七色の架け橋(前編)
アクアブルーの広大な湖は太陽の日差しを受けてキラキラ輝いている。きっと、今日も外から見たこの城は美しく、観光客が城近くに集まっているのだろうと思った。
「ブラキオ様、そろそろお時間です」
「ん? ああ。もうそんな時間か。――――シンマ、準備を」
「はい、こちらに」
ぼーっと、湖を眺めていたらメイドに声をかけられた。その言葉に時計を確認すれば、国王陛下との約束の時間までさほど余裕が無い。シンマに出掛ける準備をするよう命じれば、既に準備されており、すぐさま着替えが始まった。しばらくの間、着せられるがまま服を着ていくと物言いたげなシンマが目に入った。
「どうかしたか?」
そう問えば、シンマは言いにくそうに口ごもったが、意を決したように俺に進言する。
「その、ブラキオ様のご気分が優れないようでしたら、国王陛下に言伝をされて休まれはいかがでしょうか?」
「ならん。別に気分が悪い訳ではない。――――そもそも私の都合でお忙しい陛下の手を煩わせる訳にはいかん」
かけられた心配の言葉をすぐさま否定する。すると、シンマは一瞬傷ついた表情を見せた後、「出過ぎたことを申しました。お忘れください」と言って仕事を再開した。その顔を見てまたやってしまったと思う。
どうにも最近上手く行かない。以前までは、彼らの異常なまでの気遣いに違和感を覚えながらもそれなりに上手くやれていたのだ。それが、二週間前のあの日から彼らの砂糖菓子のような態度に苛立ってしまう。その細やかな気遣いが、何も出来ない幼児の様に扱われている気がして煩わしい。
「(こうも煩わしく感じるのはシュテルンの所為、なのだろうな)」
そんなことを思いながら、あの銀に煌めく黒い瞳を思い出す。光が当たると満天の星空の様に見えた、確固たる意志の籠ったあの目が忘れられない。次期国王という肩書を前にしても揺るがない彼の価値観と考え方は、これまで培った俺の価値観と考え方を大きく揺さぶった。更に垣間見た彼の高潔さは俺に憧れを抱かせるには十分で、ただ純粋に尊敬の念を抱いた。………………そして、真っ直ぐに伸ばされた背の遠さを寂しく思った。
そんなシュテルンとはあの日から会っていない。王城内には居ないようだから、もうズィルバーに帰ってしまったのかもしれない。学友の件は無かったことになったと聞いた。その事を残念に思う。
あれから俺なりに、彼の言葉をゆっくりと考えた。この世に生を受けて、十年。呪われた王族である俺と対等であろうとしたものはいなかった。俺の意志を尊重してくれるものはそれなりにいたが、あくまでも臣下としての事だ。シュテルンように手加減や気を使わず、真っ直ぐに意見をぶつけられたのは初めてだった。思い通りにならない彼の行動はもどかしく、苛立ちを感じるが、繕わない素のままの対応がいっそ清々しく心地よかった。…………陛下が、『もう少し手加減してくれていいだろう』と侯爵に文句を言いながらも何処か嬉しそうに見えるのはこう言うことだったのかもしれない。ありのままの言葉は、厳しく痛いけれども、飾り気のない心からの言葉はこんなにも心に残るものだと初めて知った。
忘れようとしても忘れられない彼の存在は、俺の心に波紋を落とす。ゆっくりゆっくり広がるその波紋は、俺が目を逸らし続けていた現実を突きつけるのだ。
『相手を気遣ってやることと、こいつには無理だと決めつけて、改善するきっかけさえ与えずに手を抜き、出来ている気分にさせるのは全く違う。後者は、相手を無価値と決めつけ見放すのと同意義だと俺は思う』
不意に彼の言葉が蘇る。メイドや騎士達の優しさは決して真心や忠誠心だけでは無いのだと知っていた。彼らが俺に本当に求めるものを知りながら、それでもいいと気付かない振りをしていただけだった。その差異こそが俺が感じていた違和感の正体だったのだろう。現実を知ってしまった以上、もう以前の様に彼らの手に甘えることは出来ない。しかし、それでもいいと思うのだ。
無邪気に甘えられる手を失ったことは寂しく思う。しかし、ただそれだけだ。それよりも俺は、あの黒い瞳に映りたいと願っている。そして、最近ではあの日を夢に見るまでに至っている。気が付くと、シュテルンの事を考えている俺はおかしいのかもしれない。
メイド達同様、あんなに可愛がってくれた騎士がその任を解かれても一抹の寂しさを感じただけだった。あの日、俺がもっとしっかりしていれば防げた凶行の責任を取らされた彼は、近衛騎士から降格され何処かの砦に配属されたと聞く。俺の所為で左遷されたというのに、思い出すのはシュテルンの事ばかりだと気が付いた時には、我が身のことながらその薄情さを笑ってしまった。
「ブラキオ様。お支度が終わりました」
「ああ。――――では、行ってくる」
考え込んでいるうちにいつの間にか着替えが終わっていた。いまだ心配そうな目を向けてくる彼女達には悪いが、見なかったことにした。その優しさに飛びつくことは二度とないだろう。
そんなことを思いながら俺は部屋を出た。静かに後をついてくる新しい護衛騎士と共に国王陛下の元に向かう。陛下の元に着くまでに、頭の大半を占めるシュテルンをどうにかしなければ。侯爵家の子息に心奪われて、公務に支障を出すなど笑えない。これ以上失態を重ねてシュテルンからの評価を落とすのはごめんだ。
確か、国王陛下は今度の定例会について話があるとおっしゃっていた。多分、【創国祭】についてだろうなと、ちらつく黒には見ない振りをして彼とは関係ないことを必死に頭の中に思い描いた。
「――――以上の事を、今度の定例会で報告してくるように」
「承りました、陛下」
意外と早く終わった話を疑問に感じつつも、了承の返事を返す。この程度の内容ならば、態々時間を割いていただかなくとも書面で十分事足りたはずだ。しかし、幾ら不思議に思っても国王陛下にこちらからその真意を問うことは許されない。
もやもやした気持ちのまま、片づけているとふわりと花の香りが室内に広がる。何処か嗅いだことのある香りに、顔を上げればメイドがお茶の用意をしていた。
「うむ。では、仕事の話は此処までだ。少し、お茶でもしないか? この辺りでは珍しいお茶を頂いたのだ」
俺がお茶の存在に気が付いたのを見計らって、国王陛下からお茶のお誘いを受けた。断る訳にもいかないので、用意された席に陛下に倣って移動する。
陛下に促され席に着くと、先ほどよりも強く花の香りを感じた。爽やかな甘い香りに、何処で嗅いだものか首を傾げれば優雅にお茶に口をつけた国王陛下がその答えを告げる。
「いい香りだろう? 侯爵からの頂き物でな、シュネー茶というものだ。ズィルバーの名産品らしく、先日ご子息が来た時に持って来させたらしい」
「っ!」
ガチャン! と茶器を置く音が響いた。陛下が口をつけたのを確認して俺も口にすれば、いま最も聞きたくてしかたがなかった名を告げられた。聞こえた名前に動揺して、つい茶器を置くのが乱暴になってしまう。
「……失礼いたしました」
そう謝罪して、シュネー茶を見る。零れはしなかったが、茶器の中で激しく波打つ様はまるで俺の心の中の様だ。
「侯爵のご子息は知識を増やすのが好きらしく、図書塔に籠っているようだぞ」
その言葉にバッと顔を上げる。そんな俺を見て陛下はニヤリと笑って見せた。俺の心中など見透かされているらしい。聞いた訳でも無いのに、こうやって俺が一番知りたいことをさらりと教えて下さるこの方には一生勝てそうにない。今年十五歳になられるとは思えないほどの器の大きさは、流石ヴァッサーの国王陛下だ。
そっと顔を窺えば、国王陛下は楽しそうな顔で俺を見ておられる。
「……まだ、彼は王城に居たのですね」
「ああ。あの日以降は食事以外ずっと図書塔に籠っているようだから、会わなかったのだろう。家の都合で迎えが遅れているらしい。後一週間は、王城に滞在するようだ」
「そう、ですか」
陛下のお言葉にほっとする。帰った訳では無かったのだ。後一週間は、彼は王城に居る。もしかしたら、もう一度会えるかもしれない。そんな淡い期待に胸が躍った。
「その様子だと、彼は随分と強烈だったようだな。――――軍盤で十九連敗させられたのだったか」
からかうようにそう告げられた国王陛下は、今にも声を上げて笑い出しそうなほどご機嫌な様子だった。その様子に首を傾げれば、陛下が徐に説明して下さる。
「いやな。ブラキオ相手に容赦なく十九連勝するとは、流石ズィルバー家の者だと思ってな。――――あの家の者は、確固たる決意と揺るがぬ意志を持っているから、どんな相手であろうと容赦ない。ズィルバー侯爵には私も随分やられているからな。あそこまで王族をものともしないのはあの一族くらいだろう」
何処か楽しげな様子でそう語られた陛下に、シュテルンを思い出す。確かに彼は容赦なかったし、俺を前にしてもものともしていなかった。俺に対しても変わらぬ毅然とした彼の態度を思い出し、胸がずきりとする。陛下は相変わらず、痛い所つく。まったく相手にされていなかったことを思い出し、苦いものが込み上げてくる。それを飲み込むようにお茶を飲めば、茶器に入ったシュネー茶に僅かに歪んだ己の顔が映っていて慌てて顔を引き締める。しかし、そんな俺を指摘することなく、陛下は話を続けられる。
「ズィルバー家の者は揃いも揃って優秀だが、手加減という言葉を知らないのではないかと時々本気で思わされる。まぁ、自他共に求める理想が高い分その身分に驕り、権力に溺れるような事はないから臣下としてはこの上無く信頼できるのだが」
そうおっしゃった陛下は何処か遠い目をされていた。きっと、ズィルバー侯爵を思い出しておられるのだろう。正直、俺はあの方が苦手だ。いつも毅然とした態度のあの方を前にすると、自然と背筋が伸びるし、以前一度だけ目にした怒れる侯爵はトラウマとして記憶に刻まれている。
「――――でも、あの家の者は本当の優しさを知っていると、私は思う。甘やかし、遠ざけるのでは無い。側で見守り、本当に駄目な時は全身全霊を捧げ、時にはその命さえかけて手を差し伸べてくれる者達だ。彼らはとても長い間そうやってこのヴァッサーと、私達王族を支えてきてくれている」
そう静かに語る陛下の言葉は、俺の胸にゆっくりと広がる。甘やかし、遠ざけるのでは無い、本当の優しさ。何となくではあるが、陛下の言わんとしていることが分かる気がした。
あの日シュテルンが騎士に放った言葉は俺に厳しい現実を突きつけたが、それ以上に温かかった。容赦ない言葉に隠された俺へ優しさを確かに感じたから、あの黒がこんなにも忘れられないのだと気が付いている。
「だから、という訳では無いのだが。シュテルンの事は嫌ってやるなよ。今は分らずとも、いつか自ずとあの者達の価値が分かる日が来る」
国王陛下はそう俺に告げると、残っていたシュネー茶を飲み干し、立ち上がった。その姿に俺も慌てて腰を上げれば、片手で制止される。
「見送りはいい。――――私からの話は以上だ。仕事がある故、執務室に戻るが、お前はゆっくりするといい。折角、侯爵から分けて貰った貴重なお茶だ。味わって飲みなさい」
そう告げられて、陛下は従者と共に部屋から出て行かれた。部屋に残された俺は、もう一度席に座り温まったシュネー茶に口をつけ、息を吐く。
シュテルンを嫌うなと陛下はおっしゃったが、それはいらぬ心配である。嫌うどころか、たった数時間で俺は彼に心奪われ、こんなにも焦がれているのだから。そんな事を思いながら、もう一度シュテルンと仲良くなるチャンスをくれた陛下に心の中で感謝した。
そして、煌めく銀を思い浮かべながら、前回の失態をどう挽回するか考える。陛下に言われた通りゆっくり味わったシュネー茶は、口に広がる爽やかな甘さがとても心地よかった。
しばらくの間、静かにシュネー茶を味わった。メイドにお代わりを尋ねられたがそれは断った。部屋を出る際に時計を見入れば、昼食まではまだ時間がある。部屋の外で待機していた護衛騎士に寄り道をして帰ることを告げ、目的の場所へ歩き出す。
城の外で見上げた空は、雲一つない真っ新な青だった。
図書塔の入り口で護衛騎士に待機するように命じて、一人、螺旋階段を上る。中央の吹き抜けから差し込む日差しが眩しいくらいだった。広めに造られた階段を一歩一歩登っていく。二階に着くと、手摺越しに階を見渡した。しかし、そこには俺の求める姿は居なかった。その事にがっかりしながら、再び階段を上がる。
この図書塔は、階段からも階の様子がよく見える開放的な設計になっている。巡回の騎士が警護しやすく、見落としを失くす為にこのような形になったのだ。
再び次の階に着き、様子を窺うが探し人は居ない。ため息が零れそうになった時、上の階から降りてくる人の気配がした。慌てて階段の端に身を寄せれば、風に乗って先ほど嗅いだばかりの爽やかな甘い香りが漂う。その香りに緊張しながら相手が下りてくるのを待つ。しかし、現れたのは金の髪の従者だった。
人の気配に気が付いたのか、下を覗き込んだ彼が俺の姿を見て、僅かに目を開いたのが見えた。
「……これは、ブラキオ殿下。このような場所から、失礼いたしました」
シュテルンの従者の言葉に、気にしなくていいと態度で伝える。この図書塔は王城にあがれる者という注釈はつくが、誰がいつ使用してもいい公共の場だ。塔の仕組み上、見下ろされることなどよくあること。そんな事で咎めるほど、思い上がってはいない。
「寛大な御心感謝いたします。改めまして、ズィルバー侯爵によりシュテルン様の側付きを命じられております。名をエレクと申します」
何時の間にか目の前まで下りてきた従者は、茶器を持ちながらも流れる動作で拝礼してみせ、温和な笑みを浮かべてそのまま頭を垂れる。しかし、その笑みが全てで無いというのはこの間の一件で知っている。歳は二十前後だろうに近衛騎士を一瞬で床に伏してみせたその腕前は確かだ。こうやって、従順に見せて辺りを探っている辺り、彼はシュテルンの護衛も兼ねているのだろう。
「頭をあげてくれ、エレク殿。公共の場である図書塔でそのようなかしこまった礼は必要無い」
そう告げれば、彼はゆっくりと顔を上げて立ち上がった。何を考えているのか分からない彼の笑みに、ズィルバー家は家人までも曲者かと思う。
「畏まりました。――――恐れながら、ブラキオ様はどのようなご用件でこのような場所へ? 護衛の者が見当たらないようですが」
そう言って、改めて辺りを見回す従者に納得した。確かに、王城内とはいえ図書塔は公共の場である。この様な所に王族が護衛も連れずに出歩くなどあり得ないのだ。しかし、此処に来た目的を思えば彼らを連れて歩くのは良策では無い。だから、適当な命を下し入り口に置いてきたのだ。
「護衛は入り口で待機させている。中に居るものを追い出すまではしていないが、新たに入ってくる者達には日を改めるよう伝えさせている」
「それは……」
俺の言葉に驚いたのか、エレク殿は目を丸くした。珍しいものを観察するように見るエレク殿に居心地が悪くなり、目を逸らす。そんな俺を見て、思う所があったのかエレク殿は俺が知りたかった情報をくれた。
「シュテルン様ならこの二つ上の魔法書の階にお一人でいらっしゃいますよ」
教えられた情報に、自ずと上を見上げる。この上に彼が居る。自然と逸る心臓を落ち着かせるように、手をあてる。掌に感じる鼓動の速さに自身の緊張を感じる。
「ブラキオ様は、シュテルン様にお会いしてどうなさるおつもりですか?」
不意にかけられた言葉にどきっと心臓が跳ねた。そして、問いかけた従者を見れば、真っ直ぐに俺を見ている。その何の色も無い目に、彼の主人を思い出しながら俺は考える。
「(俺は、シュテルンに会って何をするつもりだったのだ?)」
友達になりたいと思ったのは確かだが、彼にもう一度会いたいという気持ちだけで此処にきてしまった気がする。そう言えばどうやって友人になるかなど何も考えていなかった。
その事実に愕然としながらも、従者の問いに答えなければと焦る。しかし、馬鹿正直に「友人になりたくて……」などこの従者に通用するのだろうか? むしろ、王太子が一貴族と友人になりたいなど警戒されるのではないだろうか? 瞬時に色々な考えが駆け巡り、答えに詰まる。そして、幾ら考えても出ない答えに、俺は言葉を失くす。自分でも卑怯な気がしたのだが、口を開くと墓穴を掘りそうで何も言えなかった。
しかし、そんな俺を見て意外なことにエレク殿は笑った。
「……ちょっとした興味本位の質問でしたので、焦って答えを出されなくとも大丈夫ですよ。ブラキオ様は、我が主と違って素直な方ですね」
「可愛らしい」と言って微笑ましいものを見る目で見つめられても反応に困る。このような目は居心地が悪い。子の成長を見守る親の目というのだろうか? たまに国王陛下がこの様な目で俺を見るが、陛下以外からは初めて向けられた。どのように対応すべきか考えあぐねていると、従者の方から声をかけられる。
「これ以上可愛らしいブラキオ様のお邪魔をするのは不本意なので、私はこの辺りで失礼させていただきますね。――――――あぁ。それから、そのように緊張なさらずとも大丈夫ですよ。我が主は容赦なく手厳しいですが、お優しい方です」
退出の礼を取った後、エレク殿は思い出したかのようにそう言い足して階段を下りて行ってしまった。残された俺はどうする事出来ずに、ただ詰めていた息を吐いた。
「ズィルバー家の者は心臓に悪い」
一筋縄ではいかない従者につい、言葉が漏れる。そして、シュテルンが居る階を見上げる。そう遠くない所に、夢に見た彼が居る。会ってどうするのか。その答えは出せないまま、俺は再びゆっくりと階段を上る。此処で逃げ帰ったら、もう彼と会う機会はやってこないと知っていたから。
そして、後一階で目的の階に着くといった所で、ひんやりした空気が頬を撫でた。肌で感じた空気の変化に顔をあげた俺は、次いで目の前に広がった光景に息を飲む。
螺旋階段を跨ぐように架かった大きな虹が、吹き抜けから差し込む光を七色に反射し光輝いていた。
「――――――すごい」
眼前に広がる美しい光景に、思わず声が零れる。手の届きそうな距離にある虹は雄大で、幻想的で、目的も忘れてつい魅入る。
「気に入りましたか?」
「あぁ! こんなに綺麗な魔法は初めてみた」
だからだろうか? かけられた言葉に深く考えずに返事をしていた。目的の場所には彼しかいないのだから、少し考えれば誰から声をかけられたのか直ぐに分かったはずなのに。
「簡単な魔法だからブラキオ様でもできますよ。――やってみますか?」
「私でも出来るのか!?」
この美しい虹が俺でもつくれる。その言葉に興奮して声の聞こえた方向を見上げた。吹き抜けの光に一瞬目が眩み、判断が遅れる。しかし、すぐさま自身の犯した失態に気が付いた。
「…………あっ、その、ち、違う。今のは、違うんだ。べ、別に私は魔法になんて興味は無いぞ!」
俺に声をかけたのは、探し人のシュテルンだった。魔法にはしゃいで、彼に子供っぽいと思われたくない。そう考え慌てて否定するが、動揺がそのまま言葉に出てしまい効果はあまり芳しくない。貴族として完璧な立ち振る舞いを見せた彼には、落ち着きの無い王子に見えただろうか? もう一度彼に会いたくて来たのに、こんなことで幻滅されたくない。出来ればこの間の失態を挽回して、彼に対等な友人として認めて貰いたいのだ。
しかし、俺でも魔法を使ってこの美しい虹がつくれるというのは、正直とても魅力的だった。己にも適性があると教えられてから、ずっと魔法は使ってみたいと思っていたのだ。しかし、いくら頼んでも王城の者達は教えてくれなかったので、諦めていた。
「(それが使えるなんて……。それもこんな綺麗な虹をつくる魔法……)」
捨てきれない魔法に対する興味と、彼に立派な王族だと思われたい虚栄心がせめぎ合い、ジッと返答を待つシュテルンと虹を見比べてしまう。
「(俺は一体どうしたらいいんだ!?)」
どちらも選ぶことが出来ずに黙っている俺の態度を否と取ったのか、少し寂しげな表情でシュテルンは思いもよらない事を言ってきた。
「ブラキオ様は折角魔法適性をお持ちなので、先日のお詫びもかねて興味があるならと思ったんですが…………。興味が無いのなら余計なお世話でしたね。どうも先日の事といい、俺は出しゃばり過ぎてしまっているようです。此処に来られたということはブラキオ様も何か用事があったのでしょう? お時間をとらせてしまい、申し訳ございませんでした。どうぞ俺に構わず、ご自身の用事をお済ませください」
一息にそう言うと、彼は「このような場所からの謝罪で申し訳ありません」と言って頭を下げ、立ち上がった。そして制止する間も無く彼は立ち去ってしまう。
彼の姿が見えなくなったことに慌てた俺は、外聞も気にせずに階段を駆け上がった。そして、階段を上り切った先で彼を探そうと顔を上げると、何故かシュテルンが目の前にいた。立ち去ったと思った彼が、まるで俺を待っていたかのように階段口に立っていた所為で更に頭が真っ白になる。動揺し、立ち尽くす俺は、かなり間抜けな顔を晒していたと思うが、彼は貴族の礼儀に則って見ない振りをしてくれた。
「どうかされましたか? ブラキオ様」
素知らぬ顔でそう問うてくるシュテルンに苛立ちが沸々と湧いてくる。王城でそれなりに過ごしてきた俺は、自制心はある方だし、こういった挑発に乗らないくらいには経験を積んでいると自負している。しかし、陛下や経験を積んだ大官ならいざ知らず、爵位も継いでいない貴族子息に試され、それにまんまと乗ってしまったことがとてつもなく悔しい。シュテルンが俺よりも上手なのは分っているが負けたくない、よく見られたい気持ちが抑えきれない。むくむくと膨れ上がる虚栄心に、俺はつい心にもないことを口にしてしまった。
「そ、その、俺はそんなに魔法に興味は無いんだぞ?」
「はい?」
俺の発した言葉に、シュテルンは僅かに首を傾げながら返事をした。多分俺の言葉が嘘だと気が付いているのだろう。見え見えの嘘に気付かない振りをしてくれたが、何故俺がそんな判り易い嘘をつくのか計りかねているのかもしれない。もっとシュテルンの事が知りたいのに、このままでは会話が終わってしまう。
今さらだが、魔法適性を持つ彼に魔法を教えて貰うのはとても自然な流れだったのではないだろうか? そう考えると、彼が与えてくれた機会を下らない見栄で潰してしまったのが悔やまれる。
「(何故、魔法に興味は無いとか言ってしまったんだ、俺!)」
この状況を何とか打破したいが、焦り、狼狽える俺の頭はいい考えを出してはくれなかった。しかし、シュテルンが俺の言葉を待っている以上、何か言わねば。
そして、冷静な態度でじっと、こちらを見るシュテルンに慌てて放った言葉は、俺の思いとは裏腹過ぎる台詞だった。
「お前がどうしてもというのなら、やってみないことも無いぞ!」




