第2話 夕暮れの贈り物 10
土手の上の道である。
そこを、彼方と七色は、横並びに歩いた。
「……」
「……」
二人とも無言だった。
七色は、手元の可愛らしいラッピングの袋を、柔らかく握り締めていた。
七色の歩調に合わせて、ラッピングのリボンが、ゆっくりと揺れた。
「……」
七色が口を開くことは、なかった。
ただ黙って歩いている。
彼方も、黙ったまま歩いた。
前方に、川に架かる大きな国道の道路橋が見えた。
小さな車のライトの光。
一つや二つではない。
数十である。
それらが、左から右へとそして右から左へと、幾重にも重なりながら流れていた。
道路橋の前に、鉄橋が見えてきた。
鉄橋の下をくぐるように、土手の道は、続いている。
鉄橋を、列車が通っていった。
川を挟んで、左岸の隣の市から右岸の桶野川市へと続く路線である。
十両編成の列車だ。
車窓から漏れる灯りが、二人の前をあっという間に移動していった。
形容すれば、がたんごとん、などになるのかもしれなかった。
「御月さん」
と、彼方が、言った。
声をかけられて、ゆっくりと、七色は顔をあげた。
「……はい」
七色は、彼方と目を合わせようとしなかった。
「……」
「……」
二人は、黙っていた。
沈黙を破ったのは、彼方だった。
「……ごめん」
と、彼方は、言った。
「僕のひとりよがりだった」
七色は、
「……朝川さんが、謝ることではありません」
と、短く言った。
"爛"である美香を斬ったことは、苦渋の選択だったのだろう。
「この世界が、かく在るための理を祈る……」
と、七色は、言った。
そうして、夜空を見上げた。
「"月詠みの巫女"は、世界の理の均衡を司る者です」
「……」
「その均衡を脅かす"爛"を討つ者です」
「……」
彼方は、黙ったまま七色の言葉を待った。
「わかっているんです」
「……」
「それが、"月詠みの巫女"なのだと……巫女の使命なのだと……」
絞り出すような七色の声だった。
美香を救いたかったに違いない。
美香を救えないのも知っていたに違いない。
その矛盾。
それが、七色を苦しめているのだろう。
その矛盾を受けいれられずに、
「……また、何もできなかった……! ……何もっ!」
と、七色は、泣いていた。
「私は、巫女なのに……」
「……御月さん」
彼方は、七色に、かける言葉が見つからずに言いよどんだ。
七色の声色は、切なげに揺れていた。
「あの子を……!」
ふいに、七色は、彼方の胸に顔を押し付けていた。
「……なにも、なにも……なにも……っ!」
七色の肩が震えて、小さな嗚咽がじかに彼方の胸元に響いてきていた。
「……なにも……!」
彼方は、そっと七色を抱きとめた。
時間にすると、ほんの数分の抱擁だった。
「……朝川さん。ありがとうございました」
と、七色が、俯いて言った。
「だいぶ落ち着きました」
「そう……よかった」
彼方は、七色に、言葉を投げかけた。
「御月さん、行こう」
「行く……?」
頬を濡らしたままの七色が、彼方を見た。
「贈り物だよ」
七色は、自身の手の中を見た。
彼方は、
「贈り物を、迷子のままにしておくことはできないからね」
と、静かにほほ笑んだ。
翌日の夕暮れの公園は、人影も、疎らだった。
「兄ちゃんたちは……」
少年は、サッカーボールのリフティングを中断した。
「やあ」
と、彼方は、声をかけた。
声をかけた相手は、直人である。
「俺に、用なの?」
直人の質問は、もっともなことだった。
「そうだよ」
と、彼方は、頷いた。
「もしかして、最終奥義をまたくらいにきたのかな?」
と、少年は、笑った。
彼方は、
「そんなこと言っていいのかな?」
と、にこにこしながら言った。
そんな彼方から、ただならない雰囲気を感じ取ったのだろうか、直人は、
「……い、いやだなあ!」
と、半笑いしながら言った。
「冗談っ。冗談に決まってるだろ!」
「それはよかった」
と、彼方も、やはりにこにこしながら言った。
「もし、またやろうとしていたら、僕が君に、君がこの前したことをし返してやろうと思うかもしれないからな」
「……冗談だよね?」
恐る恐る聞いた直人に、彼方は、
「冗談だ」
ふうと息をついた直人は、
「今日は、姉ちゃんにいたずらはしないから安心してよ。これでも、この間のことは反省しているんだよ」
と、言った。
「それはいい心がけだ」
「それに、また春野に怒られるのは、ごめんだからね」
と、直人は、笑った。
「そういえば、春野のやつ、今日、欠席だったな。風邪でも、ひいたのかな」
「……」
七色は、目を伏せて黙っていた。
直人は、七色の態度に怪訝そうに眉をひそめて、
「えと……どうかしたの?」
「……」
七色は、黙っていた。
彼方が、
「昨日は、君の誕生日だったのかな?」
と、聞いた。
「何で、知ってるの? 確かに、昨日は、俺の誕生日だったけど」
「何才になったんだ?」
「十才かな」
と、直人は、照れくさそうに、言った。
「十才か。二桁の歳になったんだな」
と、彼方は、言った。
「まあね」
と、直人は、誇らしそうに言った。
「でも、兄ちゃんたちと、十の位は一緒だろ?」
「その通りだ」
と、彼方は、笑った。
「実は、預かっているものがあってね。君に渡してくれって、頼まれているんだ」
「誰から?」
「美香ちゃんだよ」
と、彼方は、薄いブルーのラッピングの袋を少年に差し出した。
「え……?」
「君にこれを届けてくれるように、美香ちゃんから頼まれてね」
直人は、驚いた様子で、
「美香……? 春野のこと、だよね……?」
と、言った。
彼方は、頷いて、
「うん。春野美香ちゃんから預かったんだよ」
と、言った。
「へ、へー」
美香の名前を聞いたとたん、直人は、急に落ち着かなくなった。
「そうなんだ」
直人は自分に渡されようとされているものがどういうものなのかがわかったようで、少し照れくさそうにしながら、
「べつに、学校で渡してくれても良いのにな」
と、言った。
少年のはにかんだ口元に、彼方は、胸の痛みを覚えた。
年相応の感情表現を、直人はしていた。
素直な表情だと、彼方は、思った。
少年の表情には、嬉しさと照れ隠しが、混じっていた。
少年は美香のことが好きで美香も直人のことが好きだったのだと、彼方は、思った。
直人は、
「開けていいかな、姉ちゃん?」
と、目を輝かせて、七色を見た。
七色の手は、震えていた。
七色は、不安な目をして彼方を見た。
彼方は、ほほ笑んで頷いた。
七色は、静かに頷いて、
「……いい……と、思います」
と、言った。
プレゼントの中身は、筆箱とシャープペンシルだった。
色は、綺麗な薄緑で統一されていた。
「格好良いな! ミリタリーテイストも、なんか渋い!」
直人は、素直に喜びの声を上げていた。
テンションが上がっている、という感じである。
「ついに、俺も、鉛筆を卒業してシャープペンデビューかあ」
直人は、シャープペンを眺めた。
小さなメッセージカードも、添えられていた。
『お誕生日おめでとう。今まで、私が年上だったけど、これで同い年だね』
「うるせーよ」
と、直人は、カードを眺めながら気恥ずかしそうに言った。
『いつも、サッカーのクラブ活動で、低学年のリーダー、頑張ってるよね』
「……見てるなら、そう言えって」
『皆をまとめるのって、凄く大変だと思うし、私にはきっとできないと思う』
「……褒めすぎだろ」
『あんまり褒めちゃうのも良くないから、ここまでにするね。勉強も、一緒に頑張ろう!』
メッセージは、丸い可愛らしい字で、丁寧に書かれていた。
「……女子の手紙って、何でこう長いのかな」
と、直人は、言った。
「それは、女の子のほうが男の子よりも大人だからだよ。気持ちを伝えるのが、上手なんだ」
と、彼方は、言った。
「そうなんだ……」
と、直人は、素直に頷いた。
「伝言を頼まれたんだ」
と、彼方は、言った。
「美香ちゃん、少し遠くに引越するらしくてね」
彼方は、優しくない嘘をつくことを決めていた。
「え……?」
直人は、とまどったように、
「……そんな話、聞いてなかったけど」
と、言った。
「それに、このカードにだって、勉強を一緒に、って……何で……」
「ちょっと遠い場所だけれども、お互いに頑張ろうということだと思うよ」
「じゃ、じゃあ!」
上ずった直人の声だった。
「住所とか電話番号とか……連絡先とかはっ? 美香のやつ、何か言っていなかった?」
呼び方が苗字から名前に変わった必死の問いかけだった。
その問いかけに、彼方は、優しくない嘘を重ねることを決めていた。
「ごめん。それは、聞いていないんだ」
と、言った。
「……」
直人も彼方も七色も、黙っていた。
「……うん」
と、直人は、言った。
「……別に、兄ちゃんたちが、謝ることじゃないさ」
「後は、美香ちゃんの言葉を、そのまま伝えるぞ」
彼方は、七色を促した。
七色は、口を開いたが、声にならなかった。
少年は、七色の言葉を待った。
「……」
七色の手は、震えていた。
彼方が、七色の手にそっと触れた。
「……」
「御月さん」
「はい……」
「僕は、美香ちゃんが御月さんに言った言葉を聞いていない」
七色の手の震えが、少しおさまった。
「……御月さんだけが、伝えることができるんだ」
彼方は、七色の目を見て言った。
「……」
七色は、声を出した。
「……『またね。大好きだよ』」
七色の笑顔は、泣き出しそうな笑顔だった。
「あ……」
と、直人は、彼方と七色を見た。
「まあ……とりあえず、あいつのアドバイス通り、勉強も頑張ってみるさ!」
直人は、声を張りあげた。
「俺、算数の図形がすげー苦手でさ! よし、まずは図形からだな!」
直人は、シャープペンシルを高々と掲げた。
「頑張ってやっているうちに、そのうち連絡でもくるさ」
「そうだな」
彼方は、強い子だという言葉が口から出かかりそうだったのを、抑えた。
「じゃあ、僕たちは、もう行くぞ」
彼方は、七色を手を握って歩き出した。
「ありがとう! 兄ちゃん、姉ちゃん」
と、直人は、言った。
空の色が、変わり始めていた。
夕暮れ時が、終わりを告げようとしていた。




