前編
戦争という凄惨で憎むべき歴史。
それを物語という形に歪め、エンターテインメントとして綴ることの傲慢さと、割り切れぬ罪深さをここに深く懺悔いたします。
鋼鉄の響きと硝煙の中に消えていった、数多の尊き命。
泥濘に散ったすべての魂、そして英霊たちへ、心からの敬意と深い哀悼を捧げます。
――黙祷。
北満州の泥濘は、鉄と錆、そして臓物をぶちまけたような血の臭いがした。
特種霊式二脚戦車『ヨモツイクサ』。
その装甲板の下に収まっているのは、精緻な歯車ではない。幾重もの注連縄で縛り上げられた、人の背丈ほどもある「藁人形」だ。
「……また一つ、廃品が出たか」
田上一等兵は、泥にまみれた操縦席から引きずり出される戦友を見て、感情を殺して呟いた。
ヨモツイクサの生還率は五割。だが、運良く生きて戻ったとしても、その魂は核となる荒御魂に喰い荒らされ、二度と「人」の言葉を解さなくなる。
だが、その対価としての戦闘力は、唯物論を信奉するソ連軍にとっての悪夢だった。呪力で駆動する二本の脚は、BT―7軽戦車を文字通り踏み潰し、IS―2重戦車の122mm砲弾すら、装甲に刻まれた神代文字の「理」で弾き飛ばす。
田上が三度の出撃から帰還できた理由は、彼が「霊的に無能」だったからだ。
荒御魂の呪詛も、死者の怨念も、彼にとっては雨音のような雑音に過ぎない。その絶望的なまでの鈍感さ――軍が「高適合」と呼ぶ欠陥こそが、彼を最前線へ繋ぎ止めていた。
「田上一等兵。貴様を最新型、特種霊式多脚戦車『オニグモ』の操縦士に補する。これは、帝国を救うための光栄ある――人柱だ」
新京の地下実験場。湿った冷気の中に鎮座していたのは、蜘蛛を模した四基の歩行脚と、禍々しいまでの威圧感を放つ鋼鉄の塊だった。
「……本日より、あなたの御魂を繋ぎ止めさせていただきます。巫女のユキと申します」
傍らに立つ少女の瞳は、感情を磨り潰された硝子玉のように、光を反射せず静かだった。
オニグモに搭載された「霊核」は、ヨモツイクサの比ではない。それは、古の時代に禁忌として封印された『祟り神』の欠片を、軍の科学が無理やり制御下に置いたものだった。
起動の儀式が行われた瞬間、田上の脳内に「雑音」ではない、明確な「殺意」が奔流となって流れ込む。
「ぐっ、あああああッ!」
「田上さん! 離さないで! 楔を、自分自身を繋ぎ止めてください!」
ユキが必死に祝詞を唱え、羽巾を振る。そこから放たれる清浄な気が、田上を侵食する黒い泥のような怨念を、辛うじて押し留めた。
数日後の訓練場。田上の姿は、歴戦の兵たちですら目を背けるほどの変容を遂げていた。
「霊的に無能」という彼の盾は、祟り神の強烈な殺意によって内側から焼き切られようとしていた。脳内に直接流し込まれる腐った泥のような悪意を逃がすため、彼は何かに憑りつかれたように肉体を酷使し、暴力を求めた。
元は吸わなかった安タバコを絶えず吸い込み、肺を煙で塗り潰す。そうでもしなければ、鼻腔にこびりついた「戦場の臓物の臭い」に狂いそうだったからだ。
非番の時間は、壊れた機械のように筋力鍛錬に没頭し、さらに射撃場へ向かう。本来、射撃の的は円形の板だが、彼はわざわざ持ち出した藁人形を人型に組み上げ、それを標的にした。
弾丸を叩き込み、弾が切れれば銃剣を引き抜いて、藁を臓物に見立てるように執拗に斬り裂く。
その時、彼の唇に浮かんでいるのは、この世のものとは思えないほど無垢で、薄気味悪い「笑顔」だった。
だが――そんな彼を唯一、元の「田上一等兵」に引き戻す瞬間があった。
「……そこまでです、田上さん」
冷気を孕んだその声に、田上の剣筋が止まる。
振り返ると、射撃場の入り口にユキが立っていた。彼女の瞳は、狂気に浸りきった田上の姿を、憐れむでもなく、ただ静かに見つめている。
その視線に触れた瞬間、田上の顔から薄ら笑いが消えた。代わりに襲ってきたのは、骨の髄まで凍りつくような「自覚」と、深い自己嫌悪だった。
「……迎えか」
「はい。次の同調訓練の時間です。……参りましょう」
ユキが歩み寄り、血と藁の匂いにまみれた田上の手から、静かに銃剣を取り上げる。
その細い指先が彼の震える拳に触れた時、その冷たさが、沸騰していた脳を現実へと引き戻す唯一の楔となった。
二人は並んで、重い足取りで薄暗い地下通路を歩く。
射撃場の硝煙の臭いが遠ざかり、代わりに湿った油と錆の混じった、格納庫特有の匂いが立ち込めてきた。




