討伐軍
「逆賊を討て! 」
「皇を呪殺せし忌まわしき妖狐を狩り出せ!!」
鉛色の雲が垂れ込める都の空に、数万の兵たちが上げる鬨の声が轟き渡る。
それは、まるで都そのものが巨大な獣となって咆哮しているかのような、腹の底を震わせる地鳴りであった。
朱雀大路を埋め尽くすのは、新皇・雅白の勅命を受けた討伐軍である。 その先頭で馬に跨り、狂気に濁った青い瞳をぎらつかせているのは、武将・平青成であった。
「ハハッ! 逃げられると思うなよ、光継。そして忌まわしき影の蟲どもめ。貴様らの血肉を喰らい、この都を我らのものとしてくれるわ!」
青成が采配を振るうと、重武装の兵士たちが一斉に行軍を開始した。
ズシン、ズシンという地鳴りのような足音が、石畳を揺らす。彼らが向かうのは都の東、光継たちが潜伏していると目される山裾の廃寺であった。
大義名分は「叶皇を呪殺した妖狐・霞の討伐」。
しかしその実態は、邪魔な光継派を根絶やしにし、彼らを極上の『依代』として捕獲するための人間狩りに他ならなかった。
万の軍勢が迫るその地鳴りは、風に乗り、遠く離れた廃寺の床板をも不気味に震わせていた。
ーーー
都のはずれ。鬱蒼とした木々に隠された廃寺の堂内で、霞は一人、薄暗い仏像の影に身を潜めていた。
彼女の白銀の髪が、僅かな月明かりを反射して冷たく光る。 その美しい琥珀色の瞳には、深い絶望と自責の念が渦巻いていた。
「……私のせいだ……。私の中に残っていた九尾の残り香が、あの『しず石』に反応してしまったから……」
霞は震える両手で自らの顔を覆った。
叶皇の崩御。光継が皇位を剥奪され、逆賊として追われる身となったこと。そのすべての元凶は、自分なのだ。 玉藻前が自らの肉体を器としていた時の忌まわしい記憶と、その強大な妖気の残滓が、霞の魂の奥底にはまだこびりついている。
泰真たちはそれを利用し、霞を「叶皇を呪い殺した妖」に仕立て上げたのだ。
(私がここにいれば、みんなが死ぬ。……捕まれば、光継様も朧も、みんなあの化け物たちに利用されてしまう)
堂内の奥からは、疲れ果てて眠る光継や桜華、そして彼らを護るために交代で見張りにつく藤房や朝霧の微かな息遣いが聞こえてくる。
(これ以上、私のせいで大切な人たちを失いたくない。……私一人が囮になれば、みんなは逃げられる)
霞は静かに立ち上がった。
音を立てぬよう、極限まで気配を殺す影の歩法。
床に置かれていた小太刀だけを手に取り、彼女は皆に背を向けて、夜明け前の冷たい闇の中へ一人踏み出そうとした。
――その時。
「……どこへ行くの、霞姉」
堂内の入り口、微かに開いた扉の隙間から差し込む月光の中に、小さな影が立っていた。 妹の茜であった。
「茜……」
「一人で逃げる気? 自分が囮になれば、私たちが助かるって思ってるんでしょ」
普段は明るく無邪気な茜の瞳が、今は悲痛な色を帯びて霞を真っ直ぐに見据えていた。 霞は言葉を詰まらせ、視線を逸らした。
「……ごめんなさい、茜。でも、これしかないの。私が都に残れば、討伐軍は必ず私を追う。
そうすれば、光継様もあなたたちも、影の里へ逃げる時間ができるわ」
「ふざけないでよっ!!」
茜が声を荒げ、霞の胸にドンッと小さな拳をぶつけた。
「霞姉がいなくなって、私たちが笑って生きられるとでも思ってるの!?
姉様はずっとそう! 自分が姉だからって、一人で全部背負い込んで、私たちを置いていこうとする!」
「茜、声が大きい……」
「いいえ、茜の言う通りだよ」
背後の暗がりから、もう一つの声が響いた。
黒装束を纏った朧が、静かに歩み出てくる。その手には、しっかりと柄を握りしめた刀があった。
「朧……」
「あの時、約束したでしょう。
もう二度と、一人で抱え込まないって。姉様の手を引いて、一緒に帰るのが私の『虚』の力だって」
朧は霞の前に立ち、その冷たい手を両手で強く握りしめた。
「姉様を置いて逃げることなんて、私なは出来ません、」
「ダメよ! そんなの絶対にダメ! 朧も茜も、まだこれからなのに……私の穢れた命のために……」
霞が泣き崩れそうになったその時、力強く温かい手が、彼女の肩をそっと抱きとめた。
「穢れた命など、この世に一つもない。
ましてや君は、私たちの大切な仲間だ」
振り返ると、そこには光継が立っていた。
その後ろには、桜華、藤房、朝霧も続いている。
誰もが、霞を引き留めるために確かな意志を持ってそこに立っていた。
「光継様……ですが、討伐軍はすぐそこまで……!」
光継は首を横に振り、静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「君一人を犠牲にして得る安全など、僕は絶対に望まない。祖父様も、叶も、そんなことは望んでいなかった。僕たちは、全員で生き延びるんだ」
光継の右手に刻まれた菊の御紋が、微かに淡い光を放つ。 その温かい光に触れ、霞の目から堪えきれずに大粒の涙が溢れ出した。
「あぁ……っ……ごめんなさい。
……死にたくない……私だって、みんなと一緒に……生きたい……!」
霞は顔を覆い、子供のように泣きじゃくった。朧と茜が、そんな姉を強く抱きしめる。
三姉妹の重なり合う姿を見て、光継は固く拳を握りしめた。 これ以上、誰一人として奪わせはしない。
ズズン……ズズン……!
その時、廃寺の床が大きく跳ねた。 風に乗って聞こえていた足音が、もはや地鳴りとなって足元に迫っていたのだ。 外を見張っていた朝霧が、鋭い声で報告する。
「陛下! 敵の先陣が山の麓に到達しました! 数は万に近いと思われます、指揮を執っているのは平青成です!」
「チッ、嗅ぎつけるのが早すぎる……!」
藤房が舌打ちをする。
「行くぞ。東の山道を抜け、関東を目指す」
光継の言葉に、全員が頷いた。
「追いつかれる前に、一気に山を越えます。私が殿を務めましょう」
朝霧が刀を抜き放つと、朧もまた隣に並び立った。
「私も残ります。朝霧殿一人では、あの化け物軍団は止めきれません」
「朧、死ぬなよ」
「光継様も、どうかご無事で」
短い言葉を交わし、光継、桜華、藤房、霞、茜の五人は、夜明け前の深い森の中へと駆け出した。
背後からは、木々をなぎ倒し、松明の炎で山肌を赤く染め上げながら迫り来る討伐軍の怒号が響いている。
「妖狐はどこだ!! 逆賊の首を刎ねろ!!」
地獄の釜の蓋が開いたような狂乱の足音が、逃げる光継たちの背後に、すぐそこまで迫っていた。




