親子
井上に連れられてレブ島観光を満喫した多田野と井上だけでは心配だとお目付け役として付いてきた彰子達三人は最後に南方水原で食事を取ることにした。
南方水原とは帝都の繁華街である水原町にちなんだ兵士たちの憩いの一角である。
高級料亭やバーなどが立ち並ぶ本土の水原町とは違い、舗装もろくにされていない一本道を中心に賑やかな電飾を施した木製のあまり上等とは言えない建物が並び、派手好みで艶やかな格好をした女たちがその両端に立って、片言の言葉で腕にまとわりつくように客を止め、次々に店へと送り込んで行く。今夜は第13艦隊の兵たちが一度に供給され、いつにも増して特に大盛況であった。
レストラン街も兼ねた島唯一の繁華街であるとはいえ、女性にはどうなんだろうと思っていたが、一歩先に歩く彰子や井上はさっきの客引きの格好がどうのとか男性はこういうのがいいのかとか珍しそうにキョロキョロしながら楽しそうに歩いていた。
「こちらです。裏通りなんですけど。静かでいいところですよ。」
井上は知らなければ絶対入らない路地に一行を誘った。
道を少し入るだけで、表通りの喧騒は嘘のように小さく暗くなり、密集した建物が光だけでなく女たちの生気をも吸い取ったかのように、うらぶれ、疲れた客引きがぼんやりと立っている。
多田野達には路地を進んでいく。
やがて、井上が、木製の看板に『小春』と書かれた日に焼けた暖簾の掛かった小料理屋を見つけ、ここですと二人を得意げに見てから入った。
小春は15人も入れば一杯というこじんまりとした店だったが、1枚木のカウンターテーブルに扶桑の伝統工芸や壁にかけられた刺繍があり、本土の水原とまではいかないが、多田野は帝都の小料理屋に入ったような錯覚を覚える。昔はこの界隈でも有名だったのかもしれない綺麗な中年の女将がいらっしゃいませと笑顔で迎え入れてくれる。
「ここの女将さんは、孤児院の子供達の為に料理を作ってくれるんです。孤児院はここのすぐ裏で街で買い物したり、食事することを覚える練習なんですけどね。」
料理も悪くなかった。むしろ家庭料理に飢えていた多田野にとっては懐かしかった。
多田野は食事を済ませると二人の話す艦内のうわさ話を聞きながら、今日ばかりの贅沢と新たに肴を見繕い、清酒を一本頼んだ。
猪口は2つもらい彰子にも注ぐ。
「井上伍長とすっかり、打ち解けていらっしゃるご様子で安心しました。人員配置の関係で同性の従卒が手配出来なかったこと少し気にしていたんですが。」
あまり強くないと話していた彰子が小気味よくクイッと酒を飲んだ。
「伍長はすごく優秀だよ。」
「ありがとうございます。嬉しいです。でも、艦長も提督とわかり合ってるというか。艦橋勤務の友達が戦闘中の阿吽の呼吸はすごいと言っていました。」
井上が満面の笑みで多田野に酌をしてくれる。
「阿吽の呼吸か。確かに神城大佐はこちらの意図はすべてお見通しなんだろう。」
「そう言っていただけると嬉しい限りです。私としては提督がなさりたいことを全力でお手伝いさせていただいてるだけなのですが。父からも、力を尽くして多田野司令を助けるように申しつかりました。」
父親。
多田野はその言葉に少し引っかかりを覚えた。
多田野には父親の記憶は無かった。
物心ついた時、すでに父親は戦死し、寂しさを紛らわせるためか、母親は昼夜忙しく働き、多田野は厳格な祖父と三指ついてそれに従う祖母に預けられた。祖父である伊戸は多田野の母親との結婚を反対しており、父親の死後仕方なく面倒を見てやっているんだということは多田野がかなり大きくなってから薄っすらとわかった。そんな母親に会えることは年に数えるほどであり、暗黙の内に祖父母の間でも、親子の間でも父親の話は禁忌となっていた。やがて、何の因果か多田野が士官学校に入るといった時、長年の過労ですっかり身体を傷め寝付いた母親は父親について初めて語った。
「羨ましいよ。仲はどう。いい方なの。」
多田野は自分がつくりだした不自然な間を質問で埋めた。
普通になったと言ったほうがいいですねと彰子は呟くように言った。
「父は男の子が欲しかったんです。名前は彰。でも生まれてきたら女の子だった。仕方ないから「子」をつけて「彰子」と。」
彰子は一気に酒を口に流し込んだ。黙るのが正解と思った井上は残った料理を食べている。
「母が私が生まれてすぐ亡くなったこともあり、父は私に茶道や裁縫ではなく剣道と柔道を教え、ちょうど女にも解禁になったばかりの海軍士官学校を目指させました。私は完全に神城彰として育ったのです。優れた海軍軍人である事が私の存在理由でした。この長い髪だけが私のせめても女としての抵抗なんです。」
彰子が手で黒髪を弾いた。実直な軍人らしさを際立たせていた黒髪が急に艶めいて光る。そして、どこか独り言のように彰子は話を続ける。
「でも、後悔はしていません。実は第13艦隊への異動の前、父は私に詫たんです。彰子すまない。私は軍しか知らない男だ。お前を男のように育てるしか無かった。でも、お前を大切に思わなかったことはない。だから私は軍令部に志願し、お前が軍人として楽が出来るよう取り計らってきた。しかし今夜、私は軍令部の職を外された。お前を守ることもできん。すまないと。涙を流して。もちろん、父が自分の夢を私に託したのは間違いないでしょう。でも、軍一筋の不器用な父にとって軍だけが娘を育てる手段だったんだと気づいてしまって。」
湿っぽい話ですみませんと彰子はおしぼりで目頭を軽く抑えた。
両親が居ないという井上はもらい泣きをしていた。多田野は井上にそっとおしぼりを渡した。
「でも、今は父親の気持ちも分かりましたし、自分の能力を発揮できる司令に出会いましたから。お話しやすいですし、司令に会って良かったと思います。」
少し酔いが回って潤んだ彰子の瞳にまっすぐに見つめられて多田野は顔が赤くなるのを感じた。




