第7話 昼下がりの少女たち 2
ブロンドの髪の少女は、綺亜である。
綺亜は、美しい少女である。
腰までかかる柔らかなブロンドの髪。
朝の光を受けて、ゆらりと風に揺れるたび、幾筋もの光が、その髪の中に差し込む。
一本一本が細く繊細で、触れれば指の間からするりと滑り落ちてしまいそうな、柔らかさと透明感があった。
まるで一本の絵画を切り取ったような光景だった。
歩きながら、彼方は、何度もそう感じたことがある。
それは、西洋の赴きを感じさせた。
エメラルドグリーンの瞳。
朝の冷たい空気を映すような涼しさもあり、時には強い陽射しのような熱さも宿す。
どちらにしても、人の視線を奪い取らずにはいられない輝きだった。
端整な顔立ちの中でも、特に印象深い釣り目。
その形は凛とした雰囲気を作り、優しさと強さを併せ持つ。
微笑めば、包み込むように柔らかい。
怒れば、雷のように鋭い。
そして、時折ふと見せる弱さは、なんだか守ってあげたくなるような、そんな繊細さを持っていた。
それらが一緒くたになって、ハーフを思わせる、美少女である。
七色に声をかけられた綺亜が、
「お、おはよう」
と、微笑んで挨拶した。
その声は、震えるほどではなかった。
だが、普段の綺亜なら、もっと自然で落ち着いた声で、
「おはよう」
を、言うだろう。
今日のそれは、どことなく、力の入り方がおかしかった。
言っていれば、他人行儀である。
(あれっ)
と、彼方は、思った。
綺亜の態度が、どことなく、ぎこちないのである。
目線も、少し不安定だ。
時々、彼方の方を見て、すぐにそらす。
それに、頬がうっすらと赤いように見えた。
朝の冷たい空気に染まった、というには、少し違う気がした。
(気のせいかな)
と、彼方は思い直して、
「おはよう、綺亜」
と、言った。
しかし、内心ではやはり少し気にしていた。
綺亜が、こうして、挙動不審になるのはなかなか珍しい。
何かあったのかもしれない。
しかし、本人が言わないなら、深く追及もしづらかった。
「どうしたの?」
と、聞くのも、憚れた。
野暮、そんなワードが、脳裏をよぎる。
七色も、彼方と同じことを、思ったらしい。
七色は、綺亜の顔を、斜め右前から覗き込むようにして、
「どうかしましたか?」
と、綺亜に、聞いた。
朝日に反射して、七色の髪が、きらりと光った。
控えめなのに、観察眼は鋭い。
綺亜は、急に肩を跳ねさせて、張った声で、
「何が?」
と、聞いた。
声が裏返りそうになって、綺亜は、自分の喉を押さえた。
仕草に余裕がない。
それが、自身でもわかってしまっていた。
それが、どうにももどかしかった。
自ずと、リアクションが、曖昧然となる。
「いえ、少し、顔が赤いかなと思いました」
と、七色が言った。
七色の声は、相変わらず淡々としている。
だが、よく見ると、表情は柔らかい。
綺亜を心配している気持ちが、言葉の端々から読み取れた。
綺亜は二人の視線を受けて、気まずそうに、
「な、何でも、ないわよ」
と、言った。髪をいじる指先が、わずかに震えていた。
七色は、
「そうですか」
とだけ、言った。
それから、それ以上は詮索しなかった。
その時、背後から、軽やかな足音が、近づいてきた。
「おはよー、三人とも。珍しい組み合わせじゃん」
明るい声とともに現れたのは、ショートヘアの少女だった。
鹿倉結である。
鹿倉結は、ショートヘアがよく似合う、親しみやすい雰囲気をまとったかわいらしい少女である。
表情は明るく、初対面の相手にも自然と笑顔で接することができるため、周囲からはすぐに打ち解けやすい存在として認識されている。
性格は気さくで朗らかだ。
場の空気を読むのが上手く、会話の中心にいながらも出しゃばりすぎないバランス感覚を持つ。
いわゆる「リア充」「陽キャ」といった言葉を体現したような人物で、学園生活や人間関係を前向きに楽しんでいるタイプだ。
恋人もおり、友人関係や趣味など、プライベートは全体的に充実している。
それらを必要以上に誇示することなく、かといって隠し立てもせず、あくまで自然体で公にしている点が、結らしい。
明るさの裏には、きちんとした節度があり、他人への配慮を忘れない常識人でもある。
一方で、彼女の実家は骨董品店を営んでおり、日常の一部には、どこか古風で落ち着いた空気が流れている。
古い器や掛け軸に囲まれて育った影響か、ときおり年相応とは思えない静かな一面や、懐かしさを感じさせる佇まいを見せることもある。
その現代的な明るさと、古めかしい雰囲気が、同居している。
結は、親しみやすい笑顔を浮かべ、まるで前から一緒にいたかのような自然さで、三人の歩調に並ぶ。
「おはよう、鹿倉さん」
彼方が返すと、結はにこっと笑って頷いた。
「うん、おはよう。朝からみんな静かだから、何かあったのかなーって思って」
そう言って、ちらりと綺亜の顔を見る。
詮索するでもなく、ただ様子を確かめるような視線だった。
「……別に、何でもないわよ」
綺亜がそう言うと、
結は、
「あ、そっか」
と、軽く頷いた。
「なら、よかった」
一拍置いて、結は、朝の澄んだ空気を吸い込むように小さく息をついた。
「うちのお店でもさ、朝一番って、器の機嫌がいちばん出やすいんだよね。ちょっと触り方を間違えると、すぐ『今日は違う』って顔されるっていうか」
冗談めいた口調だったが、その言い回しには、どこか古風な感覚が混じっていた。
「人も、たぶん似たようなものだと思うな。朝は、無理に整えようとしない方が、あとでちゃんと落ち着くし」
場の空気が、ほんの少しだけ、和らぐ。
七色も、小さく会釈をする。
「おはようございます、鹿倉さん」
「うん、おはよう。七色ちゃん、今日もきっちりしてるね」
結はそう言って笑い、腕を後ろで組んだ。
一瞬だけ、その佇まいが、不思議と落ち着いて見えた。
「じゃ、私は、日直当番あるから、先に行くね」
結は、走り出す姿勢をとった。
「朝は朝の流れに任せるのが一番、ってね。古い道具も、人も」
そう言ってから、いつもの調子に戻って手を振る。
「またあとでね」
結は、駆け足で、先に進んでいった。
その背中は、朝の光の中に、すっと溶け込んでいく。
残された三人の間に、ほんの一拍の沈黙が落ちたが、それは先ほどまでの重さとは、少し違っていた。
朝の空気はまだ冷たく、道の脇には冬枯れの草が揺れていた。
三人は歩き始め、少しだけ離れたところにいる小学生の集団の騒ぎ声が風に乗って響いてくる。
しばらく歩くと、七色が、ふと思い出したように顔を上げた。
「綺亜さんにも、良いタイミングで、お会いできました」
と、七色が言った。
「え?」
と、綺亜が、七色を見た。
「今度の土曜日なのですが、ここに、行きませんか?」
七色は、カバンからパンフレットを取り出し、彼方と綺亜に差し出した。
ピンク色の基調の、可愛らしい感じのパンフレットである。
表紙いっぱいにイチゴのイラストが描かれている。
見ているだけで、甘い匂いが漂ってきそうだった。
「……ストロベリー・スイーツ・ストリート?」
と、彼方が、読み上げた。
七色は、こくんと頷いた。
パンフレットによると、ストロベリー・スイーツ・ストリートとは、冬季限定のスイーツイベントらしい。
「イチゴ好きにはたまらない」
という宣伝文句が、並んでいる。
イベントは、桶野川市から電車で一時間半ほどの場所にあるF市の商業施設で開催されるという。
その商業施設は、テレビでもよく特集されるような、かなりの大型モールだ。
彼方が、
「名前は聞くけれど、行ったことはないな」
と、言った。
綺亜が、
「私も、ないわ」
と、続いた。
パンフレットを眺めながら、ページをめくる指先が、徐々に楽しげになっていくのがわかった。
「ストロベリーなストリートが、今年も、やってくる! 皆で、イチゴを、楽しもう! イベント限定イチゴスイーツが、大集合! イチゴ尽くしのイベントです!」
七色が、感嘆符の入った文面を、綺麗に棒読みで読み上げた。
七色は、息継ぎをする暇もなく一気に読み上げた。
やがて、
「……感情を込めて、読んでみました」
と、事務的に言った七色である。
綺亜は、肩をすくめて、
「……うん」
と、かろうじて、頷いて、
「良く、感情が、のっていたと、思うわ。ね、彼方?」
と、かろうじて、彼方に水を向けた。
彼方は、いきなりふられる形になって、
「……う、うん」
と、かろうじて、頷いて、
「すごく良いね」
と、かろうじて、応じていた。
七色は、
「ありがとうございます」
と、満足げに言った。
(心の底から満足している感じね)
と、綺亜は、心中肩をすくめて、
(まったく、この子は……)
彼方が、
「イチゴは、冬に人気だからね。ケーキとの相性も抜群だし」
と、言うと、七色は、ぱっと目を輝かせた。
「その通りです」
七色の、大きな頷きである。
よくぞ言ってくれた、という調子である。
「イチゴのショートケーキ、イチゴタルト、イチゴパフェ等の洋菓子、イチゴ大福等の和菓子、練乳、ヨーグルトをかけたり、イチゴジャム、イチゴジュース等、食べ方の豊富さは、折り紙つきです」
言いながら、七色は、本当に幸せそうだった。
「しかも、どれも、美味しいです」
「たしかに、美味しそう!」
思わず、大きく頷いた綺亜は、苦笑して、
(こだわる時は、とことんこだわるのよね、七色は……私、この子と話していると、つい調子を合わせてしまう)
と、思った。
「品種も、充実しています。とちおとめ、えちごひめ、やよいひめ、あきひめ、あまおう、アスカルビー、サマープリンセス、ペチカプライム、ダイアモンドベリー……」
七色が、息継ぎすら忘れそうな勢いで読み続けていると、綺亜は、パンフレットをそっと指で押さえ、
「毎年開催されているのね。ええと……今回、初出店となる三店舗含め、伝統ある老舗から新感覚スイーツのお店まで、過去最多三十店舗が揃い踏み。ここでしか味わえない、イベント限定のイチゴのスイーツが、目白押し!」
と、読み上げた。
その声には、興味と期待がこもっていた。
七色は、鞄からさらにチケットを取り出した。
六枚のスイーツ交換チケットを、トランプのカードのように扇形に広げた。
「スイーツ交換チケットが、六枚あります。一枚で、一つのスイーツが楽しめます」
と言い、
「母が、知り合いの方に頼まれて、一日だけ、販売員のバイトをやるんです」
と、続けた。
「その関係で、チケットを六枚もらったので、三人でどうかなと、思ったのです」
彼方が、
「さすが、佳苗さん」
と、感心して言った。
「ダ〇〇〇スの攻略の時間が削られる、と嘆いていました。捕鯨ルートのスコアの研究もまだまだなのに、とも言っていました。私には、何のことかはわかりませんが」
と、七色が、言った。。
彼方は苦笑し、
「さすが、佳苗さん……ぶれないな……」
「ですが、バイトをやる以上、全身全霊で臨むスコアラーとして、と言っていました」
「そこも、佳苗さんらしい……なんかちょっと違う気もするけれど」
七色と彼方の会話を聞きながら、
「……」
と、黙ったままの綺亜である。
七色の母の話をしながら、三人の歩調が、揃っていく。
それでも、綺亜が、一歩後になる。
(七色のお母さんの話か。私は、七色のお母さんのこと知らないけど、彼方は、知ってるんだ……)
知らない話題だから、どうしても、話の輪からは外れてしまう。
それは、しかたがないことだと、綺亜は、思った。
そんなことは、往々にしてあることだ。
しかし、輪から外れてしまうことよりも、綺亜が知らない話題を、彼方と七色が共有しているのに、少し胸が痛くなる。
「……」
彼方は、横目で綺亜の顔を見た。
綺亜の瞳が、寂しげに揺らいだ。
ほんの一瞬のことだった。
何かを言おうとして、言えなかったようにも見えた。
(……やっぱり、私は……)
しかし、綺亜はすぐにいつもの表情に戻り、パンフレットを持ち直した。
「どうでしょうか?」
と、七色が、改めて二人に聞いた。
綺亜と顔を見合わせた彼方は、笑って、
「今度の土曜日なら、特に予定もないしね。喜んで、行かせてもらうよ」
と、答えた。
綺亜も、ほっとしたように微笑み、
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
と言った。
先ほどまでのぎこちなさが、少し薄れていた。
「では、土曜日の十時に、桶野川駅で、待ち合わせましょう。それで、良いですか?」
七色の言葉に、彼方と綺亜は頷いた。
それぞれの心に、小さな期待と、ほんの少しの不安と、どこか甘酸っぱいような感情が、生まれた。
朝の通学路を、三人の足音が、軽やかに進んでいく。
土曜日が、すでに少し楽しみになっていた。





