第35話 魔法陣
「これじゃ、地脈は、戻せない」
—— 壊れた地脈制御具
「これを、壊れたやつの、代わりに、できる!」
—— 代用品
最初の部屋。
壁は、あの日と変わらず、青みがかった頼りない光を、ほのかににじませている。
三日前、自分たちが目を覚ましたその場所で、五人は床の円い溝を囲むように立っていた。
自分の中の力は、まだほとんど戻っていなかった。
ただ、あの聖女の墓所からここまでの道のりを、無理をせず、焦らなかったことで、鑑定を二回、いや三回は行えるまでには回復していた。
本当にそれが精一杯だろう。
だから一回一回の鑑定が、とても大事になってくる。
だが、ここでこの溝を鑑定しないという選択肢は、ない。
自分は床に膝をつき、その円い溝へと意識を向けた。
そして、自分の中のなけなしの力を、ゆっくりと絞り出すように鑑定に注ぎ込んでいく。
三日前はただの「石の彫り」としか鑑定できなかった。
だが、あの召喚陣をこの目で見た今の自分になら——。
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【鑑定】床に刻まれた円い溝
種別:魔法陣。
用途:内にある者を、外へと送り出すための送還陣。中から外への一方通行。
由来:かつて、この場所と外とを繋いだ、ただ一つの出口。
状態:今は、力を失い、動いていない。
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自分は……息を呑んだ。
「……出口だ」
掠れた声がこぼれ落ちた。
「この魔法陣は送還陣……出口、だったんだ。中から、外へ。……ここから外に出るための、魔法陣」
「……!」
全員の息を呑む音がした。
「じゃあ……これで、これで、帰れるのか!?」
ゴードンが身を乗り出す。
失意を味わったからこそ、今、その目は希望に満ち溢れていた。
「いや……」
自分は首を振った。
伝えるべき言葉を絞り出すための時間が必要だった。
心が重く沈む。
「……動いて、ない。……この魔法陣は、動いていない。今は、力を失ってる。……ここに立っても、何も、起こらない。……ただ、力を失っているだけなのか……それとも——」
その先が続かなかった。
せっかく見つけた出口が動いていなかった。
その事実が——希望から一転しての絶望が、また皆の顔に暗い影を落とそうとした。
——そのときだった。
「……待って」
ヴェラだった。
彼女はいつのまにか床に膝をつき、その円い溝にそっと手のひらを当てていた。
何かを探るように、いや、確かめるように、瞼を閉じた。
どのくらいの時間が経過したか……その瞬間、ヴェラが弾けるように顔をあげ、目を開いた。
そして、その瞳がここから迷宮につながる通路を見据えていた。
まるで目には見えない何かの流れを掴み取ったかのように。
「この魔法陣は……地脈の力で、動く」
ヴェラがゆっくりと言葉を紡いだ。
「地面の底を流れてる、大きな地脈の力。……それを、汲み上げて、動く魔法陣。……でも」
その眉がきゅっと寄せられた。
「……その力の流れが、乱れてる……ぐちゃぐちゃに、なってるの。……ここだけじゃない。この施設ぜんぶの地脈が、あの、聖女様の眠る場所へ向かって、吸い取られているの。……だから、この魔法陣に回ってくるはずの力が、ぜんぜん足りてないんだ」
その言葉に自分ははっとした。
思えば——あの泉でヴェラは水面を見つめて眉を寄せた。
聖女の墓所でも青ざめていた。
あのとき、この娘が肌で感じ取っていた"違和感"は地脈の異様な流れ、この一点に繋がっていたのだ。
地の底を流れている力。
それは自然の力で、本来、その流れを人が制御することなど、できない。
そんな力を感じ、読み解けるのは、このパーティーでただ一人。
「……よく、分かったな。ヴェラ」
その、ただ一人が——ヴェラだった。
ヴェラが少しだけ得意げに鼻を鳴らした。
だが、すぐにその顔が曇る。
「でも……地脈が乱れてるなら、どうしようもないよ」
そう、地脈の力は、借りるだけ。
人にできることは、そこまでのはずだった。
しかし、今、この施設では、その地脈の力の流れを、あの聖女の墓所が書き換えていた。
あり得ないはずのことが、起きていた。
「……くそ、ここまできて、これか……」
ゴードンが壁を叩く。
「何か、何かないのか!?」
そう叫びながら、アッシュは床や壁をあてもなく調べていた。
そんな中で床の円い溝を変わらず睨みつけていたイングリッドの、その眉が動いた。
「あれは、なんだ」
そうつぶやくと、円い溝から少し離れた一箇所を指差した。
視線を落とし指の差す先を確認すると、そこには何かが砕け散ったようなものがあった。
そして、思い出した。
三日前、ここで目を覚ましたとき、確かに見たのだ。
何かが砕け散ったような跡があったことを。
そしてその上、壁の一箇所に古い金具のようなものが埋もれていたことを。
自分は、弾かれたように顔を上げた。
あった。
部屋の奥、円い溝のちょうど延長線上の壁に、それは埋もれていた。
自分は駆け寄り、最後の力をそこへ注ぐ。
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【鑑定】壁に埋もれた金具
種別:金属製の金具。楔のような、鍵のような形。
機能:地脈の流れを、この魔法陣へと導くための、制御の器具。
状態:必要な鍵が、砕け落ちている。もう、二度と、その働きはしない。
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「……これだ」
自分はその壊れた金具を見つめた。
「これが……地脈を操る、器具だ。……これがこの魔法陣に力を送ってた。そして、きっと、聖女の墓所への流れも、断ち切っていた」
自分の言葉に、イングリッドが、ゴードンが、アッシュが、ヴェラが、視線を向ける。
その瞳には次の言葉への期待が満ちていた。
「……でも」
声が萎んでいく。
「……壊れてる。……すでに、必要な鍵が、砕け、ここに落ちている。……これじゃ、地脈は、戻せない」
張りつめた沈黙が部屋に落ちた。
出口はあった。
それを動かす仕組みも分かった。
なのに——その、いちばん肝心なものが、壊れてしまっている。
あと、一歩。
あと、一歩のところで、また手が届かない。
「……そん、な」
ヴェラが泣きそうな声を漏らした。
ゴードンがぐっと拳を握りしめる。
せっかく灯りかけた希望が、また消えかけていた。
だが。
その絶望の中で、自分の指先が、無意識にポケットの奥へと伸びていた。
そこには、あった。
一本の金具。
力では開かなかったあの扉を、いとも簡単に開けてみせた、あの金具。
"何かを制御する器具かもしれない"と、あのときそう鑑定した——。
"絶対に、なくすな"。
イングリッドのあの言葉が、耳の奥で蘇る。
自分は、震える指でポケットの奥からそれを取り出した。
楔のような、鍵のような、見慣れた金具。
これが最後の鑑定。
残っているすべての力を注ぎ込み、金具を鑑定する。
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【鑑定】携えてきた金具
種別:金属製の金具。楔のような、鍵のような形。
機能:地脈の流れを整え、陣へと導くための、制御の器具。壁のものと、同じ働き。
状態:欠けも、歪みもない。——使える。
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視界がぐらりと揺れた。
力を使い果たした。
だが——その鑑定結果は、確かにこの目に焼きついていた。
「……これは」
自分は顔を上げた。
乾いた声が、けれど確かな熱を帯びて震えた。
「壁のと、同じだ。……同じ、地脈を、制御する器具、その鍵。……こっちは、壊れてない。……使える。……これを、壊れたやつの、代わりに、できる!」
しん、と静まりかえっていた部屋の空気が、一気に色めき立った。
「それって……!」
ヴェラが勢いよく立ち上がった。
「その金具を、壁のと取り替えれば……地脈が、戻る……!?」
「地脈が戻れば」
ゴードンが後を継いだ。
その声が腹の底から震えていた。
「この、出口の陣が……もう一度、動く。……おれたちを、外へ、送り出す……!」
「……なくすな、って、言ったろう」
イングリッドだった。
腕を組んだまま、その口元に不敵な笑みが浮かんでいた。
「あたいの言った、とおりだ。……こういう物ってのは、いちばん要るときに、いちばん、要る」
「まいったね、リーダーの言うことは、聞くもんだ」
アッシュが肩をすくめてにっと笑う。
いつもの飄々とした軽口が完全に戻っていた。
自分は手の中の小さな金具を握りしめた。
最初は、ただなんとなく手放せずにいたこの一本。
それが今——五人をこの地の底から救い出すたった一つの鍵になろうとしていた。
地脈の制御を戻す。
この死んでいる出口の魔法陣を、もう一度、目覚めさせる。
そうすれば——。
「……帰れる」
自分は静かに告げた。
「帰れるんだ。……ここから。……自分たち、全員で」
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