三話 あの頃の自分は
『この時分に自分に問いかける。
この気分は多分あれだろうと。
その区分は多分過ちだろうと』
かなり昔の話。魚見政和にこんな問いを投げられた事がある。
「お前って、あの先輩の何処が好きなんだ?」
だったかなんとか、こんなニュアンスの言葉を、だった筈だ。
その時の僕は、ニヤけ顔も抑えきれずにこう返していた筈だ。
「まず、短いのに女子らしさを含んだ黒髪でしょ?
あと、いつも明るく輝いている両方の目でしょ?
整ったラインで形作られた白い鼻も綺麗でしょ?
艶やかな桃色で小さくて潤った唇も良いでしょ?
笑うと少し色付く頬も可愛らしくて素晴らしい。
健康的、って言葉を絵に描いた様な輪郭も良し。
冬場はマフラーに包まれる首も滑らかでナイス。
夏場にしか拝めない鎖骨も正に神による造形品。
制服を程良く押し上げる胸に非は付けられない。
夏場に覗く腕の白さはもはや国宝級ですらある!
冬場も変わらず見える手や指の細さも格別だよ!
余計な脂肪すら無い胴回りも称賛に値するよね!
スカートに包まれた腰回りも可憐で麗しく素敵!
そこから伸びる両脚には無駄毛も皆無な丁寧さ!
体育座りの時に形が分かる太股もまさしく理想!
随分と前に一度だけ見えた踵や踝の眩さも随一!
靴下越しに拝んだ足の小ささは驚嘆物な美しさ!
切り揃えられた爪は清潔さの象徴とすら言え――」
「分かった。もう良い。俺が悪かった」
「――え、まだ一巡目しか終わってないけど」
「『巡』って何だ!?」
……みたいな流れで、何故か僕は政和にドン引かれたりした。
懐かしいなぁ、とこの年にして早くも過去を振り返り慈しむ。
この頃の自分はまだ、先輩の彼氏の存在すら信じていなくて。
この頃の自分はまだ、自分がそんな存在に届くと信じていて。
この頃の自分はまだ、先輩の気遣いを気遣いだと知らなくて。
この頃の自分はまだ、あの人の先輩への想いすら知らなくて。
「……はぁ」
この頃の自分はまだ、今の自分の溜め息の理由も知らなくて。
この頃の自分はまだ、今の自分が諦めている事も知らなくて。
「どーした後輩君? 神妙な顔で溜め息なんて吐いちゃって」
この頃の自分はまだ、自分が名を呼ばれない訳も知らなくて。
まぁ、呼ばれない訳は今の自分ですら知らないんだけれども。
「いえ、特に何かがあったって訳でも無いんです」
「寝不足?」
「違います」
先輩の声に導かれて意識を外に向け直せばそこは文芸部部室。
政和との会話から時は流れて、今は放課後。文芸部の活動日。
まずい。折角先輩と居られるのだから、今は集中しなくては。
帰りのバスは本数が少ないせいか、乗車する人が朝より多い。
だから先輩とバスに乗ったとしても騒がしくて話しにくい。
そもそも、放課後は先輩の彼氏が先輩の隣に座ってしまう。
諦めたと言っていても、見せつけられる事には慣れてない。
故に、僕は今この時この瞬間を無駄にはできない筈だった。
なのに思考に没頭してしまうと、色々と勿体ない気がする。
「じゃあ、今日のお題『もし生死の境の世界に居酒屋があったら』が難しかった?」
「まぁ、それはそれで難しかいですけど……」
文芸部は毎回、部員の誰かが出した題に基づき短編を書く。
今回は部長が出したお題に基づくのだが当の本人は今不在。
どうせ今頃は、運動部の冷やかしにでも行っているんだろう。
まぁ、今ここには居ない人物の話はどうでも良いとして、だ。
まぁ、今思い浮かばないお題の話もどうでも良いとして、だ。
「何っで部長は、こんな訳分っかんないお題出したんだろう……?」
鼻の下にシャーペンを挟みながら、先輩は器用に文句を言う。
「こんなんだから部員が全然集まんない、って気付いてないだろうなぁ」
そんな先輩の愚痴に導かれ、僕は辺りを見渡したりしてみる。
放課後以外は社会科教材室として使われるこの部屋は狭くて。
椅子は幾つかあるものの、使われているのは僕と先輩で二つ。
部長をカウントしても三人しかいないこの部活は廃部の危機。
僕が高二で、二人は高三。もう後は無いに等しかったりする。
「今年も誰も入りませんでしたしねー……」
「体験入部はそこそこ居たのにねぇ」
はぁ、と愚痴の直後に同時に二人の口から吐息が漏れていく。
そして、その偶然なハーモニーが面白かったのか先輩は笑う。
「……」
そして、そんな笑顔を見た僕はまたもや思考で時を浪費する。
あの頃の自分なら、二人きりなこの状況にときめいただろう。
あの頃の自分なら、今よりももっと露骨にときめいただろう。
あの頃の自分なら、勢い余って告白染みた自爆をしただろう。
あの頃の自分なら、そんな自爆さえも前進と捉えたのだろう。
今の自分なら、劣等感敗北感挫折感に包まれているのだろう。




