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第十八話 名簿局副局長ダリウス

ダリウス・ベルンの名を聞いたテオドール様は、すぐに領主館の書庫へ私を案内した。


 王都中央名簿局の副局長。古い貴族家の出で、洗礼名と相続名の制度に詳しい。表向きは厳格な制度官で、名の乱用を嫌うことで知られている。


 けれど、書庫に残っていた議事録を読むと、彼の考えは少し違って見えた。


 家名の秩序を守るため、血筋の曖昧な子どもの登録を制限すべきである。


 奉公や養子縁組における名の安定化は、社会秩序維持のため有効である。


 保護院の仮名登録が増えすぎれば、家名の価値が下がる。


 私は紙面から目を上げた。


「この方は、子どもの名前より家の名前を重く見ているのですね」


「ええ。王都では一定の支持があります。古い家ほど、名の制度を財産と考えていますから」


「では、リネリアの名をミーナ様へ移す話も、彼にとっては不自然ではない?」


「家格にふさわしい子へ名を移す、と理屈をつけられるでしょう」


 テオドール様の声は冷静だったが、眉間には深い皺が寄っていた。


 名を守る制度が、家の都合で子どもを消す制度へ変わる。


 それはアルベルト一人の問題ではなかった。


「黒いインクの拘束印も、同じ思想から生まれたのかもしれません」


 私は議事録を指で押さえた。


「身元の弱い子どもは、強い家や商会の名に結びつけた方が安定する。本人が嫌がっても、社会秩序のためだと」


「吐き気がする理屈だ」


 テオドール様は低く言った。


 その言葉があまりに率直で、私は少し驚いた。


「失礼。領主としては、もっと整った言葉を使うべきでした」


「いいえ。私も同じ気持ちです」


 私たちは書庫の机に資料を広げた。


 黒インクの成分、拘束紐の術式、東市場の店主の証言、カール名簿官の金銭記録、セシリアの証言。点は増えているが、ダリウス本人へつながる線はまだ弱い。


 そこへ、テオドール様の補佐官が新しい書状を持ってきた。


「王都中央名簿局からです」


 封蝋には中央名簿局の紋がある。


 テオドール様が開封し、文面を読んだ瞬間、表情が険しくなった。


「リネリア様の一時保護登録について、中央審査に移すとの通知です」


 私は背筋が冷えた。


「誰の請求で?」


「ヴァルト侯爵家。審査担当は、ダリウス・ベルン」


 やはり来た。


 アルベルトは娘に謝罪の手紙を書くのではなく、上位機関を使って名の保護を崩そうとしている。


 私はしばらく目を閉じた。


 怒りに任せて動けば、相手の望む「感情的な母親」になる。必要なのは、娘の名を守る証拠と、制度の言葉で戦う準備だ。


「審査では、何を問われますか」


「一時保護の妥当性です。リネリア様の名が本当に危険にさらされているか。母親が不当に父親の権利を妨げていないか。名の移譲が家の利益に適うか」


「子どもの利益ではなく?」


「中央局の古い審査では、家の利益という項目がまだ残っています」


 私は机の上の資料を見た。


 リネリアが怖がったこと、名簿官が強要の疑いを記録したこと、アルベルトが謝罪なく面会を求めたこと。これらは娘の名を守る材料になる。


 だが、相手は制度を熟知する副局長だ。


 正面から戦うだけでは足りない。


「テオドール様。審査は王都で行われるのですか」


「通常は中央局です」


「では、私たちは王都へ行く必要がありますね」


 彼はすぐに首を振った。


「危険です」


「北境にいれば安全ですか? 中央局がリネリアの一時保護を取り消せば、アルベルト様は法的に名の移譲を再請求できます。ここで待つだけでは、守れません」


「リネリア様を連れて行くのは」


「連れて行きません。娘は保護院に残し、アンナとマリベルにお願いする。私は名綴り親として出席します」


 言いながら、心が痛んだ。


 リネリアを置いて王都へ行く。娘が不安になるのは分かっている。けれど名の審査に私が出なければ、もっと大きな不安が来る。


 テオドール様はしばらく黙っていた。


「私も同行します。辺境伯として、北境保護院の子どもたちに関わる黒インクの件も中央へ訴える」


「ありがとうございます」


「ただし、出発前にリネリア様へ丁寧に説明しましょう。置いていかれたと思わせてはいけない」


 その言葉に、胸の奥が温かくなった。


 彼はいつも、まず子どもの心の置き場所を考えてくれる。


 夜、私はリネリアに話した。


「お母さまは、王都へ行きます。リネリアの名前を守る話し合いをするためです」


 娘の顔がこわばった。


「リネも?」


「リネリアは保護院で待っていてほしいの。アンナも、マリベル院長も、ノルたちもいる。お母さまは戻ってきます」


「おかあさま、もどる?」


「戻ります」


「いつ?」


 私は旅程を考えた。


「五回眠ったら、戻る予定です。遅れたら、手紙を出します」


 リネリアは手を握ったり開いたりしていた。


「リネ、まってるの、できる?」


「不安なら泣いてもいいわ。会いたくなったら、アンナに言って。毎日、お母さまの名前を書いた手紙を送ります」


「リネも、かく」


「ええ。お手紙を書き合いましょう」


 娘は涙を浮かべながらも、うなずいた。


「おかあさま、リネのおなまえ、まもってね」


「必ず守ります」


 私は娘を抱きしめた。


 その夜、リネリアは私の胸元の職務章を握って眠った。


 王都へ戻る。


 逃げ出した屋敷がある街へ、今度は娘の名を守るために。

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