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第十五話 父親からの面会請求

マイラが戻って三日後、王都の法務官イザベルから封書が届いた。


 アルベルト・ヴァルト侯爵が、リネリアとの面会を正式に請求したという。


 書面には丁寧な文言が並んでいた。父親として娘の安否を確認したい。妻の一方的な別居により親子関係が妨げられている。娘の養育について協議したい。


 私はその紙を読んで、しばらく窓の外を見た。


 中庭ではリネリアがノルとヨナと一緒に雪解けの泥を避けながら石けりをしている。春の北境は足元が悪く、アンナが「靴を汚しすぎです」と言いながらも、替えの靴下を用意してくれていた。


 娘は笑っている。


 その笑顔を、面会という言葉がまた曇らせるのではないかと思うと、胸が重くなった。


 マリベルは私の前に茶を置いた。


「避け続けることは難しいでしょう」


「分かっています」


「けれど、急ぐ必要はありません。リネリア様の状態を最優先にしてよい」


 私はうなずいた。


 逃げるだけでは法的に不利になる。父親であるアルベルトに、一定の面会権が認められる可能性はある。けれど、それは娘を無防備に差し出すことではない。


 イザベルの助言に従い、私は条件を整理した。


 面会は北境保護院ではなく、領都名簿所の面談室で行う。法務官または代理人、名簿所職員、私の同席を必須とする。時間は半刻まで。リネリアが拒否した場合は中止。洗礼名、改名、養女の件には触れない。


 条件を書き出すうちに、私は自分が震えていないことに気づいた。


 侯爵家にいた頃の私は、アルベルトの機嫌を損ねないよう言葉を選んでいた。今は、娘を守るための条件を選んでいる。


 同じ言葉を選ぶ作業でも、方向が違う。


 夜、リネリアに話した。


 子どもに隠して大人だけで決めることもできた。けれど面会するのは娘自身だ。年齢に合う言葉で伝える必要がある。


「お父さまが、リネリアに会いたいと言っています」


 リネリアは布うさぎの耳を握った。


「おなまえ、とる?」


「取らせません。お名前の話はしない約束にします」


「おとうさま、おこる?」


「怒ったら、会うのをやめます」


 娘はしばらく黙った。


 私は急かさず、隣に座って待った。


「リネ、あいたくないっていったら、わるいこ?」


「悪い子ではありません」


「おとうさま、かなしい?」


「悲しむかもしれない。でも、リネリアが怖いのを我慢して会う必要はないわ」


 リネリアは難しい顔でモモを見た。


「ちょっとだけ、みる」


「会う?」


「ううん。みる。おとうさまが、おこってないか、みる」


 それは娘なりの折衷案だった。


 私はその言葉を尊重することにした。


「では、扉の外からでもいいか、イザベル様に聞いてみましょう」


「おかあさま、いっしょ?」


「ずっと一緒よ」


 リネリアは少し安心したようにうなずいた。


 数日後、アルベルトは北境へ来た。


 春とはいえ北境の風は冷たい。王都の上質な外套を着た彼は、領都名簿所の前でどこか場違いに見えた。隣にはローレン執事と、王都の代理人がいる。セシリアとミーナの姿はなかった。


 私は面談室の隣の控え室で、リネリアと一緒に待っていた。扉には小さな覗き窓があり、リネリアはそこから面談室を見ることができる。


 アルベルトは椅子に座らず、室内を歩いていた。


「エレノアはどこだ」


 声が聞こえる。


 名簿所職員が答えた。


「リネリア様の状態を確認中です。条件に従い、無理な面会は行いません」


「私は父親だ」


「承知しております」


「父親が娘に会うのに、なぜ許可が必要になる」


 リネリアの手が私の手を強く握った。


 私はそっと握り返す。


 アルベルトは怒鳴っているわけではない。けれど、声の底にある苛立ちは娘にも分かる。彼はまだ、自分が会いたいという気持ちと、娘がどう感じるかを分けて考えられていない。


 イザベルの代理として来た法務官が、静かに言った。


「侯爵閣下。条件を守れない場合、面会は中止します」


「私は条件に署名した」


「でしたら、まず座ってお待ちください。子どもは大人の苛立ちに敏感です」


 しばらく沈黙があった。


 やがて椅子の音がした。


 リネリアは覗き窓からそっと見ていたが、顔を引っ込めた。


「おとうさま、おこってる」


「そう見えた?」


「うん。リネ、まだ、あわない」


「分かったわ」


 私は職員に伝え、面会は中止になった。


 アルベルトは当然、納得しなかった。


「顔も見せずに帰れというのか」


 面談室の扉越しに声が響く。


 私はリネリアをアンナに預け、廊下へ出た。


 アルベルトは私を見た瞬間、怒りと安堵が混ざったような顔をした。


「エレノア」


「リネリアは、今日は会わないと言いました」


「君がそう言わせたのだろう」


「いいえ。扉の外からあなたを見て、自分で決めました」


「四歳の子どもに何が分かる」


 私は静かに彼を見た。


「自分が怖いかどうかは、四歳でも分かります」


 アルベルトは言葉を失った。


 以前なら、ここで私は謝っていたかもしれない。夫を責めるつもりはないのです、と。けれど今、謝る必要はない。


「次の面会を求めるなら、まずリネリア宛てに手紙を書いてください。命令ではなく、謝罪を」


「謝罪?」


「娘の名前を奪おうとしたこと。怖がらせたこと。父親として、まずそこからです」


 アルベルトの顔が強張った。


「私は家のために」


「その言葉を、娘に言わないでください」


 私ははっきり遮った。


「リネリアは家の道具ではありません」


 廊下の空気が静まった。


 アルベルトはしばらく私を見ていたが、やがて低く言った。


「君は変わった」


「いいえ。今まで黙っていただけです」


 その返答に、彼は初めて少し怯えたような顔をした。


 帰り際、ローレン執事が私に小さな包みを差し出した。


「奥様、これはリネリア様のお部屋に残っていた絵本でございます。閣下の許可を得て、お持ちしました」


 私は包みを受け取った。


「ありがとう、ローレン」


「お嬢様に、どうかお元気でと」


 彼の声には、屋敷で聞いたことのない柔らかさがあった。


 リネリアは絵本を受け取ると、表紙に残っていた自分の名前をなぞった。


「これ、リネの」


「ええ。戻ってきたわ」


 父親とは会わなかった。


 でも、娘の持ち物がひとつ戻った。


 それは小さな前進だった。

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