002 一期は夢
「一期は夢よ ただ狂え」
コレって何だっけ? 織田信長の名言? いや、和歌か狂歌だったかな……。
そうだ、人生なんてほんの束の間。夢の間なんだから、何も恐れることはない。自由に生きていいんだよ、多分…。
「ゆうき、起きて。起きて……」
……誰? お母さん? それとも、さやか?
体が重い。まるで水の中にいるみたいだ。ずっしりとした水圧を感じる。水中で、僕の体は今にも溺れそうになっている。
ほら、どっちが上でどっちが下かわからない。
明るい方に進むんだ、光の方に。光の差す方向に。そうしないと、溺れてしまうぞ。
★
「…お仕立てにしようか、ゆうきのスーツ。普段は贅沢してないんだから、成人式くらい、いいよね?」
「いいね! 賛成~」
姉のさやかが軽く手をあげる。右の頬に片えくぼが浮かんだ。
「え~、もったいないよ?」
僕は異議を唱える。ふたりの気持ちはうれしいけど、スーツなんか既製品でも充分なんだから。
「ゆうきは体が大きいから、既製品だと気に入ったスーツが見つからないかもよ?」
母が言う。
僕の身長は百八十五センチ。日本人男性の平均から考えると、かなり大柄だ。年齢的に、もうそろそろ成長は頭打ちだと思うけど。
「最近はセミオーダーでも作れるんだって。そんなに高くないよ?」
もったいないと言う僕に、母と姉が笑いながらオーダースーツを勧めてくれる。我が家は母子家庭で一馬力だから、それほど裕福でもない。経済的には常に低め安定だ。
それでも、母と姉はいつでも明るくてにぎやかだ。クヨクヨしないで、元気すぎるくらいのパワーで生きている。
成人式のネクタイも、まだ学生のさやかがバイト代で僕にプレゼントしてくれた。
「どうよ、可愛いデザインでしょ?」
さやかは笑いながら、猫のワンポイント刺繡が入ったネクタイを見せてくれる。刺繍は姉の好きな子猫のキャラクターだった。
「僕は猫じゃなくて、犬派だからね?」
「え~、可愛ければどっちでもいいよ!」
「僕へのプレゼントとかいいながら、さやか、自分の好みで選んでない?」
「いいの、いいの。だって可愛いから」
いくら可愛くても、成人式にハローキテ…のネクタイはどうなんだ? いや、もちろん可愛いことは間違いないけど…。
「いや、もちろんうれしいよ? うれしいけどさぁ…」
「だったら黙ってつけていくの! 成人式は一生に一度なんだよ?」
母も姉もいつもがんばっている。僕のために、いつでも最善を考えてくれる。だから、僕も成人式をすごく楽しみにしていた。
すごく楽しみにしていたのに……。
★
「サイラス、大丈夫か?」
オリバーが心配そうに、僕の顔を覗きこむようにして見ている。
「えっ、サイラスって誰?」と言いそうなところ、寸前で思い出した。
(そうだ、僕がサイラスでした……。)
「だ、大丈夫。普段乗り慣れてないから、馬車で酔っちゃったかも?」
笑いながらごまかして、ノラの入れてくれたお茶をガブリと飲む。
ノラは我がドイル家のお料理係兼下働きの女性だ。年は五十くらい…。日本のアラフィフは若くて、綺麗な女優さんも少なくなかったが、こっちの世界では五十代はほぼ初老の雰囲気だ。
もう孫がいてもおかしくない年齢だが、ノラは骨身を惜しまない働き者で、心は老け込んでいない。少ないお給料で手広くやってくれるありがたい人材である。
「サイラス坊ちゃま、馬車でご気分が悪くおなりですか?」
「う、うん」
本当は僕は乗り物にはすこぶる強いんだ。自動車はもちろん、在来線の電車でも新幹線でも、飛行機でもフェリーでも、まったく酔ったことがない。むしろ乗り物は得意なんだよ。
嘘をついていることにちょっと罪悪感を持ちつつ、ノラに曖昧に頷く。
ノラは「少し濃い目のお茶に入れ替えましょうね」と言ってくれる。気つけのつもりだろう。いい人だな。
「今日はサイラスのための『祝い膳』が出るから、気分が悪かったら夕食まで休んでいてもいいのだよ? せっかくの祝い膳だから、おいしく頂いて欲しいからね」
シオドアも心配そうに言う。
(夕食に祝い膳が出るのか。御者への「心づけ」といい、父上も張り込んでるなぁ…)
日本だったらお頭つきの鯛あたりが出てきそうだが、こちらの祝い膳はどんなものだろうか。
三年前にオリバーが成人しているから、その時にも食卓に祝い膳が並んだはずだ。それなのに、サイラスには祝い膳の記憶がない。
貴族の世界では「お世継ぎ様」である長男が一番優遇される。しかし、幼いころに母親を亡くし、母の記憶がほとんど残っていないサイラスを、父とオリバーは何かにつけては優遇する。
お世継ぎ様である本人のオリバーが、先に立って弟のサイラスを甘やかしている。
今日の成人式にしても、本来なら両親が参加するもので、お世継ぎ様である長男が次男の成人式でホイホイ挨拶回りなどしないものだ。
それを、オリバーは「当家は女主人がおりませんので」と、平気な顔をして弟の成人挨拶に回ったりしている。オリバーはホントに弟に甘い。
「オリバー様は性格が良いから、サイラスは幸せだな!」
「うちも『お世継ぎ様』がオリバー様みたいだったら、苦労しないんだけどな~」
サイラスの友達は口ぐちに言っている。長男と、それ以外の弟妹たちの間には、はっきりとした家庭内格差が存在する。
それが貴族の当たり前である。しかし、ドイル家ではそんな家庭内格差がない。むしろ、お世継ぎ様のオリバーより弟のサイラスの方が優遇されることさえある。
兄弟仲が良いというのは、それだけで幸せなことらしい。
「サイラス、叔父上が八年ぶりに帰ってくるぞ!」
オリバーが満面の笑顔で言う。封が切られた手紙を右手に握っている。
「サイラスの成人祝いに来るらしい!」
「…そうなんだ?」
どうやら僕たちの叔父上がやってくるらしい。サイラスの成人を祝いに来るらしいが、あきらかにオリバーの方がウキウキしている。
「叔父上と会うのは久しぶりだなぁ、今は隣国に住んでいらっしゃるから」
「……三年前にオリバーが成人した時には、帰ってこなかったよね?」
お世継ぎ様であるオリバーが成人した時には戻って来なかったくせに、次男であるサイラスの成人を祝いに来るのか?
ちょっと違和感を感じてしまう。
「あぁ、あの時はシャーロッテさまのおばあさまが亡くなって、喪中だったらしいよ」
シャーロッテさまというのが、叔父上の愛する奥方様の名前らしい。
シオドアの弟、サイラスとオリバーの叔父。婿入り前に僕と同じアトス寺院で働いていた人だ。そして、八年前に隣国の高位貴族に婿入りをした。
叔父上は婿入りと同時にアウソニアに移住して、それから一度も故郷に帰って来たことがない。こちらの常識がいまひとつわからないけど。……八年の歳月はなかなか長いぞ。
(……貧乏男爵の次男坊が高位貴族に婿に入るというのは、やっぱり大変なのかな?)
サイラスの記憶の中で「叔父上」の記憶はかなり曖昧だ。隣国とはいえ、高位貴族に婿入りされるくらいだから、優秀なんだろうけど…。
「父上、叔父上はいつ帰ってくるんですか?」
「予定では来週末だな。今回はふた月ほど滞在できるらしいぞ。そうだ、シャーロッテさまとの結婚記念に描いてもらったふたりの絵姿を飾っておいてやろうか…」
「叔父上とシャーロッテさまの絵姿ですか? そんなものが我が家にあるのですか?」
「あいつが恥ずかしがるので、しまい込んであるのだ。目立つ場所に飾って喜ばせてやろう」
父とオリバーはふたりで大いに盛り上がっている。
本人が恥ずかしがるようなモノを飾っても、まったく喜ばないのでは? と思いつつ、僕にはあまり関係ないからどうでもいいかな。
サイラスには叔父上の印象があまり残っていないので、少々冷淡な反応になってしまう。
シオドアは上機嫌で「サムに絵姿を飾らせよう」と言って席を立つ。サムというのはシオドアの小姓である。
成人貴族は最低でも小姓がひとりはつく。ドイル家のような下位貴族でも例外ではない。サムは若い頃からシオドアの小姓をしており、ふたりはほぼ同世代だ。
父の小姓サム、オリバーの小姓ライ、そしてお料理係兼下働きのノラ、この三名がドイル家で働く人びとだ。
…ずいぶん少ないって? 我が家は少数精鋭で運営している男爵家なのである。この春からサイラスも成人したので、アトス寺院で専用の小姓をつけてくれる予定だ。
この場合、小姓の費用は寺院持ちだが、プライベートでつく小姓とは使い勝手が違うらしい。そこらへんは、サイラスもまだ詳しくない。
「せっかくの絵姿を、しまい込んだままではもったいないからね」
「画家に絵を描いてもらうなんて、贅沢なことですよねぇ」
父・シオドアと小姓のサムがウォーク・イン・クローゼットから話しながら出てくる。サムの手には茶色の紙に包まれた大きな荷物がある。かなり大きなサイズの絵姿らしい。
「ずいぶん名の通った画家に描いてもらったようで、ふたりともそっくりなんだよ」
「本当にそうですね」
ガサガサと包み紙を開けながら、サムも頷く。
サムが丁寧に取り出した絵姿を見て、僕は思わず固まってしまった。
百号サイズほどのカンバス。絵姿の中の男性は、金髪の女性と寄り添って微笑んでいる。
黒髪に黒い瞳の長身の男。その顔を僕が見忘れるはずがない……。
絶対に見忘れるはずがないし、見間違うはずもない。
(……僕だ! これは僕だ!)
絵姿の中で幸せそうに微笑んでいるのは、日本にいた頃の僕、ゆうきだった。正確には、ゆうきよりも少し年上に見えるが、どう考えても僕だっ
た。
(嘘だろ? どういうこと⁉)
なんだか……僕はとんでもなくおかしな世界に転生してきたんじゃないか?




