12. ブレインナンバー
アルミュール・ルージュ社で検査・調整を行ってから、電算機研究所へ戻った権藤とテトラは、研究員に出迎えられて、研究棟へ向かった。
アルミュール・ルージュ社では、ボディのチェックを行って問題が無いことは分かっていた。電算機研究所では、頭脳の方の検査が行われることになっていた。
これは、暴漢がテトラの頭部に危害を加えたわけでは無かったが、人間から直接的に”悪意”と暴行を加えられるという、予想外の出来事によるいわば心理的な側面のチェックと言えた。
「解析装置の準備は?」
「直ぐに使用可能です」
テトラを連れた権藤が出迎えた研究員に要件だけ伝える。研究棟の奥にある実験施設へ幾つも扉をくぐって入っていく。
テトラは手術室のような部屋で、歯医医院で見るような歯科医用の椅子に似たものに座って目を閉じた。手足と腹部が固定される。椅子の頭部は首の部分が後ろからも見えていた。
「テトラ、ベータモードに移行して」
権藤がテトラに命じる
「ベータモードに移行、了解しました」
ベータモードは人で言うと半覚醒状態とでも言うようなものだった。まだ、外部からの音声による命令は受け付けるが、テトラ自身で能動的には体は動かせない。次のガンマモードになると外部からの刺激が無いとテトラ自身では活動を再開することが出来なくなる。テトラにとっては、これが睡眠状態と言えた。
テトラがベータモードに移行すると、アルミュール・ルージュ社から一緒に来ていた背の高い眼鏡の女性研究員がテトラの後髪を手で避けてうなじを露わにすると、そこにある楕円形の蓋のようなものを開けるとソケットが現れた。そこに天井から伸びているケーブルを差し込む。ほんの少し、テトラの指先がぴくりと動いた。
もう一人の研究員は壁のモニターを見て機器を操作している。
「接続完了しました」
モニタを見ていた方の研究員が権藤に告げる。
「テトラ、ガンマモードへ移行」
権藤がテトラに向かって言った。
「ガンマモードへ移行しました」
モニターを見ていた男性研究員が言う。
「記憶領域を検索して」
権藤の言葉に、研究員が機器を操作する。
「記憶領域にアクセスしました。どこから再生しますか?」
「今朝の十時五十分からスタートして」
壁にあるもう一つのモニターに、映像が映された。それは、ゆっくりと揺れながら移動するような映像だった。テトラの視点で捉えた映像。前を歩くのは権藤だった。
しばらくして映像が少し揺れた。その後、急に視野が反転する。テトラが振り返ったようだった。その目に男の姿が映っている。その男の右腕に視点が行ってから顔に移る。しばらくその顔をみつめていたのか、映像が男の顔のアップで続く。男は直ぐに警備員らに取り押さえられた。
テトラの視点はまた振り返った。権藤の顔が映る。
「感応波はどう?」
「体に衝撃を受けた時に大きくなっていますが、これは中枢からの反射ですね。その後に男の腕と顔を見て状況の解析を試みているようです。記憶野と解析野の反応が増大しています。男の顔の表情の判断に迷っているかのようです」
「そうね。攻撃してきたと思われる男が困惑の表情をしている。憎悪など悪意などの表情ではない。たしかに、これは人間でも理解に苦しむ状況ね」
腕組みした権藤は面白いものを見たように、笑みを浮かべる。
「ネガティブな反応は?」
「特に強くはありません。人間に攻撃されたらしい、という困惑が強いのかと」
「攻撃してきた男の意図などが分かったら、テトラにも説明が必要ね」
不測の事態ではあったが、それだけに貴重なデータが取れたとも言えた。
「映像を警察に提供する必要はあるでしょうか?」
眼鏡の女性研究員が権藤の顔を見つめる。
「捜査状況によっては、ね。これは、外部には提供していない極秘情報と言ってもいいものです。多くの個人情報も含まれている。警察に提供するにあたっては、外部と調整も必要です。法的に強制でもされない限りこちらから提供する必要はありません」
テトラの視覚・聴覚情報が研究所で取得可能だとはICプロダクションの由美子や森田にも言ってはいなかった。
個人情報が含まれた情報をどう扱うのか、それについては、テトラのプロデュースで得られた情報は研究目的以外で使用しないし、外部にも開示しない、という契約にはなっていた。
「今日のデータもリンクしますか?」
男性研究員がモニターから権藤に視線を移して言った。
「そうね。繋いでおいて」
権藤がモニターを見る。
「ナンバー2の方でも、記憶の共有は出来ているようね」
「時折運動中枢へもアクセスがあったりして、何と言うか、夢をみているような反応ですね」
「デルタモードから移行出来ないのに、散発的に反応はあるし、データ的には共有はしている、か」
デルタモードは電子頭脳が電気信号を送られて活動を開始しただけの状態で、パソコンなどの電子機器だと、OSまで起動している状態、と言うようなものだった。
テトラよりも先に起動させたブレインタイプナンバー2は、電子頭脳は稼働しているが、テトラのような意識を持った反応を返さなかった。どんな調査をしても、欠陥などは発見することは出来ていない。
ある時、外部からの刺激にどの程度反応するかどうか、テストを行っているうちに、テトラから取得したデータを与えたらどんな反応をするのか、という思いつきともいえるテストが行なわれた。
それは、奇妙な結果をもたらした。ナンバー2はテトラのデータを吸収し、自分の記憶の様に電子頭脳内に収めることが出来たようだった。それを続けるうちに、散発的な反応も見せるようになた。
もし、ナンバー2がテトラと同じように意識を持って目覚めることがあるとしたら、それは、テトラのコピーなのだろうか?
記憶を共有した別人格とも言える、違うロボットなのだろうか?
体験すらもコピーできるというのは、造られた、コンピュータと同じような機械であるということを考えれば、可能性は考えられてはいた。
テトラ型、とでもいうような電子頭脳は、四つしか製作されなかったし、世界に二つしか稼働はしていない。その性能、能力と言うものは未知の部分が多かった。
「ナンバー2の電子回路の劣化度は?」
「安定していますね。テトラよりも電子的な反応も良いです。四つのブレインタイプのうちで比較的耐久性を重視して造られただけはあるようですね」
「潜在的な性能だけは、一番いいはずなのだけれどね」
腕組みした権藤が真顔になって言う。性能は良くても動かないことには。素晴らしい性能を秘めたエンジンを載せたスポーツカーのエンジンがかからないようなものだった。
――もし、テトラのコピーというようなヒューマノイドとして覚醒させることができるとしたら?
今後の展開も色々と変わってくるかもしれない。権藤は新たな可能性をそこに見ていた。
人間の脳の活動を電気的な信号として変換し、それをテトラと同じ設計の電子頭脳に移し替えることも可能となるかもしれない。
ヒューマノイド開発プロジェクトで最終的に造られたテトラを含めた四体の電子頭脳は人間の頭脳を参考にしていただけに、人間の頭脳との比較実験なども当初は考えられていた。
まともに動いたのがテトラだけ、という現状ではそれも難しい。森田が会った、斉田という研究者は、人間の頭脳と電子頭脳の比較研究をテーマとしていた。AIによるシミュレーションとは違い、実際の人間の脳の活動を電子頭脳に移し替えることができれば、人格のコピーというようなことができるかもしれなかった。
現在は、テトラもナンバー2の電子頭脳も権藤の研究チームで抑えているので自分の研究に活用できないとして、斉田は上層部に積極的に働きかけてもいた。
人工頭脳同士でデータのコピーが出来て、”人格”のコピーまで行うことが出来たら、人間の脳との連携にも一歩近づくかもしれない。
しかし、サンプルとなる電子頭脳は二つと、あまりにも少なかった。
ここまでできただけでも奇跡的なことではあったが。権藤は何時ももっとサンプルがあれば、と、思わずにはいられなかった。
テトラが起動し、活動を始めたことで、ヒューマノイド開発プロジェクトの上層部や、関連する企業などに動きが出てきたときは、電子頭脳の開発の延長、継続の芽が出てきたかもしれない、と思ったものだったが、どうも、そうしたものとは違う、妙な活動が始まっているようなことを権藤は感じ取っていた。
それが、ある程度目に見えるような形として現れたのは、海外の研究者との軽い対話からだった。その研究者は、ヒューマノイド開発プロジェクトを主導した更科博士の思想というか、更科博士を含めた一部の科学者たちでヒューマノイドに関する構想が練られていて、それが公にはされてはいない幾つかのプロジェクトとして活動 を始めているのだという。
その研究者は、権藤も当然そのプロジェクトなりに関わっているものと思ってその話をしたようだったが、権藤が何も知らないようだと気が付いて、話を切り上げて、以後はその話題は出さなくなった。
権藤は、自分の知らないところで進められているらしいプロジェクトというものに漠然とした不満と不安を覚えた。
更科博士の工学的に作られた超人類などという構想を本気で行おうとしているのだろうか?
ヒューマノイド開発プロジェクト自体、権藤は実際に計画されて実行に移されるとは思っていなかった。莫大な予算などは、様々な人々の思惑や欲が絡み合って投じられたものなのだろう。
それは、テトラのようなヒューマノイドを生み出すだけでなく、その先の、何か、曰く言い難い、”計画”、の最終的な目標へ向けられたものなのかもしれない。
権藤をそのプロジェクトの関係者だと思った研究者は、プロジェクトに関する符号、暗号とでも言ったものも口にしていた。
パンドラに、エピメテウスと。
「データの移行が完了しました」
男性の研究員の言葉に、権藤は我に返った。自分のあずかり知らないところでどんな思惑で人々が動いていたとしても、今はそれを気にかけている時ではない。
「テトラとのリンクを解除して、テトラはそのままスリープモードへ。後は、何時も通りに」
「了解しました」
二人の研究員が同時に返事をする。
権藤はそれを聞いて少し笑みを浮かべつつ、眉の付け根を軽く揉むような仕草をしてその場を離れた。




