表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/69

第十六話 春の雪祭り

領都では、雪解けの終わりに小さな祭りを開く。


 冬の間に壊れた道具を修理し、溜めていた毛糸を売り、子どもたちには甘い雪菓子を配る。王都の華やかな舞踏会とは比べものにならないが、北境の人々にとっては春が本当に来たことを確かめる日らしい。


 マリベルは、保護院の子どもたちを全員連れていくことにした。


「人混みが苦手な子は、職員と短時間だけ。迷子札を必ずつけます。エレノア様、確認をお願いできますか」


「もちろんです」


 私は朝から、子どもたちの外套を点検した。


 ヨナの星、ヨハンの月、リタの赤い小鳥、マイラの白い花。ノルは最初「印はいらない」と言ったが、リネリアが「じゃあ、くろぱん」と言うと、なぜかそれを受け入れた。


「猫は別に好きじゃない」


「でも、くろぱん、ノルのともだち」


「勝手に友達にするな」


 そう言いながらも、ノルは黒猫の印を袖口に縫わせた。


 リネリアの手袋には、うさぎの印がある。娘は何度もそれを見て、嬉しそうに指を動かした。


 祭りの広場には、木の屋台が並んでいた。


 焼き栗、蜂蜜酒、毛糸の飾り、古本、鍛冶屋の小さな鈴。雪菓子の屋台では、氷を薄く削ったものに甘い果汁をかけている。リネリアはそれを見て目を丸くした。


「ゆき、たべるの?」


「きれいな氷を削っているのよ」


「おなか、つめたくなる?」


「少しだけなら大丈夫」


 私は小さな杯を一つ買い、娘と分けた。果汁は林檎味で、舌の上ですぐ溶ける。リネリアは驚いて笑った。


「ゆき、あまい」


 その笑顔を見て、私は胸の奥がほどけるのを感じた。


 最近は黒いインクや面会請求のことで、心が常に張っていた。けれど娘には、ただ甘い雪を食べて笑う時間も必要だ。私にも必要だった。


 広場の中央では、子どもたちが名前入りの紙札を木に結んでいた。


 冬の間に無事だったことを感謝し、春にしたいことを書くのだという。文字が書けない子は、職員や家族が代筆する。


 リネリアは紙札を受け取り、真剣に考えた。


「リネ、なにかく?」


「春にしたいことを書くらしいわ」


「おかあさまと、いっぱいねる」


「それでいいの?」


「うん。あと、くろぱんにあう」


 私は笑いながら代筆した。


 リネリアは、母とたくさん眠る。黒パンに会う。


 それを読んだアンナが、小さくため息をついた。


「奥様。お嬢様の願いに睡眠が入っているのは、少し反省すべきでは」


「そうね。今日は早く寝るわ」


「毎日です」


 容赦がない。


 そこへ、テオドール様がやって来た。領主として祭りを回っているらしく、彼の周りには領民が次々と声をかけてくる。


「辺境伯様、橋の件、忘れてないでしょうな」


「忘れていない」


「去年の鹿柵も」


「職人を手配した」


「嫁は?」


「それは職人では手配できない」


 周囲から笑いが起きた。


 私は聞かなかったふりをしようとしたが、リネリアが不思議そうに言った。


「よめって、なあに?」


 アンナが咳払いした。


 テオドール様は珍しく少し困った顔になり、私も返答に詰まった。


「大人になってから考えることよ」


「おかあさまも、かんがえる?」


「今は考えません」


 反射的に答えると、テオドール様が一瞬だけこちらを見た。


 気まずい。


 私は雪菓子の杯をリネリアに持たせ直し、話題を変えた。


「テオドール様も紙札を書かれますか」


「毎年書いています」


「何を?」


「今年こそ帳簿の整理を終える、と」


 領主らしい願いだった。


 リネリアが真面目な顔で言った。


「テオドールさま、ねるのもかいて」


「睡眠ですか」


「アンナが、だいじって」


「では、今年は帳簿と睡眠にします」


 彼は本当に紙札に書いた。


 帳簿を整理する。よく眠る。


 その字は端正で、どこか生真面目だった。


 祭りの終わり、保護院の子どもたちは小さな鈴をもらった。迷子になったときに鳴らすための鈴で、それぞれの名札に結びつける。


 リネリアはうさぎの手袋に鈴をつけた。


「リネ、まいごになったら、ならす」


「でも、迷子にならないように手をつなぎましょう」


「うん」


 娘の小さな手が私の手に重なる。


 その時、広場の端に見覚えのある姿を見つけた。


 セシリアだった。


 彼女は旅装で、ミーナの手を握って立っていた。王都の華やかな服ではなく、目立たない灰色の外套を着ている。顔色は悪いが、まっすぐこちらを見ていた。


 私は驚いた。


 アルベルトの面会には同行しなかったはずだ。では、なぜ北境へ。


 セシリアは少し迷ってから、深く頭を下げた。


 ミーナも母に倣って頭を下げる。


 リネリアが私の手を握った。


「おかあさま、ミーナ?」


「ええ」


 春の雪祭りの賑わいの中で、私たちはしばらく動けずにいた。


 夫側の幼馴染が、娘の名前を奪うためではなく、自分の娘の名前を守るためにここへ来たのだと分かるまで、もう少し時間が必要だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ