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「わざわざ礼を言いに来ることもなかったのに、ハロルド君は律儀な性格なのだね」
マリウスを訪ねたのは雪の降る日だった。
「そうそう。つい先週クレマン君が王都を出立した。私も見せてもらったがね、あの魔導義肢は素晴らしかった。ほとんど生身と変わらない動きじゃないか」
「そう言ってもらえて何よりです。マリウス様にご紹介いただけて幸いでした」
「仕事はうまく行っているのかね?」
「はい。クレマン様から他の貴族の方をご紹介いただきまして、ここ数日は忙しく走り回っておりました」
「うむ。良いことだ。君のおかげでクレマン君もまた働けると喜んでいた」
なんの衒いもないただの世間話だったが、マリウスの顔には疲労が見えた。
「失礼ながらお疲れなのでは?」
「ははは、寄る年波には勝てぬということかもしれん。帝国が宣戦布告してからすでに五日だ。私も軍に加える魔術師の選定に色々と骨を折ることが多くてね」
「はあ、それは大変なお役目ですね」
「これが本当に大変なのだよ。実績を求める魔術師は多い。若いものほど血気盛んで困るというものだ。あたら若い命を前線に送るなどしたくはないのだがね」
「聞けば、タッカ市には戦力が未だ揃っていないとか」
マリウスは軽く頷いてお茶で唇を濡らした。
「今頃は西方軍がタッカ市に入っているころだろう。恐らく国境の砦がそろそろ攻撃される頃合だとは思うが、心配はいらん。あそこは大軍相手でも一週間はもつ。西方軍から援軍が出向くはずだ。と、君に話すようなことではなかったな」
「いえ。やはり臣民として帝国の侵攻は脅威ですし、クレマン様が援軍に向かったとなれば余計に心配に思うところはあります。それに――」
「アンジェラ、かね?」
先手を打たれて、俺は頷いた。
マリウスはどこか明後日の方向を眺めたまま言った。
「あれはそう簡単に死なぬよ」
「クレマン様もそう仰っていました。師匠は軍に参加を?」
「さてね。そこまでの情報はさすがに私のところにも届いていない。だが、度々遠征軍に付き合っていることは知っている。もしかすると西方軍に急遽参加するということはあり得るな」
「そう、ですか」
「君は不安かもしれんが、私としては兵士の命が一人でも助かるのだからありがたい話なのだがね」
「ところで――」
マリウスはどう反応するだろうか。
いや、そもそも師匠のことをどこまで知っているのだろうか。
わからないが、聞く価値はある。
「師匠は以前、自分のことをハーフエルフだと言っていたのですが、色々と調べましたところ、エルフと人間とではそもそも子どもを作れないと聞きました。もしや師匠の冗談か何かだったのでしょうか」
マリウスはまっすぐに俺を見つめ、そして笑った。
「はっはっはっ! アンジェラも冗談が上手くなったものだ!」
「では、やはり?」
「うむ。ハーフエルフなどアンジェラの冗談に過ぎぬ。まあ、そういう伝説や童話はいくつかあるのだがね。あくまでも創作だ。だが……ふっ。あれも馬鹿な冗談を言うものだ」
そう聞いて安心しかけ、俺は笑みを取り繕った。
果たして師匠がそんなくだらない嘘を吐くだろうか。
仮に冗談のつもりで嘘を吐いたとしても、容易にマリウスの言葉を信じることはできなかった。
豪快に笑っている彼の顔は、傍から見れば相好を崩した好々爺の笑顔なのだろう。だが、その瞳は決して笑っていなかった。
「そう、ですか。師匠も冗談を言うことがあったんですね。百歳を越えているとも言っていましたが、どうして俺もそんなことを真に受けたのやら」
「はははっ、アンジェラに当てられて常識が抜け落ちたのやもしれんな」
間違いなく、マリウスは師匠の隠された秘密を知っている。
だが、この感覚はなんだ。
奇妙だ。
「では、師匠の年齢はいくつなのでしょう」
「こらこら。女性の年齢は詮索するものではない。嫌われてしまうぞ」
「ですが、やはり気になります。出会った頃から師匠はあまり老けてませんし……若作りなのでしょうね」
「羨ましいことだ。私もいつまでも若いままでいたいと思うがね」
「そういえば、マリウス様は師匠といつ頃出会ったのですか?」
「うーむ。あれはいつの頃だったか。いかんな。年のせいであまり覚えておらぬ。初めて会ったのはあれがまだ若い頃……たしか二十年ほど前だったか。いや、二十年も経ってはおらんだろう」
「その頃から、師匠は研究熱心で?」
「うむ。あれは没頭すると周りが見えなくなるようだ」
懐かしそうに目を細めているマリウスだが、俺としては気になって仕方がない。
彼は最初に会ったときに言ったのだ。
「三十年来の仲だが――」と。
マリウスは嘘を吐いている。
「お忙しいところ、大変失礼いたしました」
「なあに、構わんよ。わざわざお礼の品まで持参してくれたのだ。世間話ができて少し息抜きになったとも」
「そう言っていただけると幸いです」
去り際に、マリウスは俺の背中に向けて言った。
「気をつけたまえよ」
顔だけ振り向くと彼は言った。
「つい先日も辻斬りが出たそうだ。衛兵たちは躍起になって犯人を捜しておるようだが、まだ見つかっておらぬ」
「辻斬り、ですか」
これは何の忠告だろう。
ただ俺の身を案じて言っているだけなのか。
それとも――好奇心は猫をも殺す、と言いたいのか。
「そういえば、先日下町で奇妙な女の子を見ました」
「女の子、かね?」
「ええ。真っ白な髪と肌で印象的だったのですが、残念ながら何ものかによって傷を受けておりまして……意識を取り戻すこともなくそのまま」
「それは残念なことだ。身元はわかっているのかね?」
「いえ。なにせ意識を失ったまま死んでしまったものですから」
「そうか。それではご両親もさぞや心配して心を痛めていることだろう……」
間違いない。マリウスは何かを知っている。
特徴を伝えたときの反応は黒と見てもいいだろう。魔力が濁った。
***
ハーフエルフと思しき女の子は、下町の治療院に置いておけなかった。
メイを信用できないというわけではなく、彼女が俺に頼んだからだ。
俺もそれを了承した。
少なくとも、この少女の怪我の真相には、裏に貴族がいることは間違いない。
もしメイが少女を匿っていることが発覚すれば、きっとメイもあの老人も殺される。その上で治療院ごと焼かれるのがオチだ。
貴族は情報を秘匿するためならば庶民の命なんて簡単に葬る。
少なくとも師匠はそう教えてくれた。
俺が少女を匿う分には大丈夫だろう。
距離的には貴族街に近くなるが、俺がいる分守りやすい。
今のところは敷地全体に特殊な結界を張って中の魔力が漏れないようにしている。
中に入ってもバレないように、少女を寝かせている部屋にも同様の結界を施した。
さすがに二重掛けすればバレることはないと思いたいところだ。
だが、そんなことよりも気になることがあった。
俺が少女をハーフエルフじゃないかと言ったとき、メイは首を傾げていた。
「ハーフエルフってなに?」
「エルフと人間のハーフだ」
「あり得ない」
「あり得ない? だって現に俺は――」
「理論以前に種族が違うし、そもそもエルフは精霊の一種よ? たまたま人に似た形をしているだけ。滅多に人の前には姿を現さないし、人間嫌いで有名じゃない。仮にエルフが人間を好きになっても、あいの子なんてもっと無理よ」
今まで師匠から色んなことを教わった。
それこそドワーフや小人族のことも教わった。彼らは姿形が違うだけで人間と同じだということは知っている。
だが、メイに言われて思い出したのだ。
エルフについては、師匠がハーフエルフだと自称していたのにもかかわらず、何も教わっていない。
痛恨だった。
どうして気づかなかった。
なぜそんな初歩的なことをごまかされたままで気にもならなかったのか。
師匠は嘘はつかない。
だが、嘘をつかないかわりに話さない。
それは俺が一番よく知っている。
師匠から聞いた話のピースをつなぎ合わせる。
それらはどう想像を巡らせてもあまり気持ちの良いものではなかった。
むしろ凄惨で、暗く、濁っていた。
「そりゃあそうよ。ハーフエルフだもの」
「人間よりもちょっと長生きするぐらいだもの」
「ハーフエルフなんて滅多にいないからわたしも知らないわよ」
「昔ね、わたしにも息子がいたのよ」
「まあ、一年も経たずに死んじゃったんだけど。せめて親らしいことしてあげたかったなあって思うことはあるわね」
「わたしはね、親がどういうものか知らないわ。子どもにどう接すればいいのかも知らない。愛情の与え方を知らない。戦い方しか教えてもらわなかったから、それ以外に何を教えればいいのかわからない」
「時々ね、自分が人じゃないような気がしてくるのよ」
「自分の子どもを、一度でもいいから抱きしめてあげたかったのよ」
「きっとわたしはあなたよりも長く生きる。あなたが死ぬころにはまだ同じ姿だと思うわ。でもね、そんなことはどうでもいいのよ、ハロルド」
――師匠。
師匠は俺に何を伝えたかったんでしょうか。
師匠は俺に何を隠したかったんでしょうか。
俺はこの子をどうすればいいんでしょうか。
師匠、今とても会いたいです。
顔が見たいです。いつもの笑顔が見たいです。
また俺にわがままを言ってください。
師匠、師匠……。
「――なぜ泣いている?」
鈴を鳴らすような声だった。
少女は顔だけ上げて俺を見つめている。
「おはよう。ようやくお目覚めだな。君の名前は?」
少女は冷たい声で言った。
「アンジェラ型魔導人形――二〇八番」
しばらく息をすることもできなかった。




