第5話 影のパーティー 1
大きな屋敷の一室に、少女は、いた。
屋敷は、西洋風である。
大きな窓の向こうに広がる、広大な庭園には、手入れの行き届いた、色彩豊かな、見事なバラが、咲き乱れていた。
庭園の中央にある、噴水が、太陽の光を受けて、輝いて、見えた。
「お外には、出られないの?」
と、少女は、残念そうに、言った。
小さなエメラルドグリーンの瞳が、同じ色をした、母親の瞳を、じっと見つめていた。
答えは、わかりきっているのに、それでも、諦めきれずに、淡い期待をかけて、聞いている、そんな感じだった。
「ごめんなさいね、綺亜」
と、少女の母親は、柔らかく、言った。
ううん、と、少女は、首を横に振った。
「ママのせいじゃない。私の身体が、あんまり丈夫じゃないからだよね。わかってる」
と、少女は、俯き加減に、言った。
「もう少し、身体の具合が、良くなったらね」
と、少女の母親は、言って、娘のブロンドの髪に、そっと触れた。
「どこか痛いところは、ない?」
「うん。今日は、大丈夫」
「咳は、出ていないけれども、胸は、苦しくはない?」
と、母親が、聞くと、少女は、目を逸らした。
「綺亜。ママには、本当のことを、きちんと言う約束でしょう?」
少女の母親の問いかけは、穏やかな調子だった。
「……ちょっと、苦しいかも……」
と、少女が、答えた。
「そう。今晩は、お薬の種類を、少し増やしたほうが、良いわね」
「あのブルーの飲み薬、美味しくない……」
と、少女は、言って、頬を膨らませた。
「そうね。苦いわね。私は、飲めないけれども、綺亜は、我慢して飲めてしまうのだから、凄いわ」
と、母親が、笑った。
「……我慢して、飲む」
「良かった」
母親は、微笑んで、少女の頭を、撫でた。
「……パパは、今日は、お家に、帰ってくるの?」
と、少女は、気を取り直したように、聞いた。
「パパは、お仕事が、忙しくてね……」
母親は、ごめんね、と、静かに、笑った。
少女は、伏し目がちだった顔を、上げた。
そっか、と、少女は、首を縦に振った。
少女は、目を輝かせて、
「パパは、この街の"シュゴシャ"のお仕事で、忙しいんだよね」
と、言った。
「そう……ね」
真っすぐな少女の瞳から、逃げるように、母親は、寂しそうに、笑った。
母親を元気づけようと思ったのか、少女は、笑って、
「私、頑張るから。私も、パパとママみたいな立派な"シュゴシャ"になる!」
母親のブロンドの髪が、揺れた。
「そうしたら、パパとママと一緒に、お外で、遊べるかな?」
母親は、それには答えずに、少女の頬を、優しく撫でた。
カーテン越しの淡い光で、綺亜は、ゆっくりと、目を開いた。
「……夢……か」
と、綺亜は、つぶやいた。
コツコツと正確に時を刻む、時計の針の音が、やけに気になって、綺亜は、白い天井を、ぼんやりと見つめた。
(お母様の夢を見たのは、久しぶりね)
と、綺亜は、思った。
ベッドから、上半身を起こした綺亜は、近くの小さな棚に飾ってある写真立てを、手に取った。
写真の中心に写っているのは、小さい頃の綺亜で、満面の笑みを浮かべている。
場所は、屋敷の庭園である。
綺亜の左右では、父親と母親が、笑っていた。
綺亜は、目を細めて、
(何を、感傷に浸っているのかしら、私は……)
「お嬢様。おはようございます」
メイドの声が、した。
ドアのノックで、完全に目を覚ました綺亜は、
「もう起きているわ」
と、面倒そうに、言った。
綺亜は、ベッドから出て、薄いピンクの下着姿のまま、姿見の前に、立った。
寝ぼけ眼なのが、自身でも、わかった。
「……夢なんて……見れなけば、良いのに」
二の腕をさすりながら、綺亜は、言った。
着替えを済ませて、食堂で朝食をとって、食後の紅茶に口をつけた、綺亜は、
「それで、操影の魔術"影法師"を使う"爛の王"の足取りは、つかめたのかしら?」
と、執事長の時田に、聞いた。
「残念ながら、つかめておりません」
と、時田は、答えた。
綺亜は、一呼吸おいてから、
「そう。最善を尽くしてくれているのは、わかってるから、これ以上は、言わないわ」
「よろしいでしょうか、お嬢様」
と、時田が、言った。
「何よ」
綺亜は、不機嫌の色を、隠さなかった。
時田とは、短い付き合いではない。
時田の物言いから、何かありそうだ、と、綺亜は、思った。
「かの"月詠みの巫女"は、"爛"の光、即ち、その所在を、ある程度、感知しうると、聞き及んでいます」
と、時田は、言った。
「七色……御月七色のことを、言ってるの?」
時田は、目を、細めた。
「過日の北条製薬での出来事では、"月詠みの巫女"の動きもあり、人工の"爛"の精製の研究の存在を、暴くことができました」
「別に、あちらが、自身の都合で、動いただけのことでしょう?それとも、"月詠みの巫女"に、感謝の意を述べることでも、必要なのかしら?」
と、綺亜は、聞いた。
「はい。必要です」
と、時田は、明言した。
「……」
綺亜は、押し黙った。
時田は、いついかなる時でも、意見を直言してくれる、執事長である。
綺亜は、唇を噛んだ。
時田の意見には、一切の遠慮はなく、綺亜のことを考えて、述べられるものである。
(時田の言ってることは、正しい)
と、綺亜は、思った。
ただし、正しいものを、綺亜が、素直に飲み込めるかどうかは、別の話だった。
「"月詠みの巫女"と協力されては、いかがでしょうか?」
と、時田は、言った。
「共同戦線ということ?」
時田は、首肯した。
綺亜の鋭い視線を、時田は、そのまま受け止めていた。
「倉嶋は、この街、樋野川の"守護者"として、表からそして裏から、護ってきた」
綺亜は、ティーカップを、ゆっくりとティーソーサーに置いた。
「さようでございます」
「今までずっとそうしてきたし、これからもそう。この地を護る者は、"守護者"であって、それが、全てよ」
と、綺亜は、言った。
「……私では不足って……!そう言いたいの、時田?」
声を荒げた綺亜を前に、時田は、眉一つ動かさなかった。
「そうではありません。何事も、お一人の力で為すことには、限界があることを、知っていただきたいのです」
と、時田は、言った。
「協力に前向きになれないのは、お嬢様ご自身の気持ちがあるのでは、ないですか?」
「……何よ、それ」
と、綺亜が、詰問するように、言った。
「お嬢様が、あの朝川という少年に、恋愛感情を持っていらっしゃることは、存じております」
「な……」
綺亜は、言葉に、詰まった。
「私は、彼を、全面的には認めてはおりませんが、見どころがある少年かと、思います」
と、時田は、言った。
綺亜は、言い淀んで、
「べ、別に、私は、彼方のことなんか……」
「そのあたりの問答は、止めましょう。私の目が、節穴だと、お嬢様が、断じない限りは、時間の無駄です」
「……否定は、しない」
と、綺亜は、目を瞑って、言った。
「恋愛感情は、私情です。一方で、お嬢様には、"守護者"の使命が、あります」
「私情を、挟むなと、言いたいんでしょう。わかってるわよ、そんなこと」
と、綺亜は、つっけんどんに、言った。
「いえ。逆です」
綺亜は、予想していなかった時田の言葉に、戸惑った。
時田は、続けて、
「お嬢様のお年頃で、恋愛感情の類を、拭い去ることは、決してできません。色々な感情が、一緒くたになっていて、当然なのです。それが許されるのが、思春期の特権です」
綺亜は、黙っていた。
「"月詠みの巫女"である御月七色も、朝川彼方に、好意を抱いていると、思われます」
「それは……」
と、綺亜は、言い淀んだ。
「お嬢様と、御月七色は、恋敵というわけです」
と、時田は、言った。
「相手に負けたくないというお気持ちは、わかります。しかし、残念ながら、今のお嬢様は、意地を張られているだけです。ご自身のお気持ちから、目を背けてしまわれています」
「……」
「ご自分の本心からも、逃げてしまっているだけです」
「……私のことを、わかってるようなこと、言わないで!」
と、綺亜は、声を張り上げた。
「わかりますとも。お嬢様を、ずっとお世話してきたのですから」
綺亜は、黙った。
「負けたくないというのなら、正々堂々と、誇りを持って、勝負をして、良いのです」
と、時田は、言った。
「"守護者"として、"月詠みの巫女"と共に、仇敵を、討てば良いのです。そして、一人の女性として、恋敵と、競えば良いのです」
時田の真っすぐな視線から、綺亜は、目を逸らした。
「……もう行くわ。車を出して」
承知しました、と、時田が、言った。




