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ソーダバー・ストラット  作者: 藍澤ユキ
14/24

【14】

 その翌日。

 配達の途中で夕立に降られた。ちょうど七座邸の近くまで来ていたので、朝に一度立ち寄っていたのだが(アイス案件)雨宿りさせてもらおうと再訪した。

 いつものようにテラスへ向かうと、暖かい雨の中をワンピース姿の椎花が濡れるに任せてじっと空を仰いで立ちすくんでいた。流れの早い薄鼠色をした雨雲の切れ間からは、時折、明るい光が漏れだして彼女に降り注いでいた。

 すると突然、雲を睨みつけていた椎花が声を上げて笑い出し、フラフラと踊るようにステップを踏みながら廻り始めた。


 雨に打たれながら踊る少女。

 何も恐れない、何にも縛られない、すべてから解き放たれたように。

 奇異に映る、滑稽ですらあるはずの光景なのに、

 その姿はあまりにも美しく、あまりにも現実感がなかった。

 雲間の光が彼女を照らしだし、実体のない狂気が浄化される。

 とても声をかけることができなかった。

 ただただ魅入るしかなかった。


 呆然と椎花を眼で追っていると、屋敷の窓辺にいる人影が視界の端に入った。

 首を巡らすと、そこにはひどく冷たい眼をしたつばき嬢がいた。陶器のように滑らかな彼女の顔には一切の表情がなかった。

 そんなつばき嬢を見た瞬間、胸の奥が激しく動揺し、他人の秘密を盗み見たような背徳感がこみ上げてきた。

 

 次の瞬間、遠くで雷鳴が聞こえたかと思うと、廻っていた椎花が笑い声を上げたまま芝の地面へ倒れこんだ。

 うつ伏せに倒れた椎花はピクリとも動かず、笑い声も止んでいた。

 俺は慌てて椎花へ駆け寄ると、声を掛けながら首の後へ右腕を差し入れて上体を少し起こした。

「椎花、大丈夫か!?」

 少し触っただけでも高熱が出ていることがわかる。意識もハッキリしていないようだ。

 これはマズそうだと、咄嗟に協力を求めようとしてさっきの窓へ眼をやると、そこにはつばき嬢の姿はなかった。

「椎花……」

 さらに身体を抱き起こすと、椎花はもたれ掛かるように力なく身体を預けてきた。彼女の頭と上体を胸で受け止めながら、俺は両腕をその背中と腰へ廻して倒れないように支えた。

 抱きかかえてみると、華奢に見えていた椎花の肢体は意外にもたっぷりと柔らかく、丸みを帯びた弾力が腕に伝わってきた。予想外の豊かな量感に驚くと同時に、力を込めたら簡単に壊れてしまいそうな儚さにも驚かされた。

 このまま椎花を雨にさらしておくわけにはいかないので、とにかく室内へ連れて行こうと彼女の身体を抱え上げた。しかし、意識のない状態の人間はたとえ女の子であっても軽々とは持ち上がらず、腕だけで抱え上げて中まで運ぶのは難しそうだった。俺は体勢を整え直してどうにか椎花を背負うと、テラスのガラス戸を開けて中へ入った。

「つばきさんっ!」

 屋敷の奥まで届くように声を張り上げてつばき嬢を呼んでみるが返事はない。

 これまで屋敷の中にはほとんど入ったことがなかったので勝手がわからなかったが、とりあえず屋敷の中央へ向かった。

 濃い緋色をした柔らかな絨毯が敷かれた廊下を歩いていく。壁に取り付けられたランプが空間を暖色に照らし、重厚な光沢を放つ木製の扉がいくつも続いている。

「つばきさーんっ!」

 呼び声がすべて廊下に吸収されてしまったように静まり返っている。

「困ったな……」

 椎花は普段の彼女からは想像もできないほど無防備に俺の背中でぐったりしていた。このままずぶ濡れの状態にしておいたら更に状態が悪化しそうだ。それはマズい。

 そう思いながら廊下の角を曲がると、少し扉が開いている部屋が見えた。近くまでいって中を覗いてみると、どうやらリネン室のようだった。

 部屋の中へ入り、椎花を板張りの床へゆっくりと下ろす。きれいに整頓された棚から適当なタオルを取り出すと、まずは彼女の髪の毛を拭いた。

 タオルを丁寧に髪に当てながらあらためて椎花に眼をやる。レモンイエローのワンピースが濡れてピッタリと椎花の身体に張り付き、薄い布地の下にある白い肌とレースの下着がじんわりと透けていた。俺は慌てて視線を逸らしたが、さっきの椎花の感触が生々しく思い出されて胸の鼓動が早まる。

「龍之介さん……」

 はっとして顔を上げると、タオルを手にしたつばき嬢が心配そうに眉根を寄せて戸口に立っていた。どうやらこの部屋からタオルを持ってテラスへ行っていたようだった。

「代わりますので龍之介さんも拭いてください」

 そう云って手にしていたタオルを渡してくれた。

 俺は受け取ったタオルで頭を拭きながらつばき嬢に尋ねる。

「突然倒れたけど大丈夫なの?」

 頭に被ったタオルの隙間から様子を窺うと、露わになった椎花の背中が視界に飛び込んできた。つばき嬢が椎花のワンピースを脱がしていた。

「……そ、それって……」

 椎花の背中を見て思わず声を漏らしてしまった。そこには火傷跡のような赤みがかった線が何本も入り組んで浮かんでいた。まるで蛇が密集しているかのように。

「これって普段はないんです。熱が出ると浮かび上がってくる……いえ、浮かび上がると熱が出る……よくはわからないんです」

 つばき嬢が淡々と説明をする。その様子には既視感があった。さっき窓辺で見かけた時と同じで感情をうかがい知れない。

「龍之介さん。お姉ちゃんを着替えさせたら部屋へ運びたいので、手伝っていただけますか?」

 そう云うとつばき嬢は椎花の下着へ手をかけた。

「あ、はい」

 返事をしながら俺は慌ててリネン室を出た。


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