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勇者アルスの冒険  作者: あさくらまひろ


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第2話 出発

 勇者選定の試験を終えて数日。


 アルスは王城にやってきていた。


 正式に王様から勇者として任命されるためだ。


 玉座の間は、朝の光に満ちていた。


 高い天井から垂れる旗が静かに揺れ、磨き抜かれた大理石の床は、差し込む陽光を白く反射している。アルスはその中央に立ち、胸の前で両手を固く握っていた。背丈はまだ低く、身につけた鎧も少女の身体には少し大きい。


 兜の下からこぼれる髪は、淡いラベンダー色だった。肩に触れるほどの長さの髪は、光を受けるたび柔らかく色を変える。


 その繊細な色合いとは裏腹に、彼女の目は強かった。


 まだ幼さの残る顔立ちの中で、その瞳だけが不思議なほど澄んでいる。年齢には似つかわしくない静かな覚悟が、そこには宿っていた。


 それでもアルスは怯むことなく、まっすぐに王を見つめ返している。


「勇者アルスよ」


 王の声は重く、しかしどこか柔らかかった。


「汝には、魔王を討つ運命が女神より授けられている。先代の勇者たちが果たせなかった役目を、今度こそ成し遂げねばならぬ」


 アルスは小さく息を吸い、静かにうなずいた。揺れたラベンダー色の髪が、かすかに肩に触れる。


 覚悟は、ずっと前から決まっていた。


「明日、旅立て。街ではすでに、そなたを送り出す準備が進められている。必要な装備と糧も用意しよう。仲間についても——」


「いえ」


 王の言葉を遮ったのは、自分でも驚くほどはっきりした声だった。


「一人で行きます」


 玉座の間に、短い沈黙が落ちる。

 重臣たちがざわめき、王はわずかに眉をひそめた。


「それは無謀だ。そなたはまだ十五歳。たとえ勇者といえど——」

「だからです」


 アルスは一歩前へ出た。


 床に映る自分の影が、細く長く伸びている。頼りないほど小さな影。それでも確かに、前へ向かっていた。


「わたしのために、誰かが傷つくのは嫌なんです」


 声は震えていなかった。


「誰かを守るために旅に出るのに、その旅で誰かを危険にさらしたくありません」


 王は長いあいだ、彼女を見つめていた。

 ラベンダー色の髪に縁取られた小さな顔。まだ幼さの残る少女の姿。その奥で燃える強い意志。

 その視線には、王としての重責と、一人の年長者としての迷いが混じっていた。

 長い沈黙の末、やがて王はあきらめたかのように深く息をつく。


「……わかった」


 低い声が、静かな玉座の間に落ちる。


「だが、生きて戻れ。必ずだ」


 王はゆっくりと言葉を続けた。


「たとえ魔王を討てずとも、生きてさえいれば次につながる」


 アルスは膝をつき、深く頭を下げた。


 その拍子にラベンダー色の髪が揺れ、淡い紫が床に映る。

 謁見の間に並ぶ兵士たちは、思わず彼女に視線を奪われていた。騎士団長の咳払いで慌てて背筋を伸ばす。

 その場にいた誰もが、同じことを思っていた。


 ——こんな小さな少女を、本当に一人で旅立たせるのか、と。


 無事に謁見を終えたアルスは、静かに王の間をあとにする。

 城を出るころには、空はすでに茜色へ染まりはじめていた。通りには夕餉の香りが漂い、人々の話し声が賑やかに響いている。

 その匂いに、アルスはようやく空腹を覚えた。

 朝から何も食べていなかったことに気づき、思わず小さく息を漏らす。


「……おなか空いたな」


 世界を救う旅に出るというのに、考えることはこんなことなのか。

 自分で少しおかしくなって、アルスは小さく笑った。

 しばらく落ち着いた食事も取れなくなるかもしれない。そう思い、彼女は宿へ向かって少しだけ足を速めた。



 翌日の朝。


 出立前に王城へ寄るよう言われていたアルスは、その言葉通り城を訪れていた。


 そこで彼女は、数日分の食料と数枚の金貨が入った麻袋を受け取る。近隣の村や町を経由していけば、これだけで国境までは辿り着けるはずだった。そこから先は、自分の力で進むしかない。


 王城の門を出ると、街は人で埋め尽くされていた。色とりどりの旗が揺れ、花輪が飾られ、笛や太鼓の音が響いている。まるで祭りのような熱気に、街全体が包まれていた。


 人々は笑顔で、あるいは羨望の眼差しを向けながら、勇者の名を呼ぶ。


「アルス!」「勇者さま!」「必ず勝って!」


 その声の一つひとつが胸に刺さる。期待は刃物のように鋭く、そして重かった。


 アルスは小さく手を振り、声援に応える。チープな鉄鎧に包まれた華奢な腕。肩で揺れるラベンダー色の髪。その姿は、これから世界を救う勇者としてはあまりにも頼りなく見えたかもしれない。ぎこちない笑顔を浮かべながら、それでも彼女の瞳だけは揺れていなかった。


 アルスは歓声に包まれながら大通りを進み、やがて街の正門へ辿り着く。


 そこでは先回りした王と重臣たちが並び、最後の見送りをしていた。


「それでは、行ってきます」


 それだけを告げて、彼女は振り返らなかった。振り返れば、足が止まってしまう気がしたからだ。


 街を抜けると、音楽も歓声も遠ざかり、風の音だけが残った。舗装された道は次第に細くなり、やがて土の匂いが濃くなる。


 アルスは一人だった。


 本当に、一人きりだった。


 道中で休息をとるたびに背負った剣を手に取り不備を確認する。何度も振ったはずなのに、これから先で何を斬るのかを思うと、手が冷たくなる。


 風に揺れるラベンダー色の髪を押さえながら、彼女は前を見つめた。


 ――魔王。


 姿も声も知らない存在。ただ【忌むべき存在】として語られてきた名称。けれど、その名だけは妙にはっきりと胸に重く残っていた。


 昼が過ぎたころ、森の中で休んだ。パンをかじり、水を飲む。鳥のさえずりがやけに穏やかだった。こんな場所にも、魔王の影は届いているのだろうか。


 アルスは地面に座り、剣を膝に置く。剣身に映る自分の顔は幼い。細い指も、まだ子どものものに見えた。


 本当に、自分が世界を救えるのだろうか。


「ねえ」


 思わず、声が漏れる。


「わたし、本当に勇者になれるのかな」


 答えはない。ただ風が葉を揺らす音だけが返ってきた。


 アルスは少しだけ笑った。


 夜。焚き火を起こし、彼女は星を見上げた。火に照らされた髪は、昼よりも濃い紫に見える。街で見た星と同じはずなのに、ここではやけに遠く、冷たく感じられた。


 布にくるまり目を閉じると、昼間の歓声が蘇る。


「でもまあ……」


 ぽつりと声が漏れ出た。


「信じてもらえるなら」


 続けて小さくつぶやく。


「わたしも、信じてみるね」


 自分が真の勇者になれることを。


 これからの冒険に想いを馳せ、夜が完全に更けるころにやっと眠りにつけたのだった。

やっとアルスが冒険に出ましたね。

タイトルがアルスの冒険なのに、やっとです。

ところでお話の場面の切り替えってすごく難しいですね!!!

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