捨てない希望
カタカタ、カラカラと軽い音を立てながら馬車は白亜の石畳の上を走っている。太陽の光を反射してきらきら輝くアクアマリンの大河と、川に沿って敷かれた白亜の石畳。川を挟んだ反対側には赤や黄色に衣替え途中の草木が広がっている。秋晴れの澄んだ空と、時折、頬を撫でる風が涼しく心地よかった。
「そういえば、シュテルン様。今回は急なご連絡でしたが、ご当主様にどのようなご用件でお会いになられるのですか?」
俺が爽やかな秋風に浸っていると、同乗していたエレクが思い出したように訪ねてきた。【宮廷魔術師の日記】の隠された文を見つけたのが昨日の昼。そして、図書館で調べ直し【創国祭】が【想告祭】であった確証を得て、実家に連絡したのは昨日の夜中だ。
「ちょっと、頼みたいことがあってな」
「頼みたいことって、先日もブラキオ殿下とのご旅行で大分無理をお願いしておられたじゃありませんか。あまり、我儘を過ぎるとお叱りを受けますよ?」
「分っている。だからその可能性を見越して、こうやって直接父上に会いに行く所だ」
「お叱りを受ける前提で行かれるんですか? 一体何を頼むおつもりです?」
「それは、内緒だ」
呆れたように言ってくるエレクにそう返せば、頭が痛いとでも言うように額に手を当ててみせる。そんな態度をとっていても、俺の急な頼みにこうして夜明け前にズィルバーから馬車を走らせ共に王城に行ってくれるのだから、エレクも大概俺に甘い。
「…………何をお願いされるおつもりかは知りませんが、ご当主様もお忙しい身です。今回は王城にいらっしゃるとのことで、ご連絡しておきましたが。あまりお時間はおとり出来ないそうです。一時間程度が限界かと」
「ああ。それで十分だ」
父上に改めて念を押されていたのか、時間厳守をエレクに告げられる。しかし、幾ら俺が貴族としては類を見ない程自由に振る舞っていても、父上が忙しいことは理解している。それどころか、忙しいのを見計らって行くのだといったら、この口うるさく心配性な従者は何というだろうか。
父上は俺と母上を大切にしてくれるが、ズィルバー侯爵家当主としての父上は厳しい。特に貴族の持つ権力や影響力とはいかなるものか、何に使うべきものなのかは幼い頃から何度も言い聞かされている。身分に驕るな、権力に溺れるなと散々言われてきているのだ。その言葉に反する今回のお願いは、時間に余裕があると上手く言い含められて、却下されてお仕舞いだろう。父上にまだ勝てないのは重々承知しているので、短い時間で言い聞かされる間もなく、押し切ろうという訳だ。
というのも、今回父上にお願いしに行くのは来月の【創国祭】の【シュトラ】に俺をねじ込んで欲しいというものだ。神に祈りを捧げ、願う【シュトラ】は祭りのメインイベントであり、とても人気のある役目だ。各国の国王や次期国王、高位の貴族達に見守られながら祈りは行われる。それに調べた結果、過去に神から本当に力を授かった者が居たらしく、豪商や有力貴族、王族や貴族に見初められたい女性達からしたら是が非でもやりたい役目だ。
この【シュトラ】は各国の貴族・豪商・平民の中から数名ずつ選ばれる。大体、一カ国十~十五人程度選ばれるので、侯爵家の地位と権力を使えば俺一人ねじ込むくらい簡単だ。平民の枠は純粋な籤だが、他の貴族達や財力のある者達は多かれ少なかれそういった事をしている。
しかし、それを俺の父上が許すかと言ったらまったくの別問題だ。多分というか絶対、今回のお願いは貴族という身分に厳しい父上の琴線に触れるだろう。まぁ、駄目だったら他の方法を考えるのだが、一応儀式の手順に則って行った方が上手く行きそうな気がする。ねじ込んでもらう時点で正規とまではいかないが、限りなく正規の手順を踏みたい俺はお叱り覚悟で、父上にお願いしに行くのだ。
それに父上相手に引き下がっていたら、黒神モーントと対話など夢のまた夢だろう。もう、この方法しかないのだ。俺はこの【創国祭】で罪を認め、過ちを告白する。そして贖罪を誓う。そこに、黒神モーントが姿を現してくれることを願って。
俺はこれから対峙する父上への口上を頭の中で整理しながら、馬車が王城に着く時を待った。
【想告祭】の起源は遥か昔、それこそ今のヴァッサー国やグルート国が生まれるよりもずっと前に遡る。昔は、人間と神々はもっと近しい関係だったそうだ。
そして、ある青年が犯した過ちを罪と認め、悔い改め、その贖罪の為に神に助力を乞うたことがその始まりである。罪を認め、償いをしたいがどうすればよいのか分からないと言った青年に、神が加護を与え生涯青年の贖罪を見守った。
その話を聞いた人々が、青年が祈りを捧げた場所で同じように罪を告白し、償いを誓うようになっていった。すると、神々も人々の告白を聞き入れ、稀に力を貸してくれるようになった。そして神々もお忙しいのだからと、人々は一年に一度【想告祭】を開き、祈りを捧げるようになった。
そしてある時。時代にすると王族が呪われてから数百年後。その時はまだ、過ちを犯した人間に力を貸してくれる神がいた。
しかしその慈悲を裏切り、神に与えられた贖罪の為の力に溺れた者が居た。その者が犯した罪は大きく、償いには莫大な時間と財産が必要だったのだ。そして、過ちを聞き入れた神は贖罪にかかる莫大な時間と財力を補うための力を与えた。王に連なる者が呪われ、贖罪の日々に疲れていた人々はその奇跡じみた力を神の許しと勘違いしたのだ。
そして人々は再び過ちを犯す。贖罪の為の助力では無く、豊かになる為の力を欲したのだ。彼の者は特別な力を与えられた。あの力は、神が過ちを赦した証拠なのだと。
贖罪の日々に疲れた人々は、食料や宝石、美しい動物に金銀財宝を捧げ神に祈った。「私達にも赦しと特別な力を!」と。
そうして、何時の間にか過ちを認め、罪を悔い改める儀式であった【想告祭】は、運が良ければ願いが叶うらしいといわれ、神様に供物を捧げ豊穣や栄華を祈る【創国祭】へと姿を変えてしまった。その頃には、慈悲深く人間に寄り添ってくれていた神々も姿を消し、世界には黒神モーントの残した呪いだけが残った。
というのが、【宮廷魔術師の日記】を元に調べ直した結果、分った真実である。
「シュテルン。今言った言葉、もう一度聞かせてくれるか」
「ですから私を、来月行われる【創国祭】の【シュトラ】に推薦していただきたい、と申し上げたのです。父上」
父上の問いに即答した俺を見て父上以外の、エレクや父の部下、たまたま部屋に居た王城に勤める人々が一斉に頬を引き攣らせた。
「身分に驕るな、権力に溺れるなと散々言って聞かせ、お前もその言葉の意味を十分に理解していると思っていたが。よもや父の言葉忘れた訳ではあるまいな」
声を低くしてそう告げる父上に、さらに部屋の気温が下がった。
「無論。その言葉を忘れた訳ではありませんし、意味は重々承知しております。その上で、こうしてお願いしているのです、父上」
険しい顔をしてこちらを見据える父上の目を真っ直ぐに見返す。現在、父上の執務室はキオと初めて軍盤をした日以上のブリザードに見舞われている。
時間があまり取れないとおっしゃった父上の指定で執務室を訪れた俺は、挨拶もそこそこに用件を切り出した。その結果が今の状況であり、父上の部下が顔を引きつらせるくらいには父上の怒りを買っている。お怒りの父上は、声を荒げるような事はしないが、怖い。仕事中に父上の怒りを買った者は大の大人でも泣き出すことがあるくらい、父上は自分にも他人にも手厳しい。俺はまぁ、怖いといっちゃ怖いが、慣れているのもあるし、何より此処で泣いて帰る訳には行かない理由がある。
「お前の要求は分かった。しかし私の言葉を忘れていない、というのであればそれ相応の理由があって言っているのであろうな」
言外に何の為だと問われる。理由を聞いてくれるあたり、父上は俺を多少なりとも信用してくれているのだろう。その証拠に父上の威圧がブリザードから吹雪くらいに緩和されている。
「勿論。理由も無く、このような頼み事は致しません。しかし、この場でその理由をお教えすることは出来ません」
俺の答えに、再び空気が凍りつく。室内にいる一部の者達の顔が青くなり始めている。
「そのような答えで、まかり通るとでも思っているのか」
先ほどよりも語気を強めた父上に此処が正念場だとこちらも気合を入れる。まぁ、今回はどう考えても俺が悪い。父上が折角譲歩して、理由を聞いてくれたのに答えられないのだから。父上の優しさを踏みにじるようで悪いが、しかし此処はこれでまかり通して貰わなければならない。
「父上のお怒りは最もです。貴族としての権力を私事に利用し、あまつさえその理由を明かせないと言っているのですから。しかし、私にも引けない理由があります。例え、国王陛下やブラキオ様に命じられたとしてもこの理由は明かせませんし、どのような手を使っても私は今年【シュトラ】になります。それだけの理由と覚悟もあります。例えこの件で侯爵家を離縁されようとも」
目を逸らさず、父上の威圧に負けないよう俺も精一杯の虚勢を張る。離縁されてもいいと言い切った言葉に、誰かが息を飲んだ。
「この件に関して引くことは出来ません。『自分らしく生きればいい』とおっしゃってくれたことは今でも忘れません。そして、父上が教えてくれた貴族としてのあるべき姿も。その上で、私はどうしても今年【シュトラ】をやる必要があるのです」
再度「お願いします」と言って、土下座する。俺のその様子を見て、黙って考え込む父に引きずられてか、言葉を発するどころか身じろぎする者さえいなかった。
重い沈黙が広がる中、俺は頭を下げたまま父上の答えを待つ。そんな俺と父上を部屋に居る者全てが息を飲んで見守っていた。こんなことになるなど、想像もしなかっただろうエレクに少し悪いことをしたなと思ったその時、頭上で小さくため息を吐く音が聞こえた。
「シュテルン。顔を上げなさい」
そう言われ顔を上げる。床に座ったままの俺に、再度ため息をついた父上は静かに口を開く。
「お前がどれだけの覚悟を持って言ったのかはよく分かった。しかし、【シュトラ】になるのは今年でなければならないのか? 来年ならばブラキオ様も即位されるし、今から一言っておけばズィルバーの名を使わなくても容易にその役目を拝命できるだろう」
確かにその通りだ。来月に控えた今年の【創国祭】で【シュトラ】になるには、ズィルバーの名を使わなければならないが、来年以降ならばその必要も無い。それこそ事前にやりたいと一言いうだけで、一番に祈りを捧げさせてくれるだろう。
しかし、それでは駄目なのだ。
「今年でなければ、意味が無いのです」
来年キオが即位する予定であり、今年が丁度【白銀の花畑】の年であり、あの夜があったからこそ、俺は呪いを解く決心をした。そしてキオに誘われ、導かれるように図書塔であの【宮廷魔術師の日記】を見つけ、手に取った。そして、隠されたページをたまたま見つけ【創国祭】の前に【想告祭】の意味を知った。
これら全てが、偶然だなんて俺は思えない。神が赦そうとしてくれているなんて思い上がったことは思わないが、確かに誰かの意志を感じるのだ。あの【白銀の花畑】のように、来年や次の機会など無い。
今年の【創国祭】で過ちを認め、罪を悔い改め、贖罪する。それこそが俺の望みを叶える最後のチャンスであり、多分神の問いかけに答えることが出来る最後の年なのだ。誰に言われた訳でもないが、そんな気がしてならない。だから、こうして父上の元に足を運んだのだ。
「…………それは、ブラキオ様の為か?」
一瞬何を言われたのか分からずに、反応が遅れた。しかし、此処でキオの名前が出てくるとは、流石父上である。それと同時に、試されていると思った。
父上は、俺がキオに依存しているのに気が付いているのだろう。だからこそ今年、あの【白銀の花畑】にキオを連れて行かせてくれたのだ。六年後に訪れる、決別を知っているから。必死に親友との思い出を刻もうとする俺への憐みだ。
父上からしてみれば、あの初日で俺とキオは決別する予定だったのだ。それが意外なことに意気投合してしまい、これほどまで親しくなるとは思わなかったのだろう。父上が互いに依存し合う俺達を見て、俺とキオを会わせたことを、少し後悔しているのを知っている。そして、一人残される俺を心配してくれていることも。だから俺は、父上のこの問いに答えなければならない。
「いいえ。俺の為です」
そう言い切った俺に、父上の目が少し和らぐ。
「己が為に国王から頂いた、ズィルバーの名を使うというのか」
「はい。――――――これは、俺が前に進む為に必要な、俺自身の為になすべきことです」
そう。これは決してキオの為じゃない。俺の為に必要なこと。此処で、区切りをつけておかなければ近い将来、俺は身動きできなくなるだろう。死への恐怖に囚われて、何もなせぬまま己が半身を失って、あの宮廷魔術師のように後悔の念に囚われながら生き続ける。そうならない為にも、これは必要な事だ。だから、目は逸らさない。やましいことなど何もないのだから。
万感の思いを込めて父上を見返す。俺の決意が伝わるように。しばらくそうやって、父上と見つめ合っていると、不意に父上が目を閉じた。そして少しの間、何かを思い返すように考え込むと、大きく息を吐いて口を開いた。
「………………わかった。【シュトラ】の件は私が何とかしよう」
「っ父上!」
「ただし! 今後、このような私事にズィルバー侯爵の名を使うことは許さん。そのことは、よく肝に銘じておくように」
「はい! ありがとうございます!」
父上の言葉に、もう一度深く頭を下げる。釘を刺されたが、その程度で済んだことを喜ぶべきだろう。
「……そろそろ行きなさい。仕事が残っている。【シュトラ】の件は決まり次第連絡する」
「ありがとうございます。お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございました。皆様も貴重な御時間を私事に付きあわせてしまい申し訳ありませんでした。―――――それでは、失礼いたします」
我儘を聞いてくれた父上に再度お礼を述べ、付きあわせてしまった他の方々にも謝罪しておく。家人であるエレクは兎に角、関係無い父上の部下やたまたま居合わせた人達まで俺と父上のやり取りに顔を白黒させてしまったのは申し訳ないからな。そして、退室の礼をとり部屋を出ようとした所で父上から再度声がかかった。
「シュテルン。またなにか、私に話があるなら今度は正々堂々くるように。お前もそろそろ次期当主として、商談を自分優位に進める方法を身につけなさい。今後は今回のように、論議を避ける為にわざと時間が無い時を見計らってくるような真似はやめなさい」
告げられた言葉に、部屋に居た者はギョッとした顔で一斉に俺を見た。その反応と、俺の浅はかな魂胆を父上に全て見透かされていた事実に、バツが悪くなり顔を顰める。しかし、父上の仕事は残っているし、先ほどから父上の手が空くのを待っている人も居る。このままでいる訳には行かないので、俺は仕方なく重い口を開いた。
「……申し訳ございません。父上と対峙するにはまだまだ未熟な身ですので。今後はこういったことが無いよう精進させていただきます」
俺の苦々しい思いに気が付いたのだろう。父上にしては珍しく、笑いを噛み殺した表情で「精進しなさい」とのお言葉をくれた。
「ガンバリマス」
退出する際、そう返すので精一杯だった俺を責められるものはいないだろう。




