第91話 プレリュード
時間がかかってしまいましたが、新章突入です。
――――とある領地。
もみの木が乱立している森の中を切り拓くように道が伸びている。昼夜を問わず薄暗いこの場所でも住み慣れた者であれば迷うようなことはないが、それが一本道であれば尚更である。
そんな中、男は焦っていた。
この一本道であれば仮に住み慣れていない者であっても迷うことはないが、今回はこれこそが男を焦らせる原因であった。
男は中に乗る者のことなどお構いなしと言わんばかりに全力で馬に馬車を引かせている。それでも後ろから来る追手が乗る馬たちのほうが速いのである。分かれ道でもあればまだ追手を迷わせることもできただろうが、生憎と館からしばらくは一本道が続くためどんなに全力疾走させても追手を巻くことができなかった。
「くそっ!このままでは取り付かれる…。」
男が横に乗り出して後ろを確認する限りでは、追手は五頭ほどいるようだった。館に残した味方は足止めできなかったらしい。あちらの状況は把握できないが、ここから味方の増援がくる可能性は極めて低かった。
すでに追手が鳴らす蹄音は男の耳にも入っている。追いつかれれば馬を無力化するか馬車の車輪を壊すくらいのことはしてくるだろう。それはすなわち中の人物に危害が及ぶことを指し示している。こうなればもう男に迷っている暇はなかった。
「姫様!森に入ります!揺れますのでどこかへお掴まりください!」
男は叫ぶと間髪入れずに道を逸れて森の中へと馬車を突っ込ませていく。
舗装されていてもこれだけの速度を出せば乗り心地は最悪である。それが森の中ともなればさらに縦横に激しく揺らされることとなるため、男の忠告は中の人物に怪我をさせないようにするためのものであった。
だが、まさかちゃんと掴まっているかなど確認している余裕もないので、早口で伝えると同時に森へ入っていったため馬車の中では叫び声が聞こえてくる。それでも男は速度を緩めることはなかった。
道が荒れれば馬車を引いているこちらが不利となることも男には分かっている。それでもこちらの選んだのは考えがあってのことだった。
大きく広がる様にして散開した追手は網を狭めていくように馬車を包囲しながら迫ってくる。
そして流鏑馬のように馬上で弓を構えた追手は馬目掛けて矢を放つ。
追手の放った矢は馬の臀部へ突き刺さり、馬が大きく嘶くとともにその場に立ち止まってしまった。一頭が止まれば繋がっているもう一頭も止まらざるを得ない。そうして馬が急停止したため馬車は慣性の法則に従い前につんのめる様な形で放り出されてしまった。
馬たちは何とか巻き込まれまいと踏ん張るが、そのせいもあり馬車は完全に横転してしまう。
御者席に座っていた男もあらぬ方向へと飛ばされてしまっていた。
「ぐ…。姫様が………。」
男は必死に起き上がり馬車へ駆けていくが、かなり遠くへ飛ばされてしまったため追手が馬車に取り付く方が早かった。
横転して扉が空へ向いた状態となっていたため、追手は馬車によじ登り、その扉を開く。
「ぐぁあ!?」
それは扉を開いた追手の叫び声。叫んだ男はそのまま後ろへ倒れ込むようにして馬車から落ちていく。仲間たちが近寄るとその首からは鮮血が止めどなく流れていた。
「姫様には指一本触れさせぬ!」
中から出てきたのはまだ年端も行かない少女である。
褐色の肌が印象的な少女は黒ずくめの恰好をして短剣を構えている。その後ろからは同じく褐色肌の女性が這い上がってくる。恰好からしてメイドだろうか、彼女は扉の中へ手を入れると色白の肌に薄く青みがかった髪をした女性を引き上げている。
「マニマニ、この場を頼みましたよ。」
「承った。姫様、お早く。」
メイド姿の女性はそのまま青髪の女性を連れて馬車を離れていく。
マニマニと呼ばれた少女は残り四人となった追手と対峙するが、追手は逃げた二人を優先させたようだ。
「こんなガキ一人、俺一人で十分だ。お前たちは奴らを追え!」
追手の一人がそう言うと残りの三人は馬に跨りバラバラに駆け抜けていく。そうしてこの場に残るのはマニマニと追手の男一人だけとなった。
「貴様がいくら格闘に精通していようとも所詮は大人と子供だ。無駄に抵抗して苦しむこともない、大人しくしていれば楽に殺してやるぞ?」
「ふん。そうやって見下すからお前たちは私のような小娘にやられるのだ。お前もそこに転がる仲間と同じ目に遭うと心せよ。」
二人の間に緊張が走る。視線を交わしているかのように見えて、実際はお互い全身の微妙な動きさえも見逃さないようにしていた。そして男の指がピクリと動いた瞬間、堰を切ったように二人は衝突を始める。
その結果は一瞬にして決していた。
◇◇◇
一方、馬車から離れて森を駆けていた二人であったが、馬に乗る追手を振り払うほどの速度は出せないためすぐに追いつかれてしまっていた。
馬上から放たれる矢を必死に振り払いながら逃げるが、多勢に無勢とは言い得て妙である。三方向から放たれる矢のすべては防ぎきれず、青髪の女性の盾になるようにメイド姿の女性は肩に矢を受けてしまった。
「ヤンヤン、大丈夫ですか!?」
「姫様、私は大丈夫です…。それよりも、必ず私がこの場を切り拓いてみせます。そのうちに逃げ延びてください………。」
「けれど…。」
「もう諦めよ。その矢じりには毒が仕込まれている、逃げることはできんぞ。」
追手の一人が無情にもヤンヤンと呼ばれたメイド姿の女性の容体を明確にする。主を逃がすために付いた嘘もこれでは裏目に出てしまうだけであった。
「姫様…。どうせ朽ちるのであれば、私は最後まで姫様のお役に立ちたいのです…。どうか私は捨て置きください。」
「ダメよ、ヤンヤン!そんなこと許さない!あなたの中に入った毒なら私の力で取り除くことができるわ!だから…そんなこと、言わないで………。」
「姫様………。」
「もう良いかな。仲睦まじい姿を見せつけられて私も心苦しい限りだが、これも仕事なのでな。せめてもの情けだ、躯は傍に置いておいてやろう。」
追手の一人がそう言いながら馬を降りて剣を引き抜くと、残りの二人も同じく下馬して剣を光らせる。
「…さらば!」
気合と共に叫ぶと三人は一斉に襲い掛かる。怪我人を抱えた二人では抗えないように思われた。
「ご無事でございますか、姫様!」
「爺!」
そこに割って入ったのは馬車を引いていた男であった。
恰好からして執事であろうその男はレイピアを持って三人と対峙する。
「ヤンヤンが毒を受けてしまったの!早く解毒しなくては!」
「姫様、落ち着いて下さい。ヤンヤンは毒に耐性があるので毒の回りも遅いはず。姫様の能力は集中力がいるものですから、まずはこの場を離脱することが先決です。このままではさらに追手が増えるだけなのでここは二手に別れましょう、合流場所はわかっていますね?」
「え、えぇ…。けれど、この人数にあなた一人ではあなたが危険です。」
「大丈夫ですよ、姫様。この老いぼれも昔はそれなりに武勇を馳せたものです。この程度の輩どもならば問題ございませんとも。私が合図しますので、それに合わせて駆けてください。」
執事は二人を立たせると後退るように追手と距離を置こうとする。執事の気迫に押されてか、追手も慎重になっているようであった。
「………。今です!お早く!」
執事はそう言って追手へと駆けていく。それに合わせて青髪の女性はヤンヤンを抱えて必死に後方へ駆け始めた。
激しい剣戟の音が聞こえてくる中、後ろを振り向くことなく一心不乱に森を駆け抜けていく。だが、負傷したヤンヤンを連れているためその歩みは思いの外に遅い。
「姫様………。このままでは追手が迫ってきます…。どうか、私を捨て置きください…。」
「嫌よ。私はあなたのことを見捨てないわ。私にとってあなたは唯一の幼馴染なのですもの。必ず皆でこの場を切り抜けましょう。だから毒なんかに負けたら承知しないわよ!」
そう言いながらも女性の足取りは重かった。館を脱出してからどれほど経っただろうか、女性の体力も限界に近い。幸い目的地もすぐそこまで迫っていたため流石にこれ以上歩き続けることができないと感じたのか、女性は太い木の根に腰を下ろして休息をとることにした。
だが、この判断は更なる追い打ちをかける結果となる。森の奥から物音が聞えたのだ。
「誰!?」
現れたのは黒ずくめの男たち。そう、追手の増援が到着したのだ。
「ひ、め、さま…。わ、たしが、盾となります…。」
ヤンヤンは気だるい体を何とか立たせると青髪の女性の前に出る。
「毒矢を受けたか。立っているのもやっとのお前に何ができる?大人しく死ね!」
追手の男が叫ぶと一団が襲い掛かる。今度こそ絶体絶命と思われた瞬間、青髪の女性には鈍く光る何かがヒラリと見えた気がした。
「姫様、ご無事ですか!?」
バタバタと敵が倒れていく中、そこに現れたのはマニマニであった。マニマニは黒ずくめでも分かるほどに返り血を浴びている。おそらく道中でもかなりの数の追手を相手にしていたのだろう。
「マニマニ!あなたも無事でよかった!」
「勿体ないお言葉ですが、今は一刻を争います。すぐに目的の場所まで移動しましょう。」
マニマニはヤンヤンを担ぐと女性を誘導していく。仲間が無事であったため精神的に余裕が生まれたのか、女性の足取りも幾分か軽くなる。そうして、歩く一行の前に出てきたのは一つの洞窟であった。
「着いた…。あとは爺を待つだけです…。」
女性が呟くと同時に凄まじい爆発音がなる。音がした方向を見ると森の奥が赤く光り、煙が立ち上っていた。
「あれは火魔法。奴ら魔導師まで借り出してきたのか…。姫様、もう待っている時間はございません。」
「ですが…!爺!」
現れたのは執事であった。何とか一人で歩いてはいるが、片腕からは血が滴り片足は引き摺っている。見るからに満身創痍の状態のうえ、顔の一部は火傷もしているようであった。
「姫様、よくぞご無事で…。さぁ、洞窟の奥へお進みください。」
「えぇ、あなたも早くこちらへ………。爺?」
執事は女性の促しには答えず、洞窟入口の前に立ち塞がる様にして仁王立ちとなっていた。
「姫様…。あのお転婆が立派になられたものです。その他人を気遣われる優しさはこの爺、大好きでございました。」
「え…?何を言ってるの、爺?早くあなたも来ないと追手が………。」
「追手は魔導師もおります。ここで誰かが食い止めねば洞窟ごと生き埋めにされかねません。この爺、一世一代の死に場所ができて大変嬉しく思います。」
「………や…嫌よ!あなたも来るの!これは命令よ!」
「姫様のご命令を拒否するのはこれで二度目ですな。一度はあなた様が幼少の頃、嫌いな玉ねぎを全て焼き尽くしなさいと私にご命令されたときでしたか。ふふふ、本当に可愛らしいお嬢様でした。」
「やめて!そんな昔話聞きたくないわ!もう引き摺ってでもあなたを連れていくわよ!」
「アイリス様!!我儘はいい加減になさい!!…あなたはこの国に必要な方なのです。どうか、分かってください。」
最後の執事の言葉は消え入りそうなほど小さな懇願であったが、アイリスと呼ばれた女性の胸に深く突き刺さるものであった。
「マニマニ、ヤンヤン。姫様を頼んだぞ。」
「承った、執事長。ヤンヤンもそう言ってる。」
「うむ。では、姫様、お達者で。洞窟を抜ければ追手も簡単には追いつけないでしょう。必ずや逃げ延びて下され。」
執事が別れの言葉を口にすると森の奥から物音が聞こえ始めた。
「さぁ、姫様!ヤンヤンを助ける使命があなたには残っているのでしょう?早く奥へ!」
「爺………。爺…私………。」
アイリスの青い瞳からは溢れる涙が止めどなく流れ続ける。
執事はマニマニに目配せをすると、察したマニマニがアイリスの肩へそっと手を掛けて奥へ導いていく。半ば無理やり洞窟の奥へ連れていかれる女性からは嗚咽がいつまでも漏れていた。
遠ざかっていく声を目を閉じながらじっくりと聞いていた執事は、その声が聞えなくなると目を開けてそっと呟く。
「姫様。あなたに仕えられたこと、我が人生の宝でございます。」
その声は永遠に彼女へ届くことはなかった。




