8.皆さんの心中は大変なことになってます
すっかり陽も落ち、空には一面の星空が広がる頃、クレイグは町外れに佇む教会へと来ていた。
「クレイグ。また随分と焦ってしまったようだね」
神父の冴えない表情と共に紡がれる言葉はクレイグに容赦なく突き刺さる。
「自分なりに良く考えて、この時期に婚姻をと思ったのですが……」
テーブルに置かれたカップの中の液体を見つめ、クレイグは背を丸める。今や騎士団の総長にまで上り詰めたといえども、父親同然の神父の前ではその威厳も塵と化す。
「良く考えてこの結果というのはどうなんだろうね? 私は本当に悲しいよ」
緩く首を振り眉間を押さえながら目を閉じた神父に、クレイグは面目ないとうなだれた。
「それでも婚姻は婚姻です。アイリスも納得してくれています」
「え? そうなのかい? 先日ここに来た時には随分と困惑していたようだけど」
「あの後、二人で話し合いました」
一応は結婚を承諾しているアイリスだが、その決め手となったのは所謂『人助け』だという事実を敢えて口にはしない。こういうことは黙っておいた方が上手くいくのだと、色々な経験を積み悟っていた。
だが、ひとたび表に出てしまえばそれなりに面倒だということもまた経験で理解している。それでもクレイグには勝算があった。それはメルヴィンの『神業的口説き術』だ。それさえ伝授して貰えれば、アイリスを落とすことも夢ではないと確信していた。
クレイグは神父に向けて、自信に満ちた笑みを浮かべて一つ大きく頷く。その表情に、神父もホッと息を吐き出した。
「そうですか! それならば良いんです。ああ、そうですか! おめでとう、クレイグ」
心底嬉しそうに神父が言えば、クレイグも笑みを深める。
「私ももう直ぐおじいちゃんになるのですね! こんなに楽しみなことはありませんよ」
ピシリとクレイグが固まった。
少々飛躍し過ぎた神父の言葉に色々な感情が一気に吹き出し、思わず「はうっ」と変な声を出してしまう。
「ん? クレイグ、どうしました?」
暗にアイリスとの赤ちゃんを切望しているのだと言われ、クレイグは歓喜と羞恥と罪悪感に苛まれた。
「い、いえ。何でも」
それでも舞い上がってしまう自身の心は隠せず、機嫌良く笑顔を見せるクレイグは、兎に角メルヴィンと話をしなければと強い焦燥感に駆られた。
■ ■ ■ ■ ■
朝焼けに燃える空に、早朝、いつものようにドナの店へとやって来たアイリスとステラは、荷下ろしを開始する。
「おはよう、お二人さん」
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
にこやかに挨拶を交わすのも当たり前の光景ではあるが、ドナはそんな何気ない毎朝のこの挨拶が特に気に入っていた。
「ああ、そうだステラ。どうだった? 総長さんに管区長殿の話は聞けたのかい?」
ドナがニヤリと表情を変えると、普段からは想像もつかない早業で、ステラがドナの口を両手で塞ぐ。それに驚きつつもステラの焦った顔が余りにも珍しく、ドナは朝から良いものが見れたとほくそ笑んだ。
「そのことはもう忘れて下さい」
顔を真っ赤にし、今にも消え入りそうな小さな声でそう告げたステラに、ドナはどうしたものかと逡巡した。
恐らくは総長の所で真相を知り、付き合う話もなかったことにしたのだろうと推測した。ただ少しばかり辛そうに見えるのは錯覚ではないのだろうと、ドナは眉を八の字にする。慰めるべきなのか、それとも毒牙にかかる前で良かったと喜ぶべきなのか困惑した。
「どうかしたのですか?」
そんな二人のやり取りを見ながら暢気に聞いて来たアイリスに、ドナはステラへと目線を向けた。ゆっくりとステラの手を口から放すと「言ってないのかい?」と小声で問いかけた。コクリと俯いたまま頷くステラに、ドナは一抹の不安を抱いた。
未だに顔は真っ赤で、それでいて何かに耐えるように身体が震えている。まさか既に手遅れなのかと思い、ドナは大きく息を吐いた。
「何でもないよ、アイリス。昨日ちょっとステラと美味しいお菓子の話をしててさ」
「まあ、そうなんですか! 今度私も是非そのお話に混ぜて下さいね!」
ぱあっと顔を輝かせたアイリスに、流石のドナも罪悪感を感じる。だがステラの気持ちを考えれば致し方ないだろうと目をつむった。そんなドナにアイリスが驚愕する言葉を投げかけた。
「あ、そうだ、ドナさん。実は報告があるんです。私、クレイグ様と結婚することになりました」
「……はあああ?」
素っ頓狂な声を上げたドナに、アイリスは突然の話に理解できていないのだと思い、もっとはっきりと解りやすく言葉を紡ぐ。
「クレイグ様が我が家に婿入りすることになったんですよ」
ニコニコと色んなことをすっ飛ばしてアイリスがそう報告すると、ステラも先程まで俯いていた顔を上げ、意気揚々と「そうなんです」と声を上げる。その言葉はドナに歓喜と共に激しい怒りをもたらした。
「ああ、なるほど。そういうことか……」
地を這うような声音に思わず二人がびくりと身体を竦めた。
「え、えっと……」
「ああ、ごめんごめん。こっちの話。そっかぁ、おめでとうアイリス。まさか本当にこんな日が来るとはねえ。あの総長がねぇ」
不安げにしている二人を見やり、ドナは慌ててお祝いの言葉を贈る。だがその一方でどうしようもない程に憤怒していた。
「まあ、そっちは本当にめでたいから良いとして、問題は管区長の方だな……本当、どうしてくれようか」
常日頃からこと女に関しては良い噂は聞かないが、もう一つ悪い噂を耳にしていたドナとしてはこのアイリスの結婚話に直ぐにピンと来ていた。
騎士団の総長であるクレイグに異常なまでのライバル心を燃やす管区長メルヴィンが、まさしく嫌がらせの為だけにステラに近づいたのだろうと。だが、その答えに思い至るのは自分だけではない筈だとドナは考え込む。恐らくはこの事実を知った総長が直ぐにでも行動を起こすだろうと、推測した。ドナはいい気味だとフンっと鼻を鳴らす。
「式には私も呼んでおくれよ、アイリス! 盛大に祝わなきゃいけないからね! こりゃ忙しくなりそうだ!」
「勿論、ドナさんに来て頂かなくては困ります! でもお祝いはそんなに盛大じゃなくていいですよ。ドナさんはただでさえ忙しいんですから」
お互い勢い良くそう言えば、ステラも一緒に笑顔になる。いつもとは違う朝の風景にドナは眩しそうに目を細めた。
■ ■ ■ ■ ■
コンコンコン。
扉の前で緊張気味に背筋を伸ばすと、中から短い返事が聞こえる。
「失礼します」
キビキビとした動作で入室し、敬礼をすると窓際に佇む上司へと目を向けた。
「第三管区長、メルヴィン・ラーハル・クロウです。お呼びでしょうか、総長」
普段から強いライバル心を燃やしていたメルヴィンではあったが、クレイグに直接、ましてや個人的に呼び出されることは初めてだった。これはもしやステラのことが功を奏したのかと思い、目を輝かせる。
「ああ、すまなかったな突然呼び出してしまって」
「いえ」
直ぐに行動を起こすだろうと推測していたドナの考えは違う意味で当たっていた。
「ニールは早速管区長の仕事の引き継ぎをしていると聞いている。そして君もまた次期総長に選ばれたそうだな。おめでとう」
窓の外を眺めていたクレイグはメルヴィンを振り返り、極力下手に出るように努める。それは勿論、女の口説き方を教授してもらう為に他ならないのだが、メルヴィンはそんなこととは想像もしていなかった。
「ありがとうございます」
取って付けたように返事を返すメルヴィンは『さて、どう出るのか見ものだな』と不敵に笑い、クレイグの一挙一動に目を凝らす。
「取り敢えず、場所を変えよう」
そう切り出したクレイグに、横から別の声が割って入った。
「別に良いじゃありませんか、ここでも。俺を含めて三人しかいないんだし、邪魔は入りませんよ」
クレイグの執務机の斜め向かいにある少し小さめの机に足を乗せ、椅子にふんぞり返っている副総長、ロナウドが不機嫌に言う。
「いや、寧ろお前が邪魔なんだが……」
目を眇め、見当違いのことを言う部下につい苛ついた言葉を投げつける。メルヴィンもまたクレイグと同様に怪訝な表情で邪魔だと伝えた。
「総長、そいつにどんな用があるんですか?」
「お前には関係のないことだ」
ふいと視線を逸らし、メルヴィンへと向き直ったクレイグにロナウドが食い下がる。
「そいつが総長を貶めようとしているのは目に見えている! どうして総長はそう鈍いんですか!」
「鈍い?」
意味が解らないと聞き返せばロナウドは盛大な溜め息を吐き出した。
「まあ忙しいのは解りますけどね、総長はもう少し周りをちゃんと見た方がいい。特に騎士団の中のこととか、世間の声とか」
「常に耳を傾け見ているつもりだが」
心外だと言いたげに不機嫌に返すと、ロナウドは呆れたように肩を竦めた。
「じゃあ、そいつ……メルヴィンのこと、どの程度耳に入ってますか?」
「それは……まあ……先日、お前から聞いたばかりだ。女癖が悪いと……」
本人を前にして言ってもいいものかどうか悩んだが、本当のことらしいのでここは潔く答える。それでもちらりとメルヴィンを見遣り、機嫌を損ねてはいないかと内心ひやりとしていた。
「それだけですか? 他には?」
すぐさま返された質問に、クレイグはぐっと言葉に詰まった。他にはどんな噂があっただろうかと考えを巡らすも、特に聞いた覚えはないと首を傾げる。
「はあ~……」
またまた盛大な溜め息をつきうなだれると、流石のクレイグもムッとした表情を見せる。
「何だ。何が言いたい」
「総長のことを目の敵にしてるとか、やたらとライバル心を燃やしてるとか、まあ、そういう噂です」
「ほう、それは初耳だ。そうか……ただの女好きかと思っていたが、志はかなり高いと見える」
感心したようにクレイグはひとつ頷いた。これならば次期総長として後を任せられるとメルヴィンの株が益々上がっていく。ロナウドはそんなクレイグの表情に余計に苛立ち反論した。
「俺としては、そいつのやり方が兎に角気に入らないんですよ!」
バンっと机を叩きつけ立ち上がったロナウドに、メルヴィンが剣呑な目を向ける。
「何だロナウド、珍しいな。お前が団員のことを悪く言うとは」
「それほどまでに私が嫌いなのでしょう」
ロナウドとメルヴィンが睨み合い、一触即発の雰囲気が流れる。流石のクレイグも事が悪い方向に進んでいることを察し、つい焦って口を開いてしまった。
「今日メルヴィンを呼んだのは、聞きたいことがあったからだ」
今この機会を逃せば、後々聞きにくくなるかもしれないと、邪魔なロナウドが居ても聞くことだけは兎に角聞いておこうとクレイグは気が急いていた。
「聞きたいこと……ですか?」
恐らくはステラのことだろうと予想していたメルヴィンは、どんなことを聞いて来るのだろうと、少し身構える。それでも、ロナウドから見ればメルヴィンの態度は鼻に突く。
「ああ、ステラのことなのだが……」
来たっ!と心で叫びながらも、冷静にゆったりと返事を返す。
「ああ、彼女のことですか」
そんなメルヴィンとは対照的にクレイグは拳を強く握りしめ、一歩前へと踏み出した。
「一体君は、どうやってステラを口説いたんだ!」
力強く言い放たれた言葉は、そのままクレイグの期待に繋がっている。そう感じずにはいられない程に、瞳は爛々と輝いていた。だが、その期待は大きいが故に空回ってしまっていた。
「……は?」
メルヴィンからしてみれば、先程の『女好き』の会話からステラに対し、本当に付き合うつもりがあるのかとそんな質問をされるものだとばかり思っていたせいか、今のクレイグの言葉が脳に届くのに暫くの時間が掛かった。
「本当に驚いているんだ! あのステラを、しかも会ったその日に落とすなど! 俺なんて、一体どれほどアイリスに愛を告げたか判らない! それなのに、婚姻届を出した今でさえ片思いのままだ!」
グッと拳を握り締め、唇を強く噛むクレイグにメルヴィンは酷く驚いた。
百戦錬磨のメルヴィンからしてみれば、その悩みや苦悩は全く理解が出来ない。だがそれよりも、クレイグが自分のことを『俺』と言ったこと、そしていつも有り得ないほど無表情なクレイグがこんなにも興奮し、声を荒げている姿に激しく衝撃を受けていた。
「総長、そんなことをこいつに聞くなんて……本当、どうかしてますよ……」
『そんなこと』とロナウドに言われ、クレイグがギンッとロナウドを睨む。
「こいつは総長が女のことで悩んでることを知って、内心ほくそ笑んでるに違いないですよ。敵に弱みを握らせてどうすんです。大体今回の次期総長の就任のことだってこいつが付き合いのある王族に泣きついたってのがもっぱらの噂です。そんな奴に何聞いてんですか!」
ギョッとしながらも反論するロナウドは機嫌がどんどん下降していくのが自分でも判るほどだった。
「それだけやる気があるということだろう。それに『敵』とはどういう意味だ? 同じ騎士団の団員で、やる気のある者をお前は『敵』と呼ぶのか?」
よもやロナウドがそんな考えを持っていたとは思いもしなかったクレイグは、確かめるように慎重に言葉を重ねた。それとは裏腹に、ロナウドからすれば酷くずれた返答に怒りさえ込み上げてくる。
「はあ~……だから総長は鈍いって言ってるんです。あんたは純粋過ぎる。もっと人の奥底にあるものを見抜けないと……」
常日頃から思っていたことを露呈して、ロナウドが小さく肩を落とす。そして、言わないでおくべきだったのかもしれないと、クレイグの引きつった顔を見て直ぐに後悔した。
「副総長、あなたもまた随分と正直者ですね。どうせもう直ぐ総長は退役なさるんだ、今更ではありませんか」
特に表情も見せずに割って入って来たメルヴィンに、ロナウドはギリリと奥歯を噛み締めた。きっとこれを機に一気にクレイグを追い立てようとする筈だと、日頃からクレイグを目の敵にしているメルヴィンの腹の中を勘ぐった。
「先程の質問ですが、総長が想いを寄せている女性に愛が届かないのには、ちゃんと理由があります」
唐突に質問の答えを返すメルヴィンに慌てて紙とペンを取り出したクレイグは、目を輝かせて続きを聞き逃すまいと集中した。
「近くに居すぎなのですよ。聞けばずっと幼少の頃より傍近くにいるのでしょう? それでは、男女の関係というよりは兄妹と認識してしまうのは仕方のないことです」
小さく「まあステラから少し聞いただけですが」とあくまでも自分がクレイグのことを諜報員に調べさせたことは勿論伏せて、さも当たり前のように言葉を継げる。
「……兄妹……?」
そんな発想は欠片も持ち合わせていなかったクレイグにとっては目から鱗などと、そんな生易しいものではなかった。
「そんな……兄妹……だと?」
余りの衝撃に立ち直れないのか、クレイグは譫言のように小さく呟く。
「これからは少し距離を置くことをお勧めします」
面倒臭げにそう言い放ち、メルヴィンは丁寧に一礼をすると扉へと足を向けた。ロナウドの突き刺さるような視線を軽くあしらい、小さく鼻を鳴らすと静かに退室した。
「はっ! 笑える……あの総長が、女一人落とせないとは! はははっ! 何と愉快なんだ」
騎士団のずっと奥の建物、第二管区の棟へと歩きながらメルヴィンは口角をうんと上げた。
「女の影がないとは思っていたが、まさかこんな落ちとはな……。幼馴染だと? しかも未だに片思い? 不甲斐ないにも程がある」
自分とは余りにもかけ離れたクレイグの女事情に、呆れたように息を吐く。だがその一方で心が酷く高揚している感覚に戸惑った。
男ならばこうあるべきだと、硬派で頼れる存在でありたいと常に願っていた自分の理想そのものをクレイグに見せつけられ、それに反発するよりも先に浮足立っている自分に気づく。それを認めたくないメルヴィンは敢えてそこには気づかないふりをした。
自分はクレイグと対等であり、ライバルという立ち位置に居続ける為には、そうするより他なかった。
「ふん。いい気味だ。せいぜい女のことで悩んでいろ」
自分には無縁の悩みだと勝ち誇り、予定通りクレイグを国外へと追いやる算段を練り始める。
「ああ、そうだ……あいつが出て行かないのらば……迎えに来てもらえばいい……」
ひとつ良い事を思い付いたと、メルヴィンは益々口角を上げた。
大変ご無沙汰しております。
これからゆっくりとまた更新していけたらと思っておりますのでよろしくお願いします。




