十狩目 ダンサー・イン・ザ・ダーク
物悲しげで気怠い、憂鬱な楽の音が、腐れ落ちる寸前の果実に似た、胸が悪くなるような甘ったるい煙と、強い酒精で爛れた空気を震わせる。
寝台と見紛う豪奢な絹張りの長椅子には、張り子の面で顔の上半分を隠した男女が、絹のクッションにもたれるようにして手足を投げ出し、だらしなく身を横たえていた。
底の平たい、柔らかな布の室内履きと、ゆったりした幅広い下衣、丸首の襟周りに幾何学模様の刺繍が施された上衣、裾と袖口、襟元を、絢爛精緻な蔓草模様の刺繍で飾り立てた前開きの上着は、地模様に花木鳥獣を織り出した豪奢な緞子――それらは、南部地方のバザグラ王国独特のものだ。
最も東大陸に近く、岩人族との交易を国家事業としているバザグラは、岩人族の文化風俗の影響を受けつつ、他国には見られない独特の文化風俗を形成している。
長椅子の側には小さなテーブルがあり、どのテーブルの上にも、手のひらにすっぽり収まるほどの、釣り鐘形の小さなグラスと、砂をまぶしたような独特の質感が物珍しい、ずんぐりとした瓶とが置かれている
グラスは、無色のガラスの上に色ガラスを被せた切り子細工で、金や銀で縁取りがされ、グラス全体に刻まれた幾何学模様は恐ろしく精緻で、岩人族のガラス職人ならではの、偏執的なまでの細かさだ。
また、壁を飾る色彩豊かな綴織も、床に敷かれた毛足の長い絨毯も、大層手の込んだ贅沢な品ばかりだが、長椅子に寝そべる男女が、それらを愛でているとは到底思えない。
仮面から覗く口元をだらしなく半開きに緩ませ、多幸感に恍惚と浸る顔は、精神的、知的活動を放棄した無思考の化身そのものといっていいだろう。
長椅子とテーブルの側には、十から十四、五歳までの、長椅子の男女のものと似た脛の半ばまでの下衣と上衣、丈の短い、袖のだぼっとしたボレロ風の上着という、やはりバザグラ様式のお仕着せを着た少年が、傍らに小さな赤絵式の炭壺を置き、膝の上に、蔓草模様と花木鳥獣の図柄が、寄せ木細工や水牛の角、色とりどりの水晶に琥珀、瑪瑙、瑠璃といった半貴石を用いて描かれた小さな箱と長煙管を載せて、座り込んでいる。
色ではなく、バザグラ王国様式の異国情緒溢れる独自の文化風俗と、東大陸から入ってくる、北部地方では珍しい岩人種の酒を楽しむ場所として看板を上げているため、娼館と混同されないよう、給事には少年を使っているが、客商売である以上、揃えるのが見目の良いのとなるのは、仕方のないことといえよう。
長椅子の客の、それまであらぬ彼方をさ迷っていた視線が、ふと焦点を結んだ。
どろりと濁った目を向けられた少年は、箱の中から取り出し長煙管に詰めた、やけにべとつく刻み煙草に、慣れた手付きでに火を着ける。
そっと息を吹き掛け、じわりと火が回ったのを確認した少年が、吸い口を向けて差し出した長煙管に、長椅子の客は、寝返りを打つように体を捻り、寝そべったまま首を伸ばして吸い付いた。
長煙管を捧げ持つ少年の目には、巨大な芋虫が、身を震わせ蠢くような浅ましい有り様への不快と嫌悪、金も、社会的な地位も分別もそれなりにあるはずのいい大人がさらす不様への、薄暗い愉悦を含んだ侮蔑が浮かんでいる。
鼻が馬鹿になりそうな甘ったるい煙が新しく上がれば、長椅子の客の目が、またどろりと濁る。
長椅子の間を縫って、少年たちより大分歳嵩の男が、岩人族の酒をグラスに注いで回るものの、グラスに手を付ける客は誰一人としておらず、手付かずのまま、花のような芳香を虚しく立ち上らせるばかり。
ややあって、気紛れに放り投げられていただけの楽の音が、緩やかに一つの流れとなって奏でられ始めた。
奏でているのは、中身ごと箱をくすねて馘にされた楽士の代わりに雇われた、バザグラの出身だという楽士の青年である。
街角で、連れと共に芸を売って小銭を稼いでいるところに声をかけ、その日のうちに店付きになることが決まった。
まだ若いが腕は確かで、ドナルーテの一流、とまではいかないが、それなりの格の劇場なら、劇場付きとして十分やっていけるけとだろう――顔半分を覆う、無惨に引きつれた火傷の跡さえ気にしなければの話だが。
岩人族の職人の手によるものだという、山羊の頭骨を模した弦楽器を奏でる楽士は、雇われるにあたって、連れも一緒に雇ってほしいと言ってきた。
楽士の連れは、兄弟と言うには歳が離れ、親子にしては歳が近い、口のきけない盲の少年で、聞けば異父兄弟であり、諸々の事情からバザグラを離れ、母に仕込まれた芸事で日銭を稼ぎながら、諸国を流れ歩いてきたという。
楽士の兄は多くを語らず、踊り手の弟はものを語れぬため、諸々の事情については誰も知らないが、兄の顔半分を焼け爛れさせ、弟の喉と目の光を奪うだけの「何か」があったのだろう。
それはともかくとして、弟の方は、ものが言えぬだけならば給事として店に出せるが、目が見えぬとあってはそうもいかない。
仕事のできないものは雇えない、との店側に対して、兄は、ならば踊り手として店に出すことはできないか、と持ちかけてきた。
岩人族の珍奇な酒と、レリンクォルやウェントスを含む北部地方には馴染みのない、東大陸との関わりが深いバザグラ特有の文化風俗だけでは、連日の盛況の理由としては些か足りないが、盲の踊り手となれば、それなりのインパクトがある。
実際、街角で、兄の演奏に合わせて踊っていた姿は、なかなかどうして見応えがあった。
楽士の奏でる旋律に、手首足首を幾重にも取り巻く飾り輪の触れ合う、鈴の音に似た響きを重ねながら、踊り手が現れた。
辛うじて己を残していた客の何人かが、蝸牛に似た鈍重さで首をもたげ、うろんな眼差しを、絨毯の上に戸板二枚分の板を置いただけの、急拵えの舞台へと向ける。
楽士の兄とよく似た、見ようによってはくすんだ金色にも見える榛色の、ガラスの飾り玉を編みこんだ緩く波打つ髪を無造作に背に流し、顎先まで届く長い前髪は、頬を縁取るように流されている。
柳の葉のような眉の下、切れ長だが大きな目は白く濁り、顔の下半分を隠す山鳩色の羅の覆いでも誤魔化しきれない皮膚のひきつれは、頬から首、肩、二の腕にまで及んでいたが、それでも、涼しやかというにはひやりと冷たく、性のにおいが感じられない、中性的で硬質な容姿の美しさは、損なわれていない。
裸足の爪先が舞台を鳴らす小さな音に、酒を注いで回っていた男が、足を止めた。
ゆるりと持ちあがった腕が、蛇に似たしなやかさで宙を泳げば、指先に摘まれた、顔の覆いと同じ羅のヴェールが、風に煽られる花弁のように翻り、川面に遊ぶ木の葉の軽やかさで旋回するたび、髪に編み込まれたガラス玉がきらきらと光を零す。
胸骨のやや下辺りまでの、肌着と大差ないような上衣の裾から、少女のドレスを思わせるゆったりとした下衣の間で、なだらかに浮かぶ腹筋が力強い躍動を見せる。
本来は、艶めかしく柔らかな線を持つ女の踊りであるが、そこから官能的な要素を極力排し、身体の運動をもって目を楽しませるものに組みなおされた踊りは、男としては未完成の、少年の身体ならではのアンバランスさがあて、初めて成り立つものだ。
背を撓らせ天を仰ぎ、また身を折るように地を拝み、その身をもって祈りとするかのように、少年の身体は休むことなく舞を生み続ける。
それしか己を表現するものを持たぬとでもいうように、ひたすらに。
† †
世界は不条理だと、しみじみ実感しているカレルレンさんじゅっさいですごきげんよう。
何が不条理って、こんなカッコしとんのに、どいつもこいつも性別の見当判定でファンブってやがるってことですだよ。SAN値削れちまえばかやろう。
あれよあれよで気が付けば、ウイチタの旦那ん宿に世話になることになって、衣食住のうち住の問題も無事解決。
まあ、世話になるっつっても、丸抱えされるのは勘弁ってことで、長らく使われていなかった階段下の物置部屋的な部屋を格安で使わせてもらうってことで妥協したけど、魔法学校から入学案内が来るとか、いい年ぶっこいて厨二病拗らせ過ぎたアンデッド擬きと殺し合うなんてこたぁなさそうです。
塒を確保したところで、初仕事は無事成功したものの、勝って兜の緒を締めよと申します通り、成功に傲ることなかれ、の精神で、地味そうな仕事を選んで頑張ってたんですよ?
それが。
「おう、元気でやってるようで重畳重畳」
なーんて、片手を上げ、へらりと笑いながら気の抜けた挨拶と共に現れたステアーのおっさんと、くわえ煙草のシグのおっさんに、連邦捜査局員に捕まった宇宙人状態でドナドナされたのは、知る人ぞ知る穴場の隠れた名店系酒場。
ここ二年で五回ばかり貸し出され、顔見知りに進化した兄ちゃんに笑顔で出迎えられ、磯野ー野球しようぜーみたいなノリで、最近になって急に出回り始めたよくないオクスリの出所探るからちょい付き合えとか言われた時は、マジ鼻から牛乳するとこでした。
なんということでしょう、いたいけな少女をどえらい厄ネタに巻き込みやがってくれやがったではありませんか、ってやつです。ホントもうなにしてくれやがりますのん。
もーやだ五福亭帰るー! とか幼児退行して地団太踏んだろか思いましたけど、偉い人とコネ作れるよーお得だよー、とか、これ拒否権発動できないやつじゃないですかやだー、だったんで、結局、おっさん兄ちゃんが動き回りやすいように控えめに目立ってろと、兄ちゃんと兄弟のフリこいて潜り込むことと相成りました。
ええ、そうです兄弟です。あにおとうとと書いて兄弟です。染色体XXのはずなのに染色体XYのポジション弟です。おとうとです。解せぬ。マジ解せぬ。
兄ちゃんが南部のバザグラに多いタイプの顔立ちで、流通窓口になってる店もバザグラ趣味なんで、そっから流れてきた旅芸人の兄弟てことで、無事に潜り込めました。
潜り込むまで、街角に立って芸してたけど、正直あんま思い出したくない。だからツバメとかならねーっての。つかなれねーっての。
そうそう、私の顔ってそっち系じゃないから、誤魔化すために、ちょっと特殊メイク的な細工してあります。兄ちゃんも、面割れると困るお仕事(推定)なんで、やっぱ細工して誤魔化してるんだけどね。
……それはそうと、傭兵ってのは、実質無宿浪人みたいな生活してても、協会って大きな組織が身元を証明しているから、社会的地位はそう低くないっぽい。
芸人は、お貴族様がパトロンについてるようなのは別として、劇団フォーシーズンや某電鉄の歌劇事業みたく、劇場や芝居小屋に付いてて、こちらも社会的地位はそこそこ。
ま、でかいとこに付けるのはそう多くなく、大概は大衆劇場的なとこで歌や芝居をやってるのがほとんどらしいけど、旅芸人ってのは、そうした箱なしでやってる連中で、それなりの規模の一座ならともかく、今回私と兄ちゃんが扮するようなのは、犯罪者でないだけまだマシみたいなレベルになるんだそうな。うわ世知辛ぇー。
ま、そんなこんなで旅芸人となると、芸事ができないとマズい。
しかも、今回はバザグラから流れてきたことになるから、そっちのやつができなきゃいかんのですが、祖父様仕込みの甲冑組手と祖母様仕込みの里神楽のほかは、精々が忘年会やらかし案件ぐらいしか持ちネタないっつーのに……と、思ってたらあーた、忘年会やらかし案件がね、使えちゃったんですよ。
ネットのアーカイブから同僚ヲ友壱号弐号が拾ってきた動画を下敷きに、海外事業部有志一同(主に男)がやらかした、悪夢の千一夜――むくつけき野郎どもによる、脛毛が! 腹毛が! 胸毛が! ああ窓に、窓に! の阿鼻叫喚ベリーダンス。
え? 私? 野郎どもに交じって踊ってましたよ。死んだ魚の目をして。
つまりですね、どうやらバザグラの文化って、オスマン朝のそれに近いっぽいんですよ。
ヨーロッパ的な文化ばかりかと思いきや、中央アジア寄りの文化やオスマン朝っぽい文化もあって、結構多様性あるんだなー。
とまあ、そんなこんなで腐った魚の目をしながら、今日も元気にお仕事です。
便利アイテムのおかげで、実際濁り切ってるけどね、目。
視界めっちゃ悪いけど、最近どうにか形になりつつある反響定位のお陰で不自由はないけどね。
そんなこんなで潜り込んでからもう結構経ってるけど、オクスリの出所ははっきりしない。
店はバザグラ趣味だけど、あくまで趣味ってだけらしく、バザグラからじゃあないらしい。
あ、ちなみに店はスキトっつー、レリンクォルの交易都市にある。
初仕事でレリンクォルとは極力関わらないって決めたのに……決めたのに……ッ! フラグのバカっ! 何よ意気地なしっ! こういうフラグは立てなくていいものなのに! フラグなんかもう知らない!
……失礼あらぶりました。
ぶっちゃけ依頼人は、ウェントスに入ってこなけりゃどーでもいいらしい。うわあ潔い。
ただ、スキトで味覚た奴がウェントスに持ち込む危険があるから、出所掴んだら出所もろとも一切合財「しまっちゃおうねぇ」が決定してるそうな。消毒ですねわかります。
問題のよくないオクスリは、聞いただけでも洒落になんないレベルの危険物だったりする。
泥酔半歩手前の陶酔感にぶっこんだ多幸感と全能感を性的絶頂の混合物の後に、生きていることにすら耐えられなくなる虚無感と虚脱感がカチコんできて、ハマる奴は一度で依存症に陥る中毒性がある上に、長期に亘って摂取を続けると、肉体の物理的変異まで引き起こす――ってちょっと待ってなにそれこわいってレベルの話じゃねーぞヲイ。
そんな危険物満載のとこに潜入する私と兄ちゃんですが、対抗策はちゃんと取ってますよ? じゃなきゃやってらんないっつの。
摂取即死亡みたいな毒物じゃなければ、大概の毒物を完全に無効化――とまではいかなくても、身体に害が出ない程度まで影響を薄められる中和剤を、店に出るたび摂取してるし、私は私で、顔覆ってる羅に、インベントリの、火山地帯でお世話になった液状型防毒フィルターをたっぷり塗りつけてるしね。
なお、オクスリの分析をしたのはアストラの師匠だそうで、曰く、「どこのどいつが何を考えてこんなクソを作ったか知らねえが、少なくとも作った奴はこのクソと同じレベルのクソ野郎だ」とのこと。
アストラの師匠がそこまでいうとか、どんだけー。
つか、ここまであかんやつだと、阿片戦争とかそーいう単語が頭に過っちゃうんだけど。
レリンクォル単体が狙いなら、国境じゃなく首都でやらかすだろうし、ウェントスと、ついでにヴェルパも巻き込もうって魂胆なんじゃね?
……。
…………。
………………。
あるぇーおっかしーなー、これどー考えても青の新人が足突っ込んでいい話じゃないよねー?
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次回、エネミー・オブ・ケレンディア(仮)へ~続く。(ナレーション:キートン山田)




