第29話 鏡
石碑が示した場所は地図の隅の方だった。
アッシュが広げた地図の上でその一点を指でなぞる。
「……ここだな。少し外れてる。……前に一度、通りかかったが、先には進まなかった場所だ」
「進まなかった、ってことは」
ゴードンが問いかけた。
「先が行き止まりだと思ってた場所か」
「まあ、そうだ」
アッシュが肩をすくめた。
「あのときは、その先が何もないと感じたんだが。……この迷宮のことだ。そう思わせてきたのかもしれん」
その言葉に誰も笑わなかった。
だが、その通りだった。
行き止まりだと思った石碑が、道案内だった。
なら、行き止まりだと感じたその先にも——きっと何かがある。
「なら、それを信じて進むだけだな。時間は、ない。……鏡さえ、手に入れば、あとは、泉の水を汲むだけだ」
イングリッドが力強く宣言する。
自分たちは石碑の広間を出て薄暗い通路へと足を踏み入れた。
歩き慣れた道になっていた。
二日前は、迷路にしか見えなかったこの道が、不安しか感じなかったこの道が、今は確かな道として自分たちの地図の中にあった。
「……ねえ、ライル」
歩きながらヴェラがぽつりと言った。
その声には隠しきれない疲れが滲んでいた。
「石碑、ほんとに合ってるのかな。……こんな隅っこに、大事な鏡があるなんて」
「合ってる」
自分は迷わず答えた。
自分でも意外なほど迷いはなかった。
「あの石碑は、盃のことも、泉の場所も、全部正しい情報が書かれていた。……なら、鏡のことも間違ってるはずがない。……信じよう。昨日までの自分たちの努力と、そしてあの石碑のことを」
「……そうだね。うん。……ウチも、信じる」
ヴェラが小さく笑った。
その一言で、自分の中にあった信じきれないという不安が、すべて取り除かれたような気がした。
「……この脇道だ」
やがてアッシュが足を止めた。
そこは細い通路が一本だけ枝分かれしている場所だった。
そして、細い通路の奥は薄闇に沈んで先が見えなかった。
「地図だと、この先がその部屋だ。……行き止まりに感じたのも、無理はない。こんな、目立たない、細い道じゃな」
アッシュのその言葉に、同意するように首を小さく縦に振り、自分は灯りをかざした。
足場はしっかりしているが、しかし、細く狭い通路だった。
足を踏み入れると、肩が両側の壁に触れそうなほどだった。
その薄暗がりの少し先で——通路は崩れた岩に半ば塞がれていた。
天井から落ちたのだろう、拳ほどの岩が積み重なり通路の下半分を埋めている。
「……これじゃ、通れないか」
アッシュが顔をしかめた。
「いや、このくらいだったら、慎重に進めば、崩れない」
ゴードンが確信を持って伝えた。
その言葉にイングリッドが確認をとった。
「ほんとうかい?」
「ああ、体を滑り込ませれば、一人ずつ、通れる」
ゴードンの言う通り、岩と天井の間には、人一人が通れるだけの隙間があった。
「わかった。ただし、用心することが大事だ。ヴェラ、軽く固定の魔法をかけておいてくれ、無理のない範囲でいい」
「了解」
「よし、じゃあ、一人ずつ、行くよ」
荷を先に送り、体を滑り込ませ、慎重に、一人、また一人とその隙間をくぐる。
埃と冷たい岩の感触を感じながら。
ゴードンの言った通り、岩は崩れることはなかった。
そうして崩れた岩を乗り越えると、再び、その先の薄暗がりへ足を進めていった。
——通路が、開けた。
その先には扉があった。
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【鑑定】古い扉
種別:石でできた扉。ひどく古い。
状態:固く閉ざされている。押しても引いても動かない。
仕組み:読み取れない。何かの力が、この扉を閉ざしている。
図:中央に、細長く先の尖った窪み。何かを嵌め込むための形。
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あの盃があった部屋と同じ扉。
自分は迷うことなく、あの金具を差し込んだ。
扉は、ずず、と、低い地鳴りのような音を立ててゆっくりと内側へ開いていった。
そこは、小さな部屋だった。
広間のような荘厳さはない。
ただ、静かでこぢんまりとした一室。
だが、その空気にはどこか張りつめたものがあった。
人が何かを大切に納めていた場所——そんな密やかな気配。
ここは、ただの物置ではない。
何かを恭しく納め守っていた——そういう祈りの気配のする部屋だった。
傷ひとつなかったあの石碑の広間と、どこか通じるものがある。
この場所は——やはりただの迷宮ではないのかもしれない。
自分は灯りを部屋の奥へと向けた。
——光が、跳ね返った。
部屋の正面の壁。
そこに設けられた浅い窪みの中に、それは据えられていた。
円い金属の板。
自分の灯りを受けて、その面が、鈍く、けれど確かに光を返している。
「……あれだ」
ヴェラが息を呑んだ。
「あれだよ、ライル。……光を映してる。……あれが鏡だ」
自分はゆっくりとその窪みへと歩み寄った。
その円い面は今も静かに輝きを湛えている。
窪みから両手でそっと取り上げる。
思ったよりずしりと重かった。
念のため、自分はその鏡に鑑定をかけた。
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【鑑定】古い鏡
種別:鏡。金属の面を、磨いたもの。
状態:曇りはあるが、今も、ものを映す。
来歴:極めて古い。
価値:不明。
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「……間違いない」
自分は、静かに言った。
「金属の面を磨いた、古い鏡だ。……これが、最後の供物。石碑の言っていた、"光を映すもの"だ」
「やった……!」
ヴェラが両手を握りしめた。
「揃うよ、ライル。……女神の像も、盃も、そして、鏡も。……あとは、泉で水を汲むだけで、ぜんぶ揃う!」
その声には抑えきれない喜びがあった。
このどこかもわからない閉じられた空間で、自分たちは、一つ、また一つと道を切り拓いてきた。
そして今、その手の中に最後の供物が確かにあった。
「……油断は、するなよ」
ゴードンが釘を刺した。
だが、その声もまたどこか緩んでいた。
「まだ、何も終わっちゃいない。それに——水もまだだ。喜ぶのはぜんぶ揃って、あの石碑の前に捧げて、ここから出ることができてからにしろ」
「分かってる」
自分はうなずいた。
だが、それでも。
この手の中の鏡の重みが、確かな希望の重さに思えた。
自分はその鏡を丁寧に布で包み、収納バッグへと納めた。
女神の像。
盃。
そして、鏡。
三つの供物は、もうこの手の中にある。
残るは盃を満たすための、泉の水。
それも、もう在り処は分かっている。
探し回る必要はどこにもない。
ただ、あの泉へ行き水を汲むだけだ。
「行くぞ」
イングリッドが来た道を振り返った。
「残るは、泉の水だけだ。……あの水を汲んで、石碑の間へ戻る。……それで、ぜんぶ、揃う」
部屋を出るとき、自分は、開いたままの扉の窪みから、あの金具を、そっと引き抜いた。
すると、あの盃の部屋の扉と同じように、開いていた石の扉が、ずず、と、ひとりでにゆっくりと閉じはじめた。
——やはり、これはただの鍵じゃない。
そう思ったことを思い出す。
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【鑑定】石の扉を開いた金具
種別:金属製の金具。楔のような、鍵のような形。
図:先端の刻みが、以前より深く読める。何かに嵌め込み、力の流れを整えるための、精緻な造り。
用途:何かを制御し、調整するための器具。石の扉を開けたのも、その働きの、ほんの一端らしい。
仕組み:何を制御するものなのかは、読み取れない。
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鑑定は変わっていない。
ただ、自分の中の鑑定ではない何かが、囁いてくる。
この金具こそが、この施設の本当の"鍵"ではないか、と。
考える。
この一本が、この施設でいったい何を担っているのか。
まだ、答えは見えない。
そうして、もう一度、ポケットの奥へとしまい込んだ。
——絶対に、なくすな。
いつかのイングリッドの言葉が耳の奥で静かに響く。
残された時間は刻一刻と減っていく。
だが——道は、はっきりと、見えていた。
残るは泉の水、一つ。
それを汲みさえすれば、あの石碑の前で、ずっと閉ざされていた何かが、きっと動き出す。
——次は泉へ。
自分たちは、再び薄暗い通路へと踏み出した。
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