーちゃん達の技術力でという事じゃなく……多分、僕自身だけで付けられる気がする。

切り口に手なり足なりをくっつけるだけで、繋がるという変な確信があった。


「じゃとしても、こんな非道な行為を見過ごすと思うなよ! ワシの大事な者を傷つけた報いは、必ず受けさせるからの!」

「どうやってかしら? 現時点でお姫様に味方するのはそこの侍女が一人と、この惑星の原住民だけよぉ。他のはみ~んな、あなたの敵なんだから」


博士の言葉は、僕に衝撃を与えた。

そんな……クーちゃんを狙う人達が、ミッちゃん以外の全員だなんてっ。

僕が顔を知ってるだけでも十数人はいたはずだから、そんな大人数がクーちゃんを裏切った事になる。

……いや、最初から騙していたんだ。

信じた者に裏切られる……クーちゃんの顔は、辛そうに歪んでいた。


「……ミズヌシが現れた際に、緊急信号を本国へ発信しました。ここで私達を捕まえても、もう本国にあなた達の居場所はありません」


今まで黙っていたミッちゃんが、刺すような視線で博士を睨みながら言う。

さすがミッちゃん――そう思った次の瞬間に、知らない男の声が僕の耳に届いた。


「本国では我らが出発した直後、クーデターを起こしている。これまでの報告からして現王政は完全に潰され、王や側近は地下牢に幽閉……今ごろは処刑の日取りでも決めているはずだ」

「……そん、な。お父様が……」

「……あなたも裏切っていたのですか」


姿を現わした男の人――僕にも見覚えのあるその人は、いつもならこんな場所にいない人だ。

門の前か、リムジンの車の中にしかいないはず……父さんの運転手をしてる、元護衛長のラングさん。


「裏切り? 私は裏切ってなどいない。この立ち位置こそが本当のものなのだ」


低い声でミッちゃんに言うと、ラングさんはカイマ博士の横に立った。

博士が遅かったわねと声をかけると、細い目を一層不機嫌に細めて溜め息を吐く。


「見つかった事自体が驚きだがな。ミズヌシの暴走に巻き込まれたのだろう、多少のヒビが入っているが、起動に問題はなかった」


ラングさんがスーツの懐から出したのは、あの電磁波発生装置だった。

確かに言った通りヒビが入っていて、一見するとガラクタにしか見えない。

クーちゃんを見ると耳飾りの水晶が無くなっていて、宝石のような水晶はラングさんのゴツい手に握られていた。


「今度は、何をするつもりじゃ……クーデターで平和じゃった国を混乱させ、凛々を異質なものに変え、遊園地では無関係な人々を巻き込んで……貴様らは何が望みなんじゃ! 苦しめるのなら、ワシ一人で十分じゃろうっ」


クーちゃんの声は、聞いてるこっちが悲しくなるくらい悲痛な響きをしてた。

……でも、カイマ博士は同情や嘲笑をするでもなく、ただ楽しげに……無邪気なままに言った。


「残念だけど~、お姫様の重要性はそんなに高くないのよね。私としては自分の好きな研究が出来れば国のトップが変わろうと関係ないし、そういうのはクーデターを考えた人に言ってね~」


交代とでも言うように博士はラングさんの肩を叩き、そして僕のほうへと歩いてくる。


「ごめんね~、君には関係ない話なのに待たせちゃって。それじゃ、始めようか?」

「……カイマ博士は、さっきのクーちゃんの言葉を聞いて何も思わなかったんですか?」

「思うって何を?」


眼鏡の奥にある桃色の瞳が、本当に何も分からないといった視線を送ってくる。

この人は……そうか、この人は興味のないものには感心すら抱かないのか。

さっき『私の好きな研究』と言ってた……つまりこの触手というのは、博士の興味をそそる研究だったのだ。

研究をする際に起こした行動によって様々な結果が生まれても、研究に害為すもの以外はどうでもいい……この人の世界では、他人は小石や紙屑くらいの存在なのだろう。


「……クーちゃん達の側にいても研究は出来たんじゃないですか?」

「ん~、ある程度はね。でもお姫様のお父さん――つまり王様は頭の固い人でねぇ。今の凛斗君みたいな触手体を作る事を認めてくれなかったわ。人体実験が一番効率がいいのにね、だからまぁ……現場でやっちゃおうかなって。でも帰った時に捕まったら意味がないから、上でも変えとこうかなって~――と、理解してもらえたかしら?」


……確かに理解はした、でも納得はできない。

クーデターの為に博士が行動したとは思えないけど、でもこの人なら……笑顔で他人を壊すのくらい、平然とやってのけそうだ。


「なんで……なんでそんなにっ、笑って他人を傷つけられるんですか!!」

「人はね、他人の心に盲目でいるのが一番なのよ。そんなに他ばかり気にかけてちゃ息苦しくて~、身動き取れないじゃない?」


言葉を交わしても……僕と博士の心が繋がる事はないんだと、その時納得した。


「もういいかしら? それじゃ電磁波発生装置を使うんだけど、今の君はまだ触手体としては不完全なの~。融合の割合的には50%かしら? より完全で理想論的な触手体になるには――」


――つらつらと喋っていた博士の声を遮って、甲高い、乾いた音が僕の鼓膜を震わせた。

音のした方角におのずと視線は向き、そこで僕は、地に伏せたクーちゃんの姿を見つけた。

肩で息をするラングさんに、鬼のような形相で掴みかかろうとするミッちゃん。

でも周りにいる男達に羽交い絞めにされ、ミッちゃんの怒りはその手のように空を切る。


――何が、あったんだ?


クーちゃんは、ミッちゃんは、何をされたんだ?

理解の範疇を超えた光景は、時間の経過と共に変化していく。

ラングさんが感情のままに大声を上げるが、何の事だか分からなかった。

ミッちゃんの言葉は涙混じりで、要領を得ないものばかりだった。

クーちゃんは横たわった身体を、ゆっくりと起こした。


「あららぁ、女の子に手を上げちゃうなんてね~。理想に燃える人って何でも許されるとか勘違いするから、手に負えないわ」


顔を上げたクーちゃんは毅然とした表情をしていて。

何にも揺るがないような強い眼差しのままで。

口を真一文字に引き結んでいて。

そしてその口元から、血を垂らしていた。


――僕に理性というものがあったなら、この時見事に砕け散ったんだと思う。


「――――――――――――!!」


叫びは声にならず、感情は身体中を駆け巡り、細胞一つ一つから力が染み出してくる。

例えるなら、防犯ガラスの向こう側から景色を見るように。

全てを静観できる意識は追い出され、代わりに……怒りが、僕の手足をつき動かした。


「あぁぁあ゛あああ゛ぁぁぁあ゛あ゛――コロすコロすコロすコロすコロすコロすコロすコロすコロすコロすコロすコロすコロス!!!!!!!!」

「なん――っ」

「凛……斗様……」


怒りに猛る意識とは別に、冷めた視線が目の前の惨状を眺めていた。

宙に舞う、血飛沫と肉片。

身体を半分に裂かれ、驚く間もなく絶命したラングさんの顔。

……血で濡れた、僕の右腕。


「あ……ああ゛ぁぁぁぁあ゛あ゛っっ!!」


血管を流れる血さえ感じ取れる程敏感になった僕の神経を、まるで食い散らかすように痛みが広がっていく。

出口を求めるように身体の中を這い回る触手が、左腕と左足の切断面から飛び出していく。

そこら辺に放られた手足に素早く巻きつくと、切断面にくっつけた。

肉の焼ける臭いがし、気付いた時には神経が繋がっていた。


「凛……斗、様……?」


呼び掛けられても、返事は出来なかった。

僕の怒りはまだまだ収まらず、原始的な欲望が心の中で加速度的に膨らんでいく。

理性のタガを外された本能が、次の標的を定める。


「あらぁ……今度は私を殺すつもりかしら?」

「――ゴロ゛ズ!」


この欲望は、三大欲求のどれとも違った……明確な言葉は分からないけど、それでも言い表すというのなら。


――肉欲。


肉欲が更に血をたぎらせ、暴走に歯止めを効かなくさせる。

僕一人の力じゃ、この衝動を抑える事は出来なかった。


「ゴロ゛ズゴロ゛ズゴロ゛ズゴロ゛ズゴロ゛――」

「――もうよい」


その時、優しい声と共に、血で濡れた僕の手を、誰かの掌がそっと包み込んだ。

渦を巻く感情の真ん中で身動きの取れない僕に、その温もりと声は救いの手を差し出すように、優しく優しく言葉を紡ぐ。


「もう汚れるな……もう、頑張るな。お主の優しさでワシは耐えられる……じゃから、いつものお主に戻ってくれ」


ぎゅっと掴んだ掌は微かに震えていて、彼女自身も肩を震わせていた。

……きっと、彼女は自分の為に他人が頑張るのを見て、いつもこんな風に震えていたんだと思う。

優しく、小さな――異星のお姫様。

でも……でもね。

そんなクーちゃんだからこそ、僕は力になりたいと思うんだよ。

どんな事でも、頑張れるんだよ。


「あらら、駄目よ姫様~。そういった労いの言葉っていうのは、時に鎖になっちゃうもの。首に幾重にも絡みついて、命も賭ける従属性を作りだす魔法の言葉なの――よっ!!」

「っクーちゃん!」

「凛々!?」


台詞の終わりと同時に、カイマ博士から猛烈な速さで伸びてきた何か。

僕はとっさにクーちゃんを押しのけ、その何かを薙払うように触手を伸ばした。


――直後、僕の口から血が漏れた。


「凛々っっ!!?」

「凛斗様!!?」


絶叫に近い二人の叫びを聞きながら、博士から伸ばされた何かを凝視した。

白衣の袖口から伸びた、太い木の枝のようなもの……紛れもなく、それは僕と同じ触手だ。

そして僕は今、触手によって容赦なく胸を貫かれていた。


「が――は!?」


口の中に鉄錆びの味が広がり、口一杯のものを吐き出した。

ビチャビチャと音を立てて吐き出されたものは、地面に彼岸花みたいな模様を作った。


「――カイマぁぁぁぁぁっ!!」

「姫様が大人しく貫かれてたらこんな事にはならなかったのよ~……でも大丈夫、これくらいじゃ触手体は死なない……いえ、死ねないから」


激昂したクーちゃんが博士に駆け出そうとしたので、僕は肩を掴んでそれを止めた。

クーちゃんは驚いた表情でこっちを見て、すぐに泣きじゃくりそうな顔になった。


「凛々、しっかりせい凛々っ……死ぬな、頼むから死なんでくれ! 宇宙船に行けばこんな傷、すぐ、治るから……」

「……大丈夫。僕は、大丈夫だから」


不思議な事に、身体に風穴が開いたというのに痛みが無かった。

博士が腕を振るって触手を引き抜いたけど、傷から流れる血の量は少なく、また肉の焼ける臭いがする。

見ると、傷口が蠢いて塞がり始めていた。


「……何でクーちゃんを狙ったんですか?」

「あら、正気に戻っちゃったのね~……大体70%ってところかしら。質問の答えだけど~、姫様を狙ったら君は怒るわよね? その為――よ!」

「っ!!」


間一髪、カイマ博士から伸びた触手に僕の触手を絡ませる事ができた。

まるで綱引きのようにお互いが引っ張り合うけど、力では博士のほうが上みたいで僕はジリジリと引き寄せられる。


「僕を怒らせる理由がっ、どこにあるんですか!」

「それは君が一番よく分かってるはずだけどなぁ……さっきの一撃は止められなかったのに、今回は止められた。つまり君の融合は進んだのよ、怒る事によってね。科学的に考察するなら、脳内の怒りのホルモンが多量分泌され、細胞に作用した……でもまぁ、そんな事はどうでもいいの。問題は君が、怒りで進化しているって事」

「進、化……?」

「そう、進化よ! 作為的とはいえ凛斗君は選ばれた、進化する事を許された人間なの! だから受け入れなさい……触手体になる事を~」

「ま、待て……作為的とは何じゃ? 凛々は触手との適合率が高く、そのせいで無理に離せば危ないのではなかったのか!?」


クーちゃんが信じられない、という声を上げた。

博士は髪をかき上げながら、人差し指を唇に当てる。


「ここに来て、まだ信じてたの~? 駄目よ姫様、そんなに簡単に信用なんてしちゃ。凛斗君はね、私が選んだのよ――別に触手を離そうと思えばいつでも出来たわ、やらなかっただけよ~」

「凛斗様を……なんでっ、そんな……」

「質問ばかりね~、でもいいわ。人に教えるのは嫌いじゃないし……と、本人は聞かなくても分かってるみたいね」

「…………僕じゃなくても、若かったら誰でもよかったんでしょ。人体実験に使えれば、誰でも……理由なんて、あって無いようなものだ」

「――――正解。んふふ、君は細胞の成長が活発そうだし、若いし、手頃な感じで近くにいたしねぇ。あと姫様との相性も良さそうだったし、色々と工作する時の良い目隠しになってくれたわ」


博士の喉から漏れ出る笑い声が、不気味に周りに木霊した。

クーちゃんとミッちゃんは衝撃を受けてるようだけど……僕は依然として、冷めたままだ。


……どうやって博士を殺そうかと、冷ややかに殺意を高めるだけだ。


「さて、質問もないみたいだし、それじゃあ姫様には死んでもらおうかしら。そうすれば凛斗君は怒ってくれるだろうし、あっ! その前にミツキを狙うのも良いかしらね~……どう思う、凛斗君?」

「……どっちも、必ず守る」

「駄目よ守っちゃ、怒ってくれないと融合が進まないじゃない。私の時は薬や電磁波発生装置で融合率を高めていったけど、それだと副作用が強いのよ……出来れば君には、完成度の高い触手体になってもらいたいの」


途端、博士の桃色の髪が浮き上がったように見えた。

だけどよく見ると、それは幾本もの触手で、粘液で光る身体を不気味に蠢かせて宙をたゆたっている。

絡み合い綱引きをしていた触手が引かれ、僕の体勢が崩れた――と同時に触手が矢のように伸びて、クーちゃんとミッちゃんに襲いかかる。


「させ――ない!」


背中の皮膚を破って触手を現わすと、伸ばされる博士の触手を切り刻んだ。

先が刃物のように鋭利な触手は、切り刻むのと同時に博士に向かって飛んでいく。

だけどその触手は、大木のように太い触手によって薙ぎ払われた。

大木のような触手が収縮し、先端から紫色の液体を発射する。

皮膚表面が鉄のように硬い触手を出して液体を防ぐと、見る間に溶解してしまった。

服に付いた部分も、焦げた匂いを放って穴が空いている。


「溶解性の強い粘液よ~、今の君じゃこれに耐えうる触手は作れないはず」

「だったら……その前にあなたを殺す!」


僕は両足の裏から触手を出すと、気付かれないよう地面に埋めていった。

ミミズのように土の中を掘り進んだ触手は、博士の足元あたりで止まらせ、溶解性の強い粘液を吐かせる。

それは少しずつ地面を柔らかくし、沈没させ、そして一気に――


「あら?」


――地盤沈下を引き起こすっ!


「あぁぁああっ!!」


体勢を崩した博士に、僕はありったけの触手を伸ばした。

殆どが太い触手に薙ぎ払われたけど、これは囮だ。

ワンテンポ遅らせて伸ばした触手が太い触手に刺さり、中で肉を引き裂くように先端から広がっていく。

開けば剣山のような触手が、太い触手の中で回転し、その肉をミンチに変えていった。

博士は新たに出した触手で僕の触手に対応しようとしたけど……もう遅い。


「こっちにもあるのを忘れるなぁ!」


突如足元から出てきた触手に驚く間もなく、それらは博士の全身を貫いた。

血の臭いが、風に乗って鼻腔をくすぐった。


「…………」


曇天の空の下で、ピンク色の肉片は不気味に輝いていた。

弾けたザクロのような頭は数度だけ震え、博士はそのまま力無く倒れた。

これで……終わった……全部、全部終わった。


「凛々……後悔、しておるのか?」

「後悔なんて、するわけないよ……望んで僕は、触手体になったんだ。僕自身が選んだ、選択なんだから……」


……僕は、人を殺した。

学校で、名前も知らない生徒達を……ラングさんを……博士を。

皆、死ななきゃいけないくらい悪かったのか分からない……でも、僕は殺したんだ。


――なのに、何でこんなにも僕は、冷静でいられるんだろうか。


「っ危ない!?」

「え――」


ミッちゃんの叫び声がした直後、僕の首に何かが巻きついた。

反応する間もなく引っ張られ、家を囲う塀へと叩きつけられる。

衝撃は塀に穴を開けただけじゃ収まらず、僕の身体は周りの田んぼで数度バウンドし、十数メートル転がってやっと止まった。


「がっ……は!」


黄土色の稲の切り跡が、黒い血の跡に塗り替えられる。

胃が反転して出てくるんじゃないかと思うくらい吐血して、だけど、それでも痛みは感じなかった。


『うふふぅ、油断しちゃ駄目よ~。頭を潰したくらいで殺したなんて思っちゃ……ね?』


離れてしまった外門から一本の触手が伸びてきて、先端を開くと博士の声で話しかけてきた。

まさか……頭が潰されても生きていられるなんて。


『違う違~う。どんな生物だって脳を失えば動けなくなるわ。いわば脳は操縦桿のようなものだから、死ぬのが普通……でも触手体は、普通じゃないの』


さっきの衝撃で思うように動けない僕に、触手がまた絡みつく。

また力任せに投げられ、門上部の屋根を破壊し、受け身も取れないまま庭を転がった。


『臓器というのは一つ一つが専門的な働きをしているけれど、触手の場合、臓器という部分が見当たらないの。なぜだと思う? ……つまりねぇ、生命活動に必要は働きは、この身一つで全て出来るからよ。栄養の吸収も、傷の再生も、排泄物の処理も、思考だって身一つで行える……まぁ触手にある思考は本能的な部分だけなんだけど。だから私を殺したいんなら、私全部を壊さないと駄目』

「この、化け物め!!」

『化け物、ねぇ。純粋な進化の結果と言ってほしいんだけど……でもね姫様、私が化け物なら、凛斗君も化け物になるわよ?』

「凛々はお主とは違う! 凛々は、触手体というものになったとしても凛々のままだ!!」

『ふふふっ、そんな泣きそうな顔で言わないで~。私が苛めてるみたいじゃない……でもね』


ザクロみたいだった頭が気持ち悪く蠢き、瞬く間に博士の顔へと戻った。

博士は口元にあの微笑を浮かべながら、僕を絡めとって宙に浮かせる。


「前の凛斗君は、これで死んでたはずだけどね~」


目の前が一瞬、白くなった。

次いで全身に強烈な痛みが走り、筋肉が無理やり収縮させられてる感じがして、肉の焼ける臭いがした。

この感覚は覚えている……ミズヌシの表面に流れていた、電流と同じ感覚だ。



「――――っ――――っ」


声が出ないのは、喉の筋肉も収縮してるのか只の痛みか。

流れてた血も蒸発するくらいの電流に、細胞が焼き尽くされる気がした。

……あ、でもすぐ再生するんだっけ。


「凛々――」

「姫! 今近づいたらあなたも感電してしまいます!」

「離せ! ワシの、ワシのせいで凛々はこんな責め苦を受けとるんじゃ……ワシが見ておるだけでどうするんじゃ!!」


僕から離れた場所で、クーちゃんとミッちゃんが押し問答してるのが分かる。

駄目……だよ。

来たら、本当に死んじゃうっ!


「姫様にはちゃんと、凛斗君が認識しやすい死に方をしてもらわないとね~。だから今は、少し大人しくしててね?」


博士が指を鳴らすと、弾け飛んだ肉片がピクピクと動き出し、一斉にクーちゃん達へと襲いかかった。

皮膚に触れられた途端に力が抜けるようにへたり込んだ二人を、芋虫みたいな肉片が取り囲み、身動きをとれなくした。


「即効性の神経毒よ~。効果はすぐに切れるけど、その子達に触れたらまた同じ……あぁ、大量に触れたら命にも関わるから、気を付けたほうがいいわよ」


笑みを浮かべながらそう言うと、博士は僕のほうを向いた。

電流が一旦止められると、耳鳴りの酷いのに博士の声がはっきりと届いた。


「さてと凛斗君、君を怒らせるには姫様やミツキを殺すのが一番なんだろうけど……ここでサプライズな情報も教えてあげるわ」

「……っ」

「今朝の事を覚えてる? いつもと様子の違う子がいたのを、覚えてる?」

「…………っ」

「あの症状は、まるで触手の粘液に当てられたような、そんな子がいたのを覚えてるかしら?」


……まさ、か。


「んふふ~――柚子ちゃん、実験に使っちゃった」

「ぁああ゛あ゛あ゛あ゛ぁあぁぁあ゛あ゛っっ!!!!!!」

「あはははは! 怒ったわねぇ~、でも安心して? 君みたいに触手体にしたわけじゃなくて、ただ粘液の効果の度合いを実験しただけだから。女の子の純潔も奪ってないし、私は同性には優しいのよ? ただ、そうね~……粘液を定期的に摂取しないと発狂するから、普通の生活は無理かもね」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁああぁぁあ゛っ!!!!?」

「良い具合に怒ったわね。なら次はミツキでも殺そうかしら? よく見ててね凛斗君、これも全て、君の為にしてあげてるんだから――」


ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロ――


「……この、外道めがっ」

「人の道なんて踏み外す為にあるのよ~――バイバイ」


ヤメテクレッ――――


『なんや、ワイのおらん間にえらい楽しそうな事になっとるやんけーー』


――肩に重みが加わるのと同時に、声はそう親しげに話しかけてきた。











「……セン、セー?」

『おうよ凛斗、待たしてもうたか? でも安心せい――こんなアホみたいな騒ぎ、ワイがすぐに片付けたるから』


いつもの黒猫の身体なのに、肩にいるセンセーは何だか力にみなぎっていた。

いつも僕を助けてくれたセンセー……ぬいぐるみの顔なのに、僕に向けて優しく笑いかけてくれた気がした。


『お前は休んどれ、あの狂った姉ちゃんは――と』

「さ、させないぞ!!」

「あら、あなたは確か……」

「迅那!? どうしてここにおるんじゃ!」


博士と二人の間に立ちふさがるように、迅那が木刀を構えて立っていた。

頬は紅潮し身体は震え、恐怖で強張ってるのが遠くからでもよく分かる。

でも――それでも、ここに来てくれた。


「ここからは、わ、私が相手だ!」

「……困ったわねぇ。周りは有機体で警備させてたはずなのに、どうやって来たのかしら? それにあなたを殺しても、凛斗君はそんなにショックを受けなさそうだし」

「簡単に、負けると思――あ、あれ?」

「その子達には即効性の……ってもう遅いか。一人殺すも二人殺すも同じだし」


あの芋虫に触れたのか迅那は倒れてしまい、博士がため息を吐きながら触手を振り上げた。

僕のほうをチラリと見て、ゆっくりとした動作で腕を払う――


『まったく、これやから無鉄砲娘は困るんや』


――だけど博士の触手は、皆に届く前に細切れへと変わっていた。


「……なに、あなた?」

『自己紹介が必要か、姉ちゃん? ワイはお前とおんなじ、でも格の違う化け物や』


いつの間にか迅那の頭の上に乗っていたセンセーは、挑発するように博士に言う。

博士は無言のままでいたが、今度は予備動作なく触手を振るった。


『無駄や無駄』


触手はやっぱり細切れになって、皆には届かない。


「カマイタチなんだろうけど……原理が分からないわね。本当にこの星の生物なのかしら?」

『なんや、けったいなもん自分に付けとるくせにワイにようそんな事言えるな。あんたかてワイからしたら不思議の塊やで』


センセーの調子はいつもと同じで、ただそれだけで僕は安心した。

……今までセンセーが妖怪なんて、実は信じてなかったけど。


「分からない攻撃方法って防ぎようがないけど、でも細切れじゃ私は止められないわよ?」


触手の肉片がまた蠢いて、芋虫のように這い寄っていく。

迅那が絞り出すような悲鳴を上げたが、センセーは落ち着いたまま芋虫を見ていた。


『確かに細切れにするんやとキリが無いな……なら、これでどうや?』


言った直後、芋虫達がいきなり青い炎に包まれた。

芋虫は奇怪な鳴き声をあげながら燃え、一匹また一匹と動かなくなっていく。

見る見るうちに全てが燃えつきて、あとには燃えカスすら残っていなかった。


『さぁてと、姉ちゃんどうする? ワイはあんたの攻撃を全部防ぐ自信があるんやけど、そっちはどうや?』

「……そうね~、私は防げないかもね」


博士がまるで降参といった風に、両手を上げた。


「――だけど、やっぱりあなたじゃあ私に勝てないわ」


博士の言葉にセンセーが言い返すよりも早く、迅那が悲鳴を上げた。


『どうしたんや!?』

「な、なな、何かが首の裏に引っ付いてる!」

「ふふ、無理に取らないほうがいいわよ。その肉片は脳まで触手を伸ばしてる、無理に引っ張れば脳がグチャグチャになっちゃうから」

『なん、やと……いつ、こんなもんを!』


上げた両手をセンセーに向けて、博士は余裕を滲ませた声を出す。


「隙なんていくらでもあったわ。あなたがどんな能力かは分からないけど、単一に対して特化してるみたいだからねぇ。触手っていうは、それこそ無限に作りだせるのが凄いところなの。あなたが防ぎきれなかったんじゃない、防ぐのが無理だって話……もちろん、姫様達にも付けてるわよ? だから最初から、抵抗しても抑えつける手段があったって事」


また僕のほうを見て、笑みを濃くする博士。

皆が頑張って何とかしようとしてるのに、僕は一体なにをしてるんだ……。


「茶番はこのくらいにして、それじゃあ凛斗君、皆に何か言いたい事はある? それくらいだったら私も待ってあげるわ~」


それは、僕の言葉を聞き終わったあと、皆を殺すと言ってるようなもの。

命乞いなんて聞き入れられるはずもない……誰かを助けられる優秀な言葉を、僕は知らない。


「……こんな時に、何やってるんだよ」

「こんな時ってなにかしら?」


博士が聞き返してくるけど、それは博士に言った言葉じゃない。

ましてや、皆に言った言葉でもない。


「皆必死になって、命懸けで頑張って、傷だらけになって……それなのに、自分は無関係みたいに黙ったまんまでいるんじゃないっ」


これは心の奥――僕の奥底にいる『あいつ』に、今まで溜まっていた文句を言ってるんだ。


「まだ校舎裏での事を怒ってるんなら、後で謝るから……僕だけじゃどうにもならないんだ。どうにかしたいけど、『一人』じゃ無理なんだ」

「一体何を言ってるのかな~、凛斗君は」


……確かに酷い事を言った。

あの時は心の底から、そう思った。

でも今は……そんなの、一心同体の僕達なら言葉にしなくても分かるじゃないか。

自分勝手で威張ってて人を見下したように喋るくせに、本当は凄く傷付きやすくて、心配しぃで、優しい……ほら、僕はこんなにも君の事が分かるし、そっちだって僕の事が分かるだろ?


「だから、いい加減に……」


ヘソがあるか知らないけど、そんなのを曲げてる暇があったら――


「いいから、さっさと出てこいよ! 王子――――っ!!」

『…………言っておくが、我にヘソなど存在せんぞ』












久しぶりに、本当に久しぶりに、その声は僕の頭の中に響き渡った。

嬉しさや怒りや色んな感情がごちゃごちゃになって、僕の心をかき乱すように渦を巻いてる……けど。


「まず最初にやる事、分かるよね?」

『当たり前だ。怒鳴り合うのもいがみ合うのも、目の前の敵を倒してからだ』


素直に『仲直りをする』と言わない辺りが王子らしい……僕は少しだけ笑い、すぐ真剣な表情になって博士を見た。


「……王子と呼ばれる触手の能力を、見くびっていたかしら~。まさか意識を取り戻すなんて」

『ふんっ、我らは生物として完成した存在。貴様のような下等生物ごときにどうこうできるはずがないだろう。貴様が取り込んだ我が同胞、返してもらうぞ!』


皆からすれば不思議な光景だろう。

僕のようで、でも僕じゃない声が口から出ているんだから。

触手に意思があるなんて思ってもみなかったのか、クーちゃんなんて呆然としたままだ。


「凜々……どうした?、まさか脳まで影響を受けたのか?」

『王女よ、あんまりな物言いだな。せっかく助ける為に我が出てきてやったというのに』

「王女!? そ、そんな他人行儀な喋り方をするなんて悲しいぞ凜々!」


うーん、何か話がややこしくなりそう……でも今は説明してる暇なんてない。

さっきまでの弱気を忘れるように、僕はキッとカイマ博士を睨む。


「王子が出てきたところで、事態は何も解決してないわよ~? 私がちょっと意識するだけで、あの子達に付けてる肉片は脳をぐちゃぐちゃにしちゃうから」

(……王子、ちょっと考えがあるんだけど聞いてくれる?)


そう、その肉片をどうにかしない限り僕らは何も出来ない……でも、もしかしたらどうにか出来るかもしれない。

そう思えたのは、皮肉にも博士の言葉を聞いたおかげだった。


「それじゃ~順番を決めさせてあげるわ。最初は誰からがいい? 迅那ちゃん? ミツキ? 柚子ちゃんって選択もあるわねぇ」


心の底から楽しんでいる博士の様子に、心の中だけで怒りに震えながら、僕は王子に考えを伝えた。


『出来るか分からんぞ?』

「分からないじゃなくて、やらないといけないんだ!」


そして僕の右手から、空に向けて触手が伸びた。

博士が一瞬身構えたけど、薄い笑みを浮かべている。


「あらあら、皆を見捨てて私を倒す事を選んだのかしら? 意外と薄情なのね凜斗君は、それとも王子の意志かな?」


皆を見捨てるだって?

――そんな訳、あるはずないじゃないか!


「王子!!」

『ゆくぞ!!』


直後、伸ばした触手の先端が開いて、球体の触手片を撃ちだした。

空にあがった触手片はすぐに爆発し、気持ちの悪い花火を咲かす。

次々に撃ちだす触手片が咲いては散る様を見て、博士は怪訝に眉を寄せた。


「何がしたいのかしら? 皆への最後の手向け――」


と、博士はハッとして自分の身体を見た。

僅かではあるけど、身体も触手も震えている。


『細胞への影響を与える電磁波発生装置……電場と磁場を作り出すのは我とて無理だ。しかし別の波なら……例えば超音波ならば。一定の振動速度を保てば作り出す事は可能であり、また超音波の細胞に対する影響力は電磁波と同等だ。活性化させる事が出来るなら、その逆もしかり……後はどの振動数に反応するかだが……当たり、か』


僕や博士の触手、芋虫みたいな触手の動きが止まった。


「センセー!」


僕が呼びかけた時にはもう、青白い炎が芋虫を焼き、皆の首に張り付いていた触手片を燃やしていた。

王子が多少苦しそうだけど、良かった。何とか成功してくれたみたい。


「……博学なのね、触手の分際で」

『確証はなかったがな……それに凜斗の言葉なくしては、別の波動で攻める事も思いつかなかった』

「音で不快になったり気分が悪くなる事もあるから……カイマ博士が色々話してくれたから、こういうのを考えられたんだよ」


触手の調子が戻ってない今、形勢は逆転したはずだ。

博士が何も出来ない代わりに僕も動けない――でも、センセーがいる。

本人も自分の重要性が分かってるようで、威風堂々と(ふわふわ浮いてるだけだけど)こっちに近づいてきた。


『さて、どうしたもんやろうか? 女子供の前で悲惨なシーンは作りたくないし、かと言って中途半端やと、また何するか分からへんしな』

「……まるで全てが終わったって言い方ね~」

『終わりやで。あんたの身ぃがどうなるかはワイの考え次第や。触手を使えるようになっても、人質がなかったらワイは負けへん』


きっぱりと言い切ったセンセーに、博士はやれやれと言った風なポーズをする。

それがセンセーはカンに障ったのか、博士の触手を切り裂いた。

きっちりと切った部位まで燃やし、勝ち誇った顔をする。

こ、子供みたいだ……


「まったく、凜斗君と違って私は痛みを感じるのよ? あなたは私の専門外みたいだし、解剖しても意味がないのに……こういう無駄な労力は、本当に嫌いなのに」


カシャン――と音を立て、何かが地面へと落ちた。

それは注射器のようで、中に少しだけ緑色の液体を残していた。


「超音波での不活性化は良かったと思うけど、私に何かしらの対策がないと思ってたのかしら~?」


注射器の中身が何なのかは分からないけど、博士の触手は普通に動いている。

僕は(というか王子なのだけど)まだ動く事が出来ないのに……それに触手は何だか、前よりも太く、力強くなってる気がする。


「融合率としては121%かし、ら……ん~、やっぱり負担があるわね。でもこれで、あなたを倒せそうね?」


博士が腕を振るうと、数本の触手がセンセーに襲い掛かる。

センセーが尻尾を振るうと風を斬るような音がして、触手に切り傷が出来た――でも、それだけだった。

触手は切れる事なくセンセーに向かい、ギリギリのところでそれを避けた。


「センセー!!」

『近づくんやない! ったく、本当に人間なんかあんたは』


センセーの言葉は博士に言ってるはずなのに、僕の心へ深く刺さった。

人間……違う、僕はもう……


『これでっ――どうや!』


青い火の玉が触手を燃やそうとしたけど、どうやらそれにもあまり効果はないみたいだ。

何も出来ないのがくやしくて、でも僕は見ている事しか出来ない……そんな時、クーちゃん達がこっちに近寄ってきた。


「凜々、話があるんじゃがいいか?」

「クーちゃん……駄目だ、それより早く逃げて。安全な場所は分からないけど、でもここにいるより――」

「……ここで逃げたら、ワシは自分を許せない! この問題はワシの星の……いや、ワシ自身が決着を付けねばならんのじゃ」


ジッと見つめる瞳が、強く引き結んだ唇が、意志の強さを物語っている。

ミッちゃんも迅那も同じような表情で、覚悟を決めた……凄く凛々しい顔をしていた。


――皆の強さが、眩しく、羨ましかった。


「……話は手短にね、クーちゃん」

「うむ――カイマが言っていた事、覚えておるか? 電磁波発生装置で融合率を高めるという……しかし、奴は先ほどから装置を使ってはいない。凜々を怒らせるより、装置を使ったほうが手っ取り早いはずなのに、じゃ。ワシは思うのじゃが、融合率が進みすぎては何かしらの悪影響があるのではないか? 装置は不特定多数に影響を与える、今のカイマは融合率が100%を超えておる、これ以上進めばもしかしたら……あくまで確証はないが、試してみる価値はあると思う」

「その為には装置を奪う必要があります。あのぬいぐるみでも、今のカイマ博士を止めるのは難しいようですし、そこが一番の難関なのですが……」

「……奪う役は、僕に任せて」


超音波の影響は少し残ってるし、王子の意識もまだぼんやりしてるけど、触手を動かすのに支障はない。

やるしか、ううん――やれるのは僕しかいない。


「手助けになる為に駆け付けたというのに……すまない、凜斗っ」

「お主に大変な役を任せるのは気が重いんじゃが……無事終わっていつもの生活が戻ったら、どんな願いも聞いてやる! 興奮して悶々してるんじゃな!」

「何すると思ってるんだよ……いつもの生活に戻ったら、ね」


博士を倒して、そして明日になったら――僕はいつもの生活に戻れるのだろうか?

変わらないものなんてない、僕を取り巻く環境も人々も、僕自身さえ昔とは違う。

一分一秒、刻々と変わっていってるんだ。   

井の中の蛙は地球タイカイを知り、

宇宙ソラを知った僕は未知の世界を体験した。

心と身体は宇宙ソラに適応した、だからもう――


――僕の世界は、元通りになんてなりはしない。


「……うん、いつもの生活に戻ったら、きっと」

「ワシ的にはR指定でも全然まったく構わんがな……では、やるか」

「囮には私と迅那さんがなります。凜斗様は電磁波発生装置を奪って姫様に渡してください。姫が鍵を使って発動させますので、出来るだけ遠くに逃げてください」

「ん、分かった。ミッちゃんも迅那も無理はしないでね」

「大丈夫だ、心配するな」


グッと親指を立てる迅那は、少しだけ震えていた。

でも必死で笑顔を作っているのを見て、僕は何も言ってあげられなかった。


「……行ってくる。地球人の意地、見せてやるぞ!」

「私は違うのですが……」


二人が博士とセンセーのほうに向かって走り出した。

カイマ博士は突っ込んできた二人に底冷えしそうな笑みを向け、触手を伸ばす。

それをセンセーが防ぎ、迅那が木刀で、ミッちゃんがナイフで博士に攻撃する。


「imらgx、二ck人とも死tq急いhvxって~。そんなpa死にたいjtら…………pvkbgmlcx!!?」


博士の声は愉快そうなのに、言ってる言葉が変になっていた。

眼も妙に血走り、口からは粘液性の高い液体がダラダラと伝っている。


「なんじゃ、あやつ急に変に……」


殺そうと思えば、きっとすぐに殺せるはず。

なのにそれをやらないのは……


『――――』

「そう、なんだ」


王子の意識が、僕に言葉を伝える。

今博士に起こっている事を、そして……僕らにも起こり得る事を。


「おかしいぞ、ここは一旦引いたほうが」

「いや、このまま行こう」


心配げにしているクーちゃんに、僕はなるだけいつもの調子で声をかける。

震える声には、なっていないはず。


「さっさと終わらせて、そして明日になって、ご飯を食べて学校に行って……そうして、『いつも』を取り戻そう」

「凜々――うむ、分かった。ならば早く装置を奪ってこい! ワシの愛しい婚約者よ!」


ズズ、と這い出す触手に力を込めて、視線を博士に固定する。


前と違って、動きにムラが出てきたように見える。

そのお陰でセンセー達にもほんの少し余裕が出来て、僕の姿を博士の視界に入れないよう動いてくれてる。


(今――だ!)


博士が背を向けた瞬間、僕は足の裏に生やした触手で地面を蹴り、一気に近づいた。

無意識の防衛として触手が何本と飛んできたけど、例え身体に刺さっても僕は止まらなかった。

そして、博士が触手に握らせていた鉄製の箱を――電磁波発生装置を、もぎ取った。


「クーちゃん!!」


振り向きざまにクーちゃんへと放り投げ、そのまま博士と対峙した。

後は頃合いを図って遠くに……って、


「何、笑ってるんだよ」

「mjtwojっ――blpvgek――っっ!」


博士の顔に張り付いた笑顔に、僕は今までにない寒気を感じた。

たった一言、僕にも分かる言葉で博士はこう呟いた。


「――――しょく、しゅ」


クーちゃんの短い悲鳴と、何かの割れる音が同時に響いた。


「姫っ!!」


ミッちゃんの悲痛な叫び声に、揺れる目線をクーちゃんに合わせる。

焦点が合わないのかぼやける視界に、赤い色が浮かんでいた。

地面に膝をつくクーちゃんと、傍らに落ちている電磁波発生装置。

装置にはうごめく何かが纏わり付き、血で……濡れていた。


クーちゃん、何で右腕、そんなにボロボロなの?

僕が放ったから? 僕が確認をしなかったから? 僕が、僕が、僕の……


「くそっ、鍵を壊されるとは……発動ができん!」


涙を滲ませながら、クーちゃんは割れた鍵を見つめていた。

これで装置を発動させる事は出来ない、計画は失敗……もう、手は無い。


(いや、まだある……まだあるっ)

「センセー! 迅那とミッちゃんを連れて出来るだけ遠くに!」

『なんや、どういう――』

「お願いします」

『…………』


見つめ合った時間にしたら一秒にも満たない。

ボタン製のセンセーの眼は、それでも僕の意図を読み取ってくれたようで、『あほぅが……』と哀しげに言った。


『本当に、あほぅが……』

「……うん、ごめんなさい」

「凜斗? うわっ、こっの妖怪何をする!?」

「重力反転装置も無しに浮遊……相変わらず非科学的なぬいぐるみです」


二人を宙に浮かして、センセーは博士を睨みつつクーちゃんの所へ飛んでいった。

口を笑みに歪めたままそれを見送り、澱んだ瞳が僕のほうを向く。


「鍵は壊れたけど、もう一つ鍵ならある。博士が持ってるコピーのほうが……持ってるよね、カイマ博士?」


笑ったままの博士は、もう僕の言葉を聞いているのかも分からない。

これが、融合率を高めた末路……この人が求めた、結果なのか。

何だか、悲しくなった。

でも、納得しないといけないんだ……


僕も遅かれ早かれ、こうなるのだから。


「――――っ!」


それは博士の意識なのか、触手の意識なのか、何本もの触手が僕を貫き、肉をちぎり骨を砕く。

肉欲のままに蹂躙され、でも抵抗せず、僕は電磁波発生装置に触手を伸ばした。

装置に纏わり付く触手ごとつかみ取り、放さないようしっかり抱いた。

ズタズタに、身体が刻まれていく。

痺れた感覚が身体中を走り、全身を虫がはい回るような気色悪さが込み上げる。


痛いよ。怖いよ、辛いよ、苦しいよ、嫌だよ――逃げたいよっ。


「でも……でも…………守りたかったんだ」


濁った桃色の眼が僕を見て、笑いかけた気がした。

何て馬鹿な選択をしたんだと、せせら笑った気がした。

否定はできない、でも、でもね。


「凜、々……?」


この声が聞こえる度に、僕は頑張れるんだ。

だからきっと、馬鹿な選択でも間違っちゃいないんだ。

カチリと音がして、淡い光が装置から漏れ出した。

どんよりとした雲の下で、小さな太陽が生まれたようだった。

心なしか光は暖かく、心地の良い眠気を誘ってくる。


「――――――――っ」


誰が、何を言ったのか。


僕は気づかず、そうして。


意識は、光の中に吸い込まれた――



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