第2話 夕暮れの贈り物 9
七色は、
「……私を嫌いになっても構いません」
と、彼方と目を合わせずに言った。
「御月さん……」
彼方は、二の句を継げなかった。
七色は、美香と対峙した。
美香は、あっけらかんとした調子で笑って、
「再開しようか、お姉さん?」
と、言った。
「終わりにします」
と、七色が、言った。
風が吹いて七色の髪が揺れて、頬にふっとかかった。
「何それ?」
美香が目を丸くしていた。
だが、すぐにけらけらと笑い出した。
「まさかお姉さん流の冗談とかっ?」
美香は、両手を広げた。
「私が、やられちゃうっていう意味かな? まさか本気じゃないよね?」
「……」
七色は、美香の言葉には答えずにすらりと双剣を構えた。
「……ノリ悪……無表情すぎて、よく言えばクールビューティーって言うんだろうけど」
美香は、つまらなそうに目を細めた。
「そんなんじゃ、お兄さん、他の誰かにとられちゃうかもよ?」
七色の表情がかすかに動いた。
「何だ、そんな顔をできるんだ」
「……」
「心配して損しちゃった」
美香は、七色を見据えて、
「お姉さんの剣撃はすごいと思う」
七色が、駆けた。
「けど、私の盾に勝てるほどすごくもない」
迎え撃つ形で、美香も、駆けた。
金属音が、けたたましく響いた。
七色の右手の剣の一撃は、美香の盾によっていなされた。
「私の武装は、この大きな盾だけっ!」
と、美香が、言った。
美香が、盾をざむっと地面に降ろす。
瞬間、砂ぼこりが舞った。
七色の身体がくるりと半回転した。
そうして、その勢いのまま、今度は左手の剣からの一撃があった。
それは、美香の盾によって叩きはらわれた。
「でもね! 防具は……武器にもなるんだよっ!」
剣撃をはらわれた反動で、七色の体勢が、大きく崩れた。
「お姉さんの攻撃は、響かないし痛くもない」
と、美香は、憐れむように言った。
美香は、盾を大きく振りかぶった。
「このまま、すり潰してあげるっ!」
「……御月さん!」
と、彼方が、叫んだ。
美香の盾の圧撃を、七色は、後方へ跳躍して回避した。
七色は、ぎこちなく着地した。
「……っ」
七色の顔には、汗が浮かんでいた。
「その怪我をした足で、まだそんなに動けるんだ」
と、美香が、感心したように言った。
七色は、美香と距離を保ったまま動かなかった。
「この勝負、私の勝ちだよ」
と、美香は、勝ち誇ったように、言った。
「私の盾"乙女の涙"は、鉄壁の防御」
「……」
「"月詠みの巫女"のお姉さんの剣ですら、凌いでみせた」
「……」
美香は、
「お姉さん。さっきお兄さんを庇った時に、左足を痛めたよね。そんなので闘えるのかな?」
と、笑った。
七色は、身をかがめて剣を逆手に構えて、美香に向かって駆けた。
「まだ諦めないんだ。いいよ、付き合ってあげる!」
と、美香が、叫んだ。
七色は、真正面からの突進の軌道を、ふいに変えた。
「えっ?」
七色は、美香の左側に廻り込んだ。
美香の顔に、当惑の色が走った。
(速い……!)
と、美香は、とっさに盾を左側に振った。
その美香の挙動は、美香自身の身長を超える大きな盾にもかかわらず、ほんの一瞬だった。
(ここ……っ!)
美香は、精神を集中させた。
美香の盾"乙女の涙"は精神感応型の武装である。
盾の防御力は、美香の精神によって変化する。
もちろん、通常の起動状態でも必要最低限の防御力は担保されている。
しかし、防御力を特に高めたいためには、そのタイミングで精神を集中させる必要があるのである。
タイミングとは、防御するすなわち相手の攻撃のインパクトの時に他ならない。
美香の意識に合わせて、"乙女の涙"が鈍い白銀の光を放った。
七色が振り下ろした剣は、盾によって弾かれた。
(間に……合った……!)
と、美香は、思った。
思った矢先、
「えっ?」
次の瞬間には、今度は七色は美香の右側に廻り込んでいた。
(今度は、逆!)
と、美香は、盾をぶんっと振り回した。
(死角からの攻撃……!)
盾は七色の攻撃を受け止めて、そのまま七色を吹き飛ばした。
七色は、体勢を立て直して着地した。
七色の顔には、疲労の色が浮かんでいた。
「うっざ!」
美香は、いらだった様子で、
「フェイントばっかり!」
美香は、息を切らせながら、
「……でも、さっきよりも剣の威力が弱まってるよ。お姉さん」
と、言った。
七色は、美香に突進した。
「そんなへなちょこな猛進でっ!」
美香は、叫んだ。
相手は攪乱した後で死角から狙ってくるだろうと、美香は、予想した。
(左、それとも、右……?)
と、美香は、盾を、構えた。
(違う……)
と、美香は、思った。
(正面!)
七色の白いワンピースが、ふわりと揺れた。
「……え……?」
美香の声が、あがった。
七色の右足の白いブーツ靴が、盾の上にあった。
「……私の盾を……踏み台にした……っ?」
美香は、完全に不意をつかれた形になって、上空を見上げた。
七色が、夜空に跳躍していた。
「お姉さんの攻撃は痛くないって、何度言ったら……!」
と、七色を見上げる美香が、言った。
美香は、巨大な盾である"乙女の涙"を、軽々と上空に向かってかかげた。
「この剣には、こういう使い方もある」
と、下降する七色が、言った。
上空で、かしゃんと音がした。
七色の双剣が、月に照らされて鈍く光った。
その双剣は、連結されていた。
一振りの剣となっていた。
美香が、
「……え……?」
と、とまどいの声をあげた。
七色の一振りの剣が、一閃を放った。
盾が砕ける音がした。
「"乙女の涙"が……」
七色の連結剣が、盾を破壊する。
「壊れ……どうして!」
剣が、無防備になった美香に迫った。
「威力が、さっきまでとは全然、違う……!」
美香の声は、動揺していた。
「斬撃の威力がずっと同じだったのは引っかけで……私の油断を誘うため……?」
七色の一閃が、少女の胸元に届いた。
「……ぁ……」
と、呟く美香の口元から、一筋の血が漏れた。
「……か……ほ……っ」
小さな美香の身体は、小さくのけぞった。
「息、しにくい……」
美香が、ふらふと後ずさった。
「胸……苦し……い……」
美香の前で、七色は、剣を振りぬいた姿勢のままうなだれていた。
美香が咳き込んだ。
美香の小さな口から血の息が漏れる。
それは、河原の砂利を点々と赤く色づけた。
「身体、寒い……」
美香の身体が、イチョウを思わせる黄金色に輝き始めた。
「さむ……い……よ」
美香は、ふらふらと左右に歩を進めた。
美香自身は、まっすぐに歩いているつもりだった。
「……ああ、わかった……」
と、美香が、言った。
美香の身体が、一層眩い光を帯びる。
そして、透明になった。
そうかと思えば、はらはらと夜の闇に溶け込んでいく。
美香の身体は、一層眩い光を帯びて、透明になったように、はらはらと夜の闇に溶け込んでいく。
「……私……消えるんだね……」
黄金の光が、美香を包み込んでいった。
(……あ……)
と、彼方は、既視感を覚えた。
捉えようのない感覚に、彼方は、
(また……だ……)
と、思った。
(やっぱり前に、どこかでこの光を、僕は……)
彼方の目の前に、風景が拡がった。
おぼろげな輪郭。
それは、とてもリアルだった。
天を貫く垂直にそびえる巨大な針。
それが、見えた。
針と交差する線が、もやにかかりながら、見えた。
もやは揺れる光のカーテンだ。
それは、様々な色をたたえたオーロラのようだった。
人影が、見えた。
それが少女であると、彼方にはわかった。
再び。
視界は、黄金色から白色に染まっていく。
そうして、何も見えなくなった。
少女の桜色の髪と白い百合を思わせる髪飾りが、揺れていた。
少女は、憂いを湛えた瞳を閉じて、両手を組んで祈った。
再び、視界は黄金色から白色に染まっていき、何も見えなくなった。
彼方は、我に返った。
(何だったんだろう、今のは……)
と、彼方は、思った。
しかし、答えは出てこないであろうということを、彼方は漠然と感じていた。
美香の身体が、眩い光を放った。
美香は、
「……ありが……とう」
と、うなだれたままの七色に言った。
美香の声は、切れ切れになっていた。
美香を包む光りは、"爛"の滅びを意味するものだった。
「……私を……止めてくれて……」
美香の身体が、光に包まれた。
「すごく、楽になった」
美香は、さみしそうに笑って、
「もう頭も痛くないよ」
と、言った。
静かだった。
草の揺れる音。
川のせせらぎ。
それらが、はっきりと聞こえる程、辺りは静寂に包まれていた。
美香が、
「……お別れだね、お姉さん……」
と、手を伸ばした。
「……これは……?」
と、七色が、とまどった声をあげた。
美香が差し出したのは、薄いブルーのラッピング袋だった。
「良かった。これまでは、なくならないんだ……」
と、美香は、微笑んだ。
「プレゼント……だよ」
「……プレゼント?」
美香は、悲しそうに笑いながら、
「残念だけど、お姉さんにじゃないよ。渡したい相手……いるの」
と、言った。
「最後に、私のわがまま聞いてくれるかな」
「……」
「あいつに、言いたいことがあるの」
美香は、半透明の自身の身体を七色に近づけて、七色の耳元でささやいた。
やがて、
「……わかりました。伝えます」
と、七色は、無機質に言った。
七色の言葉に、ほっとしたような安堵の表情を見せた美香は、
「……うん」
微笑んだ少女の身体が、ばっと燃え上がった。
「あり……がと……う……」
黄金色の残滓が弾け飛でいく。
その欠片が、白い光となって霧散した。
静寂が、訪れた。
草の揺れる音が、静かに響いていた。
「……お、俺だって!」
男が、わめいた。
「つらかったんだ!」
七色が男を見下ろす恰好になっていた。
「会社じゃ、いいようにこき使われて……」
何もかもかなぐり捨てた勢いで、
「出世も、望めないで……借金も重なって!」
と、男は、わめいていた。
「何もかも、全然うまくいかなくて……!」
男の言うことは多分本当のことなのだろうと、彼方は、思った。
七色は、
「……それは、あなたの事情です」
と、言った。
無機質な声音だった。
「大人の理屈に、子供を巻き込まないで下さい」
「……あ」
と、男は、放心したように、口を開いていた。
男は、それきり黙っていた。
「後は、あなた自身で決めて下さい」
彼方は、そんな一部始終をただ黙ってみていることしかできなかった。
「……」
先程まで目の前で繰り広げられていた光景は幻だったのではないか。
そんなふうに思えてしまうほどだった。
春野美香は、もうこの場にはいない。
存在しない。
"爛"。
それは、人の願いが星に届いて顕在化されたものだという。
人の願いは、時には狂気となり、人を傷つける存在を生むということなのだろうか。
(……それでも)
と、彼方は、逡巡した。
星に届いた願いは、それがどのようなものであっても、やはり、願い、なのかもしれなかった。
(……)
彼方は、星空を仰いだ。
河川敷は、静けさを取り戻していた。





