露呈
アサマでは、艦橋後方にある小休息用の小部屋を本部とし、副長である日野が前部甲板上で実際に救助活動について指揮を執り、溺者を発見し、艦をその付近に向けるなどの全艦的な指揮を彰子が執っていた。
多田野は小窓から、必死に溺れた者を引っ張り上げようとする水兵たちを見ながら、自分の戦争がいかに『綺麗』だったのか気付かされた。
多田野の戦争において、艦は自軍を示す青か、もしくは赤の二種類の駒であり、砲撃も、魚雷も、煙幕でさえも賽の目一つで決められてしまうのだ。そこには回避運動に軋む音も、砲撃の振動も硝煙の臭いも、煙幕の煤にまみれ、重油に混じって敵を救助する兵も存在してはいない。
動きやすいようにか、髪をくるりとまとめていた彰子が、開けっ放しになっていたドアをノックする。
「司令。敵溺者の救助活動はほぼ終了しました。過激な思想の軍人は一部だったらしく混乱はありません。しかし、残念ながら、民間人の中で生き残っているのは、アサマに救助された一人を含む15名との報告を受けています。いずれも衰弱がひどくアサマへの移送は落ち着くまで難しいかと。」
彰子の報告と上がってきた救助記録をまとめながら、多田野は民間人の生存者が少ない事に驚いた。
「15人か…。」
「殺害された事もありますが、銃撃されていて、船に上がれないものや救助しても亡くなる場合も多いようなので…。」
多田野の気落ちした呟きに彰子が残念そうに補足する。
その時、不意に甲板から、重油と海水と血にまみれた伝令が上がってきた。
「失礼します。救助された研究員の方が司令にお会いしたいと。」
多田野は、伝令兵に続いて、甲板まで降り、硝煙と重油の臭いが立ち込める救助者の間を縫って多田野を呼んだという研究員に会った。ポニーテールにした背中の真ん中まで届きそうな金色の髪。肌の色は透き通る程、純白で、深い湖のような青い瞳と高い鼻というはっきりとした顔立ちの美女だった。
濡れた髪と身体に巻かれた湿ったタオルが少し艶っぽく見えた。多田野には、女は若く見えたが、いつの間にか付いてきていた彰子が30代後半、研究者として情報を取ることも出来そうですと囁いた。
甲板の隅に移動すると、先に口を開いたのは女の方だった。
「この度は救助してくださってありがとうございます。」
女は疲れ切った顔をしながらも、しっかりとした帝国語でそう喋ってみせた。
「帝国語がお上手ですね。私が当艦隊の指揮をしております多田野幸隆です。ここにいるのは、当艦の艦長兼艦隊作戦参謀の神城大佐です。機密保持のために、甲板上でお許しください。」
「ありがとうございます。母が扶桑帝国の出身だったものですから。多田野司令とおっしゃいましたか、随分とお若いのですね。私はアメリア戦争技術研究機関のメリル・ルルーです。」
アメリア戦争技術開発機関と聞いて多田野は少し反応しかけたが、すぐに思いとどまった。多田野の記憶では、大戦の折、細菌兵器や人道的に看過できない程の人体実験などの行い、大戦後、これ以上の軋轢を生むことを恐れた両国政府によって、様々な外交処理に隠れる形で、関係した軍人は処罰され、非公式に閉鎖されたはずの機関が『アメリア戦争技術開発機関』である。
無論、その事実は政府高官と軍令部長をはじめとする扶桑陸海軍の最上級将官、それから、陸海軍特務部隊と祖父直々の命により、補給を担当した新米時代の多田野など実務に関わったものしか知らない外交及び軍事に関わる最重要機密事項であったから、この場でそれを話すことは憚られた。
「よくご無事で。残念ながら、他の研究員の方々の内、生存者は15人ですが、いずれも他の艦に救助され、医療的処置が必要とのことです。」
「そうですか。私は代表と副代表、…私の父と母に守ってもらいましたから。」
多田野の言葉にメリルと名乗った女は気丈に振舞っていたが、伏し目がちになった目と言葉に湿り気が交じった。
さっと、メリルの肩に手を置いた彰子が本題に入りましょうと一呼吸おいた。
「メリルさん。あなたは、捕虜等取扱いに関する国際条約によって、反逆行為を行わない限りにおいて、いかなる証言をしたとしても、身柄が保護されています。」
「捕虜ですか…。私に答えられる事なら何でもお答えしましょう。アメリアに義理はありませんから。」
あくまで、形式的なものだったのだが、なんでも答えると言われ、彰子は拍子抜けしたようだった。それでも、彰子は鋭いところをつく。
「では、その戦争技術研究機関というのは軍総合技術開発研究機構とは違うのですか。」
「あれは、表向きの機関です。戦争技術研究機関は大戦期に様々な国から拉致された科学者、技術者達が集められたもので、大戦終結後も彼らはこの先にある観測所の地下で、極めて機密性が高い問題や倫理的には到底承認されない実験を行っていました。今回は評価試験を行うために艦隊に同乗していました。」
「拉致された…。それで…。」
「艦長さん。彼らは、我々を人とは見ていないし、我々も生きるためには、人ではいられない…。これで、ようやく人になれるわ。」
とあっさり言ったメリルに彰子は衝撃を受けたようだったが、戦争技術研究機関は、帝国の生物兵器の処理と治療、さらに爆発物の製造や解体の技術を劇的に進ませる程の実験をしていた。隠滅した資料の中にあった目を覆いたくなる惨劇の写真を多田野は頭の奥に思い出した。
「アメリア軍は機密保持と脱走防止の為に研究者を殺したというところですか。」
「多田野司令とおっしゃいましたか。さすが、司令官をお務めになるだけありますわね。お若いのに驚かれないのとは。」
とメリルは感心したように頷いて、多田野を青い瞳の真正面にとらえた。穏やかな顔の中に切っ先のような鋭利なきらめきが見えた。
「私は扶桑帝国への亡命を希望します。」




