第一話 陸離と月下老人
「ねね、昔の伝説で、月下老人っていう神様がいてね。その月下老人は、男女の赤い糸を結ぶのが仕事なんだって!」
「なにその仕事、私もしたーい!」
金曜日。仕事終わりにいつもの駅前のカフェで甘いものを一服している陸離の隣では、女子高生たちが恋バナやらおとぎ話やらで盛り上がっていた。
上月 陸離、27歳。
勉強熱心なのが取り柄で、新卒で入った大手メーカーの東京本社で、数少ない女性の総合職として勤めている、平凡な見た目をした会社員である。
子供の頃に両親を事故で亡くした上、幼小中高大ずっと一緒だった大好きな幼馴染の宗介は、自分の紹介で知り合った、陸離の唯一の親友である真奈と明日、結婚式を挙げてしまう。これで陸離は、正真正銘の身寄りなき孤独な人間になる。
平凡な見た目だからこそ、「光彩陸離」から取って名付けられた輝かしい名前に負けないように、外見には気を使っている。だが、宗介への実らない片想い以外、色恋のひとつもない陸離は、当たり前のように訪れる26歳という周囲の結婚と出産ラッシュに焦り出す。
陸離にはこれからの人生、中途半端に中間管理職のまま孤独死していく未来が、簡単に想像できてしまう。
(月下老人がいたら、早く私の赤い糸を結んでくれないと、ばばあになっちゃう)
そんなことを考えながら、陸離は大きなため息をついた。そして楽しみにしていたフラッペの残りを、その自慢の肺活量でズゴーッという音が出るまでひと吸いし、恋する乙女たちが盛り上がるカフェを出た。
「さきほど隣町で大きな爆発事故が発生しまして、O型の血を大量に必要としています!どうぞご協力ください!!」
駅前の献血車の前では、スタッフが懸命に呼びかけていた。
いつも楽しいはずの金曜日の夜が、騒然としていた。
「私、O型です!」
気が付いたら、陸離は献血車の中にいた。
よく人を助けようとする優しさのもまた、陸離の取り柄であった。
とはいえ、献血は初めてだ。健康診断のときくらいでしか血を抜かれたことがなかった陸離は、多少なりとも緊張していた。
「初めてだから、200mlにしようね」
外の物々しさとは裏腹に、優しそうでほんわかした雰囲気の看護師のお姉さんが、陸離の緊張をほぐしてくれた。
(200mlなら、ペットボトルのジュースより少ないか……余裕余裕ー!)
一通りの説明と準備を終え、陸離は指定された場所に座る。そして勢い余って、豪快に腕を差し出した。
「そんなに意気込まなくても大丈夫ですよ~。リラックス、リラックス!」
少し恥ずかしくなった陸離は、そっと肩の力を抜いた。
腕に消毒液のひんやりとした感触が伝わる。そして、針が皮膚を刺す、ちくっとした一瞬の痛み。
陸離は目をそらすことなく、自分の血が抜かれていく様子を、ただぼーっと眺めていた。
その時だった。
突然、周りが真っ暗になった。
自分以外、何も見えないほどの暗闇だった。
(停電?)
「誰かいませんか……?」
「すみませーん」
声を上げても、誰からも返事がない。
(おかしい)
さっきまで聞こえていた駅前の喧噪も、車の音も、スタッフの声も、何も聞こえない。
――ゴゴゴゴ……。
突然、少し遠い場所に、襖が現れた。
襖までは、怪しげな赤いリボンのようなものが、陸離の足元で道を作るように伸びていた。
陸離は襖の向こうにある光に吸い寄せられるように、リボンの上を歩いて襖へと向かった。
ほどなくして、その襖の前までたどり着いた。
何も躊躇することなく、陸離は襖を開けた。
襖が開いた瞬間、向こう側から優しい風がふわりと入り込み、陸離の長い髪を揺らした。
そこに広がっていたのは、満月の光に照らされた一面の草原と、咲き誇る花々。夜だというのに、辺りは実に明るく、趣のある夜だった。その花々もまた、優しい風に揺られて、まるで波のように一面を揺らしている。
陸離はその空間に踏み込んだ瞬間、襖が消えて退路をなくした。だが、花々の向こうにあるひときわ大きな桜の木が目に入り、なぜか迷うことなく、そこへまっすぐ向かっていた。
満月に照らされる満開の夜桜。
ここでいっぱいお酒を飲みたいと思ってしまうほど美しく、陸離は思わず見入ってしまった。
「ここが天国なのか……」
「残念ながら、天国ではなくてのぅ」
後ろから老人の声がした。
振り向けば、大きな木の杖を突き、長い長い白ひげを生やした老人がそこに立っていた。なんだか昔っぽい服装を着ていて、実に仙人のような人だった。
「えっと、どなたでしょうか……?それに、ここは天国じゃないとすると……どこですか?」
「ここは人間からすれば、神々の世界というものでな。わしは月下老人というものじゃ」
「月下老人って、あの、赤い糸を結ぶのが仕事の……!」
「そうじゃ、そうじゃ」
老人は、その長いひげをひとなでした。
「じゃあ私は、どうしてこんな神様の世界に来てしまったんですか?もしかして……もう死んでるとか?!」
「いや、そういうわけではなかろう。あなたを元の世界から異界へ呼んだのは、わしではない。ただ、その呼んでくれた人のもとへ行く前に、陸離ちゃんにはひとつ、大事なお願いをしておきたくてのぅ」
(どうして私の名前を知ってるんだろう……。それに、私を呼んだ人って誰?そもそも、誰かが私を呼んだってどういうこと……?さすが神様、何でもお見通しってことなのかな)
「どんなお願いでしょうか?」
「あなたがこれから行く世界には、色々あって人の血が黒くなってしまってのぅ。それで、わしがみんなの血を使って新しい赤い糸を結べなくなっちゃって、すごく困ってるのよぉ」
「なるほど。その世界の黒い血を、赤く染めてこいってことですね」
「いや待て待て、なんか言い方危ないね君……」
「それは大変失礼いたしました」
「行けばわかるが、先に説明すると、それを仕掛けてるわるいやつがおってのぅ。陸離ちゃんには、そいつを探し出して、赤い血をすべて戻してもらいたいんじゃ」
「かしこまりました。最善を尽くそう」
「え、そんな簡単に引き受けてくれるのー?」
月下老人が、うるうるした目で陸離を見つめた。
「もちろんです!ただ、ひとつだけ条件を出させてください」
「はて、なんでしょう」
「約束を果たした暁には、私の赤い糸を一番に結んでください」
月下老人は、また白いひげをなでおろし、目を見開いた。
「君の赤き糸は、とうの昔に結びおったわい」
(え……?)
「時が来ればわかる。君にはとびきりの良縁が待っておるぞ。おほほほ」
その笑い声が消えると同時に、荒々しい春風が吹き上がった。桜吹雪が舞い散り、陸離の体もまた、花びらとなって消えていった。
「久しぶりに会ったけど、元気そうでよかったのぅ、陸離。そろそろ五百年も君を思い続けた、あやつのもとへ行ってやりなさい」
第1話を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます!
少しでも「続きが気になる!」と思っていただけましたら、リアクションやコメントをいただけると大変励みになります。
これから陸離がどんな世界へと向かうのか、ぜひ今後の物語にもご注目ください!
それでは、引き続きよろしくお願いいたします。
南雲




