最初の食事
夜になると、キッチンから包丁の音が響いてきた。
かつて、アイドル時代にバラエティ番組で『料理が趣味』と言っていた駿。
だが、その番組で料理を披露していた時の華麗な手つきはどこへやら、今の彼は包丁を握る手さえ微かに震えている。
ファンは皆、彼の作る手料理が食べたいという夢を一度は見たものだ。
そして今、その【夢】が、最悪の形で叶おうとしている。
「……できました。お口に合うか分かりませんが……」
そう言って、テーブルに並べられたのは、温かな湯気を立てる肉じゃがと味噌汁、それに炊きたてのご飯。
梨華は黙って箸を取った。一口運ぶ。
……美味しい。悔しいけれど、驚くほどに美味しかった。
彼がかつて雑誌のインタビューで【母直伝の隠し味】と言っていた通り、少しだけ甘めの、優しい味がした。
その味が、梨華の乾いた心に染み渡りそうになるのを彼女は必死で抑え込んだ。
「……味、どうですか……?」
駿は自分の分には手を付けず、梨華の反応を怯えるように見守っている。
梨華は嘘をついた。
「……味が、しません。」
本当は、泣き出しそうだった。 だって、彼が作ったというだけでも、喉が震えるほど愛おしいのに。
けれど、ここで「美味しい」と言えば、それだけで彼を許してしまうような気がした。
「そうですか……。すみません。次はもっと、気をつけます」
駿は力なく肩を落とし、冷めた味噌汁を一口だけ啜った。
その姿を見て、梨華は、彼からは見えないようにテーブルの下で拳を握りしめた。
「別にいいわ。明日の夜は私が作るから。」
明るい照明の下、向かい合って座る二人。
世間から見れば新婚生活のひとコマに見えるかもしれないが、そこには目に見えない絶望だけが漂っている。
梨華は、砂を噛むような思いで、推しが作ってくれた【償いの味】を喉の奥へ押し込んだ。




