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最終話 十歳で神童、十五歳で才子、二十年過ぎれば、ただの人

七年後。


春。


桜が舞うキャンパスを、一人の青年が歩いていた。


「おはようございます、結城先生。」


「先生、おはようございます!」


学生たちが次々と頭を下げる。


結城奏斗。


三十三歳。


教育心理学を専門とする大学教員。


研究者。


そして、教師。


かつて「神童」と呼ばれた少年は、今では誰からもそう呼ばれなくなっていた。


代わりに呼ばれる名前は、一つだけ。


「先生」


それで十分だった。


「今日の講義を始めます。」


教室には百人を超える学生。


奏斗は黒板に一行だけ書く。


『学ぶとは何か』


そして振り返る。


「答えを書いてください。」


教室が静かになる。


数分後。


学生が手を挙げた。


「知識を増やすことです。」


「ありがとうございます。」


奏斗は笑う。


「では。」


「知識が増えたら、学んだことになりますか?」


教室がざわつく。


昔と同じだ。


答えを教えない。


問いを渡す。


それが、結城奏斗の授業だった。


講義が終わる。


「先生!」


学生が駆け寄る。


「難しかったです!」


「でも。」


「帰って考えてみます!」


「うん。」


「楽しみにしてる。」


学生は笑顔で帰っていく。


その後ろ姿を見送りながら、奏斗も笑った。


午後。


研究室。


ノックの音が響く。


「失礼します。」


入ってきたのは、一人の女性研究者。


スーツ姿。


以前よりも少し大人びた表情。


しかし、その瞳だけは昔と変わらない。


「お久しぶりです。」


朝比奈ひまりだった。


現在。


教育心理学研究所・主任研究員。


国内外で論文が引用される若手研究者になっていた。


「久しぶり。」


「先生。」


「その呼び方やめない?」


「嫌です。」


即答だった。


二人とも笑う。


「今日は。」


ひまりが一冊の冊子を差し出す。


国際学会のプログラム。


一番上には。


基調講演


朝比奈ひまり


その下には。


シンポジウム司会


結城奏斗


「同じ舞台ですね。」


「そうだね。」


「負けません。」


「俺も。」


昔と同じ会話。


でも。


もう先輩と後輩ではない。


同じ時代を歩く研究者だった。


学会当日。


世界中から研究者が集まる。


ひまりの講演が終わる。


スタンディングオベーション。


奏斗は最前列で拍手を送っていた。


司会席へ向かう。


「素晴らしい講演でした。」


「ありがとうございます。」


ひまりが少し照れながら笑う。


討論が始まる。


研究者同士が意見を交わす。


互いに問いを投げ合う。


答えを押し付けない。


それは、二人が歩んできた人生そのものだった。


閉会後。


夕焼けの会場前。


「先輩。」


「ん?」


「覚えてますか?」


「何を?」


「高校一年生。」


「挑戦状。」


奏斗は吹き出した。


「あったな。」


「逃げないでください。」


「って書いたんです。」


「よく覚えてる。」


ひまりは少しだけ誇らしそうに笑った。


「約束。」


「守ってくれましたね。」


「うん。」


「一度も逃げなかった。」


「ありがとう。」


奏斗は静かに首を振る。


「違う。」


「逃げられなかった。」


「ひまりが速すぎたから。」


二人は声を上げて笑った。


夜。


大学へ戻る。


研究室の本棚には、一冊だけ古いノートが置かれている。


表紙には幼い字。


『分からないことリスト』


高校一年の春に書き始めたものだった。


開いてみる。


最初は十個しかなかった問い。


今では、ページが足りないほど増えている。


奏斗はノートを閉じる。


「結局。」


「分からないことは増えるばかりだな。」


でも、それが嬉しかった。


知らないことがある。


だから学べる。


誰かと出会える。


人生は続いていく。


窓の外では、新入生たちが歩いていた。


その中に、一人の少年がいる。


「先生!」


少年が声を掛ける。


「僕。」


「頭が良くなりたいです!」


奏斗は優しく笑う。


二十数年前。


自分も、同じように答えを探していた。


だから今度は、自分が問いを渡す番だった。


「じゃあ。」


「まず一つだけ。」


「昨日の自分より。」


「何ができるようになりたい?」


少年は考え始める。


その姿を見ながら、奏斗は静かに空を見上げた。


前世の記憶。


神童だった日々。


才能を失う恐怖。


普通になったことへの絶望。


すべてがあったから、今の自分がいる。


そして、ようやく分かった。


転生した意味は。


神童になることではなかった。


誰かを導くことでもなかった。


人は才能で完成するのではない。


誰かと出会い、問い続けることで成長し続ける。


そのことを知るために、自分はもう一度人生を歩いたのだ。


十歳で神童。


十五歳で才子。


二十年過ぎれば、ただの人。


昔は、この言葉が呪いだと思っていた。


けれど今は違う。


ただの人だからこそ、誰かと笑い、誰かと悩み、誰かと未来をつくることができる。


それは、神童では決して味わえなかった幸せだった。


キャンパスに春風が吹く。


桜の花びらが空へ舞い上がる。


結城奏斗は、その景色を眺めながら静かに笑った。


もう、「転生者」である必要はない。


もう、「神童」である必要もない。


ただ、一人の教師として。


一人の研究者として。


そして、一人の人間として。


今日もまた、新しい問いに出会いに行く。


――完――



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とても面白かったです 段々と生前の知識が通用しなくなってから 自己を確立するまでの流れと各人によって 受ける影響の物語が秀逸でした 惜しむべきは最初の導きとなった すずや部長が進路の都合上 出番を失…
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