25話 ヴィクター、舞台へ
「なんでこうも、上手くいかないのだ!」
ヴィクター・ヴィーゼンベルクは、王城の奥にある重厚な会議室で苛立たしげに机を叩いた。
薄暗い照明の下、分厚いカーテンに閉ざされた空間には、取り巻きの貴族たち数名が怯えたように控えている。
かつてならこの会議室は、彼が「次期国王候補」として威風堂々と計画を練る場所だった。
だが今はその雰囲気が一変している。
空気には焦燥と怒りが滲み、ヴィクターの金色の瞳は酷薄さを帯びていた。
「くそ……まさかあのロドルフが暗殺に失敗するなんて」
その言葉に、周囲の高位貴族たちは誰も口を挟めない。
失敗――それも、決定的な失敗だ。
ロドルフが直々に手を下そうとした暗殺計画が、無能王子のはずのレオンハルトにあっさり退けられたという報告を受けたとき、ヴィクターは怒りで目が眩みそうになった。
「ロドルフめ、あれほど念を押したのに……。挙句の果てに第二王子ごときに片腕を落とされ、今では騎士団から追放、間もなく処刑されるとは」
取り巻きの貴族たちが互いに視線を交わすが、何も言えない。
騎士団長であったロドルフが、暗殺未遂の首謀者としてすべての罪をかぶる形になっているのは明白だ。
ヴィクターを守るために自害するなり、証拠を隠滅するなり、本来ならそうしてほしかった。
だが、ロドルフは敗北し片腕を失い、捕えられるという大失態をさらした。
その結果、彼の処刑が予定されるのも時間の問題だ。
「グスタフも足がついている、と?」
ヴィクターが苦々しく問うと、隅に控えていた公爵家の当主が慌てて答える。
「は、はい……エステルの従姉妹であったミリアム嬢は、すでに裁判で有罪が確定し、処刑が決まったとか。財務大臣グスタフも、そろそろ証拠が固まり始めており、財務局が動くのは時間の問題かと……」
「……くそが」
ヴィクターは低く呟き、机上に散らばった書類を荒々しく払った。
ばさばさと音を立てて紙が床へ落ちる。
(エステル……それに、レオンハルトめ。無能な第二王子じゃなかったのか。ずっと騙していやがって……!)
ヴィクターの思考が毒々しい怒りに染まっていく。
レオンハルトはずっと「使えない弟」「王位など到底継げない存在」として周囲に評判づけてきた。
だが、それすら策略だったのか、兄であるヴィクターに長らく本性を隠してきたというわけか――その事実に、裏切られたような激しい苛立ちを覚える。
(あんな男が、あんな無能王子が……なぜ俺の邪魔をできる?)
深く息を吐き、顎に手を当てながら、ヴィクターは頭の中で次の策を組み立てようとする。
――自分は、この国で圧倒的な王権を握るはずだったのだ。
しかし今、その立場が危うい。
ロドルフやミリアム、グスタフらが次々と失脚していけば、当然ヴィクターにも疑いの目が向けられるのは時間の問題。
(だが、俺は負けない。……すでに敵国のカーディア公国との繋がりを築いてある。あいつらの協力を得て、この国など手中に収めてやる)
ヴィクターが思い浮かべるカーディア公国は、表向きは小規模な国に見えるが、軍事力と資金源に関しては侮れない。
彼らは「ヴィクター殿下を支援し、王位を継がせる代わりに、この国の内政を事実上握りたい」と提案してきた。
もちろん、ヴィクターから見れば利用価値があるだけで、最終的にはこの国ごと乗っ取り、カーディア公国すら自分の配下に置こうと考えている。
(すべては俺が最高の王になるため。国民や他国がどう思おうが関係ない。俺こそが世界を統べるに相応しい)
だが、ヴィクターは密かに焦燥感を募らせていた。
エステルとレオンハルトが組み、暗殺すら防ぎ、騎士団長まで倒したという現実。
しかも「無能王子」の評価を一変させたレオンハルトが社交界で注目を集めはじめ、国に対する影響力を増しているのも事実だ。
(とにかく、次の一手を打たねば……。だが何をすれば? まだ材料が足りない)
ヴィクターは唇を噛み、振り返るようにして取り巻きの貴族へ問いただそうとする。
が、誰一人として有益な策を持っていそうな者はいない。
会議室の空気は重く沈み、ひとまず解散せざるを得なかった。
――それから二週間ほどが過ぎた。
ヴィクターは敵国カーディア公国とひそかに情報を交換し、密書を取り交わしながら次なる策略を探っている。
しかし、明確な形で再び暗殺を仕掛けるのは難しくなった。騎士団内部も厳戒態勢に入り、ロドルフが捕まって処刑される流れが出来上がっている今、粗雑な動きができない。
それでもヴィクターは諦めていない。
(いつか必ず、レオンハルトとエステルを消し去り、国王の座を奪ってやる)
――そう胸に誓う。
そして迎えた、秋の社交界。
複数の貴族家が連携して催す大きな夜会で、この国の上流階級が一斉に集まる重要な場だ。
ヴィクターは外面を繕い、王子として堂々と会場に姿を見せる。
金髪をきらびやかに整え、取り巻きの貴族を数人従えながら歩を進めると、周囲が恭しくお辞儀をして道を譲る。
視線の端で、レオンハルトの姿を探している自分に気づき、内心で苛立ちを覚える。
(馬鹿馬鹿しい。あんな男など、本来なら目にも留めないはずだったのに)
ところが、中央のフロアを見やれば、ドレスをまとったエステル・グランディールがレオンハルトにエスコートされて現れていた。
二人はたちまち注目の的となる。
裁判で無実を勝ち取り、ミリアムや騎士団長の陰謀を潰した令嬢と、「無能王子」であるはずが実は非常に有能と囁かれ始めた第二王子――。
華やかな光に映えるその姿を、貴族たちは興味深そうに眺め、時には羨望のまなざしを向けているようだ。
(くそっ……)
ヴィクターは陰からその様子を睨みつけた。
かつて、舞踏会の主役と称えられたのは第一王子であるヴィクターだった。
しかし今、目の前でレオンハルトとエステルが醸し出す存在感が、会場全体を支配しているように思える。
そんななか、国王陛下と王妃陛下が高らかに入場する合図が鳴り、貴族たちが左右に分かれて道を作る。
ヴィクターもさすがに敬意を表すふりをしながら、会釈するように頭を下げる。
そして王と王妃が玉座へ落ち着いた頃合いで、レオンハルトとエステルが二人揃って進み出た。
「陛下、王妃様、今宵はご壮健なご様子を何よりに存じます」
レオンハルトが恭しく言葉を継ぎ、エステルも深々と頭を下げる。
王や王妃はにこやかに頷いているが、彼らの表情には微かな戸惑いが混じっているようにも見えた。
珍しい。
普段は無気力を装っていたレオンハルトが、こうして公の場で発言するなど。
一瞬の静寂――。
それを打ち破るように、エステルがはっきりと通る声で口を開く。
「私たちから、ぜひ陛下と王妃様にお伝えしたいことがございます。……国のために見過ごせぬ疑いが浮上しておりますので」
エステルがチラッと、ヴィクターのほうを見た気がした。
いや、確実に見ている。
しかもレオンハルトも一緒に。
ヴィクターの額に、嫌な汗が浮かぶ。
大勢の貴族や重臣たちが見守るなかで、レオンハルトとエステルが“ある報告”をする。
このタイミングで、まさか――。
「――第一王子であるヴィクター殿下が、ある国と内通している嫌疑がございます」
エステルの声がはっきりと会場に響き渡る。
その瞬間、息を呑むような沈黙が降りた。
「なんだと……!」
「えっ、ヴィクターが……?」
王や王妃も驚いたように身を乗り出す。
周囲の貴族たちはざわつき、一部は半信半疑の表情、あるいは面白がるような色を宿している。
(この女……!)
ヴィクターは思わず拳を固く握りしめた。
ここで自分の名を挙げ、しかも「内通者の疑い」とは……ふざけるな。
彼は周囲の視線を浴びながら、必死に乱れそうな呼吸を押し殺す。
(まずい。この場で具体的な証拠を突きつけられれば、一気に立場が崩れかねない……)
ロドルフもミリアムも既に捕えられ、グスタフも尻尾をつかまれそうだ。
ヴィクター自身はまだ決定的な証拠を押さえられてはいないはずだが……レオンハルトとエステルの結託ぶりを考えれば、どんな罠が張り巡らされているかわからない。
(落ち着け。今ここで取り乱せば、それこそあいつらの思うつぼだ)
ヴィクターは忌々しげに唇を噛みながらも、あくまで堂々とした態度を装おうとする。
対立しているカーディア公国と繋がっていることがバレたら、ヴィクターの立場が危ない。
さらには、カーディア公国との計画も泡と消えるかもしれない――。
(くそ……まったく、こいつらはどこまで邪魔をするつもりだ。エステル、レオンハルト……っ!)
そんな怒りをぐっと飲み込みながら、ヴィクターは冷ややかな笑みを浮かべ、あくまで「自分は潔白ですよ」と言わんばかりの態度をとろうとする。
だが、その背中には嫌な汗が伝っていることを自覚していた。
会場の注目が、一斉にヴィクターと王、そしてレオンハルトとエステルへ注がれる。
ヴィクターは歯噛みする思いで、視線をちらりとエステルのほうへ向けた。
――まるで「次はあなたの番です」と言いたげに、エステルがわずかに笑っていたように見えた。




