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観察記録13_報告義務

 昼を過ぎてから、ルルセラが執務室に現れた。だるそうに、「オハヨウゴザイマス……」と言いながら部屋に入って来た。


「おはようございます。……今日は一日、寝ていらしたらいかがですか?」

「これ以上寝たら、夜眠れなくなる……」

「なるほど」


 ……しかし、そんなざまで仕事になるのだろうか。横目で観察していると、デスクに無造作に置かれていた本を開いて、そこに目を落とした。なるほど、仕事に取り掛かるつもりはないらしい。とはいえ、読書だって捗らないのではなかろうか。


 しばらく見ていると、ルルセラの顔が上がって、目が合った。と思った次の瞬間には、目をぱっと逸らされた。


「ルルセラ様? お水か薬か、お持ちしましょうか?」


 心配になって声を掛けると、


「いらない……うう……」


 と言って頭を抱えた。


「普段は酔い潰れたりしないのに。これはホントに……」


 腕の向こうから絞り出すような声が聞こえた。


 ……そういえば、そうだった。こう見えてルルセラにも、人並み(よりは少し少ないかもしれないが)に羞恥心があるのだった。酔い潰れる人自体は珍しくないが、たしかに、うら若き女性なら恥じて然るべき場面なのだろう。ここは、励まして差し上げるべきだろうか。いやしかし、下手に励まして悪癖を助長する結果になっても困る。


「……なんで黙るのよ……アルトのせいでもあるのに……」

「え……俺ですか?」


 急に責められて驚く。寝耳に水だった。俺はルルセラに酒を勧めたりなどしていない。酔ったせいで記憶を改竄しているのだろうか。


「アルトが横にいるから大丈夫だろう、って飲み過ぎちゃったのよ……何でもっと早く止めてくれないのよ! 仕事の時はもっと判断早いのに!」


 無茶を言う。二杯で酔うとは思っていなかったし、弱いなら弱いで、もっと酩酊のサインを出してもらわなきゃ無理だ。顔を赤らめるとか、笑い出すとか、泣き出すとか……。今にして思えば、人の話を聞かずにニコニコしていたのが彼女特有のサインだったのだろうけれど、初見でわかるはずもない。


「……次からは気をつけます。でもルルセラ様も、次からは、怪しい人を連れて飲みに行くのは控えて下さい。俺も肝が冷えたので」

「別に怪しくはなかったでしょう……」


 精一杯の抗議に対し、拗ねたような声が返ってきた。全く、どういう思考回路でそんな答えを返してくるのやら。


「怪しかったですよ」

「でも私には、助けを求める人に見えたんだもの……」

「だとしても、何で見ず知らずの人を助けようとするんです」

「何でって…………何でかしら。ありがとうって言われたい気分だったのかも」


 他人事のように言う。ふわふわとした応酬ばかりで、もはや、全て寝言なんじゃなかろうか、と思えてきた。


「……わかりました、次からは飲みたい時は俺に声を掛けて下さい。家で飲みましょう。俺が一緒に飲んで、いくらでも、ありがとうって言いますから」

「そんなの、家で飲んだりしたら、お父様が何と言うか」

「いや、家って、ご実家のことではなくこの館のことですよ」


 そう返しながら、やっぱりルルセラはまだ寝ぼけている、と結論付けた。そう判断した理由は、会話のふわふわ感のみならず――これまでルルセラは、「お父様」との関係性について言及することを徹底的に避けているように見えのに、今、なんの躊躇いもなく、それを口にしていたからだった。


 けれども、その結論は、


「わかってるけど、この館だって、お父様のものじゃない」


 その言葉が紡がれると、瞬く間にぴしぴしとヒビが入った。


 ぎくりとした。それは、ばつの悪さよりも、もっとたちの悪い気持ちだった。

 

「……そうかもしれませんが」


 まるで逆説が存在するかのように「が」で言葉を止めたものの、そこに続く説法なんてものはなかった。


「使用人だって、お父様のものよ。お父様の手足であり、目であり、耳であり――」


 ルルセラはやけになったような声でぶつぶつと唱えていたが、そこで突然言葉を止め、ぐしゃりと机に突っ伏した。それから、案ずる声を掛ける間も無く、


「ごめんなさい、余計なことを言いましたね……あなたもお父様の部下なのに……」


 とくぐもった声が続いた。


「別に、お父様に報告して欲しくなくてこんなことを言ったわけではないので、気にしないで下さい」


 ルルセラは……ただ能天気に俺と過ごしていたわけではなかった。むしろ、俺よりもずっと、自分の立場を分かっていた。


 俺たちは――俺も、ルルセラも、ライラも、言ってみれば相互監視の関係にあった。皆、「ルルセラの仕事が上手くいくように」申しつけられていて、そのための不都合は雇用主――すなわち彼女の父親たるレーグス団長に報告しなければならない。だけど、互いに情も持っているから、「報告しないといけないこと」「報告させないといけないこと」を心苦しく思っている――いや、俺に関しては、二人とは事情が違うか。一緒にすべきではない。俺が苦しむのは自業自得だが、二人はそうではない。


 それでも、今の俺がルルセラに傷付いて欲しくないと思っている気持ちに、偽りはなかった。


「……でも俺は、ルルセラ様が酒を飲んだら報告しに来い、なんて指示は受けてません。ルルセラ様もそう思ったからこそ、昨日俺を連れて行ったのでしょう?」

「それは、そうだけど……」

「なら、何も問題ありません。俺は報告しません。だけど、他の使用人には報告義務があると言うなら、仕方ないです。外で飲みましょう。そこで俺が、ありがとうと言いますから」


 ルルセラは反応しなかった。少なくとも、俺にはそう見えた。なにしろ、完全に突っ伏していて、表情が見えないだ。黙られてしまうと、彼女の気持ちがほんの少しも汲み取れなかった。


「ほら、そろそろ顔を上げて下さい。それじゃあ寝てるのと変わりませんよ。夜眠れなくなると、困るのでしょう?」


 そう言ってもなお、易々と顔を見せてはくれなかったが、


「あなたってほんと、お人好しね」


 と、返ってきた。あまり望ましいこたえではなかったけれども、何となく、今回は別に良いか、という気分になった。

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