第6話 守護者の鼓動 8
葉坂学園の屋上で、綺亜を、後ろから、抱いたのは、彼方だった。
綺亜は、振り返らなくても、自身の背中を支えてくれているのが、彼方だと、わかった。
彼方に、後ろから、抱きとめられている恰好である。
綺亜は、俯いた。
(来て……くれたんだ……)
と、綺亜は、思った。
彼方の手が、綺亜の手に、触れた。
「大丈夫?」
と、彼方が、言った。
綺亜は、自然と、涙が、こぼれていた。
「綺亜……?」
彼方の眼鏡の黒いフレームが、綺亜のブロンドの後ろ髪に、当たった。
「か、勘違いしないでよね!……泣いてなんか、いないんだから……!」
綺亜の否定の言葉に、彼方は、苦笑した。
綺亜は、
「もう、立てるわ」
と、言って、立ち上がった。
彼方は、綺亜の横に並んで、七色の剣を、構えた。
「その剣って……」
と、綺亜が、驚いて、言うと、
「うん。御月さんが、僕に、渡してくれたんだ」
と、彼方が、言った。
七色は、片手で扱っている、双剣の内の、一振りなのだが、彼方にとっては、重く、両手で、一振りの剣を支えるのが、やっとである。
(やっぱり、重いな)
と、彼方は、思った。
剣の重たさに、彼方の脚は、ふらついていた。
先程の廊下での戦いもあり、彼方の身体は、大分、疲弊していた。
「武器もろくに構えられない、三下が、出てきて、一体何のつもりですか?」
と、鷲宮は、あざ笑った。
彼方は、対峙している相手を、見据えた。
「お前を、倒すつもりだ」
と、彼方は、言った。
「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
鷲宮の哄笑が、風に、乗った。
鷲宮は、真顔になって、冷たい声で、
「笑えない冗談だ」
と、言った。
彼方は、黙ったままだった。
「"月詠みの巫女"や"守護者"が、叶うこともない、哀れな、勝利の宣言をするのなら、まだしも、何の力も持たない、一般人風情が、喚くとなると、憐憫を、通り越して、不愉快ですらある」
と、鷲宮が、言った。
「……何をしに、来たのよ」
と、綺亜は、鷲宮に向いたままで、彼方に、言った。
「この敵は……私が、片付ける」
綺亜、と、彼方は、呼びかけた。
「今から、僕の言う通りに、してほしい」
と、彼方が、言った。
「何を、言って……!」
と、彼方に振り返った、綺亜は、彼方の表情を見て、小さく、口を開いた。
「綺亜が、商店街で、男の子達を守ったのを見て、格好いいと思った」
綺亜の瞳が、揺れた。
「女の子にとって、格好いいという言い方は、嬉しくないのかもしれないけれども、そう思ったんだ」
と、彼方は、綺亜に、向き直って、言った。
「……」
「そうかと思えば、この前の落成式の時のドレス姿を見たら、本当に、素敵な女の子で、綺麗だなって思った」
綺亜の顔は、紅潮していた。
彼方は、素直に、自身の気持ちを、伝えてきてくれている。
自分は、どうなのだろうか、と、綺亜は、思った。
彼方の柔らかな笑みに、綺亜の口元が、揺れた。
「綺亜は、自分が"守護者"だって、言ってくれたけれども、僕は、"守護者"の綺亜のことを、まだ、良く知らないんだ。僕が、知っているのは、今言ったような、綺亜、だよ」
彼方は、語りかけるように、続けた。
「"守護者"とか、使命とか、そういう話は、僕には、わからない。でも、綺亜が、それを、大切にしていることは、良くわかる」
と、彼方が、言った。
「それでも、使命は、綺亜自身じゃない」
「あ……」
「綺亜は、綺亜だよ」
「……」
「綺亜」
彼方の強い口調に、綺亜は、押されたように、戸惑ってしまった。
綺亜、と、彼方は、小さな声で、呼びかけた。
「あいつの言うように、僕は、三下だ。ほとんど、戦力には、ならないと思う」
と、彼方は、言った。
「だからこそ、チャンスが、あるんだ」
彼方は、鷲宮を見据えたまま、
「でも、チャンスは、きっと、一度きりだ。あいつが、侮って、油断している、今の一度だけの好機だ」
と、言った。
彼方は、一つだけ、綺亜に、頼みを伝えた。
綺亜は、戸惑ったままの表情で、
「……そんなことをして、何の……」
「僕を、信じて」
言うや、彼方は、飛び出していた。
「いくぞ、"爛の王"!」
と、彼方が、叫んだ。
彼方は、七色の剣を構えたまま、鷲宮に向かって、奔った。
「ナイト気取りなのは、褒めてあげましょう」
と、鷲宮が、言った。
「滑稽な踊りを、私に、見せてくれるのですからね」
彼方の影が、屋上のフェンスの影と、重なった。
「彼方……!」
綺亜は、叫んだ。
フェンスの影のどこから、攻撃が来るかわからない以上、迂闊な影への接近は、命取りである。
しかし、影が、彼方を襲うことは、なかった。
「……大丈夫!この影は、ただの案山子だ……っ!攻撃は、こない!」
彼方は、そのまま、駆けていった。
「特攻するだけか。まあ、良い。死になさい」
鷲宮の影が、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁った。
鷲宮の影が、震えて、隆起した。
鷲宮の影から、針の莚がつくり出されて、彼方を、覆った。
そのまま、鷲宮に向かって駆け込んでいく彼方は、
「今だ……綺亜!」
と、叫んだ。
「……っ!わかった!」
綺亜の手元に、青白い一本の線が、できていた。
魔術による、機雷術式の爆導線である。
「スティングレイ、起動しなさい!」
綺亜が、右手を振るって、号令すると、雷光の線が、空間を薙いだ。
綺亜の放った、スティングレイが、起動した。
ストロボのような激しい閃光が、一帯を、包み込んだ。
「何っ!」
と、鷲宮が、驚愕の声をあげた。
彼方を囲うように敷かれていた、影の針の莚が、ぐにゃりと歪んで、影が、大きく揺らいだ。
不意をつかれた形になった、鷲宮が、吼えた。
影に破壊された、フェンスが、激しい音を立てた。
影の針が、彼方と重なり、血飛沫が、あがった。
「この……自殺願望者が……っ!」
と、鷲宮が、言った。
鷲宮の胸と脚を、彼方の左腕を、影の針が、貫いていた。
本来は、彼方に、襲いかかるはずの、影の針である。
綺亜の魔術、スティングレイの雷光によって、鷲宮自身の影の向きが、瞬時に、変わったからだった。
「お前は、弱い」
と、彼方は、息を吐きだすように、言った。
「……!」
鷲宮が、目を、見開いた。
「お前自身、は、恐らく弱い」
と、彼方が、言った。
「……何を……」
「だから、影を、頼るんだ」
彼方は、痛みを、忘れるかのように、大きく息をついてから、続けた。
「商店街での三人組の男達、そして、体育館の生徒達。どちらの場合でも、お前は、表に、出てきていない。ただ、影から、操影の魔術"影法師"によって、他人を操り、対象を襲わせる、間接的な戦闘を、行う」
と、彼方は、鷲宮を見据えて、言った。
「お前は、体育館の壇上で、手を抜いて、と、言ったけれども、そうじゃない。それが、お前の採れる、最上の戦法だったからだ」
鷲宮の顔が、忌々しそうに、歪んだ。
「そして、商店街という、わざわざ人目につく……人が大勢いる空間で襲ってきたのも、理由が、ある。体育館でのことも、主催したパーティー、なんかじゃない」
と、彼方は、続けて、
「それが、お前が、最も効率的に闘える場だったからだ」
彼方の握った剣と、それを受け止める鷲宮の影の腕が、ぎりぎりと、音を立てた。
「"影法師"を使っている間は、お前自身は、あまり動けないんじゃないのか?」
と、彼方が、言った。
「そんなお前にとって、人が多いことは、影を縛る人数が多くなることは勿論、その人数が故のカモフラージュ、自身の位置も、特定されにくくなるという、利点が、あったんだ」
顔を歪めた鷲宮が、彼方を、睨みつけていた。
「そして、お前が扱える影には、恐らく、制限がある」
と、彼方が、言った。
「この夕闇の中の屋上は、影は、いくらでもある。フェンス、ベンチ、給水塔……それでも、お前は、それらを、使ってこなかった」
鷲宮は、顔を歪めた。
「……く……」
「このことから、予測できるのは、お前は、無機物の影は、操れないということ。影を操ることができるのは、有機物だけだってことだ」
と、彼方は、言って、
「だから、この屋上では、お前がつくれる、影の針は、僕かお前自身の影からだけ」
綺亜は、彼方と鷲宮のせめぎ合いを、見ていることしかできなかった。
「用心深いお前の性格だ。突っ込んでいくだけの僕の影から、針をつくるよりは、安全に、自身の影から、迎撃する形で、つくると、予測できる。後は、攻撃のタイミングは、わかりやすい」
鷲宮が、歯軋りしていた。
「屋上。こんな人気のないところで待ち構えたのは、失敗だったな。"爛の王""虚影の指揮者"鷲宮イクト」
「……三下がああああああああああああ!」
鷲宮が、吠えた。
「終わりだ」
彼方が、剣を、両手で、振りあげた。
「はああああああっ」
彼方の握った剣が、暗闇を、薙いだ。
「馬鹿な……あああああああああああああああああああああっ!」
鷲宮の身体が、ゆっくりと、崩れ落ちていった。
イチョウを思わせる黄金色の輝きが、鷲宮の身体を包み込んで、その像が、はらはらと夜の闇に溶け込んでいく。
黄金の光に、彼方は、目を細めた。
(……また、か……)
と、彼方は、既視感を、覚えた。
捉えようのない感覚に、彼方は、
(……僕は、何を、見ているんだ……?)
彼方の目の前に、風景が、拡がった。
おぼろげな輪郭は、とてもリアルだった。
天を貫く垂直にそびえる巨大な針が、見えた。
針と交差する線が、もやにかかりながら、見えた。
もやは、揺れる光のカーテンであり、様々な色をたたえたオーロラのようだった。
オーロラに囲まれた、針を携える建造物が、あった。
(……この形は……天秤……?)
人影が、見えた。
それが、少女であると、彼方には、わかっていた。
少女の桜色の髪と、白い百合を思わせる髪飾りが、揺れていた。
淡い装束に身を包んだ、少女の肌は、雪のように、真っ白に透き通っていて、美しかった。
少女は、憂いを湛えた瞳を閉じて、両手を組んで、祈った。
少女の祈りの前に、そびえたつ巨大な天秤の針が、僅かに、動いた。
少女の小さな唇が、動いて、言葉が、紡がれた。
「世界に、星々の審判を」
それが、少女の、言葉だった。
再び、視界は、黄金色から白色に染まっていき、何も、見えなくなった。
彼方は、我に、返った。
(……眩しい……)
と、彼方は、思った。
鷲宮は、立ち上がって、光に焼かれながら、おぼつかない足取りで、後退した。
「……私の勝ちのようですね」
と、鷲宮は、言った。
「何を言って……」
と、彼方は、言った。
「私の最後は、私自身の手で決めると……そう言ったのですよ」
鷲宮は、狂気に引きつった笑みを張り付かせたまま、
「それでは、失礼」
鷲宮は、そのままふらふらと、後退していった。
屋上の端の先には、ただ闇が、広がっていた。
鷲宮の身体が、一瞬宙に踊って、すぐに見えなくなった。
屋上での今までのことがなかったようにも思わせる、静寂が、辺りを、包み込んだ。
「何とか……なった、か」
と、彼方が、自身に言い聞かせるように、言った。
彼方は、血の止まらない自身の左腕を、見て、
(まずい、な……)
と、思った。
彼方は、ふらりと、倒れ込んだ。
(身体が……重い……な……)
そう感じるのが、やっとだった。
彼方は、気付くと、背が冷たかった。
「ばかっ」
聞きなれた声が、彼方の耳に、届いた。
彼方は、綺亜の膝を枕に、自身が、横たわっているのは、わかった。
「無茶……しすぎよ」
彼方は、頬に冷たいものを、感じた。
掠れた目で見上げると、月の光に照らされた綺亜の顔が、あった。
綺亜の泣き顔が、あった。
「ばか……ばか……!」
泣いているの、と、彼方は、聞こうとしたが、声にならなかった。
彼方の意識は、再び、遠のいていった。




