第62話 謎のサークル
僕は今、自分の常識と想像力が如何に矮小であったかを思い知らされている。
ここは異世界。この世界にはこの世界のルールがある。
もはや僕が当たり前に使っている魔法もその一つだ。ドラゴンになっちゃう人たちとも話してきたし、古龍だって一言だけど喋るのを聞いたことだってある。僕の基準として現実離れしている殆どのことは受け入れ順応できてきたつもりだ。
しかし、だ。まさか猫が喋り出すなんて誰が予想できたか!
だって猫だよ?どこにでもいる、見た目もそのまんまの猫が、だよ?つぶらな瞳を僕に向けて頭を傾げているこの可愛らしい猫が、その口から人語を発しているなんて思わないでしょ!?僕の名前を呼んでいるんだよ?間違いなく、目の前の猫が!!
「もういい加減慣れてくれるかしら、話が進まないわ。」
猫のケーシーちゃんは僕が心の中で驚き慄いている姿を見て落ち着くのを待っていたようだ。予想よりも僕が頭の整理に時間を掛けてしまったため痺れを切らしたらしい。
「あ、あぁ…。善処します…。」
「それよりもあなた一人なのね。旅のお仲間さんたちはいないの?」
この猫は僕の名前だけでなく、蒼天の牙と行動していたこともお見通しらしい。いよいよ以て只者ではない、この猫は。
「皆はそれぞれ別の依頼に行ってるよ。僕はアッガスさんって言う強面のギルド長から猫を…つまり、君を探すように頼まれたんだ。」
「そう…。まぁいいわ、あなたに見てもらえれば。付いて来なさい。」
ケーシーちゃんはそう言って驚き倒れ込んだ僕のお腹から降りると先導するように歩き出した。
何か含みのある言い方ではあったが、とりあえずケーシーちゃんの跡をついていくことにする。そもそもケーシーちゃんがいないと依頼達成にもならないので、ここは言う通りにする他にない。
僕たちは林の奥へと進んで行く。見渡すかぎり木々が生い茂っていていくら進んでも目新しさはない。いざとなればオーベロンから貰った方位磁針を使えば問題ないだろうが、すでに自分がどの辺りに位置しているか僕には判別できなくなっていた。
「ここよ。〈緑樹に宿りし星の子よ。守り人たる我らが声を聞き届けたまえ。〉」
ケーシーがトリガーを唱えると繁茂し重なり合った枝葉を木々が自ら動き退けていく。木々が動きを止めた時には一本道ができていた。
「今のは精霊術…。ケーシー、君はいったい何者なんだ?」
「いいじゃない、そんな細かいこと。今の状況に必要ないわ。それよりもこっちよ、あなたに見てもらいたいものがあるのは。」
僕の問いには答えずケーシーは道を進んで行く。僕も後ろをついて歩いて行くと拓けた場所に出た。
「ここは草原地帯か。膝丈の雑草で埋め尽くされてるみたいだけど、ここが何か珍しいの?…って、うわ!?」
「あなた、空を飛べるでしょ。私を連れて真上に飛んで。そうすれば今の答えはすぐに分かるわ。」
ケーシーは僕の肩に跳び乗り首元に絡みつくようにしてくっついてくる。
僕は〈ソアー〉を唱えて軽く上に飛ぶと〈ホバー〉で空中に留まり真下を確認する。
「これは……。サークル?」
それは円が二重三重になったものが雑草を圧し潰す形で作られていた。円といえばこの世界では魔法陣を真っ先に思い浮かべるが魔法文字のような形跡はない。
「私がこれを見つけたときはまだ中央の円が一つだけだったわ。それが徐々に大きな円が出来上がっていっていることに気付いてこの二ヶ月様子を見ていたのよ。
この円は日増しに重なっていって今の状態にまで広がっているわ。」
一番外側にある円の大きさは十メートルくらいになるだろうか。一番内側にあるものを含めて現在四つの円が出来上がっていた。円は等間隔に重なっている訳ではなく、外側にいくほど間隔が空いている。
「これが何かは分からないわ。けど、災いが起きてからじゃ遅いと思って今まで精霊に頼んで封印してもらっていたのよ。」
「これを僕に見せた理由は?」
「あなたならこれの正体を探るヒントを見つけられるんじゃないかと思ったのよ。今後も旅を続けていくんでしょ?その中で同じような現象が待っているかもしれないわ。そしたらこれが何かも分かるかもしれない。」
この猫はやはり全部お見通しなのかもしれない。空を飛べる魔導師は少ない。偶然で言い当てられるほど分母が大きくないのだ。それでも僕が飛べると言い切ったとなれば初めから分かっていたことになる。
「本当にいったい何者なんだ、君は…。」
僕はケーシーを見ながら無意識にそう呟いていた。
「はぁ。そればっかりね、あなた。ちゃんと教えてあげるからまずは地上に降りてアッガスの所へ行きましょ。依頼達成の報告も必要なんでしょう?」
僕は言われるがままに地上へ着地するとケーシーの案内で街の方まで歩いていくのだった。
◇◇◇
「おう!さすがに早かったな!プラチナ冒険者は伊達じゃねぇってわけだ!これでミルズ奥様の溜飲も下がるだろう。よくやってくれたな、シュウ!」
ギルドまで戻ってきた僕たちはアッガスへ報告するためセルマさんに言ってギルド長の部屋まで案内してもらっていた。
林を出たところからケーシーは言葉を発さず僕の腕の中に収まっている。軽く喉元を撫でてやると気持ちよさそうしながら腕に顔を擦り付けてくる。それが妙に人懐っこくて可愛らしい。
「見つかったまではよかったんですが、この猫の案内で林の奥に巨大なサークルがあるのを見つけました。魔法文字はありませんでしたが、この猫曰く、日を追って大きなサークルが出来ているようでして。
アッガスさんの経験でそう言ったものは見かけませんでしたか?」
「サークルか。いや、聞いたこともねぇな。しかし、その猫が直接言ったみたいな言い方するんだな。そんなにソイツが気に入ったのか?」
「へ?いやいや、アッガスさん。猫も喋りますよね?」
「あん!?猫が?そんな訳あってたまるか。」
…………。暫しの沈黙。
なんと!?世界を旅してきたアッガスでも猫が喋ることを知らないとは!
「大方幻聴でも聴いたんだろ?さすがのシュウも疲れが出てんのかもしれねぇな。」
何か不本意な方向に話が進んでいる気がする。
僕が不貞腐れていると外から声がかかりセルマさんがお茶を持って現れた。
「はい、猫ちゃんにはミルクね。」
そう言ってセルマさんは床に猫用の容器を置く。中には人肌に温められたミルクが入っていた。流石はセルマさん、素晴らしい気配りである。
「あら、私にもミルクを持ってくるなんて、あなた中々気が利くわね。」
「うふふ、どういたしましてぇぇぇぃああぁ!?」
…。あの美人なセルマさんから野太い雄叫びのような声が上がるのを聞いてしまった。猫が喋ることはやっぱり常識じゃなかったことでテンションが上がるよりも、そちらの驚きのほうが勝って逆に冷静になってしまう。
「こいつは驚いた。本当に喋りやがったのか、コイツ。」
「コイツとは失礼ね。レディを呼ぶ時はちゃんと名前で呼びなさいよね。」
「しかもお上品を気取ってやがる。シュウ、お前さんは本当に次から次へと可笑しな奴を連れてきやがるな。」
アッガスがこちらを見ながらまたしても不本意な事を言い出している。その猫を捕まえてこいと言ったのはあんたでしょうが。
「…あ。あぁ、そうだ。ギルド長、二人が依頼から戻ってきました。ちょうどシュウさんもいることですし、お通ししてもよろしいでしょうか。」
放心状態から我に返ってきたセルマさんがアッガスに報告する。すでに切り替えが済んでいるようで、いつもの清楚で仕事のできる受付嬢に戻っているとはさすがである。…さっきの雄叫びは聞かなかったことにしよう。
「おう、帰ってきたか!呼んでくれ!」
アッガスに言われてセルマさんが下がっていく。
二人っていうと、もしかして…。
「おや、シュウもいたんですか。元気そうで安心しました。」
入ってきたのはシルとジルだった。二人はリトルボアの討伐に出ていたはずだが、早くも片付けてきたらしい。ジルからその報告を聞いてアッガスは頷いている。
「ね、ねぇ…。」
ジルが報告する間、僕がシルと話していると足元のほうから声がする。そうだ!喋る猫がいることを忘れてた!
シルからセルマさんのような雄叫びを出させる訳には……!
「姉さま!!」
ケーシーは叫びながらシルへと飛びついていく。……姉さま?
「なんだ、シーじゃないか。父さまや里の皆は息災か?」
「はい!皆変わらずに過ごしております!ですが、姉さまが旅立たれてからというもの、このシーは不安で不安で…夜も眠れぬ日々を送っているのです。姉さまはいつ里へお戻りになるのですか!?」
「シー、そう言うが旅はまだ始まったばかりなのだ。なんら成果も上げていないうえに神の使い様の元へシュウを連れて行くことすらできていないからな。帰るのは暫く先になるだろう。
それよりもジルの家族は元気か。随分とジルが気にしていたからな。」
そう言うとジルがすっと近付いてくる。
「新しき巫女様、お久しゅうございます。ご健勝のご様子、何よりでございます。」
「守り人たる森の戦士よ、頭を上げなさい。そなたの連れ合いは何も変わりありません。安心してその身に受けし大役を熟しなさい。」
「ありがとうございます。我が妻や息子たちが元気であるだけで私の心は救われます。必ずやシル様とともにこの任務、全う致しましょう。」
なんかスゴイ感動のシーンみたいになってるけど、二人が話しているのは猫である。それもミルズ奥様の飼い猫である。二人には悪いけど、遠目からは不思議な光景にしか見えず滑稽にも感じてしまう。
実はミルズ奥様はずこい人で猫はその使いとか?はたまた、この猫が実は猫神様だったとか?
「シル、その猫とは知り合いなの?」
「ん?なんだ、分からないのか。この猫、というよりも猫に宿っている主はお前も知っている者だぞ。
この猫には我が妹のシーが宿っているんだ。」
「え!?シーって、あの?よく巫女の修行で大聖堂に籠ってた?」
「あぁ、そのシーだ。シーは猫に憑依できる特殊な能力を持っていて、猫の目を通して世界の出来事を見ることができる。
それに加えて、精霊術こそ私のほうが得意ではあったが、魔力だけを見てもシーは私を凌駕している。とても優秀な巫女だ。」
オーベロンはシーちゃんのことを『ケット』と呼んでいたからシルから言われてもピンと来なかったけど、確かシルとは年子の女の子だったはずだ。背が低く童顔なのでつい子供扱いしてしまうが、幼い姿で難しい性格をしていたのを憶えてる。
「シーちゃんだったなら初めからそう言ってくれれば良かったのに。」
「あなたが気付かないほうが悪いんでしょ。それから私の名前はケーシーよ。里でも言ったと思うけど、『ちゃん』付けなんて子供扱い止めてくれるかしら。」
「まぁそう言うな、シー。シュウだってお前と仲良くなりたいんだ。多少のことは目を瞑ってやれ。」
「…姉さまがそう言うなら…まぁ、仕方ないわね。」
「おいおい、何だかややこしい話になってんじゃねぇか。とりあえず座ったらどうなんだ、お前ら。」
アッガスに言われて来客用のソファに皆で座り込むと僕とケーシーは先ほど報告したサークルの話をシルたちにもする。
やはりシルたちにもあのサークルが何を意味するものかは分からなかった。
「そういうことだから、これからもあの場所は封印しておくことにするわ。この子も時折使わせてもらうから捜さなくても平気よ。」
「そうは言うがな、ミルズ奥様にそんな説明をして納得してくれるとでも思ってんのか?愛猫は憑依されています、なんて言ったら卒倒ものだぞ。せめて他の猫じゃいけねぇのか。」
「この子とは波長が合うから他の子に比べて魔力操作がやりやすいのよ。でも、そうね…。」
ケーシーが『にゃー』と鳴くと何処からともなく猫たちが現れすぐに部屋中が猫だらけになる。
「んー…。うん、この子がいいわ。シュウ、私の首輪を外してこの子に着けて頂戴。」
僕は言われるがままに他の猫へミルズ奥様特製の首輪を付け替える。
「あなたの仕事は私の代わりにミルズ商会で暮らすこと。別にずっと居なくてもいいわ。心配したら勝手に探し始めるから街中には居て頂戴。ただ、あそこの食事は美味しいから太り過ぎには注意しないとダメよ。」
ケーシーは首輪を付け替えた猫に次々と注意点を説明していく。当の猫はというと真面目な顔つきで頷いていた…。
「それじゃあ、ヨロシクね。皆、ご苦労様。」
ケーシーの号令で集まった猫たちは四散していき、首輪を付けた猫だけが残った。
「これで問題ないわ。私はこれからシュウと旅に出ることになるから、その間はこの子が代わりを務めてくれるはずよ。」
「何かズルしてるみたいな気分だ…。けど、ミルズ奥様にはバレないかな。」
「大丈夫よ、私が選んだんだもの。見た目、性格、愛嬌、ニオイ。どれを取っても人間じゃ分かりっこないわ。」
「なら、俺としては問題ねぇ。この場にいる全員が口を噤んでくれたらな。
それより、さっきお前さんが言ってたことが気になるな。俺はルスト様からシュウが旅に出るなんて聞いてねぇぞ。」
それは僕も気になっていた。
もちろん今後旅に出る予定ではいたけど、ケーシーの言い方はすぐにでも出発が必要そうな言い方だった。そんな必要があるとは誰からも聞いていない。
「そうね。これは帰着の里に賜ったご神託だからあなたたちが知らないのも無理ないわ。神の使い様からの言伝よ。
『一刻も早くアヅィール聖法国へ訪問するように』
父さまの話では切羽詰まった感じの言い方だったみたい。」
アヅィール聖法国。当初からの旅の目的地の一つだ。ここにガイド様もいるはずだが、切羽詰まったというのが気になる。
もしかしたら何か大変なことに巻き込まれているのかもしれない。クージル国の件もあるし、放ってはおけない。
「よし、分かった。すぐに出発しよう。」
こうして僕たちは一路アヅィール聖法国までの旅に出るのであった。




