出会いの前日
部屋のバルコニーから外を眺める。昼間の暑さが嘘のように、心地よい風が湖から吹いていた。しかし、心地よかった風は雲を動かし、唯一存在した月明かりを隠してしまった。
己を照らす光を無くした湖は黒く、静かだ。昼間はアクアブルーに輝き、白亜のヴァッサー城と相俟って神聖な風景を作り出す湖は、夜の闇と共にあるとその静かさが何処か恐ろしい。まるで、自分の中にある闇がすぐそこにあるようで背筋が寒くなった。しかし、その黒から目を逸らすことが出来なくて、ただ魅入る。
――――キィ――
闇に魅入られ手を伸ばそうとした瞬間。不意に背後の扉が動く音がして、慌てて手を引っ込める。騒ぐ心臓を隠すようにゆっくりと振り返れば、壮年が終わろうとしている位の女性が静かに立っていた。見慣れたその姿に、全身の力がふっと抜ける。
「シンマ」
「ブラキオ様。そろそろお休みなられるお時間ですよ」
「まだ、眠くない」
「しかし、お休みになられなくてはお体に障ります。ベッドで横になられていれば自然と眠くなりましょう」
そう言って、彼女は俺の手を引いてベッドに連れて行く。渋る俺をベッドに寝かせ毛布をかけると、仕方がないといった表情で笑いながら俺に言葉をかける。
「そのような御顔をなされずに。それに、明日はブラキオ様のご学友候補としてズィルバー家のご子息がいらっしゃいますわ。ブラキオ様と同い年だそうですよ」
「……知っている」
「それならば、早くお眠りにならないと。寝不足の頭でお相手しては失礼ですよ? なんといってもあのズィルバー侯爵がとても大切に可愛がられていると噂のご子息ですから」
「あのズィルバー侯爵が?」
「ええ。なんでも【白銀の花】に出てくる初代当主と同じ黒髪に、角度によっては銀が散って見える黒い瞳をお持ちだとか。それに大変優秀で、魔法適性もお持ちらしいですよ」
「【白銀の花】の……。それは少し見てみたいな」
「そうですね。仲良くなったらブラキオ様のお好きな【白銀の花】のお話をお聞きになったらいかがですか? きっと本には書かれていないお話も知っておいでですよ」
「そうだな。…………なんだか眠くなってきたからもう寝る」
「それはようございました。それでは私は下がらせていただきます。何かございましたら、すぐにお声掛けを。――――お休みなさいませ。ブラキオ様。良い夢を」
そう言って、シンマは俺の頭を一撫ですると、明かりを消して退出していった。彼女の足音が完璧に聞こえなくなるのを確認して、俺は体を起こす。
何時の間にか顔を出した月明かりが差し込み、室内を薄っすらと照らしていた。
「学友候補なんて、居た所で無駄だろうに……」
そう呟いた自分の声は思ったよりもはっきりと聞こえた。そして大きく息を吐くと、そのまま後ろに倒れ込んだ。音も無く体を受け止めたベッドに身を任せ、豪華に装飾された天井を見る。
「(どうせ明日来る者だって、他の者達と変わらない)」
天井から窓の方へと寝返りを打つ。バルコニーの柵越しに見える黒い湖を見つめながら、目に見えない何かから身を守る様に、ギュッとシーツを握りしめて小さく丸まる。
俺は二十歳までしか生きられない。それは誰にも覆せないし、どうする事も出来ない決定事項だ。そして、現国王が亡くなられる五年後に王位に就き、死ぬまでの五年間を贖罪の為に国と世界に尽くす。それは幼い頃から言われ続けていたことで、既に決められている俺の未来だ。
その所為か、俺の周りに居る者は皆優しい。さっきのシンマだって俺があのままバルコニーにいると言い張れば俺の気が済むまで居させてくれただろうし、話を切らなければ眠るまでそれこそ何時間だって側に居てくれただろう。俺の言うことは大抵聞いてくれるし、俺が不快な気分にならないように細心の注意を払ってくれているのは分っている。
そうで無ければ、あの護衛騎士に俺が軍盤で敵う訳がないのだ。最初は、ただ単純に勝ったことが嬉しかった。しかし、俺だって馬鹿では無い。流石にやる度に勝ち続けるなどありえない。軍盤は本物の戦争を模している遊戯だ。現職の近衛騎士が高々十歳児に負け続ける訳が無いのだから。
その事に気が付いた時から、俺の胸には靄がかったような気持ちが広がっている。俺を想って勝ちを譲ってくれる近衛騎士は優しい、と思う。負けるよりは勝つ方が気分もいいのは確かなのだが、同時に何か引っかかりを感じる。
そういった皆の優しさや思いやりは喜んで受け取るべきものなのに、素直に受け取れないのだ。そう感じる己の心が、俺には解らなかった。すっきりしない気分に、ついため息をつく。そのまましばらく考え込んでしまったが、このままではいつまでたっても眠れそうにないことに気が付き、こんな事ではいけないと己に言い聞かせる。
そして、もやもやした気分を振り払うように考えるのを止めた。代わりに、明日来る初めて会う同い年の少年に思いを馳せる。
「(厳格な事で有名なズィルバー侯爵が溺愛する息子とはどんな子供だろうか? 優秀なのは間違いないだろうが、性格は侯爵と母君どちら似だろう? …………まさか侯爵そっくりな息子ってことは無い、よな?)」
何気なく浮かんだ嫌な想像に、背筋に冷やりとしたもの感じる。以前たまたま遭遇した怒れる侯爵は珠に夢に見るほどトラウマなのだ。失言した他国の外交官を言葉巧みにじわじわ甚振る侯爵の背後にはブリザードがふいており、その様子は彼の部下がそっと目を逸らすほど恐ろしい光景だった。侯爵にそっくりな性格をした子供など少しどころかかなり嫌だ。そんな厳しい子供と仲良くなれる気が全くしない。そもそも侯爵の息子相手にどんな話題で会話したらよいのだろうか? うっかり彼の地雷でも踏もうものなら、とても恐ろしいことになるのではなかろうか? そこまで想像を膨らませた所で、ふと我に返る。
「(でも、親しくなっても、どうせすぐに離れて行ってしまう)」
少年は学友候補だとシンマは言っていた。しかし、俺がこの王城から本当の意味で出ることは生涯無い。定例会や視察で出掛けることはあっても、学園に入学して寮に入ることはなど無いのだ。
学友とは言葉ばかりで実際は俺の遊び相手だろう。彼と俺が机を並べて勉強する日など一生無い。それに彼には魔法適性があるとシンマは言っていた。ならば早ければ二年後、遅くとも五年後には魔法学園に入学してしまう。それにとても優秀だと国王陛下もおっしゃられていた。ならばきっと彼は学院まで行くだろう。そうなったら彼と自分が再び共に過ごす日は、一生来ない。何故なら彼が卒業して寮を出てくる頃には、俺はもうこの世には居ないのだから。
ずっと側に居てくれるならまだしも、期限付きの友人など居ても別れの日が辛くなるだけだ。それならば、初めから居ない方がずっといい。
「(どうやって追い返せば、問題にならずに済むかな……)」
辿りついた結論に僅かに寂しさを感じたが、気が付かない振りをして明日の予定を考える。追い返すことは決定したが、俺の不興をかったなんて噂がたってしまったら相手の少年に申し訳ない。後々に問題が残らないように、上手く彼を追い返さなくては。
そんな事を考えているうちに、俺はいつしか夢の世界に落ちていた。
そして、その日見た夢は満点の星空を誰かと見上げる、とても美しく幸せな夢だった。
次の話は、二人が初めて出会った日のお話です。




