〜包み隠さない気持ち〜
薄く頼りない雲が空に広がる、十二月初旬のある朝。
月日が経つのは早いもので、クーちゃん達が夜蔓家にやって来てもうすぐ三週間が経とうとしていた。
寒さはますます厳しくなっていくというのに、クーちゃんの求愛はキャンプファイヤーのように激しく燃え、僕の身を焼き尽くそうと襲いかかってくる。
手をかえ品をかえ……とまでは言わないが、それでも苛烈で多彩な攻め方をするクーちゃんに、僕の神経はどんどん切り刻まれていく。慣れて神経が図太くなればいいのだけど、そんな事あるはずがない。
というか、女の子から夜這い(やっと最近意味が分かった)を受けて普通でいられる男子中学生はいないと思う。
だから昨日の夜も――
「凛々! さて今日はどう攻めてやろうかの!!」
「ってクーちゃん何普通に部屋にいるの――ぬわぁくっ付かないで!?」
「それはお主の部屋にこっそりとワープ装置を取り付けておるからじゃ」
「なんか平然と言ってるし! そ、そんなのがいつの間に――ってズボンを脱がさないでっ!?」
「おぉ……風呂上がりじゃから石鹸の匂いしかせんの。もっと青くてイカ臭いのが好きなんじゃが」
「ここ、このセクシャルハラスメント!!?」
……とまぁ、そんなこんなが毎晩続いている。
正直よく耐えてるなと思う、ここまで貞操を守り抜けている自分を褒めてやりたい……父さんの『据え膳食わぬは何とやら』は無視だ無視、うん。
「あら、今日はどこかに出掛けるの凛斗?」
――昨晩のクーちゃんとの攻防を思い出していると、後ろから母さんに声をかけられた。
僕は履き終えた靴のつま先で玄関のタイルを叩きながら、母さんのほうを向く。
「うん、今日はちょっと功介と遊ぶ約束があって」
「そうなの? あんまり遅くならないようにね、あと錐島君にも宜しく言っておいて」
……それはつまり、夜蔓家と錐島家の関係を濃密にしろって事なのだろうか。
政治屋と極道の繋がりなんて、普通の仲良しさんじゃ世間は見ないはず。
そういう事が必要なのも分かるけど、だからって子供は関係ないんじゃないだろうか。
無論、夜蔓家と錐島家をよく思っていない人は町に大勢いる。
そんな人達の言葉や視線を受け止めて、それでもここに居続けているのが僕達なんだ。
阿江吟町に残り続ける理由も何も僕には分からない、けどそれがどんなに辛いかは……昔から知っている。
「……でも、僕が仲良くするのはそんな理由からじゃない」
「なにか言った? 凛斗」
母さんが不思議そうにこちらを見つめている。僕は奥歯を強く噛みしめ、今ある胸の苦しみを肺に送り、呼吸へと混ぜた。
僕の口は自然と覚えた発音方法に形を変え、吐き出される空気と共に言葉を紡いだ。
「――うん、言っておくよ」
「そうよ、友達は大事にしないとね!」
…………自分の想いを全て言葉にできる人間なんていない。
僕は逃げたんじゃなく、この場の空気を読んだんだ。当たり障りのない選択をしただけ、間違ってなんか、無い。
「……いってきます」
僕は半ば逃げ出すように玄関の扉を開けた。
目の前には居間の窓から見えていた青空が視界いっぱいに広がり、落ち込んだ僕の心を少しばかり軽くする。
今からこんなテンションでは『相手』に失礼だ、僕は気合いを入れ直し歩きだした。
「っと、柚子ちゃん?」
門柱に小さな人影があるのが見え、数歩近づくとそれは柚子ちゃんの形をとる。
いつものようにツインテールに縛った明るい茶色の髪。いつもは夏のような服装なのに、今日は灰色のロングコートと同色のマフラーを巻いていた。
大きな瞳は何だか苦しそうで、気のせいか呼吸も荒い。
「柚子ちゃん、どうしたの?」
「凛斗……兄っ……」
柚子ちゃんは一歩僕に近づき、そのまま地面に倒れてしまった。僕が慌てて柚子ちゃんの身体を抱き上げると、柚子ちゃんは突然叫び声を上げた。
「あぁっ! ひゃっあっあ゛あ゛ぅぅいぎぃっ!! ――んんんきゅうぅ!!?」
いや、それは叫び声ではない。
僕はこの声をよく知っている。この、心の奥底から絞りだすような、一言毎に脳に電流を流す声は、そう――
「柚子……ちゃん?」
そんな事は有り得ないはずだ。だって柚子ちゃんは殆ど触手と絡んでいないし、クーちゃんと一緒に粘液を飲まされた時も、何ともないって『あの人』が言っていたのに。
「……はぁっ……はぁ、んくっ……りんと、にぃ――ふぅん!!」
「ご、ごめんっ」
僕は柚子ちゃんから手を離す。こういった状態の時に触れるのは止めたほうが良いと、あの人も言っていた。
「――あららぁ、ここにいたのね柚子ちゃ~ん」
「カイマ、博士……」
門柱の影からにこやかに現れたのは、詳しくはないが僕の知っている女性であった。
緩やかにウェーブのかかったピンクの髪を腰まで伸ばし、やや大きめのパーカーとジーンズの上に白衣を羽織っている。
上下黒色の服に白衣は妙にマッチしていて、白い肌のせいもあって首から上だけが浮いているように見えた。髪と同色の瞳は優しさに溢れているようで、アルミフレームの眼鏡は知的さを醸し出す。
「お、お久しぶりです」
「そんなかしこまらなくていいのよぉ。それに博士なんて堅苦しいし~、カイマお姉さんって呼ばせてあげる」
子供のような邪気のない声だったが、今はカイマさんに調子を合わせている余裕はない。
柚子ちゃんは依然苦しそうに、いや、さっきよりもっと苦しそうに顔を歪めている。
「それより大変なんです! 柚子ちゃんが急に倒れて、その、症状がまるで触手の粘液にやられたみたいでっ」
「う~ん……実は柚子ちゃんに口止めされてたんだけど、柚子ちゃんは粘液の催淫効果に当てられてるのよねぇ。居候してるのが博士兼医療担当の私ってのもあって~、凛斗君には内緒で治療してたの。今はその……最終段階かなぁ?」
「最終って……で、でもこんなに苦しそうだし、僕が触っただけで、その……敏感になってたみたいで」
「最終段階は色々キツいものよ~、敏感になるのも意識が朦朧とするのも仕方ないの。とりあえず柚子ちゃんは私に任せてぇ、凛斗君はこれからのデートに意識を集中しないと」
「なっ、何でそれを!?」
「私の知らない事はなぁい――と言いたいけど、昨日君が話してるのを聞いてね。それだけよぉ」
カイマさんが笑った時、また柚子ちゃんが短く声を上げた。
心配で……でも触ってあげる事さえ出来ない自分が情けなく、傍にくらいいてあげたいと思っていた僕に声がかかる。
どこまでも邪気のない、でも決して無邪気とは言い難い女性の声が。
「柚子ちゃんは私に任せなさい――私は姫様以下数名の医療を任されてるんだから、少しは信じてよ~」
「…………」
信じていない、わけではない。
ただ、微かに開いた目蓋から覗く柚子ちゃんの目がジッと僕を見つめ、力の入らない手で僕の袖を掴んで離さないのだ。
そんな状態で、見捨てるような真似が出来るはずがない。
「でもっ、僕……」
「……仕方ないわねぇ。柚子ちゃん、このお薬飲んでみようね~」
カイマさんは溜め息を吐くとおもむろに錠剤を取り出し、僕が止める間もなく柚子ちゃんの口の中に放り込んだ。
すぐに何の薬か聞こうとしたら、それより先に柚子ちゃんの寝息が耳に届いてきた。
「粘液による状態を落ち着かせる薬よ~。これを飲ませれば状態は落ち着くし、その間にきちんとした治療の準備も出来るわ……ねぇ、私を信じて?」
さっきまでの苦しげな表情が嘘のようにスヤスヤと眠る柚子ちゃんを見て、次に不思議な色彩で光るピンク色の瞳を見て、胸に沸いていた不安はゆっくり小さくなっていった。
「……柚子ちゃんを頼みます、カイマ博士」
「うふふぅ、だから博士なんて堅苦しく呼ばなくていいのに……私に全て任せて大丈夫よぉ」
そう言って笑いかけてきたカイマさんの笑顔にドキリとしてしまい、僕は顔を背けずにはいられなかった。
そんな自分の行動が恥ずかしかったので、カイマさんの顔を見ずにその場を離れようとする。
柚子ちゃんに心の中で謝って走り出した時、後ろから声をかけられた。
「そういえば凛斗君、君って最近桃食べたぁ?」
「桃、ですか? いや……覚えてる限り最近は食べてないですよ」
「――ふぅん。うふふ、ならいいわ」
勝手に納得したカイマさんに疑問が浮かんだけど、ふと携帯を見て慌てた。
待ち合わせの時間まで余裕がない!
「望月神社までどんなに頑張っても十分以上かかるけど~、まぁ遅れないように頑張ってえぇ」
「まさか分かってて声かけたんですか!?」
って駄目だ駄目だ! 突っ込みしてる暇があったら走らないと!!
稲の根元が剣山のように生えた田んぼのあぜ道を走り、山の入口を遮る貯水池の上に架かった木橋を渡る。
この辺りになると人家は殆ど無く、また季節柄、寒々しい山の風景が目の前に広がっている。
人の足で踏み固められた山道を登っていると、遠くのほうで鳥の鳴き声がした。どこからか羽ばたく音も聞こえ、僕は言い知れぬ恐怖と心細さを抱えて山道を急ぐ。
しばらくすると両端にあった枯れ木が消え、少しばかり開けた空間に出た。整地されていないグラウンドのようなそこは、奥に大きな鳥居を備えていた。
所々塗装が剥げた、朱色の鳥居。しめ縄は切れてしまったのだろう、片側に短い残骸が残るだけだ。
鳥居の奥には石の階段が続き、山の頂上まで長く伸びている。
階段の一番上には小指の先ほどの鳥居が見えるから、それがどれだけ長い階段なのかよく分かる。
「……登らないと」
独り言を言ったのは気合いを入れるため。頬を両手で張ると(思ったより痛かったので後悔した)僕は階段を登りはじめた。
目指すのは階段の先にある、この山一つが境内の望月神社。
センセーから呪いを受けた一族、そして僕と同じクラスにいる迅那の実家だ。
「……凛、斗」
「ごめん! 待たせちゃったよね」
枯れ葉の積もった階段に転ばないように、かつ急いで登り、そうして頂上の鳥居をくぐった時、僕は見えた人影へとすぐに頭を下げた。
「……いい、私は気にはしていない。頭をあげてくれ」
言葉のまま頭をあげると、その人影――迅那は微かに笑っていた。普段の無表情といえるのとは違い、僕にはそれが新鮮で思わず笑ってしまった。
「ん、この格好は、お、おかしいか? こここんなのは初めてで……よく分からなくて」
「いやいや! 格好じゃなくてね。それに今日の迅那――うん、凄く可愛いよ」
それは本心からの言葉だった。
長い黒髪は後ろ手に縛り、白無地のタートルネックに鳥居のような朱色のキュロットスカート。
大きな皮製のベルトを腰に付け、深緑色のモッズコートを羽織っている。
正月の初詣で巫女姿は見た事あったけど、迅那の私服は初めてだった。
いつもの雰囲気と違っていて、改めて迅那の可愛さを確認できたようだ。
「か、かか可愛いっ!? そそんな事はない! 私はただ妹が勧めるまま服を着ているだけであってっ」
「あぁ、果那ちゃんだっけ? 確かにあの子はファッションにうるさそうだね」
今は町外の私立中学に通っていて、寮に住んでるって聞いた事がある。
何度か見た事があるけれど、迅那と違って表情がコロコロと変わり、垢抜けた女の子って感じがした。
「妹さんと、仲が良いんだね」
「……この世で二人の、姉妹だから。それに果那は、一人で暮らしている……姉としても、色々心配なんだ」
姉としての優しさの滲んだ表情が、一瞬だけ迅那の顔に浮かんだ気がした。
しかしすぐに無表情へと戻り、いやにギラギラしている目で僕を見つめる。
「そ、それより今日は! デデデデェトを承諾してくれて誠に嬉しい限りというかなんというか!!」
「凄い動揺だね……ううん、僕こそデートに誘ってくれて有難う」
――迅那の呪いが判明した、あの日。
それからセンセーは色々迅那と話をしたらしく(仲の悪さは相変わらずだけど)、今回のデートもその話から始まっている。
センセーとしても一応悪い気がするらしく、呪いを解く方法を探していた。
そうして調べていると、どうやら呪いを解くには僕に『慣れる』必要があるらしい。
何をもって慣れるというのか分からないけど、僕に出来る事があれば――で、今日のデートである。
「……あの、低級妖怪の言葉に従うは癪だが、でも呪いの為だし、き、今日はそのっ」
「うん、いっぱい楽しもうね。迅那」
「おぅ!? そんな笑顔で見られると私は、わたしはうぅ!」
テンションの上がっている迅那を放って、僕はこれからの計画を思い出す。
最初は駅まで行って、隣町からバスで遊園地。そこで一日中遊ぶ予定で、お金や遊園地の券もしっかりとリュックの中に、中に……
「あっ!?」
「ひゃう! どどどうした凛斗!」
僕はここで大変な事実に気付いてしまった。
いや、詳しく言うなら思い出した……忘れたのを。
「ごめん……リュック忘れてきちゃったみたい。中に券を入れてたから、今からすぐに取りに帰るね」
「お、おぉ分かった……大丈夫だ、今日はまだまだ始まったばかりなんだから」
僕の言葉に微笑でもって答えた迅那、その笑顔は多分、朝日に光る霜や水滴よりも輝いていた。
そうだ、今日はまだ始まったばかり――ただ迅那をまた待たせてしまう事に多少の罪悪感を感じていると、石段の方から吹き上げる風に乗って聞き慣れた声が耳に届いた。
「その必要はありません、凛斗様。なぜなら私は忘れ物を届けにきたからでこざいます」
「…………ミツキ、さん」
風に靡く簡素なメイド服、切れ長の、クーちゃんと同じルビーのような瞳。
無表情と言ってもいいほど感情を見せない、数日前……酷い事をしてしまった人。
だけの彼女は、以前と変わらない雰囲気を纏って僕の前に現れた。
「違います」
「え?」
「――ミッちゃんと呼ばれないと、親愛の情を感じらずに気分が悪いです」
このセリフも、雰囲気も何もかも同じまま。
「うん、ごめん――ミッちゃん」
僕の言葉を聞いて、ミッちゃんは唇の端を僅かに上げたーー
ガタンゴトン、ガタンゴトン――電車は揺れる、僕らを『三人』を乗せて。
「…………」
「凛斗様、あの看板は何と読むのですか?」
「え? あ、あれはホテル泡天国――って何読ませるの!?」
日曜日という事もあり、電車には休日を楽しもうとしている家族連れやカップルが多かった。
賑わいのある大きな駅はこの電車とは反対の方向にあるから、多分皆も遊園地を目指しているのだろう。
向かい合わせの座席に四人座り、あぶれた人は吊革に掴まり、これからの楽しい時間までにテンションを上げておこうというように談笑している。
僕は窓側の席に座ると、その横に迅那、僕の前にミッちゃんが座った。
ミッちゃんのメイド服にしばしば奇異の目線が送られるものの、それ以外は遊園地を心待ちにする人々と同じように、電車の揺れに身を委ねていた。
「凛斗様、実は私お弁当を作ってまいりました。遊園地に着いたら食べましょう」
「っ!?」
「お、お弁当は、その……」
さっきから気になってはいたんだけど、ミッちゃんは何かにつけて迅那を挑発するような事を言ってくる。
お弁当の発言も、明らかに迅那の手に握られたバスケットを見ながら言われたものだ。
何と答えていいか返答に困っていると、今まで黙って成り行きを見ていた(理性で我慢していたというのが正しいかもしれない)迅那が、三白眼になってミッちゃんを睨みつけた。
「こ、このコスプレメイドめ……先日は大変な目に遭ったから、幾たびの失礼極まりない発言も見過ごしてやったが、もう我慢の限界だ! 足腰立たなくしてやるぞ!!」
「……食前の運動には丁度良さそうです」
迅那は腰の辺りから伸縮させられる警棒を取り出し、ミッちゃんはスカートの中から小ぶりのナイフを……ってぇぇえ!!?
「ちょっ二人共タンマタンマ! 他の乗客もいるんだから電車の中で喧嘩しないで!!」
「止めるな凛斗、コスプレメイドを排除しなければ私達ので、で、でーとは上手くいかない!」
「最初から上手くいくわけない、でございます」
「なななんかミッちゃんのキャラが変わったような気がしないでもないけど、とにかく今は大人しくしててよ! お弁当ならどっち共食べるからっ」
うぅ、周りからの視線が痛い。
白い目線には慣れたつもりだったけど、子供の無邪気な目で見られると何だろう、泣けてくる。
「でしたら凛斗様、まずは私のからお食べください」
「ぬぬ、抜け駆けをするなぁっ! 凛斗、そ、その……一生懸命作ったんだ、だから、その何というか」
「…………え、今食べるの?」
まだ朝ご飯を食べたばっかりで、お昼には程遠い。
しかし遊園地への道のりはまだ長く、僕にこの場を上手く切り抜ける妙案は思いつかなかった。
「な、何かいやに滋養強壮効果のありそうな食材ばっかりだね……」
見た目も匂いも濃い料理群を目の当たりにして、僕はたまらず溜め息を吐いた。
線路は続く、まだまだ続く――
パレット王国ランド――総面積は東京ドームの約四つぶん。日本で三番目に速いジェットコースターと、日本で七番目に怖い(2008年度調べとパンフにある)お化け屋敷を売りにした、夢の溢れる遊園地だ。
「看板に小文字で『夢の』って書いてるあたり、完全に狙ってやってるんだろうね……」
「どうした、凛斗?」
「な、なんでもないよっ」
ツッコミが思わず口から出てしまっていた、気を付けよう。
あと気を抜くと胃の中身が出てきそうだから、それも気を付けよう……って。
「さっきからミッちゃんの姿が見えないけど、どうしたのかな?」
今僕らがいるのは遊園地の入り口近く(チケットは無事にミッちゃんが渡してくれた)、大きな見取り図とお土産の置かれた売店のあるエリアだ。
クレヨンみたいな形をした兵士や、ニワトリかアヒルかよく分からない人形が売られて……もしかして提携してるの?
「あんなやつ放っておいて、私達だけで遊びにいこう。そうだそうしよう!」
「駄目だよ、遊園地に無事入れたのもミッちゃんが荷物を持ってきてくれたお陰なんだから、迅那もそう邪険にしないで」
「お待たせしました」
グイグイと袖を引っ張る迅那を宥めていると、後ろからミッちゃんの声がした。
「あの格好では目立ちすぎますので、化粧室で着替えてまいりました」
「そうなんだ、迷子になったのかなって思っ――」
僕の思考は、一瞬だけど停止せざるを得なかった。
目の前に現れた、ミッちゃん。その出で立ちに、開いた口は塞がらない。
「普通だ……」
そう、あまりに普通の格好だったのだ。
薄いピンク色のワンピースに、モコモコしてる毛糸のカーディガン。メイド服の名残のように黒いニーハイソックスとカチューシャは付けてるけど、メイド服に慣れていた僕からしたら、変化球もいいとこだ。
「ど、どうでしょうか?」
いつもと違う服装だからか、不安そうに眉を寄せ見つめてくるミッちゃは無表情なんかじゃなく、本当に普通の……いや、凄く可愛い女の子だった。
「グロスを塗りすぎた気がして、不安です」
とか言って唇を舐める仕草がいやに色っぽくて、僕の心臓は馬鹿みたいに高鳴りっぱなしだ。
「えと、うんとね……凄く、可愛いよミッちゃん」
「……ぁ、ありがとう、ございます」
いつもなら腕を絡めて胸でも押し付けてきそうなのに(もちろん無表情で)、ミッちゃんは恥ずかしそうに俯くと黙ってしまった。
こ、これが今話題のギャップ萌えってやつなのかな……す、凄まじい威力だ。
「~~り、凛斗っ! いつまでも頬染めあってないで早く行くぞ!!」
「あっ、ちょっと迅那!」
むくれっ面の迅那が僕の袖を掴んで歩きだしたので、僕も慌てて歩きだした。
ミッちゃんは「やはり闇討ちを本気で考えなくてはいけませんね……」とか冗談にならない事を呟きながら、付かず離れず付いてきた。
(よし、今日は楽しもう。いっぱい楽しんで、いっぱい笑って、そしたら二人もきっと仲良くなってくれる……といいなぁ)
迅那とミッちゃんが仲良くしている場面がどうしても浮かばないけど、きっと大丈夫だと思う。
だって遊園地は、皆が笑顔になれる場所なんだから!
「…………」
「…………」
(……よし、とりあえず五分前の僕猛省しようか)
――五分後、観覧車の中。
雰囲気はこれでもかってくらいギスギスで、まったくもって誰も笑っていなかった。
(これぞまさに、笑えない状況……ダメだ、あまりのギスギス感に思考が変になってきたっ)
この状況を打破するために、僕は五分間で何があったのか思い返してみた。
五分前――ミッちゃんが僕と腕を組み、迅那がキレる。
四分前――迅那が買った飲み物(ハート型のストローが刺さっていた)をミッちゃんが奪って一気飲みし、迅那がキレる。
三分前――迅那が転びそうになったので慌てて手に触れたら、ぬ……濡れてパンツが使い物にならなくなったと恥じらう。
二分前――観覧車に乗る時、片側はミッちゃんと腕を組み、もう片側は迅那に袖を掴まれた僕を見て、案内する人が白い目をした。
そして一分前から、ミッちゃんの足が……。
「――いい加減にしろ!」
その時、思考にふけっていた僕の耳に迅那の怒声が届いた。
観覧車の床に正座した僕は右側を向く(どっちが僕と一緒に座るか言い争うので、結果こうなった)、すると目に涙さえ浮かべた迅那が真っ赤な顔をして、真正面にいるミッちゃんを見据えていた。
「さっきから、い、いやらしい動きで凛斗を足蹴にしてっ! 凛斗はMじゃない、むっつりドSなんだ!!」
「なにその単語!?」
迅那からむっつりドSの称号を貰った僕は、まぁ確かにミッちゃんから足蹴にされていた。
身体の左側から、肩、腕、首すじにニーハイソックスの足で纏わりつき、ねっとりと艶めかしく……横目で見ると、たまにワンピースの裾がめくれ、チラチラ覗くガーターベルトが恐ろしく色っぽかった。
「凛斗様がむっつりドSなのには同意しますが、こういう焦らしプレーもお好きなのですよ? 特に背筋部分をこう、優しくなぞってあげると――」
「あふんっ!」
「りりり凛斗ぉ!? なにちょっとまんざらでもない顔をしているんだぁー!!」
だって気持ちい……うわぁダメだダメだ!! 将来は普通の大人になるんだから、変なものに病みつきになったらダメだ!?
さっきのギスギスした雰囲気よりは良くなったと思うけど……これはこれで、健全な青少年としては非常に困る。
「こ、こうなったら……うりゃっ」
「のわっぷ!?」
いつもの起立然とした迅那と違う、涙目でプルプルと震える迅那は掛け声を出すと僕に抱きついてきた。
素肌が触れ合うと恥ずかしい事になる迅那は、極力僕には触らないようにしてたのに……だけど、僕がすぐに離れようとすると更に密着し、身体を痙攣させながら甘い吐息を漏らす。
「わ、わらひだって凛斗といっしょにっ、きき、きもひよくなりたい……のっ! りんと、りんと……」
耳元で囁く迅那の声は快感に震えていて、陶然とした様子で僕に身体を擦りつけてくる。
と、不意に僕の手を握り、あろう事か指をくわえてきた!
「はぷっ、くぷん……いっぱい、なめなめしたいよ、りんと……」
その行動は、一瞬で僕の頭を沸騰させるには充分だった。
思考力が低下して、代わりに身体の奥底から抗いきれない欲が溢れてくる。いつもならこのままアレが出てくるんだけど……
(やっぱり、王子が現れる感覚がない……)
触手を出すのは自分の意思で出来るけど、あれは王子の意思も操作に加わってくれるから簡単なんだ。
保健室の時みたく、がむしゃらになってれば別だけど、今みたいに冷静な状態じゃ操作するのは難しい……あれ?
おかしいな、今だって迅那の切ない吐息を聞く度にドキドキするし、そういう気持ちがムクムク大きくなってくのに……まるで意識の一部が、冷ややかな目線で状況を見つめているみたいだ。
「あっ……きた~」
僕が意識して現した触手を、迅那は美味しそうに頬張った。
途端に痺れるような快感が全身を走るが、それだけだった。
暴走する予兆もなく、粘液の制御も可能な……以前と比べ、どうやら僕は格段と触手の扱いに慣れたようだった。
「っく」
迅那の舌使いに耐えきれず、触手から白濁色の液体が吐き出された。
口の端から零しながらも、迅那は喉を鳴らして飲み込んでいく。
だけど当然これにも催淫効果はなく、ただ身体に良い成分が大量に含まれた液体だ。
「凛斗様……」
「うわわっ!?」
首に長い足を回され、僕は強制的にミッちゃんのほうを向かせられた。
首の後ろで足を組んで、僕の目と鼻の先には……大事な部分を隠す薄い布きれがある。
布きれは水に濡らしたようになっており、頭の芯を痺れさせる匂いを放っていた。
「凛斗様……そいつとばかりじゃなく、どうか私とも……あの保健室以来、そ、それを見る度にこんなになってしまうんです」
恥ずかしそうに言いながら、ミッちゃんは布越しに大事な部分を手で弄りはじめた。
より濃い匂いを撒き散らし、卑猥な水音を響かせ、僕に見せつけるように。
「はひゃん! り、凛斗様っ……どうか私にもっ、それを、太くて長いそれを私に」
「やらぁ! りんとはだめなの~……ねぇ、わらひを見て? んっ、りんとでかんじちゃう、変態なわらひをっひゃん!! ……いっぱい見てね?」
催淫効果のある粘液がなくても、この空間で最早正常でいられる人はいないと思う。
迅那とミッちゃんは瞳をうるませ、涎を垂らし、快感のままに僕と触れ合いを求める。
……そして、二人をそうしてしまったのは僕だった。
僕のせいで、二人はこんなはしたない姿を晒さなくちゃいけなくなった……僕が二人を、こんな風に変えてしまったんだ。
この場に似つかわしくないほど冷静に、自分の罪を実感してしまう。
いくら謝っても取り返しは付かず、せめて二人が満足するまで、僕はこの痴態に付き合う義務がある。
罪滅ぼしじゃないけど、僕なんかでもしてあげられる……唯一の事だから。
「っおごぉぉっ!?」
迅那には極太の触手をくわえさせ、蔦のように細い触手を全身に這わせる。
「おごぅ!? しゅごっ、しゅぼいぃぃっ!! しんにゃう! わらひしんにゃう!!」
僕に触られるだけで感じる体質だから、今は意識が飛ぶくらい感じているはず。
「っはぅんっ!?」
ミッちゃんには先がイソギンチャクのようになった触手を使い、行為の手伝いをしてあげた。
「なに、これ……んんっ!? ビクビク、ビクビクしてるぅ……やっ! そんな強く摘まないでぇぇ!?」
何十という指に弄られている感覚に、ミッちゃんはたまらず失禁した。
僕は吸引口のある触手を布越しに吸いつかせ、残らず飲んであげる。
背中を仰け反らせ言葉も出ないミッちゃんに、一心不乱に触手をくわえ身体を震わせる迅那。
「……ははっ」
さっき自分で考えた言葉が頭を過ぎった。
正常でいられる人はいない……か。
なら今の僕は、人じゃないナニカって事なのかな?
意識で別の事を考えながらも、僕の触手は二人の要求に応え続けていた――
観覧車を出る際、係の人が一瞬変な顔をしたけど、結局は何も言わなかった。
当たり前だ、粘液は揮発性の高いものだったし、あれには消臭効果もあったんだし。
むしろ変な目で見られた原因は、迅那とミッちゃんのほうにあるだろう……二人とも心ここにあらずといった感じで、頼りない足取りをしている。
二人の手を引いてベンチに座らせると、体力の限界だったのかそのまま動かなくなった。
肩で息をしながら、体力の回復と気を落ち着かせようとしている……なんだか居たたまれず、僕は「飲み物を買ってくる」と言うと、逃げるようにその場を離れた。
「……間違って、ないよね?」
自問自答なんて意味がない事くらい分かっている、でもそれでも、僕は聞かずにはいられなかった。
自分のせいで、自分が原因で変わってしまった女の子を、僕はどうにかして助けてあげたい。
行為の手伝いじゃなく、改善する為の手伝いが……だけど僕は、それをやる知識や手段を持ち合わせていなかった。
やれるのは、ただひたすらに……彼女達を悦ばせる事。
いつもだったら王子が叱咤激励してくれるのに、今も現れる気配はない。
王子はどうしたのかと考えると、なぜか頭はモヤがかかっようになり、鈍痛がする。
なんだろう、僕は何かを、忘れてる――?
「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
僕の思考を遮ったのは、売店のお姉さんの声だった。いかにもな営業スマイルで笑うお姉さんに、僕は慌ててメニューを伝えた。
「えっと、オレンジジュースのMパックを二つお願いしま――」
「ふむ、それとアイスクリームを一つじゃ」
突然僕の隣に立った人影は、可愛らしい声で追加の注文を頼んだ。
僕が驚いてそっちを見ると、その相手は頭一つぶん下にある目を、楽しそうに細めて笑った。
「なんじゃそのシケた面は。遊園地とは皆が笑顔になれる場ではないのか?」
「クー、ちゃん……」
いつもと変わらぬワンピース姿と優しい笑顔に、僕は知らず安心感を得ていた。
僕とクーちゃんは合流して、ミッちゃんと迅那の待つベンチに向かった。
ぐったりしてる二人はジュースを受け取り、まだ夢うつつな目で僕を見る。期待をするような、請い願うような視線に、僕はまた自分の罪というのを感じざるを得なかった。
「ほらほら二人とも、あんな事があったからといって脱力しとる場合じゃないぞ? 遊園地にはいっぱい遊ぶところがあるんじゃからな!」
クーちゃんはそんな視線から僕を遮るように割り入ってきて、無邪気な声をあげた。
(……こうやって、いつも苦しい時は守ってくれる。クーちゃんの優しさに、僕は甘えてばかりだ――って、ん?)
「あのクーちゃん? あんな事って言ってたけど、その、まさか……」
「んふふ、隣の観覧車からたっぷり覗かせてもらったぞい」
な、ななななななぁっ!?
まままさかクーちゃんに見られてるなんて! 思えば何でクーちゃんはこの遊園地にいるんだ、その始めの疑問をすっ飛ばして何となく受け入れちゃってたよ!!
「まぁ本番までヤらないのが凛々の優しさというかヘタレ具合というか……ともかく、ワシを抜きに楽しんでおったのぅ」
愉快そうに笑うと迅那に飛びかかり、わき腹をコチョコチョしだした。
体力の限界であるはずなのに迅那は跳ね起き、「ちょっあははダメっひぁははし、死ぬからぁ」と涙を浮かべて叫んでいる。
ミッちゃんはさも関係ないという風な顔をしてるが、迅那を堪能しつくすと(あとには、着衣が乱れピクピクしてる迅那が残されてる)、クーちゃんは標的をミッちゃんに切り替えたようで、指をワキワキしながら乗りかかろうとする。
「姫……後でどうなるかお分かりですよね?」
「ワシを脅すとは大したメイドじゃな……越後屋! お主が悪いんじゃあぁっ!!」
若干変なセリフを吐いて、こうしてミッちゃんも餌食になった。
しかし……声を出さずに笑うって、ミッちゃんは器用だな。
「――さて、ワシ一人を除け者にした罰はこのくらいにして」
――しばらくして二人をイジメるのに満足したのか、クーちゃんは振り返るとルビー色の瞳で見つめてきた。
その瞳に耐えきれず顔を背けると、顔の両側を掴まれ前を向かせられた。
「く、クーちゃん?」
「まぁたお主は、馬鹿みたいに落ち込んどるようじゃの」
「!?」
……本当に、この子は全部お見通しだな。
「よいか凛々、この二人がこうなったのはお主のせいじゃ」
「……うん、分かってるよ」
「分かっとらん。お主のせいじゃが、お主『だけ』のせいではないんじゃ。そもそも触手を寄生させたワシらのせいでもあるし、触手の特性のせいでもある……じゃから、そんな辛そうな顔をするでない」
慈しむように笑いかけるクーちゃんはどこまでも優しく、穏やかな声は僕の心に静かに染みていく。
でも……でも、僕は。
「クーちゃん、でも……」
「でももヘチマもない! 罪があるのは、皆も一緒じゃ。自分だけが悪いと思うな、ワシの好いた男が、そんなナヨナヨするでない!」
クーちゃんは――太陽だった。
眩しいくらい輝いて、活力を皆に与えて、世界を照らす、元気と優しさの塊のような子。
何で僕なんかを好きでいてくれるのか分からないくらい、眩しいくらいに輝いてる女の子だ。
「クーちゃんは、その……僕の事、好きなんだよね?」
自分で聞くのは恥ずかしい事だし、こんな確認をしなきゃ話せない自分のヘタレ具合に辟易する。
「そうじゃ、ワシは凛々が大好きじゃ! 出来れば今すぐベッドINしたいくらい!」
「大声で言わなくていいからっ…………そう、なんだ。ならやっぱり、触手には感謝しないとね。クーちゃんに、僕なんかを好きになってもらえたんだから……さ」
自分で言って、胸が詰まるようだった。
僕を好きだというけど、それは触手が寄生しているからの話なんだ。
触手――王子がいなかったら、僕とクーちゃんとの接点は無くなってしまう。
そうなればきっと、こんな僕に構う事もなくなるだろう――
「確かに最初は、触手が寄生した相手だからじゃったよ。でも――今は、違う」
――クーちゃんは、そんな後ろ向きな僕の考えを吹き飛ばすように、当たり前の事を口にするように、言った。
「出会って少しじゃが、ワシは凛々の笑顔に、泣き顔に、怒り顔に……そして優しい心に、惚れてしまったんじゃ。だ、大好きになってしまったんじゃ……ぬぅ、女の子にこんな事を言わせるでない! 馬鹿凛々!」
――その時のクーちゃんの笑顔は、今日のどんなものよりも、僕をドキッとさせた。
「~~~~な、なんじゃこの甘酸っぱい雰囲気は!? ワシはもっとピンクなエロスを求めておるんじゃー!」
恥ずかしさに耐えきれなかったのか、クーちゃんは真っ赤な顔で叫びながらアイアンクロー(正式名称はブレーン・クロー。別名は脳天絞めだ)を繰り出した。
可愛らしい手に似合わず林檎も砕く握力で握られたらもう……もう!
「ちょっギブギブギブッ!? 頭蓋が砕けるから!」
「ワシを見るなぁ! ワシが求めるのは滴る汗と溢れる淫汁のみじゃぁ!!」
「クーちゃん落ち着い……」
「わ、ワシの名を呼ぶなぁーーっ!!?」
クーちゃんの照れ隠しのアイアンクローは、僕が泡を吹くまで続いたーー
体力の回復した迅那とミッちゃん、更に合流したクーちゃんも入れて、僕らは四人で遊園地を楽しむ事にした。
迅那はふくれっ面で反論したけど、お揃いのストラップを買ったら渋々了承してくれた。
絶叫系が好きなクーちゃんと、ファンシー系が好きな迅那では乗りたい物の意見が食い違うので、交互に乗る事にした。
ジェットコースターの後、蜂蜜を無断で貪り食う熊の暴れる森(ファンシーか?)、フリーフォールの後、蜘蛛の糸を街中に飛ばしまくる全身タイツ男を追うアトラクション(ファンシーか!?)……なんだかんだと楽しんでいると、ふとあの時の疑問が脳裏に浮かんだ。
「ねぇクーちゃん。うやむやになってたけど、何でクーちゃんがここにいるの?」
「ふぇ?」
クーちゃんは頭にクレヨンの先っぽみたいな帽子を被り、手にお姫様とニワトリとアヒルがプリントされた風船を持って上機嫌だった。
僕の疑問にキョトンとした後、「そうじゃった」と思い出したように呟いた。
「すっかり忘れておったわい。ワシはおつかいを頼まれておったのじゃ」
「おつかい、ですか」
隣でミッちゃんが不思議そうな声を出す。
いつも通りの無表情だけど、クーちゃんと色違いの帽子を被ってる辺り、機嫌が良いのが分かる。
「遊園地におつかいで来たのに、何で遊んでるんだお前は……」
と、これまた同じ帽子を被った迅那が呆れたように言う。
この二人、学校ではよく言い争いをするけど、実は結構仲が良かったりする。
クーちゃんも本音で話せるみたいだし、迅那も同性の友達がいなかったから、嬉しいんだと思う。
「お主のような未熟なテクで、凛々の貞操を奪われては笑えんからの。遊びでなく見張りじゃ!」
「ふ、ふん! 貧弱で未成熟なその身体よりはマシだろう」
……仲は良いんだ、うん、多分。
会話の内容には触れないようにしよう。
「カイマからこれを渡すよう頼まれての。なぜこんな物を渡すのか意味が分からんがの……」
カイマという名前を聞き、僕は今朝の事を思い出した。
柚子ちゃん、大丈夫かな……いくらカイマさんが心配ないと言っても、あんな様子を見たら心配せずにはいられないよ。
(やっぱり、付いててあげたほうが良かったかな?)
柚子ちゃんが苦しんでいるのに、自分は楽しんでいる事に罪悪感を覚える。
柚子ちゃんには他に頼れる人がいないのに、昔、側にいるって約束したのに……僕の周りにはこんなに人が増えたけど、柚子ちゃんの周りには、今誰かいてくれるのかな?
「――おい、聞いとるか凛々?」
「えっ! な、なにクーちゃん」
考え事をしていたので話を聞いていなかった僕を、怪訝な顔でクーちゃんは覗いていた。
僕の様子に溜め息を吐くと、手に持っていた何かをクーちゃんは投げてきた。
慌てて受け止めると、それは四角い鉄の箱みたいだった。
「これは?」
「簡易型の電磁波発生装置じゃ。γ線やx線、紫外線、赤外線、可視光線など殆どの電磁波を発生させられる。元々は宇宙船のメンテナンス用に使うのじゃが、人にも影響を与える恐ろしい代物じゃよ。遺伝子や細胞に悪影響とされる極低周波や極超短波は、まぁ一般の電化製品からも発生するが、こいつは人工の変動磁場へと共鳴し、細胞の活動に必要な原子イオンを流出させる。その際遺伝子の塩基配列を変化させ、構造自体を別のものにしてしまうのじゃ。医学技術的には、悪性の腫瘍や細胞を別離させる事が出来るが、しかし出力を間違えるとより強く結合する……そんな物をなぜ渡すのか、理由は教えてくれんかったの」
「……ごめん、クーちゃん。何言ってるか全然分かんないや。とりあえず電磁波を出す装置って事でいいの?」
「簡単に言えばそういう事じゃ。しかし人体へ悪影響のある代物じゃから、発動キーはワシしか持っておらん――ほれ、これじゃ」
クーちゃんは耳飾りを外して見せてきた。
それは不思議な色合いをした水晶だった。
ウニのようなトゲトゲした形で、光にかざす角度によって色彩を変える。
クーちゃんが水晶を箱に近づけると、箱は少しだけ発光した。
「これ以上近づけると発動してしまうからの。とにかく発動キーはワシが管理してる以上、電磁波発生装置が発動する事はない。カイマは時々変な行動をするが、今回は特に分からんわい」
と、クーちゃんは身震いすると急にモジモジしだした。
急いで耳飾りをつけると、お腹を押さえながら早足で歩き出した。
「す、すまん。少しお花を摘んでくるっ」
徒競走ばりに歩くクーちゃん……そりゃ、あんなに冷たい物を食べまくればね。
「姫、大丈夫ですか?」
「なら私もトイ――お、お花を摘みに行ってくるか」
ミッちゃんと迅那もそれに付いて行き、僕は一人で待つ事となった。
噴水のある広場で、ベンチに座って辺りを見る。
周りにいるのはカップルや家族連ればかりで、一人の僕は浮いている気がした。
……そういえばこの遊園地、僕と柚子ちゃん、柚子ちゃんのお母さんで来た事があったな。
あの時、柚子ちゃんはすごく楽しそうで……でも直後に『あんな事』があって、柚子ちゃんは遊園地を嫌いになっちゃった。
「カイマさんは、何を考えてるのだろう……」
電磁波発生装置もそうだし、柚子ちゃんの事も……ダメだダメだ。ここに来たのは自分の意思なのに、カイマさんが行くように言ったからなんて、他人のせいにしちゃダメだ。
「柚子ちゃんへのお土産、何にしようかな」
せめて笑顔の何割かでも、柚子ちゃんに分けてあげたい――そう思って空を見上げた時、遠くで何かが光っているのが見えた。
直後、
「うわっ!? ななな何だ!」
左右上下に揺さぶられる衝撃と、鼓膜が破れそうな大きな音が鳴り響いた。
ニュースとかでたまに聞く、まるでミサイルの爆発音みたいな……嫌な想像は僕の不安を飲み込んで肥大し、形を成して視界に映りこんだ。
「観、覧車が……」
濛々と立ち上る黒煙は青い空に亀裂を入れ、耳障りな高音が激しく脈動する心臓に突き刺さる。
僕にとっての世界は、この町の周りの事でしかないし、更に宇宙とか何とか言ってるクーちゃん達の世界なんて、想像も出来ない。
いくら異星人と言われても外見が同じなんだから、僕は無意識の内にその事実を忘れていたんだと思う。
異星人というのも、宇宙という存在も……だけど今目の前にある光景は、そんな僕のボケた頭を金槌で殴りつけるかのように、衝撃的なものだった。
「……化け物、だ」
それが適切かどうか分からないが、そう表現する以外言葉が見つからない。
金属のような外皮に、一本一本がビル程の大きさをした、脚のようなもの。
虫の複眼を思わせる窓がいくつも設置されていて、球体の本体から地上に伸びる無数のコードは、触手か何かのように見えて気持ち悪かった。
タコの頭からクモの脚が生えたような、嫌悪感を抱かせるそれは、観覧車と同じくらいの巨体を揺らしながら奇声を上げていた。
いや――それは奇声なんかじゃなく、脚がコンクリートを削る音で、コードを引きずる音で、口のような場所から何かが発射される音だった。
「何事じゃ!?」
声に振り向くと、クーちゃん達が驚いた表情でこちらに走ってきていた。
僕は何と答えればいいか分からず呆然とし、クーちゃんは化け物を見ながら歯噛みした。
「なぜ『ミズヌシ』がここにっ……く! やはり噂は本当という事か!!」
「な、何なのだあれは?」
「……我らが所持する、自立型惑星探査機ミズヌシです。コードを地中に埋め、地熱によって半永久的にエネルギーを得ます。また大気中の水素を圧縮し、内部に蓄えられた発火性物質と混合させる事で、低威力の爆弾を作り得ます。主目的は惑星調査ですが……場合によっては制圧、殲滅用にも使用されます」
「ミズヌシはこの惑星には不要じゃと、ワシらの星に送ったはずなのに……狙いはやはり、ワシか」
「ねぇ、クーちゃん。さっき言ってた噂って何? ……狙いがクーちゃんって、どういう事さ?」
クーちゃんは僕の問いに困ったような顔をしたが、答えてはくれなかった。
代わりに、あのミズヌシという巨大な機械へと駆け出していってしまった。
声を掛ける間もなく、クーちゃんの小さくなる背中を見送りながら、僕の心臓は未だ激しく脈動していた。
足がガタガタと震えている事に気が付いた。それがあの化け物から与えられる恐怖なのだと理解すると、腰が砕けるように地面にへたり込んだ。
「凛斗!?」
迅那が側に寄ってきて、他人の手を借りてやっと立ち上がれた。
だけど依然として足の震えは止まらず、恐怖は加速度的に高まっていく。
「なんで、こんな……メイド! あれを知ってるんだろう!? あれはなんで暴れてるんだ!」
迅那が語気を強めてミッちゃんに問いただす。
ミッちゃんは先ほどからどこかへ連絡をしていたようだけど、トランシーバーのようなものを閉じると目線を迅那に合わせ、口を開いた。
「……ミズヌシをこの星で起動させるつもりはありませんでした。周りへの多大な影響もありますし、何より姫がそれを望んでいなかった……ですが、姫とは違う思想の者達もいるのです。今回のこの一件は、そんな彼らの独断で行われたもの……狙いは間違いなく、姫の命」
「命、って……」
クーちゃんと考えが合わない人がいるというのは、何となく分かる。
例え部下でも考えは十人十色だし、クーちゃんは自分の考えを押し付けるような子じゃないし。
でも……命を、狙うって?
それはつまり、誰かがクーちゃんに死んで欲しいって思ってるって事なの?
「本国にいた時から、姫を狙う不穏分子は存在しました。ですが我々近衛の者達が守り、民からの圧倒的支持もあり派手なものではありませんでした……この、新たな星と条約を結ぶ話が出た時、近衛の者を増やすと聞いて嫌な予感がしていました。まさかミズヌシを使うとは思っていませんでしたが」
ミッちゃんは自分で納得するようにブツブツと呟くと、どこからともなくナイフを取り出した。
少し前ならかなりの恐怖感を覚える凶器のはずなのに、今は何とも心許ない、小さな小さな刃でしかない。
「ちょっと待ってよ……クーちゃんは人気があったんでしょ? なら何で命を狙われないといけないんだよ!」
クーちゃんを心良く思わない人がいるなんて、僕には信じられなかった。
だってクーちゃんは太陽みたいで、花が咲くみたいに笑って、エッチな事ばかり言うけど……でも、皆を笑顔に出来る凄い子なんだから!
「……凛斗様、世の中には無感情な行動というのもあるのです。特に政では顕著に現れ……本人の意思など関係なく、その人全てを飲み込んでしまうのですよ」
「……あいつが言ってた噂は、自分の命を狙うやつが近くにいるというものだったんだな。何とも悲しく、怖い噂だ」
僕の肩に添えられた迅那の手が震えていた。
もしかしたら僕自体が震えていたのかもしれないけど、それすら僕には分からない。
いつも笑っていたクーちゃんに、そんな重いものが付きまとっていたなんて知らなかった。
「しかし、それでも――」
ミッちゃんの目線は、今度は僕に向けられた。
クーちゃんと同じルビー色の瞳が、あの笑顔と、小さくなる背中と重なって、僕の胸は締め付けられる。
「それでも姫が本国に帰らず、ここに残った理由……凛斗様にはお分かりですね?」
「……僕の、ため?」
ミッちゃんは深く、頷いた。
「この星に不時着して、噂はすぐに出始めました。私達近衛の者はすぐに皆の素性を一から調べなおし、姫には信頼できる者数名と共に、所在も分からぬ遠い地に隠れてほしかったのですが……姫は頑として、それを嫌がりました。離れたくない、一緒にいたいと――全ては、貴方の側にいたいが為に」
ブルブルと震えている身体に、振動を続ける地面のせいで、僕の視界は小刻みに揺れる。
クーちゃんの後ろ姿はもう見えず、ミズヌシという化け物の蠢く様だけが、まるでSF映画のワンシーンのように視界を流れていた。
「少し前、私は凛斗様に仰ろうとした事があります。『……姫も、好き者だから頼んでるのではありません。そう決められたから、自分に与えられた命令だから、あの方だって本当は――』、この言葉の先が、分かりますか?」
分からないので、僕は正直に首を振った。
ミッちゃんはそんな僕の仕草に微笑し、ミズヌシのほうへと歩き出した。
「――姫は、恋がしたかったんですよ。普通に出会って、普通に話して、ドキドキしたり、ワクワクしたり……あの方は、普通の女の子がするような恋がしたかったのです。そしてこの星でその夢が叶ったから、貴方に出会ったから、ご自身の命が危険になっても逃げ出さなかった。文字通り命を賭けて恋に生きようとしたんです」
ミッちゃんはこっちを振り向いて、軽く手を振った。
「姫を狙っているのですから、そちらに手が伸びる事はないでしょう。近くにいる近衛の者に連絡したので、お二人は入口まで非難して下さい……私は姫様付きの侍女として、最後までお側にいないといけませんから……今まで、有難うございました」
僕と迅那は、ミッちゃんの一語一句に反応できないまま、その後ろ姿が小さくなるのを見送る事しか出来なかった。
「今まで有難うって……別れの言葉、みたいじゃないか」
迅那が、絞り出すような声でそう言った。
彼女の性格なら、本当は走っていきたいはずだ。
だけどこんな事……個人の力でどうにか出来るものじゃない。
僕らのように何の力も無い非力な中学生は、ただただ邪魔にならないように遠くで見守りしかない。
…………クーちゃんとミッちゃんを、見捨てるしかない。
「――ああぁぁぁぁっ!?」
非力な僕に、嫌気が差す。
無力な僕に、吐き気がする。
なら、僕より小さい身体なのに、毅然として向かっていったクーちゃんは何なんだ!
微笑を浮かべ、巨大な化け物にナイフ一本で向かっていったミッちゃんは何なんだ!
本当に何も出来ないのか!?
ただ怖くて逃げようとしてるだけじゃないのか!?
我が身可愛さに、僕は言い訳を考えただけだ!!
クーちゃんが命を賭けて恋に生きようとしたんなら、僕はそれに応えるくらいの漢気を見せなきゃいけないんじゃないのかっ!!?
「凛斗っ!?」
迅那の悲痛な叫び声を背中に、僕はいつの間にか走り出していた。
視界は揺れている、走っているからじゃなく、恐怖で揺れている。
――だけど心は、もっと激しく揺れている。
酔ってしまいそうになるその揺れを収めるには、僕は、あの場所に行かなくちゃならない。
クーちゃんのいる、化け物のいるあの場所へ。
「クーちゃんっ……」
強く握り締めた電磁波発生装置の角が、僕の掌に食い込んで痛かった――
阿鼻叫喚、という言葉がある。
阿鼻地獄で泣き叫ぶ様子を言うらしいけど……地獄で響く泣き声は、きっとこんな感じなのかなと思う。
歳も性別も外見も関係なく、観覧車の近くに漂うのは恐怖に支配された人達ばかり。
等間隔にある街灯をへし折りながら移動するミズヌシは、地獄の権化のようだ。
ミズヌシの周りには、恐ろしい程冷酷な顔をした人達がいた。
皆似たようなスーツを着て、サングラスをして、背格好から髪型から、全てが同じの不気味な集団。
スーツの集団が逃げまどう人達にも構わず、包囲しているのは――
「クーちゃん! ミッちゃん!」
僕の精一杯の大声は届かず、まるで一人だけ輪から外されたような感覚に陥ってしまう。
自分がここにいていいのか――浮かんだ疑問をすぐに打ち消して、僕は更に近付こうと走るスピードをあげる。
その時、スーツ集団の一人が僕に気づいたようで、手に持っていた棒のような物をこっちに向けた。
僕は構わず走ったが、振動や衝撃で割れたアスファルトの破片につまずいてしまい、思わず身体が傾いた。
「えっ――」
「ちっ!」
棒を持った手が光った――それが見えた瞬間、頭の上を物凄い速さで何かが通過し、爆音と暴風を背中ごしに伝えてきた。
「あ……っ……」
何が起こったのか、何があったのかまるで分からない。
緩慢な動作で後ろを振り返ってみると、売店のあった場所が――溶けていた。
間違いじゃない、窪んだ場所には溶岩のような液体が溜まり、遠く離れた僕の肌を焼く程の高温を放っていた。
命を瞬時に奪える、殺意の固まりのような物……他人を殺す為の、武器。
さっきまで身体を巡っていた熱は寒気へと変わり、勇気は絶望に飲み込まれた。
(僕は、馬鹿だ……こ、こんなとこに来て何が出来るんだ。僕なんかが、ほほ、本当にクーちゃんを救えるなんて……怖いっ!!)
現実を否応なく見せ付けられた事で、心は簡単に挫かれた。
最初の攻撃を外したスーツ姿の人は、冷酷な顔のままこちらに歩いてくる。
たった数歩の距離まで来ると、その顔は無個性としか表現しようがない。
棒を突きつけ、怯える僕を路傍の石ころのように見下ろして、平坦な声を漏らした。
「逃げる勇気と立ち向かう無謀を間違えたな」
(僕じゃ……無理だったんだ。人間一人の力なんて、たかが知れてる……ゴメン、クーちゃん)
命乞いが無駄だというのは、あの声を聞いて分かりきっていた。
自ら飛び込んだ死地で、何も出来ないまま消えていく……何か出来ると勘違いしてしまった馬鹿な僕の、人生はここで終わる。
目蓋を閉じると、今までの記憶が蘇ってきた。これが走馬灯というやつなのか――色んな場面、色んな人々、楽しかったり悲しかったりした思い出の数々。
――友達か……友達、か……ふむ、悪くはない響きだな。
(……王子)
ふっと脳裏をよぎった言葉は、僕の中にいる、ある友達の言葉。
姿形が違えども、離れられない一心同体の存在。
「死ね」
「……ゴメンね、王子」
何に対して謝ったのか分からないけど、僕の口から無意識にそんな言葉が出た。
直後、真っ暗な視界が明るくなり――
「ぎゃあああああっ!?」
――僕のではない悲鳴が響き渡った。
「……?」
来ると思っていた死の瞬間が、いつまで経っても来ないので恐る恐る目蓋を開ける。
するとそこにはスーツ姿の人が倒れていて、側には見慣れた人の姿が。
「はぁ~い、大丈夫だったぁ凛斗君?」
「……カイマ、博士」
桃色の髪に、同色の瞳。白衣を風に靡かせながら今朝と変わらぬ微笑で、カイマ博士はそこにいた。
眼鏡の奥にある瞳を真っ直ぐに向けて、僕へと歩み寄ってくる。
「危ないところだったわねぇ。ここは危険だから、少~し離れましょうか?」
僕の手を掴んできたカイマ博士の手は、氷で出来ているみたいに冷たかった。
心が、ざわついた。
さっきの危機なんかよりも、動揺が激しくなる。
頭の奥、本能の部分が警鐘を鳴らしていた。
「は、離れるわけにはいきません。僕は、クーちゃんを助けに来たんです!」
何とかカイマ博士の手を振り切ると、僕はやっと自分がここにいる理由を口に出来た。
だけどカイマ博士は、微笑からスーツ姿の人達みたいな冷酷な顔になり、溜め息を吐いた。
「――それで、どうやって助けるのかなぁ?」
「……っ」
「自立型惑星探査機は、どうやら混乱を起こす為だけに暴れているの……でも周りにいる連中は違うわぁ。明確な意志の下に行動している……さっきみたいに無関係の人間を殺す事も厭わないわ」
眼鏡を上げながら、声は冷淡に僕の耳へと入ってくる。
風に乗って漂う桃のようなカイマ博士の匂いに、僕の背筋はまた凍りつく。
「あなたにさっき向けられた物、あれは容器内にある多数の素粒子を撹拌させ、イオンを人工的に発生、超高温化して打ち出されたプラズマ弾よぉ。私達からしたら玩具のような代物だけど、命を奪うには充分……それを防ぐ自信はあるの~?」
「……だからって、クーちゃん達を見捨てるなんてっ」
「あなたの感情云々は聞いてないの、私が伝えるのは――今のままじゃぁ姫様達が死んじゃうって事よ」
「なら、死んでいくのを黙って見てろっていうんですか! 何も出来ないやつは、何もするなっていうんですか……」
僕の声は、きっと涙声になっていただろう。
そんな情けない声しか出せない僕に、カイマ博士は笑いかけてくれた。
でも、なぜだろう――その笑顔から、良い印象は抱けない。
「んん~、そんなに助けたいんなら……良い事教えてあげようかぁ?」
「良い、事ですか?」
「凛斗君が手に持ってるそれ、な~んだ?」
握っているのは、クーちゃんから渡された……いや、そもそも僕に渡すよう頼んだのは……
「これを……僕に電磁波発生装置を渡した意味は何なんですか?」
そこでカイマ博士は笑みを深くしながら、白衣のポケットから何かを取り出した。
僕の目の前に出されたそれは、クーちゃんが見せてくれた水晶の耳飾りとまったく同じだった。
「姫様には内緒で~、発動キーを複製したの。これがあれば、電磁波発生装置を発動させられるわよぉ」
「で、でもこんなの発動しても、何がどうなるって言うんですか!?」
するとカイマ博士は水晶を僕に手渡し、まるで出来の悪い生徒に教え諭すように、楽しげな声で喋りだす。
「人体に悪影響といわれる電磁波はね、変動磁場――つまり振動する電磁波の事なのよぉ。それはDNAの塩基配列をおかしくしたり、成長細胞の細胞分裂時に遺伝子障害を発生させたりするわ。白血病も、骨髄から生み出される白血球が電磁波の影響を受けて発症すると言われてる。もちろん電磁波発生装置なら、そんな危ない電磁波だって簡単に発生させられる。そして君は、今からその電磁波を全身に浴びまくるの~」
「…………え?」
「大丈夫よ~、痛みとかは無いから。ただ、そうねぇ……身体的な変化は表れるでしょうけど」
ちょ、ちょっと待ってほしい。
電磁波発生装置の危険性を言った直後に、それを僕に浴びろなんて意味が分からない。
僕に白血病になれと言いたいのだろうか。
「理由は、電磁波を浴びる理由は何なんですか!」
「つまりね、凛斗君は電磁波の影響を受けて――王子と細胞レベルで融合しちゃおうって事なのよ」
「細胞、レベルで……」
「そうよぉ。王子と凛斗君のDNAは生物学的にまったく違うものなの。だからまずは塩基配列を狂わせ、ごちゃまぜにする。そこで強制的に成長細胞の細胞分裂を促して、乱れて散らばった配列同士を繋げるの。結果新たな塩基配列が組み上がり、今までとは異なったDNAが形成、その情報に従い細胞分裂が行われる、と。これは王子が平行世界ではない別次元にいるから出来る、裏技のようなものだけどね~。多元的宇宙だったら顕現化は疑似でしかなく、質量は伴わないはず。空間深度と歪曲の幅が振り子のように一定ならまだ色々と方法はあったけど、凛斗君の感情によって不規則に変わるから、距離も時間も関係ない電磁波でのアプローチが一番適切だと思ったのよ。さてと――質問はあるかしら~?」
カイマ博士の言葉には、僕が王子と融合する明確な理由が含まれていない。
当然納得のできるものじゃないんだけど……今の特殊な状況を考えると、実は理に適った選択なのかもしれない。
「融合すれば……クーちゃん達を助けられるんですね?」
「それは君次第……でも、こうやって見ているだけの現状よりはマシになるはずよ~」
……カイマ博士の笑顔の奥に隠された真意は分からない、でも僕は、その言葉で決意を固めた。
カイマ博士から鍵である水晶を受けとると、持っている電磁波発生装置が発光を始める。
「水晶をそのまま、装置に埋め込むようにして。そうすれば発動するわぁ……それと、後戻りは出来ないからね?」
楽しげに言うカイマ博士に無言で頷くと、僕は両手に持った二つを近づけた。
数センチの距離になった時、磁石みたいに引き合いが強くなり、触れた瞬間、水晶は装置の中に沈んでいった。
発光は収まり、代わりに耳鳴りのようなものが流れてくる。
いや、響いているといった方が合ってるかもしれない……カイマ博士はいつの間にか消えていて、電磁波発生装置の影響はモロに僕だけが受けているようだ。
音無き音に脳を揺さぶられ、見えない衝撃に視界がぐらつく。
(あ……)
ピキリ――と。
まるで孵化寸前の卵にヒビが入ったような音が、僕自身から聞こえた。
身体は手足の先から髪の先まで歪んで、全てが液体になった感覚だった。
『僕』という人間の基礎がバラバラに弾け、そこに感じた事のない新しい『何か』が生まれる。
身体の半分は炎で焼かれ、もう半分は凍り漬けにされたかのような気持ち悪い感覚が続く……頭蓋骨を叩き割ろうとする程の頭痛で意識が朦朧とし、間に合わない警告を僕に知らせ続ける。
と、不意に手足の感覚が無くなった――だけど手足は付いたまんまで、おかしいなと考え、気付いた。
自分の認識できる感覚の機微が、一部分から身体全体へと変わっている事に。
そして、身体の内側で蠢いている『何か』を……今まででは有り得ない感覚を、確かに感じた。
「う、げぇぇぇっっ!?」
地面に手を付き、胃の中にあった全てを吐き出してしまった。
吐いた物の中に赤黒い何かを見つけ、何だか内蔵のように思えて、また吐いた。
胃液すら出なくなってようやく立ち上がると、涙目で前を見据えた。
「助け、るんだ……」
動かす足が本当に足なのかも判然としないまま、僕は駆け出したーー
「貴様ら……誰に雇われた? どれも同じ顔で、しかし知らん顔ときておる……言え、今ならワシの機嫌を直せるかもしれんぞ」
「……武器を捨てる事をお勧めします」
変化した僕の聴力は、まだ遠く離れた二人の声を余すことなく拾えた。
その声は十数人のスーツ姿達に囲まれているのに冷静で、でも僕には分かる……それが虚勢だという事が。
「聞いておるのか貴様ら!」
クーちゃんの怒声に、だけどスーツ姿の男達は無言のままだった。
僕が目に意識を集中すると、遠い皆の表情が間近に見えた。
さながら双眼鏡のような目で男達を見ると、その顔は不気味なくらい無表情だった。
「雇われてなんていませんよ。我々に金銭など物欲は無く、ただ姫様を捕らえる為に存在するのみ」
やはり特徴のない声。
どの顔が喋ったのかさえよく分からないまま、平坦な声は続く。
「我々は無駄な殺しを命じられていません」
「我々の行動を邪魔する障害には、対抗措置を取らせてもらいます」
「――我々に、大人しく捕まる事を提案します」
男達全員が、手に持っているプラズマ銃(どんな名前か分からないから、仕方なくこう呼ぶ)をクーちゃんに向ける。
ミッちゃんが盾になるように立ち塞がるけど、円の形で囲まれてるからあまり意味はない。
「こやつら、もしや……ミツキ」
「はい」
返事をするや否やミッちゃんはナイフを投げ、一瞬で前方にいた男の喉に突き刺さった。
だけど男は微動だにせず、また刺された箇所からは血は一滴も出ない。
男が無造作にナイフを抜くと、ナイフはまるで何十年と放ったらかしになってたみたいに錆びて、ボロボロと崩れてしまった。
「やはり、有機体の擬体運用か……完全に消滅させない限り、何度でも増殖復元する。媒体が何かしら必要じゃと思うが、しかしこんなものまで用意するとは、ワシはつくづく人気者じゃの」
「……私が特攻しますから、姫はそこから逃げてください」
ミッちゃんが更にナイフを取り出し、視線鋭く前を見た。
そして走り出そうとした瞬間――後ろに回ったクーちゃんから、思いっきり胸を揉まれた。
「うひゃん!?」
驚いた声を出すミッちゃんに構わず、クーちゃんは揉む。揉みしだく。揉みまくる。
「ひ、姫……何を?」
頬を赤く染めながらも冷静に聞くミッちゃんに、「うぬぅ、また大きくなったな」と呟いていたクーちゃんが視線を合わせた。
「ミツキよ、自己犠牲の精神も尊いものじゃが、ワシがそういった事を好いてないのは知っておるじゃろ? ワシを大切に思ってくれるのなら、自分も大切に思ってくれ」
「……そんな事を言っている場合じゃない、と言っても聞いてはくれませんね」
「うむ、二人で切り抜けようぞ!」
ミッちゃんは呆れの溜め息を吐きながら、どことなく安心した目をしていた。
でもそれは、自分の命を投げ出さないで良かったという安心じゃなくて――きっと、付き添う相手を間違えなかった、選択を誤らなかった事への安心。
危機の中、背中を預け、心を安らげて、クーちゃんとミッちゃんは男達を睨みつけた。
「平和的拘束に失敗。これより武力行使へと移ります」
「ふんっ、最初から痛め付ける気満々じゃろうが……やるならやれ、しかし心得よ。ワシは死ぬまで暴れまわるからの!!」
男達の持ったプラズマ銃が光る。
だけど僕はまだ遠くにいて、人間の足で間に合う事なんて無理だ。
――けどそれは融合する前までの話だ。
靴底を破って足の裏から触手を出し、バネのように地面へぶつけた。
高く高く跳躍した僕は、空中で身体を回転させて下の皆に右手を向ける。
腕の皮膚を突き破って現れた触手を、狙いを定めて十数本と伸ばした。
プラズマ弾が発射されるより早く触手は男達の腕を貫き、驚く間も与えず触手の先端を開いて丸呑みにする。
粘液の性質を強酸性に変えると、あっという間に男達はプラズマ銃ごと溶けていった。
「な、なんじゃ……」
急に現れた触手に驚くクーちゃんの目の前に、僕は空中から着地した。
その際の衝撃でアスファルトにヒビが入ったが、僕の再編成された身体はまったくの無傷である。
「……凛斗、様」
驚愕の目で見つめるミッちゃんに、僕は軽く笑いかけた。
「間に合ったね――良かった」
その声は、口ではなく身体の内部から発せられたようで、鼓膜でなく脳に直接意思を伝えていた。
クーちゃんの目が、ミッちゃんの目が、僕の全身を舐め回すように眺める。
それはまるで違いを探すかのようで、今の僕が以前と違っている事に、違和を感じているようだった。
「っ凛々! それは……」
そう言って指差されたのは、まだ握ったままの電磁波発生装置だった。
作動していないのか発熱は収まっており、内部に埋まっていった水晶が表面に浮き上がっている。
触った瞬間、まるで氷細工のような音と共に砕けてしまった。
「うわ、壊れちゃった……カイマ博士に謝らないと」
「カイマじゃと? いや、それよりさっきのは発動キーか? 使い捨ての粗悪品を複製して……発動させたのか」
信じられない、という声色で問うてくるクーちゃん。
電磁波発生装置の危険性は、クーちゃんも重々承知なのだろう。
その声には驚きの他に怒りのような感情も混ざっていた。
そして、なぜそんな事をしたのだという悲しみの感情も……
「凛々っ……自分が何をしたか、わかってい――」
「大丈夫だから!」
クーちゃんの叫び声に被せるように、僕も大声を上げた。
クーちゃんを助ける為に選んだ事で、そんな悲しい声を、聞きたくない……半ば逃げるような心境で、僕はいまだに暴れるミズヌシへと歩みだす。
「大丈夫、だから。僕がやりたくてやった事だし、意外と何ともなかったからさ」
「しかし先ほどの触手は! 別次元でなく皮膚を突き破って現れていたっ……お主は、人の身を捨ててしまったんじゃぞ!!」
――改めて言われた事実に、少しだけ心が揺れた。
でも僕は、それでも笑って、身体に気合いを入れて、顔に笑顔を浮かべてみせた。
「――――後悔は、ないよ」
「……っこの……馬鹿、たれがっ…………」
鉛のように心へ沈んでいくクーちゃんの言葉に、やっぱり僕は笑顔で応えるしかなかったーー
「……ミズヌシを止めるには、地中に伸ばしたコードを切るのが一番です。しかしそれでも内蔵燃料により半日は活動が可能です」
「内部のコントロールルームで、今出されておる命令を書き換えられればいいのじゃが……ミズヌシに入れる箇所は頭上のハッチのみ。人力のみじゃ厳しいものがあるの」
遊園地にいたであろう人達は殆ど避難できたようで、ここにいるのは僕とクーちゃんとミッちゃんだけだ。
ミズヌシは口のような部分から爆弾を吐きながら破壊活動を続けているけど、遊園地からは出ないみたいだし、クーちゃんを狙って暴れている訳でもないので、僕らは作戦を考える事が出来ていた。
「僕が、クーちゃんをハッチのある所まで連れていくよ」
「しかし、ミズヌシの防衛機能が起動していた場合、表面には常時、二万アンペア程の電流が流れておる。生身でこれに耐えられる者などおらん」
苦々しく呟くクーちゃんに、厳しい顔つきのミッちゃん。その二万アンペアの電流がどのくらいなのかは分からないけど……物は試しだよね、うん。
「ちょっと確かめてくる」
「え――なっ、凛々!」
クーちゃんの声を後ろに、僕は空高く跳躍する。
ミズヌシの頭上を軽々越す高さまで上がると、重力に従って身体が地面に落ちていく。
ただ落ちる僕と地面の間には、暴れ回ってるミズヌシがいた。
「凛々!?」
「凛斗様!?」
僕は足裏の触手で、ミズヌシの頭上へと着地した――瞬間、目の前が真っ白になった。
耳鳴りがしたかと思った時には身体が空中に投げ出されていて、受け身も何も取れないまま地面に落下した。
落下の衝撃も感じぬまま、僕の身体はまるで全身を紐か何かで雁字搦めにされたように動かず、視界は依然として真っ白なままだ。
何も見えないし何も聞こえないし、何も感じない。
だけどこのままミズヌシの足元にいたら踏み潰されると思い、僕は必死に意識を集中させた。
すると触手のほんの先端だけ感覚が戻り、それを頼りに遠くへと伸ばし、何かに巻きつけて身体を引っ張った。
触手に引っ張られてミズヌシの足元から脱出できた僕は、どこかも知らぬそこでじっとしていた。
すると徐々に視界や聴覚、身体の自由が戻ってきて、今いる場所が街路樹の近くなんだというのが分かった。
「凛斗様!」
「何をしておるんじゃお主はっ!?」
駆け寄ってくる二人に何とか片手を振ると、クーちゃんから頭を叩かれた。
「い、痛いよクーちゃん」
「お主は死ぬつもりか! 起動しておるか分からんからと言って実際に近づくなど……どこか変なところはないか? 痛いところはどうじゃ?」
全身に針を刺されたような不愉快な痛みはあったけど、それ以外は別に何ともない。
これも王子と融合したからで、そのお陰で僕はミズヌシに近づく手段を思い付く事ができた。
「僕がまたミズヌシに取り付いてハッチを開けるから、クーちゃんはそこから中に入って」
「お主はまた!? あんな目に遭ってもまだ分からんのか!」
「聞いてクーちゃん。確かにさっきは感電したけど、それは準備が足りなかったからだと思うんだ。だから今度は、性質を限りなくゴムやビニールに近い触手を使って、粘液も不純物を取り除いた――純水みたいな粘液を使う」
前に理科の授業で、電流を通さない純水というのがあると教わった。
導体の水から不純物を取り除くと、絶縁体の純水になる……どこまで電流を通さないのか試さないと分からないけど、この身体なら耐えられるはず。
「……理論的には、可能でしょう。触手の生態調査を行った際電流を流す実験もありましたが、触手は理論純水に近い性質の粘液を作り出し、殆ど電流を通さなかったと聞いています。今の凛斗様なら……」
ミッちゃんが僕の意見に賛同してくれたので、あとはクーちゃんだけだ。
「…………」
しかしクーちゃんはしかめっ面で腕を組んだまま、何か不機嫌そうに唸っている。
「これしか方法はないよ。大丈夫、さっきみたいなヘマはしないし、クーちゃんには絶対危ない目に遭わせないから」
「……ワシは危ない目に遭っても仕方のない身じゃ。凛々の話は理解できるところもあるし、ミツキが賛成するのなら安心じゃが……ワシが納得できんのは、そこではない」
クーちゃんはくるりと後ろを向き、表情を隠した。
だからこの時、クーちゃんがどんな顔をして喋ったのか、僕には分からなかった。
「凛々は、いつもワシに優しくしてくれるの……最初のあの時も、じゃからワシは……」
「クーちゃん?」
最初のあの時とは、一体いつの事だろう――それを考えようとしたらクーちゃんがこちらを向き、不敵な笑みを浮かべていた。
「――よし! ワシは凛々を信じる。未来の旦那を信頼せんで、なにが婚約者じゃ。ワシらの愛があれば、ミズヌシなんぞちょちょいのちょいじゃ!!」
愛って……でも納得してくれて、良かった。
方針が決まったんなら、後は実行するまでだ。
僕達はミズヌシの方を向き、最終的な打ち合わせをした。
「まずミツキは電磁波発生装置を使って、コードと本体の連結部に電磁波を照射してくれ。なに、起動させてタイマーをセットしたら投げるだけでいい。そうすれば、一瞬だけじゃがA.Iの集積回路にエラーを起こせるはずじゃ。その間に凛々がハッチを開け、ワシが中に入る……防衛機能が再起動した際は、凛々の触手の力が頼りになる」
ミッちゃんはどうやら相当の機械オンチらしく、書き換えが出来ないばかりか最悪ミズヌシを自爆させかねないらしい。
別にそれでもいいんじゃと思ったけど、半径一キロの物は全てが消滅する威力なんて聞いたら、僕もミッちゃんに任せる事は出来なかった。
「姫……ご武運を」
「ミツキこそ、まだ有機体がいるかもしれんから注意するんじゃぞ――なに、ワシには力強い婚約者が付いとるから大丈夫じゃよ」
「それじゃあ、やろうか」
三人で頷き合い、ミッちゃんはミズヌシの後ろ側、僕とクーちゃんはミズヌシの前側へと走り出した。
まずはミッちゃんが作戦を成功させないと始まらないので、僕達はミズヌシの吐く爆弾に注意しつつ、付かず離れず移動していた。
「そういえば、さっきの『最初のあの時』っていつの事なの?」
移動しながら、気になっていたクーちゃんの言葉について聞いてみた。
するとクーちゃんは一瞬悲しそうな顔をしたけど、すぐに笑顔へと切り替えた。
「……ん、覚えとらんのならいい。別段何かがあったというわけではないし、ほんのささいな事じゃからの」
クーちゃんの態度が気になり詳しく聞こうと思った時――全身を揺さぶるような大音量が響き渡った。
まるで聞いた事のない、奇怪な生物のような鳴き声。思わず耳を塞ごうとした僕に、クーちゃんは腕を掴んでそれを制した。
「ミツキが上手くやったようじゃ。もうすぐでミズヌシの全機能が一時停止する、耳を塞ぐよりやる事があるじゃろう」
「う、うん」
そうだ、僕がしっかりしないとこの作戦は失敗するんだ……僕は足の裏に触手を出現させ跳躍の体勢をとる。
靴裏が破けた靴は、何だか気になったので脱ぎ捨てた。
「それじゃあ……頼むぞ、凛々」
「任せて、クーちゃん」
僕はクーちゃんの肩と膝裏に手を回し、お姫様抱っこをした。
クーちゃんは驚くくらい軽くて、細くて、少しでも力を入れると壊れそうで……僕は大切なものを扱うように、優しく抱いた。
「ふふっ」
「なんじゃ凛々、気色悪い笑い声を上げて?」
「気色悪い!? いや、まさか本物のお姫様をこんな風に抱っこする日が来るなんて、夢にも思わなかったからさ」
そう――クーちゃんやミッちゃん、王子と出会う前の僕は、至って普通の中学生だった。
少しばかり周りの環境が特殊な、それでもごくごく普通の……毎日に張り合いというか、やる気を出せない、普通という毎日に慣れてしまった人間だった。
なのに、突然僕の世界を壊すように皆が現れて……時間は瞬く間に過ぎて、濃密な刻ばかりで。
「……本当に、色んな事があったよね」
「そんな物思いに耽るほど、何かがあったとは思わんがな……それに」
お姫様抱っこの体勢なので普段より近いクーちゃんが、いつもの自信に満ちて輝くような笑顔で、何でもない事のように言った。
「それにまだまだ、じゃろう? 春という季節には桜も見たいし、お花見もしたい。夏には海に行ってワシの水着姿で凛々をメロメロにする予定じゃし、秋は……とにかく、ワシらはまだまだやる事がいっぱいあるんじゃ。ワシらの時間はいっぱいあって――ワシらの刻は、繋がっておるのじゃからな」
「クーちゃん……」
愛おしくなって、たまらず僕はクーちゃんのおでこにキスをした。
触れるくらいの、軽いキス――クーちゃんは最初面食らったような顔をしてたけど、頬を赤く染めながら口を尖らせた。
「むぅ、ワシからやる分には慣れとるが、相手からされると恥ずかしいものがあるの……」
「いつもの僕の気持ち、少しは分かってくれた?」
ほんの少しの、温かな時間……それを打ち砕くように再びの鳴き声が轟き、ミズヌシの動きが完全に停止した。
「凛々!」
「うん!」
クーちゃんの声に返事をすると同時、僕は高く高く跳躍した。
すぐにミズヌシの頭部を越し、着地の際は触手を幾本も出して衝撃を緩和させた。
無事に着地してクーちゃんを下ろすと、クーちゃんは円形に切り込みの入った部分に手を付き、近くにあったパネルのようなものを操作しだした。
「パスワードが変わってなければいいが――よし、開いた! 凛々、あとはもう大丈夫じゃか――」
瞬間、地面が揺れた。僕らのいる地面はミズヌシの頭部で、つまりそれは、活動が再開されたという事で――。
「っクーちゃん!?」
僕が触手でクーちゃんを持ち上げた時、あの時と同じ衝撃が僕の身体を貫いた。
視界を暗転させ、身体を硬直させ、意識を朦朧とさせる二万アンペアの電流――幸いにも触手の性質と粘液によってクーちゃんに電流は届いてないみたいだったけど、代わりに悲痛な声を上げていた。
「凛々っ!?」
「だい、じょぶだ……から」
何とかそれだけを言って、僕はぐちゃぐちゃの意識で必死に考える。
どうする……ハッチはクーちゃんのおかげで開いてる。
後は中にクーちゃんを侵入させるだけだけど、電流をどうにかしないといけない……触手と粘液で電流が防げるのは分かったから、よし。
「凛々、お主何を……」
その声に返事をせず、僕は身体中から更に何本か触手を出して、クーちゃんに巻きつけた。
これは僕も今この場で分かった事だけど、触手の性質を絶縁体に変えられるのは良くて数本。
粘液も絶縁体の触手と一緒に使えば完璧に電流は防げる――だからこそ、それは全てクーちゃんに使わないといけない。
「こんな時に、何をっ……ん……はぅんっ」
「ごめ……ん、粘液を満遍なく塗らないと危ないから、さ」
羞恥に頬を染め、身体をくねらせて逃げようとするクーちゃんに僕は触手で粘液を塗っていく。
服の上からは勿論、ワンピースの下にも触手を潜りこませ、そのきめ細やかな肌に染み込ませるように、粘液をコーティングしていく。
「っ――――――!!」
クーちゃんが何かに耐えるように目を瞑って、身体を小刻みに振るわせた。
クーちゃんの身体から発せられるメスの匂いが一層濃くなり、表情もとろけたようになっている。
「もう、充分……だね」
先ほどから、電流により僕の意識は飛び飛びだ。
絶縁体の触手は全てクーちゃんに回したので、今僕には二万アンペアの電流が直接流れている事になる。
さっきから、自分の細胞が恐ろしい速度で死滅していってるのが分かる……それでも決してクーちゃんを離さず、触手と粘液で電流から守っていた。
クーちゃんに、守られてるっていう意識はないみたいだけど。
「り、凛々……こんな時に、悪ふざけも大概にせんかっ」
「ふざけては、ないんだけど……それじゃ、いく、よ」
「ふぇ――」
呆けたような声を最後に、触手でもってクーちゃんの身体全てを包んだ。
多少息苦しいかもしれないけど、これなら完璧に電流を防げるはずだ。
そのままハッチの開いた入口に突っ込み、中に入った事を確認して、花弁が開くように触手を開いた。
「ぷ、はぁ! 凛々、一体何を――と、ここなミズヌシの中か? という事は、成功したんじゃな!」
クーちゃんの声がする。良かった、無事に侵入できたみたいだ。
僕は力を振り絞ってハッチを閉じた。
これで万が一にも、電流が中に漏れる事はないはずだ。
(あぁ、もう無理かな?)
何気なく思った瞬間、左の耳で癇癪玉が破裂したような音が鳴った。
どうやら鼓膜が破れたみたいで、何も聞こえなくなった。
僕の身体から上がる煙は焦げ臭く、脂肪の焼ける匂いというのに吐き気がこみ上げた。
少しだけ吐いたら、また、赤黒いものだった。
僕の身体は、こうやって人間として必要な器官を捨てて、作り変わったんだろう。
それでもやっぱり……電流が流れ続けるのには耐えられなかったみたいだ。
もう身体は言う事を聞かない。
このまま倒れて地面に落ちれば、まだ助かる可能性はあったかもしれない……でも僕がいるのは一軒家ほどの大きさをした頭部の中央だ。
このまま倒れても落ちる事は有り得なかった。
(迅那は無事に逃げられたかな? ミッちゃんは無事かな? クーちゃんはちゃんと止められる、かな……柚子ちゃん、出来ればもう一回、会いたかったな)
心配は尽きる事がないけど、そろそろ意識も保ってられなさそうだ。
ゆっくりと膝が曲がって、そのまま倒れかけた時――何か細長いものが、僕の身体に巻き付いた。
「まったく~、ここで死なれちゃ実験の意味がなくなっちゃうじゃない。最後の『仕上げ』を待たずに途中退席は許さないわよ? 凛斗君――」
何だか聞き覚えのある、桃のように甘ったるい声が脳内に響いて、僕の身体はどこかへと引っ張られる。
意識はそこで、完全に途絶えた――
~包み隠さない気持ち・完~




