第十九話 糸口の合間
今日も良い一日になりますように!
鳶という手がかりは入手したものの、特に珍しい鳥でもなかったため、これといった進展もないまま、ただ時間だけが過ぎていった。気がつけば、陸離の大好きな春もあっという間に過ぎ去り、青い空に大きな積乱雲が浮かぶ季節となっていた。
手がかりを調べる傍ら、姫鶴から譲り受けた万紫を少しでも扱えるようになりたいという思いから、せめて身を守れるくらいの剣術を身につけようと、百々家の者たちをはじめ、さまざまな者から剣を教わっていた。誰も彼もが、自分の知る技を教えたがるものだから、流派などお構いなしである。
毎日の素振りも稽古も欠かさなかったが、万紫は一度たりとも、陸離にその真価を見せることはなかった。
とても、噂に聞くような、あの姫鶴が幾多の戦場をともに駆け抜けた宝刀とは思えないほど、拍子抜けするくらい普通の刀だった。なんなら、護身用として使うにも、少々心もとないほどである。
拭いきれない違和感を胸の片隅に残したまま、陸離はそれでも修行に励み、日々を過ごしていた。そんな中でも、槐之介は相変わらず毎日のように柘榴のもとへ通い、宝寿もまた、毎日のように百々家へ顔を出しに来ていた。
そんな忙しいような、暇なような日々を過ごしているうちに、陸離は少しずつ物思いにふけることが増えていった。そんな陸離の様子を見かねたのか、ある日、槐之介のほうから「お前が一生かかっても極められねぇ剣術なんぞやってないで、たまには町にでも行ってこい」と声をかけてきた。
近場の町までなら、そして護衛付きなら――思いがけない外出の許しに、陸離の心はぱっと弾んだ。
久しぶりの外出に、瑞穂も付き添ってくれることになった。
女の子二人で町を歩くなんて、いつ以来だろう。思い返してみれば、元の世界にいた頃でさえ、友達とこうして気ままに出かける機会は、そう多くなかった。こうして誰かと並んで歩きながら、他愛のない話をして、気になった店を覗いてみる。そんな何気ない時間が、陸離にはたまらなく嬉しかった。
「幸町……」
町の入口に立つ看板の文字を読みながら、その先を一望すると、思いのほか賑わっていた。丹若大社の前ほどではないものの、通りにはさまざまな店が軒を連ねている。茶屋に宿屋、土産物屋に仕立屋。日々の暮らしに必要なものは、一通りそろいそうな町だった。
長屋もあちこちに建ち並び、人々の暮らしが静かに根づいている。どこにでもありそうな、ごく普通で、生き生きとした町に見えた。
「……あれ? なんか、若い人ばっかりじゃない?」
陸離は、ふと感じた違和感を口にした。
活気のある幸町には、どこを見渡しても老人の姿がない。老人どころか、中年ほどの人さえ、ほとんど見当たらなかった。子供や若者ばかりが行き交うその光景は、賑やかな町の中に、どこか不自然な空白があるようで――陸離は、その言いようのない異様さを覚えた。
「えぇ、さすが陸離様。やはりお気づきですか」
付き添いの瑞穂の表情が、ふっと曇った。
「血の赤みは、血の生気。そして、人が生きるための源でもあります。我々のような妖は、長く生きる上で血の生気もそうですが、妖気の存在が大きく、血が黒くなっても、そこまで大きな影響はないのです」
陸離は、ごくりと唾を飲み込んだ。そういえば、黒い血が何を意味するのか、今まで深く考えたことがなかった。
「しかし、妖気を頼れない命短き人間にとっては、血の赤みを失うことは、命を削ることに等しいのです。そのため、血が黒くなった人間は、長く生きても三十五ほどだと聞いたことがございます」
陸離は、その衝撃的な事実を耳にし、改めて町の人々を見渡した。
たしかに、どの人も若い。若いうちから子を育て、働き、限りある短い命の中で、懸命に生きている。その姿は生き生きとしていて、だからこそ、胸の奥が締めつけられるように切なかった。
赤子が母親に抱かれ、小さな子供が父親の肩車に乗って、きゃっきゃと笑い声をあげている。そこには、どの世界にも変わらない、穏やかな幸せがあった。
けれど、その子が大人になり、また自分の子を抱くようになったとしても、その先にある家族の時間はあまりにも短い。子供の成長を見守り、老いた家族とともに暮らし、何十年もの歳月を重ねていく――そんな当たり前の命の営みが、この世界では、もう叶わなくなっていたのだ。
その光景が、幼いころの自分と重なり、陸離は思わず視線をそらした。
胸の奥に残った重さを抱えたまま、それでも陸離は瑞穂に連れられるまま、町を歩いた。
そんな陸離の様子を気にしてか、瑞穂はいつもより少しだけ明るく振る舞い、あれこれと店を案内してくれた。
「こちらが最後のお店ですが、我々もよく利用する仕立屋でございます!」
元の世界でも、社会人として服装や身なりにはそれなりに気を遣っていた。せっかく別の世界に来たのだから、この世界ならではの着物や生地を見てみたい。
そんな小さな好奇心を胸に、陸離は店の中へ入った。
「わあ……!」
店内には、色とりどりの生地が並んでいた。
淡いものから鮮やかなものまで、さまざまな色合いが目に飛び込んでくる。織り込まれた模様も一つひとつ違っていて、眺めているだけでも楽しい。陸離は、すっかり夢中になって店内を見て回った。
こちらの世界へ来てからというもの、自分のために何かを選んだ記憶がほとんどない。食事も、着るものも、寝る場所も。気がつけば、ありがたいことにいつも誰かが用意してくれていた。
だからこそ、こうして自分の好きなものを探しているだけで、不思議なくらい胸が弾んだ。
「綺麗……」
色とりどりの生地の中、陸離の目に留まったのは、一枚の水色の生地だった。淡い水色の地に、小さな白い花が散りばめられている。派手さはないが、一輪一輪の形が可愛らしく、春の野にひっそりと咲く花のような、慎ましい美しさがあった。
「こちらは、なずなの花でございます」
陸離の視線に気づいた店員が、穏やかな声で声をかけてくれた。
「生地にするのは珍しい柄ですが、春の七草のひとつでして。ささやかな花ではございますが、こうして柄にすると、なかなか愛らしゅうございますよ」
「なずな……」
陸離は小さく呟き、その白い花をそっと指先で撫でた。
春の七草といえば、知っているのは七草粥くらいだ。こんなに可愛らしい花だったのかと、陸離は少し感心した。
「かわいいですね。こういう柄、好きです」
なんだか、自分にはこれくらいがちょうどいい気がした。
目立ちすぎず、それでいて、よく見ればちゃんと可愛い。そんなことを考えながら、陸離はしばらくその生地をじっと眺めていた。
(お金があったら、これ欲しいかも)
けれど、当然ながら、陸離はこの世界で自由に使えるお金をほとんど持っていない。
(……バイトとか、できないかな)
少しでも自分でお金を稼げたら、この生地くらい買えるかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら値段を尋ねてみると、陸離は思わず固まった。
「……あ、ありがとうございます。ちょっと検討します」
えへへと気まずそうに笑った陸離は、名残惜しそうにもう一度だけ生地を眺めると、店を後にした。
この日は結局、何も買うことはなかったが、久しぶりの外出は、散策だけでも十分に楽しかった。陸離にとって、久しぶりに心から肩の力を抜くことのできた、良い息抜きとなった。
「……もしかして、宝寿様のお連れ様ではないでしょうか?」
ふいに声をかけられ、陸離は振り返った。
そこに立っていたのは、柔らかな笑顔を浮かべた青年だった。
すらりとした長身に、端正な顔立ち。シンプルな着物もよく似合っていて、思わず目を引くような好青年である。
そう、ついこの前に会った、丹若大社の前にある土産物屋の若い店主――柘榴の花をかたどった簪をくれた、あの青年である。
「あっ、先日のお兄さん。こんにちは!」
「お久しぶりでございます。人違いだったらどうしようと、お声がけすべきか戸惑っておりましたけれど……やはり、あの時のお嬢様でしたか!」
青年は後頭部に手を添え、髪をわしゃわしゃとかきながら、少し照れたように笑った。その仕草には、どこか少年めいた愛嬌があった。
「それにしても、あの宝寿様に見初められたお方が、どうしてこのような小さな町にいらっしゃるのですか?」
「今日はちょっと買い物をしたり、町を見て回ったりしてたんです。それに……見初められたわけじゃありませんよ」
「はぁ……左様でございますか。それは大変失礼いたしました」
陸離が苦笑しながら答えると、青年は素直に頭を下げ、それから、にこりと笑った。
人当たりがよく、柔らかな物腰で、その笑顔にはどこか人懐っこさがある。槐之介とはまた違った、素直で親しみやすい好青年だった。
「そういえば、お名前をまだ伺っていませんでした。なんとお呼びしたらいいですか?」
「飛羽でございます」
「飛羽くん。かっこいい名前ですね! あ、私も自己紹介できてなかったですね。私は陸離、こちらは瑞穂ちゃん。よろしくね!」
「陸離様に、瑞穂様。素敵なお二方にお会いできるなんて、今日はなんと運のよい日でしょう」
飛羽は、少し頬を緩めて笑った。
嬉しそうなのに、どこか照れくさそうで。その素直な反応が、なんとも可愛らしい。
(かっこいいというか……かわいい。というか、もはや尊い)
陸離と瑞穂は、ほとんど同時にそう思った。
「それで、飛羽くんこそ、この町で何をされているんですか? 丹若大社から、けっこう離れていますよね」
陸離は、ふと気になって尋ねた。
「実は……新しいお土産を作ろうと思っておりまして。柘榴様の美しさを少しでも形にできるようなものをと思い、良い生地を探して、いろいろな町の仕立屋を巡っております」
「なるほど! 柘榴様をイメージしたお土産なんですね。飛羽くんなら、きっとまた素敵なものができそう。完成したら見てみたいです!」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、励みになります」
飛羽は嬉しそうに微笑んだ。
けれど、その視線が陸離の腰に差している刀へ向いた瞬間、ほんのわずかに笑顔が止まり、切ない顔をした。
「やはり、大妖怪様のお連れ様とはいえ、物騒な世の中でございますから……陸離様のようなお方まで刀を佩いて歩かねばならないとは。なんとも心苦しいことでございますね」
「ああ……これは、その、ちょっと憧れもあって。まあ、せっかくの機会ですし、気にしないでください!」
陸離は、少し照れくさそうに笑った。女が着物姿で刀を佩くなど、不自然と言われれば確かに不自然なのかもしれない。
そんな陸離の様子を見て、飛羽も少しほっとしたのか、険しくなっていた表情を和らげた。
「よかったです。もし何かございましたら、僕でも腕っぷしくらいはございますので」
そう言って、飛羽は控えめに腕を曲げてみせた。
その姿があまりにも素直で可愛らしく、陸離は思わず頬を緩める。なんだか、近所の可愛い男の子を見守るおばちゃんのような気分だった。
「ありがとうございます。そのときは、頼りにさせてもらいますね」
陸離がそう返すと、飛羽は嬉しそうに目を細めた。
夕陽に照らされたその笑顔は、なんとも眩しく見えた。
「……では、そろそろ日も落ちるころですので。また丹若大社にいらした際には、ぜひお店にお立ち寄りくださいね」
「はい! またお店に寄りますね。飛羽くんも、気をつけて帰ってくださいね」
気がつけば、夕陽が空を美しい橙色に染め上げていた。茜色の光が町の屋根や軒先をやわらかく照らし、昼間の賑わいを少しずつ夜へと溶かしていく。
陸離と瑞穂は、飛羽に手を振ると、夕暮れの町をあとにし、帰路についた。
「飛羽さん、素敵な人でしたね」
帰り道、瑞穂が嬉しそうに言った。
「本当にそう! かわいかったよね……って、もしかして瑞穂ちゃんの好みだったりして?」
「もう、陸離様ったら。あまりからかわないでください!」
夕陽に照らされた帰り道に、乙女二人の楽しげな談笑が響いた。
久しぶりに心から肩の力を抜くことのできた一日は、そんな穏やかな笑い声とともに暮れていった。
まだ手がかりは、たったひとつ。
今日の息抜きを心にしまい、明日からもまた、向かうべき場所へ一歩ずつ歩いていく。




