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落骸都市の箱庭領主  作者: ひげくま


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第1話 起きろ、旧い心臓

 浮遊都市は、今日、三十七人の住民を捨てる。

 その三十七人は、地下広場に集まっていた。


 捨てられるのは、第七外縁区。

 オルディナの底に継ぎ足された、古い配管と錆びた家々の区画だった。


 切り離しまで、残り十二分。


 天井の伝声管が、割れた声を吐いた。


《第七外縁区、重量超過により切り離し準備。残留者なしとして処理》


 残留者なし。


 第七外縁区はすでに、居住区登録を外されていた。

 移送名簿には、退避完了の印が押されている。名簿から漏れた子供たちも、救助のため戻った大人たちも、端末の上ではもう残留者ではなかった。


 今地下広場には、三十七人の追放された住人がいる。


 第七外縁区の排水ポンプを、十七歳の整備見習いであるノア・アークライトは、十二歳の頃から直してきた。

 雨漏りする礼拝室も、冬に凍る共同水場も、子供たちが眠る地下広場も、全部ここにある。

 伝声管の声を聞いた瞬間、指先が震えた。

 震える手を工具袋の布で押さえ、ノアは前を向いた。


 地下広場の奥、古い仕切り壁を一枚隔てた旧市街層で、ノアは黒い金属球、小さな都市核らしき物の前に立っていた。

 実際にこれが都市核かはわからない。

 だが、祖父の図面で見た都市核と、配管の集まり方が似ていた。


 ノアがこれを見つけたのは、数日前だった。

 移送騒ぎで下層の排水が逆流し、ノアは水が逃げる先を確かめるため、古い排水管を点検口から追った。

 普段から外縁区のポンプや水場を直していたから、管の曲がり方や、塞がれた壁の向こうに続く古い経路はある程度読めた。

 夜通し管をたどった先で、仕切り壁の裏に黒い球体を見つけた。

 球体からは、外壁、空気管、水管へ伸びる太い管が出ていた。


 この小さな核だけで、本体都市オルディナを浮かせられるとは思えなかった。

 球体の規模も、伸びている管の行き先も、本体を支えるものにしては小さすぎる。

 ただ、空気管、水管、外壁へ向かう太い経路は生きているように見えた。

 切り離された後、空気を少しでも保ち、床の揺れを弱め、地下区画を浮上させられるかもしれない。


 つまり、これを起動できれば、切り離されても生き残ることができるかもしれない。


 起動できなければ、ここに残った人は全員、区画ごと落骸海へ落ちる。

 そこへ落ちたものは戻らない。海の水を飲めば生きて戻れないと、下層の子供でも教えられてきた。


 ノアの前には、割れた制御盤があった。


 円形の盤面に、七つの灯が並んでいる。

 文字は残っていたが、旧式で読めない。

 それでも、絵と管の行き先で役割は追えた。


 炎の絵。

 水滴の絵。

 風車の絵。

 人型の絵。

 石を抱く輪の絵。

 外壁を囲む膜の絵。

 黒い球体へ伸びる太い線。


 青い灯は、ひとつもない。

 下層に残る古いポンプも、赤は止まった時、青は動作した時点灯だった。

 同じ規則なら、ここも青が動作した合図のはずだ。


「青を全部そろえる。少なくとも、落ちた後に空気と外側の膜が残るところまで持っていく」


 ノアは盤面から目を離さずに言った。


「それで助かるのか」


 隣でバルドが鉄棒を握っている。下層の鍛冶師らしい太い腕には、石壁を削った時についた傷がいくつも走っていた。


「助かる、じゃありません。すぐ死なない可能性が出ます」


「十分だ」


 頭上で鐘が鳴った。


 避難を告げる鐘ではない。

 切り離し作業の鐘だ。


 最初に赤く点いているのは、炎の絵の横だった。

 そこから伸びる太い管が、壁の外、大きな水槽とファンへつながっている。


「この管を先に開けます」


「熱を逃がす管か」


「はい、おそらく。詰まったまま核を温めると、熱が逃げずに止まると思うので」


「どこだ」


「炎の絵から伸びる太い管のうち、左から四本目です。出口の温度が上がっていないように見えます」


 ノアは制御盤の下に膝をつき、古い配管の束を指でたどった。


 熱は来ている。

 だが、出口側の管は冷たい。

 途中で、排熱を逃がす弁が閉じたままになっている。


「トマ、その管の先、壁際の下から四つ目の点検口に入れるか」

「入れる!」


 配管の隙間から、煤で真っ黒になった顔がのぞいた。十一歳のトマは、大人なら肩でつかえる通路に潜り込んでいる。

 声は大きいが、目だけは何度も天井を見ていた。


「中に止め金があるはずです。弁が勝手に開かないように押さえてるやつ」


「あった!でも、錆びて動かない!」


 止め金が外れなければ、弁は開かない。

 止め金の頭は、外側にも突き出している。

 そこも錆で固まっていた。


「バルドさん、外に出ている止め金の頭を叩いてください。俺の合図で一回」


「任せろ」


 地下広場の方で、子供が泣いている。

 ソフィアが低い声で、座って、隣の子の手を握って、と繰り返していた。


 ノアは息を吸った。


「三、二、一」


 バルドの鉄棒が、外に出ている止め金の頭を叩いた。

 同時に、トマが内側から止め金を引く。


 がこん、と重い音がした。


 熱気が水槽・ファン側へ吐き出される。

 焦げた埃と古い油の臭いが広がった。


 炎の絵の横で、赤い灯が青に変わる。


「よし、一つ」


 次に赤く点いているのは、水滴の絵の横だった。

 水滴の下には、圧力計らしきものが二つある。

 片方は動かない。もう片方は、わずかに圧を示していた。

 共同水場の古いポンプにも、同様のものがあった。

 片方が送り、もう片方が戻りを示す。どちらかだけが動く時は、水が途中で回っていない。


「水を回す管に圧がない。でも片方だけ、少し残ってる。予備側かもしれない」


「水ならあるよ」


 非常用の水桶を抱えた子が、不安そうに近づいてきた。


 ノアは首を振る。


「ありがとう、でも、それは飲み水に残そう」


 頭をなでてやると、水桶の子は泣きそうな顔でうなずき、桶を胸に抱え直した。

 自分の出来ることをやろうとする、その姿にノアは気合を入れなおした。


 制御盤の下段には、三つの弁が並んでいた。


 札は錆びている。

 文字はほとんど読めない。


 ノアは弁ではなく、弁から伸びる管を見た。


 一つ目は、床下の排水溝方面へ向かっている。

 三つ目は、旧居住区方面へ向かっている。

 二つ目だけが、制御盤の裏を回り、厚い石壁の向こうから来ていた。前に割れた点検窓から見た、予備水槽室のある方角だ。

 その管は冷たい。表面に細かい水滴がつき、弁の下の圧力計だけがわずかに残圧を示している。

 ここまで追って、ノアはようやく予備水槽側だと決めた。


「真ん中です」


「読めるのか」


「文字は読めません。でも水槽の方から来ていて、管だけ冷えてる。予備水槽側です」


 ノアは真ん中の弁を両手でつかんだ。


 固い。


 バルドが横から手を添える。


「回すぞ」


「ゆっくり。急に開けると管が割れます」


 二人で少しずつ弁を回す。


 管の奥で空気が抜けた。


 ごぼ、と鈍い音。

 足元の下で、水が動き出す。


 水滴の絵の横で、赤い灯が青に変わった。


「二つめ!」


 伝声管がまた鳴った。


《切り離しまで、残り六分》


「分かりやすくなってきたじゃねえか」


「まだ、油断できません」


 次に赤く点いているのは、石を抱く輪の絵だった。

 これは何だ・・・・


 ノアは絵の下にある二本針の計器を見た。


 二本の針が細かく揺れている。

 針の根元から、短い線が二方向延びている。

 片方は黒い都市核へ。

 もう片方は都市核の真下へ潜る管へ延びている。

 過去に見た都市核の図面では、都市核の下には浮遊石があった。

 おそらく、ここも床下に埋まった浮遊石に繋がっているのだろう。

 

 二つの針は、ほとんど重なっているが、わずかにずれていた。


「都市核と浮遊石の震えがずれてる。同期が取れてないってことなのか・・・?」


「どこを直す」


「震えを合わせる弁です。でも弁が多すぎる」


 その時、小さな手がノアの袖を引いた。


 セナだった。


 九歳の少女は両耳を押さえ、都市核の下を見ている。

 セナは怖い音がすると、いつも耳を押さえる。

 そのかわり、古いポンプの軸が曲がった時も、壁の向こうで水漏れが始まった時も、大人より先に違う音を拾った。


「ノア。下の、細い管」


「どれ」


「かたかたしてるやつ。ほかの音と違う」


 ノアは身をかがめた。


 細い管の根元に、小さな調整弁がある。

 手を触れると、確かに細かく震えていた。


「これか」


 ノアは調整弁をほんの少し回した。


 二本針の計器の針が離れる。


「ちがう」


 セナがすぐに言った。


「逆方向?」


「ちょっとだけ」


 ノアは息を止め、逆方向へ弁を動かした。


 二本の針が重なる。


 石を抱く輪の横で、赤い灯が青に変わる。


「うまくいった、ありがとうセナ」


 同時に、風車の絵と人型の絵の横が黄色く点滅した。

 風車の絵から伸びる細い線は、広場の天井へ向かっている。

 空気を送る管だ。

 その下で、人型の横に空欄が出ている。


「何かヒントは・・・・」


 制御盤の右端にも、同じ人型と古い目盛りが残っている。

 目盛りを一つ動かすたびに、人型の横の小灯が一つずつ増えた。

 ここで数を合わせるのだと、ノアは判断した。


「人数を入れろってことだと思います。乗っている人数で変わるんです」


「人数?」


 リナが薬箱を肩にかけたまま近づいてきた。白衣の裾は泥で汚れ、腕の中では最年少の子が目を閉じている。


「ソフィアさん、ここにいる人数は」


 壁際で子供たちを座らせていたソフィアが、声は震えていたが、すぐに答えた。


「三十七人」


 ノアは目盛りを動かす。

 小灯を一つずつ数え、三十七個目が青く点いたところで手を止めた。


 目盛りの下に、スイッチがついており、ノアは、スイッチを押した。


 制御盤が震える。


 風車の絵と人型の絵の横で、黄色い灯が青に変わった。

 水滴の灯も、弱くなりかけてから青に戻る。


「四つ、五つ」


 残る赤は二つ。

 黒い球体へ伸びる太い線。

 外壁を囲む膜の絵。


 制御盤の表面に、古い文字が浮かび上がった。


 読めない。

 だが、七つの絵のうち五つが青に変わると、残った二つの赤い灯が弱くまたたいた。

 その間で、制御盤の一部が開き、浅い手のひらをしたくぼみが現れた。


 手を置け、ということだけは分かった。


 上で三度、鐘が鳴る。


 短く、硬く。


 地下広場の空気が凍った。


 切り離し作業が始まった。


 床がわずかに傾いた。

 天井から錆が落ちる。


 バルドが崩れかけた棚を押さえた。

 リナが眠りかけた子を抱き寄せる。

 ソフィアは子供たちを壁際へ座らせ、頭を低くするよう声をかけていた。


 ノアは右手をくぼみに置いた。


 金属は冷たい。

 表面の小さな灯が、一度だけ弱く明滅した。


「動け」


 声が震えた。


「頼む」


 黒い球体へ伸びる太い線の灯が、青に変わった。


 続いて、外壁を囲む膜の絵の横も青く灯る。


 七つ。


 頭上で、金属が裂ける。


 本体都市オルディナと第七外縁区をつないでいた支柱と太い配管が、順に断ち切られていく。


 子供たちが叫んだ。


 誰かが祈った。


 誰かが、ノアの名を呼んだ。


 黒い球体が低く震えた。

 床下の配管が順番に鳴り、七つの青い灯が明るさを増す。


 外壁を囲む膜の絵から、青白い光が盤面の縁へ走った。

 仕切り壁のひびから、同じ色の反射が地下へ差し込む。


 次の瞬間、足元の重さが抜けた。


 床がふわりと沈む。

 体が浮き、胃が喉までせり上がる。

 すぐに下へ引かれる力が強くなり、子供たちの叫び声が、ひとつに重なった。


 その時、黒い球体が、もう一度低く震えた。

 外壁を囲む膜の絵の灯が弱く明滅する。

 仕切り壁のひびから差し込む青白い光が、消えかけては戻った。


 落ちる速さが、少しずつゆるむ。


 止まってはいない。

 しかし、第七外縁区は、弱々しい光をまとったまま、ゆっくり降下していく。


 制御盤の端で、盤面の一部が薄いガラスのように透け、小さな窓になった。

 外が見えた。

 落骸海が都市の外壁のすぐそばまで押し寄せてくる。


 広場の方で誰かが走ろうとして転んだ。

 ソフィアが、動かないで、壁から離れないで、と声を張る。

 リナは子供を抱え込み、バルドは倒れかけた棚を肩で押し返した。


 ゆっくりと、切り離された第七外縁区は落骸海の中を降りていく。

 だが、落骸海は第七外縁区の中までは入ってこなかった。

 外壁の青白い光が、薄い膜のように区画を包んでいる。


 完全に助かったわけではない。

 落ちながらも、とりあえず、命は繋がった。


 その外側で、落骸海が静かに区画を包み込んでいた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。


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感想もいただけましたら嬉しいです。

次回もよろしくお願いいたします。

※本作は「カクヨム」にも掲載しています。

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