46.シーン3-12(悲しいお知らせ)
それからコクヤ港に到着するまでのほとんどを机と書類と共に過ごした私は、またもやキュリアさんから到着しましたよという言葉を受けて、中一日と半日という時の経過を知らされた。はじめ船に乗ったときに大量の荷物を置いた場所は、そのまま私の貸しきり作業室となっていた。夜は客室で休んで良いと言われたのだが、気が付けば航海中に仲良くなった机と椅子と共に眠りに落ちてしまっていた。これでは、ずっと部屋に引きこもっていたらしいどこかの赤い誰かのことを、私もとやかく言えはしない。
港に船が着いたのは夜中であったため、夜が明けるのをそのまま船の中で待ってから、私たちは船を降りた。未達成の宿題をごっそり抱え、凝り固まった足腰としょぼしょぼする目を持ち上げながらふらふらと部屋を出てみると、オルカが教会の雑兵と仲良く会話しながら廊下を歩いてくる。
どうやら彼は、教会兵と相部屋で過ごしていたようだ。一日かそこらであっさり打ち解けてしまうところは、もはや彼の十八番と言って良い。
船の外へと出てみれば、甲板の上、そこから見えるコクヤ港、さらにコクヤの街一面に朝霧が立ち込めており、聖都よりも南側という位置関係を感じさせぬほど、ひんやりとした空気が漂っている。周りを海に囲まれている為か、湿度が高い街のようだ。
揺れる上に視界が悪いので足元には十分に気をつけてください、というキュリアさんの警告をなんとなく背中で聞きながらぼんやりタラップを降りていると、突然、私の真後ろにいたミリエが悲鳴を上げた。
キュリアさんの注意むなしく、朝霧により湿った段差で足を滑らせたミリエが突撃してくる。後ろから体ごとどつかれた衝撃で、荷物を抱えて体勢がおぼつかなかった私の体はバランスを崩し、あらぬ方向へと傾く。この荷物の中身が本当にウハウハ旅行の荷物だったら、どんなに気楽に落ちていけることだろう。しかし中身は大量の借金返済道具、大事な大事な金の蔓だ。
その昔、紙、もとい、正確には紙ではなくとも筆記媒体とされる物たちは皆、非常に貴重なものだった。世間一般に生成方法が浸透しきっていなかったばかりではなく、安定した畜産技術が確立されていない中で、高価な財産である家畜の数や、羊皮紙、その他獣皮紙の生産量など知れている。採れる地域が限定されるパピルスから成るパピルス紙もまた、同様に高価なものだった。
詩人や思想家達が綴り記した叙事詩や哲学書、聖書といった書物はすべて、その一篇一篇を修道士などの有識者によりそれらの媒体へと丁寧に書き写され、王侯貴族へと差し出されていた。貴重な紙から出来た本は、まさに至高の娯楽、至高の教養であったのだ。
そんな至高の品々を、私は今、海へ投げ出そうとしている。私は、私はもう、大切なものを海に落とすだなんて御免だ!
私の前を歩いていた人物が、背後で起こった不穏な気配に後ろを振り向き、私の視線とぶつかった。
一蓮托生、問答無用、受け取れ、パラリラァ!
もはや自身は再起不能と悟った私は思い切って体をひねり、私が抱えた全てをカインへと押し付けた。親指を立て不敵な笑みと共に溶鉱炉へと沈み行く戦士のごとく、私の体はゆっくりと海へ向かって近づいていく。着水するわずかな瞬間、カインの前を歩いていたはずのオルカが、転げ落ちていくミリエを見事に受けとめた光景が視界に映った。そのまま私はどぼんと落ちた。
「ご無事ですか!」
桟橋に手を伸ばした私の元へ真っ先に駆け寄ってきたキュリアさんに助けられ、私は海から引き上げられた。
「私にはもうキュリアさんしかいません……」
「海に落ちたくらいで諦めないでください……」
嘆息まじりにいじける私をキュリアさんがなだめる。私はその辺にいたカインに礼を述べると荷物を引き取って足元に置き、じゃぼじゃぼとブーツに溜まった海水を抜いた。
私たちから離れた場所では、とっさのことで無意識に体が動いたらしいオルカが、状況を理解したのか抱きかかえていたミリエを慌てて降ろし、物凄い勢いとともに頭を下げて謝っている。ミリエの顔は、朝霧が湯気となって蒸発するかと思うほど真っ赤だった。これはもうどうにもならない。
「どうやら私には水難の相が出ているようです」
肩を落としてぽつりと呟く私の言葉に、キュリアさんは縁起でもないと苦笑いする。
「コクヤへ入る前に、港の詰め所でお着替えください。剣はともかく、着替えは用意してありますので」
こちらの惨事にまるで気がつく気配のない二人の周りに漂う空気は、見るからに新学期の始業式、出会い頭にぶつかってしまい謝りながらもお互い顔を見合わせて赤くなる、男子生徒と女子生徒だ。春一色の二人を見ながら、私はおとなしく「はい」と頷き、ため息をついた。心の中で、氷河に抉られ遥か彼方へ聳え連なる峰々に向かい、私に今さら青春なんて来るわけねえだろバッキャロー!と、叫び放ったのは言うまでもない。
詰め所で着替えを受け取って物陰で手早く着替え、外へ出ようとした瞬間、聞きなれた声を背後からかけられた。
「あっ、ゴリオさん」
「ゴリオっていうか、俺の名前はゴリリオなんだが」
短く髪を刈り揃えた頭をかきながら、すっきりしない顔でゴリオさんが歩いてくる。どうにも言葉の響きが妙に引っ掛かるらしい。心配なさるな、愛着以外の他意はない。
こんなところでどうしたのかとお互いがお互いに問いかける。私はミリエのお付きだと適当に答えておいた。多分、それほど間違っちゃいない。彼はどうやら、聖都から来る魔術士の護衛のためにコクヤまで来たらしい。
なんでも、コクヤでは今物騒な事件が相次いでいるそうだ。どうやら少なからず人並み以上にはマナを扱える人物が関わっているのだとかで、捕縛に少々手こずっているらしい。例え景気が良かろうと悪かろうと、光も影も存在するということだ。




