37.シーン3-3(重い荷物で旅に出る)
準備をしろと言われても、何しに行くのかさっぱり知らない私には、まるで準備のしようがない。もともと記章を届けるだけの予定だった私には大した荷物なんて無く、しかも私服は洗いに出した状態ときた。することが見当たらないので、聖都に来るため持ってきていた簡単な旅の荷物を肩にかけ、私は仕方なくミリエの部屋まで足を運んだ。
「ミーリエー、入っていいー?」
宿舎の個室のドアをこんこん叩くと、中から「入ればー」なんて連れない声が返ってくる。
広々とした室内に、つややかに磨かれた机やタンスが置かれており、ひとりで寝るには十分すぎるセミダブルほどのベッドが目を引く。妹が不自由のない暮らしを送れているようで、あとは変なのにさえ引っ掛かりでもしなければ、私ももはや安泰である。
「みんな準備終わってるんなら、もうちょっと待つように言っといてくれる?」
ミリエは着替え中だった。
皮のコルセットを身に着けるミリエを手伝いながら部屋の中を眺めていて、机にペンが置いてあることに気がついた。
「ミリエ、ちょっとペン貸して」
「いいわよ、別に」
私は綺麗な装飾を施された羽ペンを手にとった。あまり使う機会がないのか、没食子のインクは使えなくなったらしい古いものと、新しく持ってきたものが置いてある。
蓋を適当に開けておいて、しっかりと封をしていなかったに違いない。我が妹ながら、こういうところは何とかならないのだろうかと悩んでしまうところである。物があふれているような、贅沢な時代ではないのだ。いや、そういった贅沢な時代であったとしても、限りある資源や貴重な時間と労力を、無下に扱うというのはよろしくないと思われる。
私は、持ち歩いていた名刺大の夏休み実験風自家製紙に、少し帰りが遅れるとの連絡を書きつけた。帰りが遅いと心配されたら大変なので、発つ前に、地元の町へ届けるよう教会の人に頼んでおこう。識字はもとより筆記媒体自体が一般的に普及していないので、それを使わない他の連絡手段もあるのだが、伝言ゲームの結果からもわかるように、言伝てでの連絡はあまり当てにしてはいけない。
こうして私が文字を覚える機会に恵まれたのは、ミリエが魔術士会、もとい、教会のお世話になっていたことが大きい。もちろん自力で覚える気ではいたが、それでも門口が自然と開かれていたのは幸運以外の何物でもない。
「まったく、何でほんと落としちゃうのよ、もう」
面倒ごとに見事な形で巻き込まれてしまったミリエは、伝言を書く私の背中に愚痴をたれた。
「まあまあ、今回は私のせいだから。さすがに次があったらどうなるかは分からないけど」
「ないわよ!」
実は、ミリエはむかし何度か記章を落としてなくしてしまったことがあり、何回目かでキュリアさんの逆鱗に触れ、こっぴどく叱られたことがあったのだ。仏の顔も三度まで。確か、四回目の高価な記章だったはずだ。
一週間便所掃除だったか何だか忘れたが、ゴリオさんに聞いたところの話では、当時まだ幼かったミリエはその倍の期間ほど半ベソ状態だったらしい。今回、記章を彼女が家に置き忘れ、しかもそれを私が落としましたと暴露したとき、その憤慨ぶりときたらとてつもないものだったが、多分その時の悪夢がよみがえってしまったに違いない。
ちなみに、そんな昔のごたごたがあった少し前、お仕置きの方法についてだかいった内容でキュリアさんと世間話をした際に、一週間便所掃除だとかなんとか、最初に言い出して盛り上がったのは私である。そんな後でまさか妹が記章をなくして便所掃除の刑に処されるとは思いもしない。しかもまさか、本当にキュリアさんがそれを実行してしまうとは思いもしない。ミリエには一生うち明けられない秘密である。キュリアさんのシビアな教育方針に恐怖した瞬間でもある。
「そのわりには進展ないんじゃないの」
脱いだ服をベッドに吹っ飛ばして、ほったらかしにしたままだ。これならいつまたなくしてもおかしくはないと思われる。
「アンタには言われたくないわ」
足首まであったひらひらの長いスカートから、膝丈ほどの動きやすそうなスカートと衣装に切り替えたミリエは、そのままクローゼットから外套を取り出して棍棒、訂正、杖を手にとった。そして、行くわよ、と言って私を向いた。
「あれ、荷物は?」
「キュリアが用意してくれてるんじゃないかしら」
自分で着替えていなければ、完全に温室のお姫様である。




