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〜変われない学校生活〜

冬の朝は、清々しいくらいの陽光と小鳥のさえずりで始まった。窓にはたっぷりと水滴が付き、外と部屋の中の寒暖差を現しているようである。

 僕は寝ぼけ眼で曇った窓を見つめながら、低く唸りをあげ続ける暖房のスイッチを切った。


「……あれ?」


 起き上がった時に、身体に掛けられていた毛布がずり落ちた。けど、自分が眠った時に掛けた覚えはない。

 毛布の絵柄を見て、その掛けてくれたであろう人物『達』の見当はすぐに付いた。


「クーちゃん、ミッちゃん……」


 小さい頃に大好きだったアニメが描かれた毛布、未だに僕はそれを使っている。もちろん、自室で。

 様子見か夜這いかは分からないけど(パジャマは乱れてないので、後者の可能性はないと思う)どちらかが僕にこれを掛けてくれたんだろう。そう思うと、不思議と心が暖かくなった気がした。


「あらおはよう~。ていうか、こんな朝早くから何してるの?」

「おはよう母さん。昨日は僕、ここで寝たんだ」


 起きてきた母さんが挨拶と共に不思議そうな目で僕を見る。まだ眠いのか、目蓋は半開きのままだ。


「何でまた……って、あぁ、何となく予想は付いたわ。我ながら情けない息子よねぇ」

「ご、ごめんなさい」

「……まぁそれが凛斗らしいから、いいんだけどね。とりあえず着替えてきなさい」


 溜め息を吐きながら笑いかける母さんはどこか呆れてて、でも、その表情は優しかった。

 素足に触れた幾何学的模様の絨毯は陽光に照らされ仄かに暖かく、うさぎの頭の付いたスリッパも、履くと優しく素足を包んでくれた。

 何となく世界中が優しくしてくれている気がして、僕は上機嫌で自室へと向かった。

踏む度に『うに゛ゅうっ』と鳴き声のようなものを上げるスリッパうさぎを、何となく可哀想に思いながら僕は部屋の障子を開けた。


「二人共、おはよ――」

「っ!?」

「おはようございます、凛斗様」


 ――僕は、鳩尾辺りにドロップキック(正式名称はフライング・ドロップ・キックらしい)を食らう寸前、クーちゃんの褐色の肌に白い下着は映えるなぁと場違いな事を考えていた。


 あと、朝ご飯を食べる前で良かったとつくづく思った。









「まったく朝からサカるのもいい加減にしてほしいわい! ワシとて四六時中、いつでも準備OKではないんじゃからな!!」

「姫、ご飯粒が飛んでいます」

「お約束な事をするわねぇ、凛斗は」

「お姫様、凛斗を責めないでやって下さい。朝から元気なのは男の性なのですよ、かくいう僕も若い頃は――」

「やだ勇斗さん、今は食事中よぉ~!!」


 …………はぁ、何だろ。

 朝からのこのテンションは、さすがに二週間経った今でも慣れない自分がいる。

 あんまり喋りたがらない性格もあるんだろうけど、父さんと母さんの変わりっぷりを見てると気持ちが落ち着かない。

 クーちゃん達が来る前は、二人とも全然僕を見てくれ――


「こりゃっ!」

「って目潰しぃっ!?」

「まったく、ワシを無視しておるとはいい度胸じゃのう、凛々? いつものワシはお淑やかであるが、“今日のワシ”は獰猛な肉食獣の気性じゃぞ!!」

「お、お淑やかって、いつも発情期みたい……」

「失敬なっ!」

「ブレイジング・チョッぐふぅ!!?」


 こ、このままじゃあ学校に行く前にクーちゃんに殺されてしまう……。

 というかミッちゃんも、そんな無表情で焼き魚を食べ続けてないで助けてよ!


「ミッちゃ――」

「残念ながらもぐもぐ、この状態の姫は私でもごくん……止められません。すみませんおかわりを」

「僕に謝ったと思ったら違った!? って母さんも満面の笑みでご飯よそってないで!!」

「諦めるんだ凛斗、男は女性に服従してこそ喜びを抱けるんだかゲップゥ」

「納豆臭っ! 父さん臭いよっ!!」


独特の匂いを吐き出す父さんから離れ、というかテーブルの席を立ち、朝ご飯もそこそこに僕は通学鞄を手に取った。

 外れていた襟の前ホックもしっかり閉めて、それじゃと言って歩き出す。呼び止められたって止まらない、お腹も満足に膨れてはないが、学校の購買で昼ご飯を多めに買えばいいだけだ。


「こりゃ、まだ話は――」

「姫、我々も準備をしないと」

「……う、うむ」


 納得しきれていないようなクーちゃんの声を背に、履き慣れた革靴に足を埋める。最初は靴ずれが酷かったけど、今は素足で履いても大丈夫である。


 ……この靴みたいに、あの朝ご飯の場にも慣れる事はできるのかな?


 答えの出ない自問が浮かんだ時、ふと周りに漂う甘い匂いに気が付いた。視線を少し動かせば、靴箱の上に数種類の果物の盛られた籠があった。

 誰がいつ持ってきたんだと疑問に思ったが、お腹が満足に膨れていないのとその匂いに釣られて、手前に置いてあった桃を掴んでみる。

 思わずかぶり付きたくなったが、さすがに皮付きじゃ無理な気がする。

 ……『あの場所』だったら、きっと食べるの許してくれるよね。


「誰か分からないけど、いただきます!」


 桃を鞄に入れると、果物籠をくれた誰かにお礼を言って僕は外に出る。

 大きな門は父さんの迎えの車を入れる為に開いていて、黒塗りのリムジンの横に立っている小さな人物を見つけて僕は声をかけた。


「柚子ちゃん、おはよ――」

「遅いっ!!」


 本日二度目のドロップキックは、的確に僕の鳩尾へと突き刺さったのであった――









「私、あの人苦手……」


 マフラーに半ば顔を埋めるようにしていた柚子ちゃんが、僕の学生服の裾を掴んで小さく呟いた。

 誰の事を言っているかすぐに見当はつき、僕は苦笑しながら返事をする。


「ラングさんはちょっと恐い顔をしてるから……でも、悪い人じゃないはずだよ? クーちゃんの護衛長だった人だから、人柄は信用できるはずだし」


 僕に近づく時、柚子ちゃんが視線を合わせないようにしていた大柄の男――ラングさんは、元々はクーちゃんの護衛に仕えていた人達の一人だった。

 ただ家に居候するには人数が多かったので、ミッちゃん以外の人は町の色々な場所に移動している。その中で護衛長のラングさんは、父さんの専属運転手兼秘書をやっていた。


「私は、中西さんのほうが好きだったな」

「……仕方ないよ、身体壊しちゃったらしいし。手紙じゃ元気みたいだったから心配はないみたいだけど」

「…………二週間前までの家のほうが良かった」


 そんな拗ねられても……でも、柚子ちゃんからしたらクーちゃんやミッちゃんの存在は嫌なのかもしれない。

 中西さんとも、まるでお爺ちゃんと孫って感じで仲が良かったし――今の状況を快く思わない人も、やっぱりいるんだ。


「僕は――変わんないからさ」

「うん、約束」


 裾を掴んでいた手を握ると、か細く冷たい指は握り返してくれた。昔から、それこそ柚子ちゃんが生まれた時から僕らは一緒で、悲しい時や辛い時はいつも二人で乗り越えてきた。

 僕の周りは変わって、色んな人が増えたけど……柚子ちゃんの周りは、今も僕だけなんだ。


「そうだ、今日夕ご飯食べたら泊まれば? 母さん柚子ちゃんと寝るの好きなんだって」

「……私は凛斗兄と寝たいもん」

「え、何?」


 最後の言葉がよく聞こえなかったので聞き返したら、柚子ちゃんは無言で僕のふくらはぎをローキック。

 ……うん、冬だと痛さが倍増だ。


阿江吟町に唯一ある小学校は、また唯一の中学校と隣接して建てられている。

 出来るだけ通いやすい場所にと、どうせなら一緒に建てようと考えられて(校長の話の時に、いつも聞かされている)そういった風になったらしいけど、まぁ僕と柚子ちゃんからしたら良い事だと思う。

 歩いて数十分の距離は話していればすぐで、僕らはもう校門前に着いていた。柚子ちゃんは離したくないように手を握ったままだったので、僕は苦笑しながら頭を撫でてやった。

 昔から、柚子ちゃんに機嫌を良くしてもらうにはこれが一番なのである。


「最近は特に寒いから、昨日みたいに待ってなくていいよ? 中学だと時間がだいぶ違うし」

「私の勝手だからいいの。凛斗兄は放課後のチャイムと同時にダッシュすればそれでいいの」


 何とも自分勝手……ではなく、それが柚子ちゃんの照れ隠しなのは充分理解している。

 僕はもう一度優しく頭を撫で、柚子ちゃんが小学校の校舎に入っていくまで見送った。見えなくなってから、さて僕も校門をくぐろうとしたら――


「……朝から何してんだよお前は」

功介こうすけ、おはよう」


 冷めた口調で喋りかけきたのは、僕の数少ない友人の一人である功介だった。

 毬栗みたいに逆立った髪は毎日ワックスで固め、眉毛はシャーペンの芯のように細い。いや、言い過ぎか……シャーペンの芯二本分くらいだ。

 ただ顔は男子としては可愛いほうなので、まったく恐くない。むしろ微笑ましい?


「おい! なんか俺に対してナメた事考えてんだろ?」

「うん、考えてる」

「即答かよ!? つうかお前なんて恥ずかしすぎるからな! なに朝っぱらからイチャイチャしてんだごらぁ!!」

「あっそうか、功介は柚子ちゃんが好きだっ――」

「ぎゃあああああっ!!?」


 ――こんな風に、僕が唯一弄れる相手が功介だ。いつもは弄られる側で突っ込みだから、何かすごいリフレッシュされる。


「友達にはもっと優しくしろやぁ……」

「そうだね、なら風邪ひかない内に教室行こうか?」


 身体を落ち着けるにはいいけれど――心を落ち着ける事はできない、教室に。

別に、苛められているわけじゃない。クラスの雰囲気はいいし、クラスメイト同士の仲も良い。

 僕や功介だって、よくクラスメイトに話しかけられるし、でも。


「……おはよう」


 ――ピーン、と。

 僕と功介が教室の扉を開けた瞬間、まるでその空気が凍りついたかのように、皆のざわめきが消える。


「おはよう、夜蔓君」

「おはよう、錐嶋きりじま君」


 その静けさは一瞬で、すぐさま皆は笑顔で挨拶をしてくれる。


 ただ、とても余所余所しいんだ。


 まるで腫れ物か壊れ物に触るように、機嫌を損ねないように気を使っているのが見え見えだった。クラスメイトの笑顔の下にどんな顔をしてるか考えた時……僕は恐くて震えた。


「顔、下に向けんじゃねえよ。どんな挨拶にしろ、返すのが義理ってもんだろ」


 僕より身体の大きい功介に押され(顔は可愛い系のくせに)、僕は俯きかけた顔を笑顔にして皆に挨拶を返していった。

 ――夜蔓家は、この町では有名な大地主の家だ。また、何代も前から地方議員をやっていて、阿江吟町での影響力もかなり大きい。

 そんな家の一人息子……気を使われて、当然か。


「おっ、迅那じんなも来てんじゃんか。挨拶も返さねえなんて相変わらず無愛想なやつ」


 こうやって明るく喋っているけど、功介の家だってこの町じゃ特殊だ。

 『錐嶋一家』――この辺りじゃ知らない人がいないくらい有名な、いわゆる極道の人達である。

 功介の家はその錐嶋の分家らしいんだけど、本人曰わくややこしくてよく分からないそうだ。だけど名前というのは強いもので、どんな関係であれ功介に近づこうとする人はいない。

 それは、夜蔓家の名前に萎縮して僕に気を使うのと、よく似た環境だった。


「……だから僕達は、友達になれたんだろうな」

「あん、なんか言ったか?」

「何でもない、聞いてほしくない」

「な、なんだよそりゃ」


 担任の先生が気を使って(これも家の名前が関係していると思う)、僕と功介の席は前後になっている。窓際の一番目と二番目、そしてその列の最後尾。


「よぅ迅那、いるんなら挨拶返せよな」

「おはよう、迅那」


 そこにいるのは、僕らと同じく――いや、僕らより酷い目にあっている少女だった。


「……私は読書中だ。失せろ」

「挨拶の代わりが暴言ってお前……何の本を読んでんだよ?」

「……いい加減にしないと斬るぞ」


 切れ長の目に、墨を垂らしたような長い髪。すごく綺麗で、同級生に見えない時もあるんだけど、この子――望月もちづき 迅那じんなは紛れもなく僕と同い年だ。

 ただ、今まで一度も笑ったところを見た事ないし、いつも肌身離さず持っている濃紫色の刀袋は、ちょっと異様である。


「お前はすぐそう言う事を……凛斗、パス。こいつお前じゃないと心開かねえ」

「まぁ功介は口臭いしね」

「んだとごらぁ!」

「くはいから喋んないへー」

「って鼻つまんで喋んなやぁあ!!」


 と、いつもの功介弄りもここまでにして。


「迅那は何読んでたの?」

「…………」

「迅那?」

「………………」

「おぉーい」

「……………………コレ、だ」


 たっぷり数秒の無言があって、ようやく迅那が返事をしてくれた。ただそっぽを向いて、決して目線を合わせようとしてくれない。


「……ごわしょ?」

五輪書ごりんのしょ、だ……その、宮本、武蔵の…………」

「あぁ、何か聞いた事あるなそれ。ってどんだけ剣術好きなんだよお前は――」

「黙れ三下」


 何か迅那も功介の扱いに慣れてきたな……半年くらい絡んでたら当然か。


「迅那は本当に、そういうの好きだよね」

「す、すっ……ききっ!?」

「分かりやすっ!」


 あっ、迅那が刀袋の留め紐を解いた。スルスルと中から使い込まれた感のある木刀を取り出して――って。


「ストップ迅那! さすがにそれマズいから!!」

「なっ、ちょっ、くくくくっつくひゃん!?」

「……ひゃん?」


 何だろう、肩を抑えただけなんだけど。顔が、すごく赤い。


「まさか風邪っ!? 迅那大丈夫?」

「すげぇなこの鈍さ……いや、何か逆に悲しいな」


 僕と、功介と、迅那。

 この教室で、いやこの学校で。僕が気を許せるのはこの二人と、あと一人しか居ない。


 ……違う、『アレ』は人じゃないや。


「おーい、お前ら席につけぇ」


 声が聞こえて振り向けば、担任が扉を開けて入ってきていた。朝のHRを始めるらしく皆を面倒くさそうに注意しながら、ふと僕と目が合うと愛想笑いを浮かべる。

 ……僕は今までの高揚が嘘のように気持ちは下がり、担任と目線を合わせたくなくて俯いて席に戻った。

 僕の気持ちなど関係なしに(それはそうである)HRは始まり、でも僕の耳には膜がかかってるのか、うまく聞こえない。

 目線を自分の机に合わせたまま動かさず、早くこの時間が過ぎればいいと思った。

 学校という苦痛の時間を、早く終わってくれればいいと願う。


「――こりゃっ!」

「痛いっ!?」


 ――その声は、その言葉は。

 すんなりと僕の耳を塞いでいた膜を突き抜け、驚きと新鮮さを与えてくれたあの人の声で喋りかけてきた。


「ワシが自己紹介をしとるのに聞かんとは何事じゃ! チョークでなく次は黒板消しにするぞ」

「…………」

「なんじゃその素っ頓狂な顔は。ワシがここにいるのが信じられんといった顔じゃの?」

「…………クー、ちゃん?」

「うむ、お主の許嫁、リカルニタ・オロ・クチャロベルカことクーちゃんじゃ! さぁ驚け! そして惚れ直せ!!」


 いや惚れてませんから。

 ――じゃ、じゃなくてっ!!


「何でここに……だってまだ水戸黄門のDVDは……」

「馬鹿たれ、あんなもん当の昔に見終わったわい。今は遠山の金さんじゃ――と、お主とラブラブしとるんじゃ家と変わらんの」


 まだまだ疑問で頭一杯の僕から視線を外すと、教壇に両手をついてクーちゃんは最大級の……不敵な笑みを浮かべた。


「さっき言った通りワシの名前は、まぁ長いからクチャロ姫と呼ぶ事を許してやぞい。しかしクーちゃんはいかん、あれは凛々だけじゃ。他の者が呼んだら首が飛ぶから覚悟しとけ。さて、知ってる者もいると思うが、ワシは宇宙人じゃ。そして姫じゃ、ついでに言えば、この星の言語は水戸黄門と昼ドラで覚えた――」


 つらつらとクーちゃんの自己紹介が始まってしまった。

 僕の口を挟む余地は無し、というかクラスメイトからの時々向けられる視線がすごく痛い。


「おい、凛斗」

「功介……」

「あれが噂のお姫様か? 意外と小せいなぐはぁ!?」

「功介ぇっ!!?」


 突如飛来した細長い物体が額にクリーンヒット。功介はそのまま机上に突っ伏してしまった。

 砕けた飛来物を見ると、案の定チョークだった。しかも新品。


「ワシの話を聞かんからじゃ。と……次は黒板消しと言ったよのぉ、凛々?」


「ままま待って!? そうだミッちゃんは! ミッちゃんが見当たりませんけど何処にっ!!」

「知・ら・ん」

 何ていう綺麗なフォーム……じゃない豪速球!

 触手を出して『バレたくない』し、もう駄目だ――

「……させない」

「えっ?」


 それは一瞬の出来事だった。

 飛んでくる黒板消し(もはや速すぎて形が認識できなかった)を一振りで叩き落とし、その際発生したチョークの粉が土煙のように舞い、そこにはあの子が立っていた。


「迅那……」

「凛斗は傷付けさせないぞ、物の怪……」

「…………凛々、誰じゃそいつは?」

「――えっ僕に聞くの!? えっと、友達の迅那っていうんだけど」

「よく分からん」

「なら聞かないでよ!?」


 クーちゃんは笑みをより一層不敵なものにして、どこから取ったのか大量のチョークを両手に持ちながら迅那を見た。


 …………あ、何かヤバいかも。


「初めまして、凛々の友達! の迅那よ。ワシは凛々の許嫁! のクチャロ姫じゃ。特別にそう呼ばせてやる」

「……凛斗、許嫁って……本当なのか?」

「また僕!? い、いやあれはクーちゃんが勝手にというか親が勝手に決めたというか」

「まだそんな事を言っておるのかお主は! 昨晩はあんなに愛し合ったではないか!!」

「本気で変なねつ造止めてくださいっ!?」


 僕へのクラスメイトの視線が痛いものに変わる中、二人は以前睨みあったまま。

 と、迅那が小さな声で呟いた。


「そんな身体じゃ……凛斗は満足しないぞ」

「誤解招くよねその発言!!」


 そしてこの一言で、クーちゃんに火が付いた。

 一番火が付いちゃいけない日に(別にダジャレではない)、火が付いてしまった。


「よし死ね、というかワシが殺してやる」

「……やれるものならな」


 その後はもう、乱打というか連打というか。チョークが飛んで弾かれた破片が飛んで、辺り一面粉まみれにしている。

 被害が大きいのはクーちゃんと迅那の間にいるクラスメイト達で、けど混乱は周りにも伝わっていく。

 担任も止めようとするがまったく効果無し、面倒くさそうに見たり興味本位で見ているクラスメイト達もいるけど、誰も二人を止めようとはしない。


「…………」


 こうなったのは少なからず僕が原因でもあるんだけど、しかし収拾させる力は僕にはない。

 それとクーちゃんの登場で忘れていたけど、今になってお腹の虫が騒ぎ出した。このままだと授業中にお腹から鳴き声を上げる事になり、そんな恥ずかしい事はちょっとばかり勘弁したい。

 仕方ない、うん仕方ないんだ。


「先生」

「こらお前らいい加減にぃ……な、何だい夜蔓君? 私に何か用かな」

「ちょっと、具合が悪いので保健室まで行ってきます」

「し、しかしこの状況はっ」

「大丈夫です、先生なら解決できますよ」


 形ばかりの反論をしても、結局は言うとおりにする先生。それに甘えていないといえば嘘になる。

 名前の権力を使っているのも、事実だ。

 でもそれが……一番楽なんだ。

 繕われた笑顔を向けられるんなら、僕だって酷く、自分勝手に、皆の畏怖するような『権力を持つ者』になればいいんだ。

 自分でもよく分からない自己弁護は更に気持ちを落ち込ませるけど、今はそんな感情を無視して教室を出る。

 学校で唯一心を許せる、保健室へと僕は足を向けた――








教室から漏れる喧騒を後ろにしながら、朝のHR終わりで生徒の溢れた廊下を僕は歩く。

 密かにポケットに移しておいた桃の匂いが微かに鼻まで届き、すると身体の力が急に抜けてしまった。

 なぜ急に、と思う間もなく身体は傾き、ちょうど教室の扉近くに集まっていたグループへと、頭から突っ込んでしまった。


「おわっ!?」

「痛っぇなオイ!?」

「……何してくれてんだよ、お前」


 そのグループはどうも不良の人達ばっかりのようで(髪型と眉毛が見事に決まってうるし)、僕は慌てて身体を起こし謝った。


「……お前、確か夜蔓だよな?」


 その中でも一番体格が良い人が、思い出したように僕の名字を言った。途端にグループの人達全員の顔色が変わり、気まずい空気が辺りに漂う。


「そうかそうか……行けよ。俺らは別に怒ってねえからよ」

「あ、有り難う……」


 リーダーなのだろうか、彼の発言に反発する人は誰もいない。

 僕はもう一度皆に謝ってからその場を去った。ここでもまた名前の影響があった事に、少し胸の痛みを感じながら。


「そうか、あんなのが――」


 後ろから聞こえたさっきの彼の声は、周りの喧騒を抜けてなぜか耳へと届いてきた。

 しかしその意味を考える前に、辺りはまた喧騒に包まれる、僕は訝しみながらも廊下を急いで進む。一時間目まで掛かっては、何を言われるか分かったもんじゃない。

 それに功介や迅那、クーちゃんも心配するはずだ。


「おはようございます、センセ――」


 保健室の扉を開けながら、いつものように挨拶をした僕は――言葉の途中で固まった。

 具合の悪い生徒が来た時のために、暖房の効いた部屋。少しだけ消毒液臭い、匂い。

 全体的に白で統一された保健室に、いつもなら居ないはずの『先生』が……違う、見慣れたあの人を見つけてしまったんだ。


「ミッ……ちゃん?」

「凛斗様、どうかしたのですか?」


 メイド服に白衣を着たミッちゃんが、普段なら誰も座っていない椅子に腰掛け、保険医でも付けてないような聴診器を首から下げていた。


「な、な、なな何してるのこんな所で!?」

「保険医、です。勇斗様と凛子様のはからいで姫が転入できたのですが、心配なので私も入れてもらったのです。生徒は無理でしたので、空席らしい保険医に」

「なっ、えっちょっと待って! ……頭がこんがらがってきた」

「つまり、今日から姫は凛斗様のクラスメイト。私は優しき保険医という事なのですよ」


 …………何なんだよ、それ。父さんと母さん、そんな事してたのか……全然気付かなかった。


「それよりも凛斗様」

「もうちょっと待って。まだ心の安定が保ててないから」

「はぁ、それなら仕方ないのですが……“コレ”は一体何なのでしょうね?」

「ってぇセンセーーッ!?」


 ななな何をさっきから弄くってると思ったら!? センセーが凄くグッタリしてるし!!


「ミッちゃん、センセーを今すぐ離して! その方は僕の人生の先輩みたいな方なんだ!!」

「いいですが、この人形変に生暖かいというか……それより先輩とは、まさかこの“人形”がですか?」

「尻尾持って振り回さないでぇ!!?」


 僕は猛ダッシュでミッちゃんに走り寄り、その手に握られていたセンセーを奪取する。

 黒猫の形をしたセンセーは人形らしく無表情で固まっていたが、僕が手にした途端大きく息を吐いた。


『っがぁぁ!? あ、あともうちょいで死んでまうとこやったわ!!』

「センセー、だ大丈夫ですか!」

『いやぁ助かったで凛斗。あの姉ちゃん綺麗やのに人形に容赦ないんや。ワイの自慢の尻尾も千切れるとこやったわ』

「……人形が、エセ関西弁で喋ってる」

『あぁ!? 姉ちゃんエセとは何やエセとは! これでもワイは百余年の年月を生きる大妖怪――』

「凛斗様、この胡散臭い人形は何なのです?」

『無視かいなぁっ!?』


 人形では有り得なく跳ね回るセンセーを無視して、ミッちゃんがこちらを見る。確かにセンセーの事は説明が必要だなと、僕は以前教えてもらった事を口にする。


「えっとですね、センセーは何年も昔から生きる妖怪らしいんです。元々は凄い力を持っていたんですけど、この町に来た時に……退魔師だったかな。そんな人達に封印されて、以来人形の身に宿っているらしいです」

「妖怪、そんなリアリティの欠片もない存在が……」

『誰が空想の国からこんにちわや! 封印をかけた望月家のせいで、ワイは人形から人形にしか移し身できへんし、力もめっちゃ減ってしもうた。最初は封印の祠に居たんやけど、流れ流れて今はなぜかこの保健室におる。いわばワイはここの主――』

「なぜ凛斗様はエセ関西弁の事を知っていたのです?」

『やからエセゆうなやぁぁあっ!!?』


 センセーの悲痛な叫びは完全無視のミッちゃんの質問に、ふと当時を思い出してみた。

 あれは――うん。

 王子と出会って初めて登校した日の事だった。


「僕……よく保健室を使ってるんだけど、触手に寄生されて初めて登校した時もここに来たんだ。その時に偶然触手が現れちゃって――」

『あぁ、それでワイを叩き落とした日なぁ。あれは痛かったわ、んでワイも驚いたし怒ったしで文句言うてもうて、それが正体教えてまうキッカケやったな』

「エセには聞いてませんので。しかし、やはり触手ですか……」


 センセーに辛辣な言葉を言った後、ミッちゃんは俯き何かを考えるように黙り込んでしまった。

 どうしたのだろうと思っていると、ミッちゃんは視線を上げて僕を見据えた。


「やはり……触手は凛斗様にとって有害なのですね」

「――――っ」


 ――僕はその時、すぐに違うと言う事ができなかった。なぜかは分からない、王子に寄生されてから僕の周りは、うるさいながらも楽しいものに変わった。

 楽しくなったはずなのに、すぐには声を出せなかったんだ。



 ――二週間前までの家のほうが良かった。



 ふと、柚子ちゃんが今朝言った言葉を思い出した。

 それはまるで僕の口を塞いでくるように、喉から出かかった言葉に歯止めをかける。


「こんなエセと出会わせてしまい、本当に申し訳ありません」

『って待てやぁ!? ワイの事で謝っとったんか! ワイそないに迷惑な存在ちゃうぞ!!』

「……本当に申し訳ありません」

『やっぱ無視かいなぁーっ!!?』


 ミッちゃんの言葉はセンセーの事だけに触れているけど、本当は今までの全ての事を言っているんだろう。

 心では否定の言葉が出来ているのに、口から出たのは、小さな頷きの声だけだった。


「……うん」

『って凛斗もかぁいっ!?』


 センセーの叫びは虚しく響いて、保健室はそれから静かになった。暖房の吐き出される音が嫌に大きく聞こえ、扉の向こうから生徒達の声が耳に届く。


「……そ、そういえばクーちゃん、今日はまた一段と好戦的でしたよ?」


 この時間に耐えられなかった僕は、わざとらしく大きな声でそんな事を言う。

 ミッちゃんもそれに合わせてくれるようで(こういう無意識の心配りに、僕はよく助けられる)固まっていた無表情を僅かに緩ませながら返事をしてくれた。


「……そうでしょうね。週一の姫の“あの日”は、人格が入れ替わるようなものですから」

「それでも今日は、いや迅那も悪いんだろうけど怖かったです」

『おい』

「いつもは精力豊富で発情していますが、週に一度その精力が無くなる日があります。多分その一日で精力の回復をしてるんだと思いますが……辛く当たるのは愛情の裏返しだと思ってください」

「け、けっこう難しいですねそれ」

『おいって』

「それよりも凛斗様、もうすぐ一時間目が始まると思いますが、どうしてここに? 失礼ですが具合が悪そうには見えませんが」

「あっ、実はお腹空いちゃって。靴棚にあった籠からコレを持ってきて、ここで食べようかな~、なんて」

「桃、ですか? はて、そういった籠は無かったように思いますけど……」

『おいっつっとるやんけお前らぁぁっ!!?』

「…………」

「…………」

『もうちょいワイに分かる話しろや!? ていうかクーちゃんとか誰やねんっ飲み物のマスコットか! ってんな訳あるかぁ!! ワイは百余年生きとる大妖怪やのに、もっとこう尊敬の念というものをやな――』

「籠は母さんが片付けたのかも。食べてもいいですよね、桃?」

「仕方ありませんね」

『やっぱ無視ぃぃぃいいーーっ!!? あかん、ワイ人形の身やのに涙が出そうや……』


 一人会話を楽しんでいるセンセーを尻目に、僕はポケットに入れていた桃をミッちゃんに渡す。

 それを一通り観察すると、ミッちゃんは突然スカートをたくし上げた。


「そんなに見つめちゃいやん、なのです」

「すすすすいませんっ!?」


 結構際どい所まで上げられたスカート(目を離せられなかったのは男の性なのだ)、そこから覗いた大腿部にはベルトが巻かれ、鈍く光るナイフが何本も差してあった。

 ……それを考えると、昨日の晩はよく怪我をしなかったなと思う。ミッちゃん曰くナイフは至るところに隠しているらしいから、例えばあの谷間とかにも――


「凛斗様?」

「っ!? は、はい!」


 名前を呼ばれ、初めて僕は何を考えていたんだと思い返す。

 それまでは僕じゃない『何か』が思考を操作していたみたいに、昨日の胸の暖かさ、感触を鮮明に思い出していた。

 今日は本当に変だなと頭を振りつつミッちゃんのほうを見たら、綺麗に剥かれた桃が皿に盛ってあった。食べやすいようにカットされたそれを見ていると、知らず口内に涎が溜まる。


「一応毒味もしましたが、普通の桃のようです。一時間目が始まりますから、早くお食べください」

「あ、有難うございます……」


 桃を取るものが無いからとミッちゃんからナイフを借り、それで桃を刺す。白色の身に淡いピンクの皮の色が乗り、匂いは更に強く鼻をくすぐる。

 刺した時の柔らかい感触も滴る果汁も、全てが僕の食欲を刺激し、食べろという電気信号を手へと伝える。


『……ん。凛斗、食うんはちょい待て』


 センセーの制止の言葉が聞こえたけど、もう僕の手は止まらない。

 そのまま運ばれた桃は口内に消え、繊維質な果肉と果汁を口いっぱいに感じながら僕は幸福を感じた。

 飲みくだし、食道を通過するのにも形容し難い幸せを感じる。


 ――そして、僕の心臓は破裂した。











「――――っ!?」

「……凛斗様?」


 いや、それだと語弊を生んでしまう。正確には心臓が破裂したように脈動した、だ。

 激しく運動した後よりも強く、強く。血液を送り出す筋肉の塊は暴れまわる。


「……が……あぁ」

「どうしました!?」


 僕の異変に気付いたミッちゃんが近寄ってくるも、多分もう遅い。


――ほら。


「ああああぁぁぁ!!?」

「!?」


 身体は燃やされているように熱いはずなのに、思考はいやに冷めていた。

 自分の背中から学生服を突き破り現れた大量の触手に視線を向けながら、本能の赴くままに触手をある方向へと向ける。


「……凛斗、様?」


 表情を引き締め、弱々しくミッちゃんが僕の名を呼ぶ。だけど今の僕は、僕であって僕じゃない。欲に――性欲に捕らわれた化け物だ。


「あ、あ、あぁ……」


 ゆらゆらと揺れる視界に、今まで見た事のない触手が映った。地球上の造形とは異なった醜悪さで、細かな痙攣を繰り返している。

 生肉のような色から枯れ木色、様々な色が混ざり形容できなくなった色。ビー玉大の肉腫が付いたものや血管の盛り上がったもの、先端から蛇の舌のようなものが何本も出てくる触手もある。

 そして全ての触手にいえるのだが、それらは人間の二の腕程の太さをしていた。


「……この匂いっ!?」


 いち早く気付いたミッちゃんは息を止めたようだけど、もう遅い。

 粘液の催淫効果は、もう保健室の隅々まで行き渡っているのだから。


「あ――な、何、これ?」


 最初は戸惑いの言葉。急に床にへたり込んだミッちゃんは目を見開き、小刻みに震えだす。

 すぐに頬は紅潮し、ミッちゃんのへたり込んだ床は見る間に水溜まりを作っていく。


「だ、めぇっ! とまんないっとまんないぃぃっ!!」


 ガクガクと身体を震わせながら、壊れた人形のようにそれだけを叫ぶ。水溜まりは瞬く間に広がり、床に付いていた白衣はその液体に濡れた。


「……あ……あ、あぁ」


 もはや言葉すら喋れない僕は、途絶える事なく果てるミッちゃんに優しく触手を絡ませた。肌に触れただけでミッちゃんは更に震え、触れ合った僕の脳髄には電流が走る。


「――んぶぅ!?」


 本能のまま、僕は一番太かった触手をミッちゃんの口に突き入れた。

 唾液と粘液を激しく飛び散らせながら前後運動を繰り返す触手に、喉の奥を突かれ苦しいはずのミッちゃんは喜色満面の顔と舌使いで応えてくれる。


「んっ! んぶふっ!! ごぶぅ!!?」


 美味しそうに喉を鳴らし、焦点の合わない瞳で虚空を見つめながら、一心不乱に粘液を飲み込んでいく。僕はそれだけじゃ飽き足らず、細い触手が幾重にも巻き付いた触手を持ち上げた。

 その狙う場所は――ミッちゃんの胸の谷間。


「っっ!!?」


 目に見えない程の速さで谷間に滑り込ませた触手は、一瞬でメイド服全体に広がり、分かれた細い触手達がミッちゃんの肌を余す所なく蹂躙する。


「ふっ……っふぅぅうっ!!?」


 触れるだけで痙攣してしまうミッちゃんに、これは刺激が強すぎるかもしれない。

 僕だって電流のような快感が脳を焼き、身体を熱くしているんだ。

 ……ミッちゃんはもしかしたら、壊れてしまうかもしれない。


「――――っ――――っ」


 最早嬉しいのか怒っているのか、はたまた悲しんでいるのか分からない顔のミッちゃんは触手の為すがままにされ、宙に吊られる操り人形になってしまった。

 反応が薄くなったので僕はつまらなく、遂にあの部分に触れる事にした。

 ミッちゃんの身体を更に持ち上げ、触手で両脚を固定する。本来はスカートに隠された場所が空気に晒され、途端に甘美な匂いが鼻をついた。

 薄い布きれは液体に濡れ、ぴったりとその部位に張り付き、隠さなければいけない場所の形を浮き上がらせている。

 僕はそこに蛇の舌のような触手を近づける、と、


「お……やめ……やめ、て……さ」


 触手を口から抜いてあげると、涙を流しながら最後の力を振り絞るようにミッちゃんが言った。

 その弱々しくもしっかり向けられた視線に僕も顔を合わせ、言う。


「――ごめんね?」


 触手の舌は僕の発言が終わる前に、一気にその布きれを舐めあげた。

 ミッちゃんはまるで雷に打たれたように身体を強ばらせ、首をガクガクと激しく振るう。


「あっ――あぁ――――ああっ――あ、あぁぁ……」


 どうやらそれが限界だったらしく、ミッちゃんはそのまま気絶してしまった。

 弄くる相手がいなくなり、でも性欲が治まらない僕はどうしようかと考えていると――


「凛々! 保健室なんて具合でも悪……なっ、んだ、これは……」

「凛斗! わわ私だって包帯くらい巻ける――な……りん……と?」

「――――新しいのが、来たぁ」


 クーちゃんと迅那の出現に、僕は自分でも驚くほど無邪気な声を上げ、触手の先端を二人へと向けた。

クーちゃんの行動は早かった。

迫る触手を扉の陰に隠れて避け、粘液の匂いの届かない廊下へと後退する。

 さすが好戦的で性欲のない今日のクーちゃん。その目はまさに、戦う女戦士のようであった。


「なっ、え――」


 だから僕は、未だ物事をはっきりと認識できていない迅那だけを捕まえ、保健室へと引っ張りこんだ。


「い、ひゃあっ!」


 触手が肌に触れた瞬間、迅那は教室の時みたいな声を上げた。

 まだ催淫効果は充分回っていないはずなので、さすがに僕もビックリして、触手で宙に吊りつつも心配の声をかけた。


「迅那、どうしたの?」

「こ、このっ、気持ち悪いの、まひゃか、りんと、なのひゃんっ!?」


 呂律が若干おかしくなり、もう催淫効果にうなされてでもいるような迅那。額に玉のような汗を浮かべ、身体中を火照らせ、開いた口から涎を垂らす。


「うん……ちょっと事情があって。今はこれも僕の一部なんだ」

「は、はにゃして、くれっ……私、は駄目、なんりゃ……」

「ごめんね……嫌いになっちゃった?」

「うひゃん!?」


 そう言って頬を手で触ると、宙にある迅那の身体はシャチホコのように仰け反った。

 明らかにそれはミッちゃんと同質の反応で、試しに僕はそのまま頬をさすってみた。迅那は更に身体を震わせ、身体をもっと火照らせる。


「……まさか、迅那って僕に触られると」

「いうにゃぁ!? はひゅんっ、た、頼むかりゃいわにゃいでぇ!!?」


 涙を流して懇願する迅那は、いつもの冷えた雰囲気とはまるで違った。

 年相応の、いや、言葉遣いがたどたどしいから、かなり幼い少女のように見える。


「可愛いなぁ、迅那は――」

「ひゃふっ! りん、と!! やめっへ――にゃううぅん!?」


 ……どうやら迅那は、僕に『触れられるだけ』で、反応してしまうようであった。

 だから今朝の教室であんな態度であり、触手にもこんなに敏感なのか。


「どうなるの? 迅那は僕に触られるとどうなるの? ありのままを、教えてよ……」


 そろそろ催淫効果も効いてきたようで、迅那の身体はますます激しく震えだす。

 両脚の付け根からは絶え間なく透明な液体が滴り、時折大きく身体を震わせると、ドロッと液体の塊が床へと落ちた。


「……でも、喋る事ができたら、だけどね」

「……へ? にゃに、が」


 僕は表面の凹凸の激しい触手を選び、迅那のある部分へとくっつけた。

 敏感になっていた部分はそれだけで反応し、液体を零す。何が何やら分からないといった表情の迅那へ、僕は優しく笑いかける。


「触られるだけで可愛くなる迅那の、限界を教えてね」


 触手を当てがわれた場所、自分の体質、僕の言葉。

 それらの情報で予想できた行為を思い、迅那の顔が恐怖に歪んだ。

 駄目、私壊れる……そう目で訴えかけてきたけれど、今の僕には無意味だった。


「いっ――ひゃあああぁぁ――やっ、め――にゅうぅぅんっ――はきゅん!!?」


 下から上に。

 床から天井に。

 突き上げる触手の運動は迅那のスカートを規則的に盛り上がらせる。

 叫び声はもはや枯れてしまったのか、迅那は白目を剥きながら口をだらしなく開け、まるで声の代わりのように涎が飛び散った。

 両脚の付け根から零れる液体は触手の粘液と混ざり、また運動によって泡立ち、水の入った長靴のような耳障りのよくない水音と一緒に、保健室内に撒き散らされる。

 僕の脳にも快感は洪水のように押し寄せ、この分だと迅那は雷に打たれた感覚くらいだろう。

 またミッちゃんのように気絶するのかなと思った時、下着越しとはいえ一番大事な部分を触手に擦り上げられ……それでも迅那は、僕に笑いかけた。

 それは決して性欲にまみれた笑みでなく、純粋な好意だけを乗せた笑みのようだった。


「わら、ひ――は――凛斗の事、――すっ、きだか、りゃ。だか、りゃっ自由に、ちゅかって……」


 僕の思考が、その迅那の言葉で一瞬だけ停止する。

 今の今まで存在した性欲に支配された化け物が動きを止め、本当の僕が現れる隙間が出来たような。


 ――自分でも気付かない内に、触手の動きは止まっていた。


『やっと力が溜まったわ。くそっ、液体まみれになってもうたやんけ』


 センセーの声が聞こえそちらを向いた瞬間、カメラのフラッシュを浴びせられたように視界が光に染まった。


『ちょい眠っとけや。お前と、他の子らの為にもな――』

「ちょっと待て迅那!? どさくさ紛れで告白じゃと、凛々はワシのいいなず――」


 センセーのエセ関西弁とクーちゃんの叫び声を最後に、僕の意識はそこで途切れた。










「――滅する! 貴様のせいで私はっ私は!!」

『うるさい! 元はといえばワイを封印したお前のご先祖が悪いんや。“呪い”が出たんは仕方なしと諦めやっ』


 ――僕が最初に認識したのは、言い争いをする二つの声だった。


「それは貴様が悪行をしたからだ! 退魔師たるご先祖様は……例え“妖怪に呪われた一族”と言われようとも立派に封印した。私は誇りに思っている!!」

「……ただ干し柿を盗み食いしただけやで、ワイ? それにしても不思議やなぁ、呪いは人間嫌いになるもので、好きになる気持ちとか関係あらへんのに」


 声に導かれるように段々と意識が覚醒していき、ゆっくりと目蓋を開ける。ぼんやりとしていたが、視界が慣れてくるにつれ、そこは見慣れた保健室の天井になった。


「……なぜこんな、呪いをかけた。人々から嫌われ蔑まれ、遠ざけられても別に構わない。誰にどう思われようと気にしない……だが、だが凛斗だけはっ!!」


 ベッドに寝かされていた身体を何とか起こすと、疲れが全身にのし掛かってきた。

 気を抜けば床に倒れ込んでしまいそうで(そういえば粘液の匂いが無くなっている)、必死で踏ん張りながら一歩一歩足を進めた。

 ベッドと保健室を区切っていたカーテンを開けるのと、叫び声が聞こえたのは殆ど同時だった。


「触られただけで感じる変態女が、どうやって恋を成就させれば――ってぇ凛斗ぉぉっ!!?」

『お、何や目覚めたんやな』

「えっと……お、おはようございます」


 保健室の机に乗っていたセンセーは気軽に声をかけてきたけど、その近くに立っている迅那の慌てようが半端じゃない。

 というか顔が赤い、熟れたてのトマトみたいに真っ赤だ。


「りり、凛斗!? さっき言った事はそのあのえっとだなっ!!」

「えっと、うん……というかあの時も聞いたから」

「おお覚えているのか!? な、なら私のあんな顔もこんな顔も……ぎゃああっ!!」


 半狂乱といった言葉が似合う迅那の慌てっぷりに多少苦笑いを浮かべ、僕はセンセーに向き直った。


「センセー、有難うございました。ご迷惑をおかけして……」

『いや、ワイはただお前を気絶させただけやしな。礼ならあのちっさい子に言うんやな。あの子の指示で変な集団が来て、ここを元通りにしてくれたんやから』

「クーちゃん――そうだ、ミッちゃんは!? それに迅那、身体は――」

「――ミツキはさっき呼んだ護衛達に預けて、今頃は宇宙船で治療を受けとるはずじゃ」


 保健室の扉のほうを振り返ると、クーちゃんが険しい表情で立っていた。僕は無意識に身体を強ばらせ、大股で近付いてくりクーちゃんから思わず目を逸らす。


「ただし催淫効果が身体中に巡っていたようじゃから、完全な治療は無理かもしれんらしい。それにここを片付ける際、粘液の匂いに当てられた護衛達もいた」

「ご、ごめんなさ――」

「ワシの目をちゃんと見ろ、凛々」


 ぐいっと両頬を掴まれ、僕は強制的にクーちゃんと顔を向かい合わされた。意志の強そうなルビー色の瞳に射抜かれ、また無意識に視線を外そうとしたら頬を強く捻られた。


「ごごごごめんなさい!?」

「……謝って済む問題ではないんじゃ。何が原因かは知らぬが、この先もこんな事が起こるようなら、特別に許された凛々達の命も、宇宙条約違反となって危うい。凛々、頼む……」


 引き寄せられ、額に柔らかな感触のものが触れた。

 それが唇だと気付いた時にはクーちゃんは僕から離れ、悲しみを秘めた瞳でじっと見つめていた。


「――頼むから、お主の事を好きなワシのままでいさせてくれ」

「…………っ」


 そう言って保健室から出ていったクーちゃんを、僕は声も掛けれずに見送った。

 最後に言われた台詞は、まるでエコーのように耳に残って心を締めつける。


『えぇとな凛斗、憎たらしいこいつの体質を説明しとくわ』

「なっ! 誰が憎たらしいだと!!」

『うわ尻尾掴むなや、ちょい黙っとれ!! ふぅ……んでこいつやけども、昔ワイを封印した退魔師の子孫みたいやねん。ワイは封印される際にイタチの最後っ屁とばかりに呪いを掛けたんやけど、それがどうも変な方向になったみたいでなぁ』

「……呪い持ちは数代に一人現れるのだが、私のは特別強くてな。その……好きな人に、触られると……き、気分が良くなって…………こう、敏感になるというかっ」

「……迅那は、粘液の匂いの効果は残ってないの?」

『それも可笑しな話でな、どうやら呪いが一種の防護膜みたいになって防いだみたいなんや。つまりヒィヒィ言ってた時に粘液の効果は無かったっちゅう事や』

「っ…………そ、そその腹綿はドコ産だこらぁぁあぁっ!!」


 センセーの説明を聞いても、僕の頭はあまり理解出来ていないようだった。

 代わりにクーちゃんの言葉が繰り返され、ミッちゃんの涙を流した顔が浮かび、あの時の……今では恐ろしいとしか思えない気持ちが鮮明に思い出される。

 急にめまいがして床に膝を折ると、迅那とセンセーが心配の声をかけてきた。

 しかし今はそれさえも重荷に感じられ、僕は一人になりたいとだけ言って、保健室の扉に向かった。


 ――あの時、一切の慈悲もなくミッちゃんや迅那に冷たく笑いかけたのは確かに自分だと思い出す度に……僕の心は底無しの沼に嵌っていくように、暗い気持ちを膨らませていった。











「おいおい夜蔓君よぉ、黙ってないで何か言おうぜ?」

「やっぱ名前だけの根暗ヤローか、今まで気にしてたのが馬鹿みてえ!!」


 どうやってここまで来たのか、どうして彼らと一緒にいるのか分からない。

 ただいつの間にか、僕は今朝廊下でぶつかった六、七人の集団に、校舎裏で壁を背に囲まれていた。


「…………」

「恐くて声でも出ないんでちゅかぁ~? ……おい、いい加減何とか言えや」


 僕には目の前で凄みを効かせている彼(ここにいる全ての生徒の名前は知らない)の言葉も、今の状況も、まるで夢の中のように現実感が無かった。

 いや、違う……僕はまだ、保健室での一件を引きずり心を塞いでいるんだ。


「……どけ」


 目の前で凄んでいた彼を退かせたのは、集団のリーダー格っぽかった体格のいい生徒だった。

 鋭い目つきで見下ろす彼は、低い静かな声で話しかけてきた。


「なぁ夜蔓、俺らは別にお前が憎いわけじゃねえ。ただ、お前のその名字……それに怯えるこの町の住民が嫌いなんだ。お前だって嫌だろ? 自分のせいじゃないのに敬遠されて気ぃ使われて」


 それは軽く友達と話すように、しかし拒否を許さぬ命令のような声色。彼は背を屈め僕の顔と同じ高さになると、口の端を持ち上げて笑った。

 口の隙間からは煙草の匂いがして、僕は一瞬だけ眉をひそめた。


「な、だから俺らが友達になってやんよ……お前に贔屓目なしに付き合う、本当の友達にな?」

「……友、達」


 その単語で僕は昨日の晩、王子に言った自分の台詞を思い出した。

 そうだ、王子はなぜあの時止めてくれなかったんだろう?

 王子も手伝ってくれたら、あんな非道な事しなくて済んだかもしれないのに。


「そうだ友達だ――だからまずは、三十万くらい用意しろや。今朝ぶつかったせいで俺、肩痛めたみたいでよ。それに俺ら友達同士で遊ぶ金も必要だろ?」

「うっわぁそれどんな友達だよ、マジ最高じゃね?」

「そしたらもうマブダチじゃんか! 良かったなぁこれでもう寂しくないでちゅよぉ~」


 周りの生徒達も次々に騒ぎ出す。よほど嬉しく楽しい事があったのだろうか、だけど今の僕にはよく分からない。


「あ、そういや今日こいつのクラスに、あの噂の宇宙人が来たらしいぜ」


 ――誰かが言ったその一言で、ふわふわ漂っていた僕の意識は現実に呼び戻された。


「おう! 廊下で見たけどかなり可愛かったよな!!」

「あんなのガキじゃねえか。それより俺は、そいつと一緒に登校してきたメイドが良かったなぁ」

「あの胸は反則だったな……おい夜蔓、お前あの二人と一緒に暮らしてんだろ? 金はいいから今度そいつら連れてこいよ」


 僕は今言われた事の意味が分からず、この時とても素っ頓狂な顔をしていたと思う。

 しかしそれを言った彼の言葉に続くように、周りから同意の声が次々にあがる。


「なら俺、こいつと同じクラスの望月がいいな!」

「うわっ、お前あんな奴がいいのかよ。あいつん家、呪われてるらしいぞ?」

「あの澄ました顔が歪んだの想像してみろよ? ゾクゾクするだろ!!」

「――よし」


 自分勝手に叫んでいた言葉を切るようにリーダー格の彼が一声発し、いやらしい笑みの貼り付いた顔を僕に向けた。


「なら金は後だ。とりあえずその三人を連れてこい、場所は俺らがいつも集まる空き家にでも――」

「……何を、するつもり、だよ」


 ――小さな声で、震える声で僕は彼に聞いた。

 別に彼らが怖かったわけではない、ただ、彼らが『何を求めている』のか。

 それだけが、まるで巨大な手のように僕の心臓を掴み、呼吸を苦しくさせていく。


「……あ? 何言ってんだお前」


 リーダー格の彼は心底分からないと言った顔で僕を見、まったく隠す事なく答えを教えてくれた。


「んなもん、ヤるために決まってんだろ」


 ――――あぁ、何だ。

 僕と彼らは、同じタイプの人間だったんだ。異性を物として見つめ、欲望に忠実で、その為ならどんな非道な事もして。

 ミッちゃんが泣いても止めなかったように、迅那が嫌がっても止めなかったように……彼らは僕と同じ、醜く汚い欲まみれの化け物なんだ。


「…………ゃ、だ」

「……あ?」

「そんなの……嫌、だ」


 もう泣き顔なんて、見たくない。

 もう泣き声なんて、聞きたくない。


「彼女達をもう……傷付けるのだけは、嫌なんだ――」


 言い終わった直後、僕は後方へと吹っ飛んだ。

 その時に壁に頭をぶつけ、右頬はジンジンと痛んで熱くなる。


「……もう一回言ってみろや」

「何度でも……言うさ。僕は、もう、彼女達が傷付くのを、見たくないんだ!!」


 今度は顔面のど真ん中だった。鼻血がどうやら出たようで、逆流した血が口内に鉄錆っぽい味を残す。


「お前馬鹿だろ? 俺らは友達なんだよ、友達なら頼みは聞くもんだろ?」

「……何が、友達……だ。僕にはもう、友達ならいる……お前らみたいなのは、必要ないんだよぉ!!」


 自分でも、柄じゃないなと思う。

 気弱であまり熱くならない性格だと思っていたのに、今の僕は握り拳を作りリーダー格の彼に殴りかかっている。

 彼の重くて大きな足に腹を蹴られて防がれたけど、でも僕……これでもけっこう、頑張ったよね?


 ――だから、お願いだから、さ。

 僕の事、嫌いにならないでね……クーちゃん。


「こ、のクソが! クソが! お前は素直に言う事聞いてりゃっいいんだよ!!」

「お、おい……やりすぎじゃねえか?」

「う、動かねえぞ……」


 口々に出る不安の声に聞く耳持たず、リーダー格の彼は執拗に横たわった僕を蹴り続けた。

 もう痛みすら感じなくて、思考も段々薄れてきて、あぁ……僕、死ぬんだと思った時――


『貴様ら……我の友達に何をしているのだ……』


 寒気がするほど恐ろしい感情を滲ませた『彼』が、僕の意識の届かない身体へと乗り移った。


「あぁ!? まだ喋れんなら大丈夫だろ――」


 リーダー格の彼は台詞を最後まで言う事が出来なかった。

 その巨体は宙を飛び、校舎の反対側にある駐車場の壁へと叩きつけられたのだ。

 壁に激突した瞬間何かが潰れるような嫌な音が響き、彼は口から黒色に近い血を吐いて気絶した。

 いや、もしかしたら死んだかもしれない。


「……え?」


 吹き飛んだ彼の行く末を見守っていた一人がこちらを向いた瞬間、彼の右腕は肩から宙に舞った。

 ハサミで紙を切った時のような軽快な音と共に舞った右腕は、地面に落ちた瞬間血を噴出させる。


「あ……あぁあああっ!?」


 理解はできなくても本能が恐怖を感じたのか、絶叫した彼はすぐさま飛んできたものに腹を突かれ、先ほどの彼と同じ壁に叩きつけられた。


「な、なな……何だよ、それっ」


 ゆっくりと僕の身体が起き上がると、一番離れた距離にいる生徒が凍りついた表情でこちらを見ていた。

 質問に答えるように僕の身体はそちらを向き――いや。


『俗称を知らんわけではなかろう。これは、触手だ。貴様を八つ裂きにする――我そのものだ!!』


 僕の身体を動かす王子は声を荒げると、背中から生やした無数の触手を四方八方に伸ばした。

その後はもう、強者による弱者への蹂躙だった。

 その場から逃げだそうとする生徒がいたら触手で足を絡め宙に持ち上げ、容赦なくコンクリートの地面に叩きつける。

 死なず、気絶しないギリギリの力加減でそれを繰り返すと、まるで使い捨ての玩具のように壁際に転がる生徒達の中へと放った。

 ある生徒は鋭利な刃物のような触手に身体中を切り刻まれ、全身血みどろになりながら地面に倒れていた。


「助けて……ごめん、なさ……助け」

『…………』


 何度も繰り返す言葉に耳を貸さず、王子は横たわる彼に触手を巻きつけると壁に叩きつけ、壁際に集められた生徒達の山に、最後に触手全てを束ねた一撃を振り下ろした。

 壁は赤いペイントボールをぶつけたように血の赤がこびり付き、コンクリートは所々ヒビ割れた箇所がある。

 生徒達の大半はピクリとも身体を動かさず、生死の判断は不可能だった。


『……終わりだな。片付いたぞ、凛斗』


 ……王子、何を、したか分かってるの?


『あぁ、我の友達を傷付けた奴らを八つ裂きにした。死なさぬように手は抜いたが、これで貴様も気が晴れただろう?』


 ……こんな、王子、あの人達動かないよ。駄目だよ、駄目だよ王子……。


『……なぜ悲しむ? これは貴様を助ける為にしたのだぞ。喜べ、傷付ける者はもういないのだ。あの時は力を貸せなかったが、これなら――』


 ……そうだよ。保健室の時、何で助けてくれなかったのさ! 王子が協力してくれたら、あんな事にならなくて済んだかもしれないのに!!


『我と繋がっている貴様なら分かるだろう! あの時は貴様の意識が強く、我がいくら意識介入しようと出来なかったのだ。それにアレは……貴様が望んだ事だろう?』


 僕はっ……僕は、望んでなんかないよ。

 もう嫌だよ……誰かが傷付くのも、誰かを傷付けるのも……王子が寄生してから、嫌な事ばっかりだよ!!


『…………待て、それは、どういう意味だ』


 ――血の匂いのする校舎裏に立つ僕の中で、僕と王子の二つの意識が同調する。

 お互いの考え、気持ちが手に取るように分かり、僕がしまったと思った時には、


『そう……か』


 王子は一言、それだけを呟いた。


「ーーあららぁ、派手にやっちゃったねぇ」


 僕とも王子とも違う声が響いたのは、そんな時だった。

 僕の身体を占領している王子はすぐさまそちらを向き、同じ視界を有している僕も声の人物を見ようとしたのだが――


「と、私達の事を知られると色々マズいから、今は眠っててねぇ」


 妙に軽い口調の女の声と同時に視界が真っ暗になり、身体が床に倒れた事に気付いた。

 すぐに王子が気絶した事は分かったけど、僕の意識は以前身体を動かす事ができない。


「……しかし“実験”は成功のようですね。彼らの星の食物と似た成分のものを摂取するだけで、ここまで寄生速度が上がるとは。寄生体の身体を動かさせるのなら、もう“観察”は終わりにしてもよろしいのでは?」


 今度は若い男の声。聴覚でしか周りを認識できない今の僕は、その声に耳を傾けるしかない。


「んん~、まだまだ観察項目はあるしねぇ。それに今回はこの子達みたいなイレギュラーもあったし、気は抜けないわよぉ」

「“博士”、この者達はどうします?」

「適当に処分しといてぇ、ちゃんと周辺の記憶削除も忘れずにね? あの子、迅那ちゃんだっけ……近しい間柄みたいだし、それに今後役立ちそうだから彼女は保留ね――と?」


 そこで言葉は区切られ、ヒールの足音が僕のほうへと近付いてくる。誰がいるのか分からない恐怖が僕の意識を染めあげると、不意に甘い香りが鼻を掠めた。

 それはあの桃によく似た、とても落ち着かなくさせる匂いだった。


「盗み聞きはよくないわよ凛斗くぅ~ん。うふふぅ、大丈夫……この事は私達と君だけの秘密だから。っと、君はすぐに記憶削除されるだろうから、“さも偶然のように触手に選ばれた少年”に戻るのかな。なら覚えてないか~」


 今の状況に似つかわしくない、どこまでも呑気な女の声はそう言って笑う。

 感覚はないはずなのに寒気を感じ、すぐに僕の意識は薄れていく。


「ねぇ知ってる? この国では昔から、桃は邪気を祓い退散させる果物らしいの。つまり神聖なものなんだけど~……もし邪気を孕んだ者が桃を持ってたら、それはどんな効果なのかなぁ? それはもしかしたらぁ――」


 彼女の最後の言葉を聞くより先に、僕の意識は暗闇の底に落ちていった――










 ――保健室の一件から三日後、僕はいつものように学校に通っていた。

 なぜかあの後傷だらけになっていた僕は、誰もいない校舎裏に倒れていたらしい。

 それを僕を探していたクーちゃん達が見つけ、また怪我も酷いものじゃなく、この三日間で跡も残らず綺麗に治った。

 いまだ意識の覚めないミッちゃんの事など考えないといけないけれど、僕に何が出来るかと言えば、日々をいつものように生きるしかない。

 ミッちゃんが戻ってきた時に一緒に笑えるよう、過ごしていくしかないんだと思う。


「こら凛々! 制服プレーも中々に良いものじゃぞさぁ来い!!」

「ちょっ!? なにいきなり脱ごうとしてる――凛斗、き……今日はその……手、手を握るだけでいいからっ」


 ……何だか以前にも増してクーちゃんの求愛が激しくなったのと、なにげに迅那が恥ずかしい事を言い出したのは、早急にどうにかしたい問題とは思うけど……。


「凛斗、お前いつからモテ期に突入してたんだ……」


 功介やクラスメイトの白い目を受けながら、僕の学生生活は何だかんだ続いている。そういえば他のクラスの人が一気に転校したらしいけど、まぁ僕の知らない人達だったので関係ない。


「今日は凛々の好きな縞々パンツじゃぞ!」

「ってぇスカートを捲るな!? ……そ、そうか、凛斗は縞々パンツが……」

「わお、皆の視線が一気に冷たくなったよ」


 ……ただ、一つだけ。

 あまりに突然すぎて、どうしたらいいのか分からない問題がある。

 あの保健室の一件以来、鏡を覗いても呼びかけても、王子の声が聞こえなくなったのだ――――




~変われない学生生活・終~


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