5 『鉄鍋ストライク!』
(やっぱり、あの人の言う通り、虚に行った方が良かったかもしれない)
シュカは、アステリア旅団――もとい“お騒がせ旅団”を目の前にして、心の中でそう呟いた。
アステリア旅団のレイドと出会い、傷だらけだった彼の手当てをしたことがきっかけで、リーダーのルーガンに拾われる形で旅団へ入ることになったシュカ。
その後、彼らの仲間の特殊能力によって作られた、転移術式の描かれた紙片を破ると、シュカたちはあっという間に、アステリア旅団の本拠地へと転移していた。
アステリア旅団の本拠地は定期的に転移しており、内部構造こそ変わらないものの、場所は旅団の名の通りゲヘナ中を渡り歩いているのだという。
そして――ルーガンとレイドと共に拠点の扉を開けた瞬間。
「ストラーイク!!」
そんな叫び声とともに、固くて大きな鉄鍋がシュカの頭に直撃した。
「あ、ヤバい。殺っちゃった??」
そんな呑気な声を最後に、シュカの意識は途切れた。
――それが、およそ半日前の出来事である。
アステリア旅団の医務室のベッドで目を覚ましたシュカは、目の前で「どっちが謝るか」を巡って言い争っている二人を見て、深くため息をついた。
どうやら彼らは暇を持て余し、厨房から持ち出した鉄鍋をボール代わりに、麺棒で野球もどきをしていたらしい。外でやってくれ。
「……なるほど。たしかに“問題児組織”……」
寝返りを打ちながら、シュカはぼそりと呟く。
頭には包帯。白い天井の向こうで、「ごめんって言ってるじゃん!」という声が響いた。
「アンタの振り方が悪かったんだ!シェリン!」
「いーや、お前の投げ方の方が問題だ、シンディ!」
目を開けると、ケンカの張本人――シンディとシェリンがベッドの横で言い合っていた。
ひとりは赤毛で短気そうな女性、シンディ。
もうひとりは青黒い髪を後ろで束ねた青年、シェリン。
二人とも腕まくりをし、今にも再戦しそうな勢いだ。
「だから!振ったのはアンタでしょ、シェリン!」
「お前がキャッチできなかったのが悪いんだろ。反射神経ゼロか?」
「なにそれ!?アンタが変な振り方するから――!」
その瞬間、壁に“ドスッ”という音が響いた。
メスが二人の間を飛び抜け、壁に突き刺さる。
「いい加減にしなさいよ、あんたたち。怪我人が休む暇もないじゃない」
医務室の扉を開けて入ってきたのは、白衣を着た黒髪の女性だった。
その女性の声で、二人はぴたりと固まり、ぎこちなくシュカへと振り向く。
「……あ。起きてたんだ」
「お、おう。生きてたか」
気まずそうに笑う二人の横を通り抜け、女性が近づいてくる。腕を組み、ため息をひとつ。
「まったく。鉄鍋をボール代わりにするなんて、なんてバカなのよ。またルーガンに怒られたいの?」
「すいません……」
子どものように叱られる二人を横目に、シュカは上体を起こした。
「私はアステリア旅団の医者、リリアナよ。頭はどう?痛みは残ってる?」
「……大丈夫。たぶん」
「なら良かった。水分を取って、少し休めば治るわ」
薬瓶を片付けながら、リリアナは忙しそうに部屋を出ていった。
再び静けさが戻る。
沈黙を破るように、シェリンが頭をかきながら言った。
「悪かったな。新入りが来るって聞いたから、もっと屈強な奴かと思ってた。……歓迎の仕方、間違えたわ」
「間違えたってレベルじゃないけどね」
シュカが苦笑すると、ようやく場に柔らかな笑いが戻る。
そのとき――医務室の扉がノックもなく開いた。
「せっかくの新入りなのに、早々に死人が出たかと思ったぞ」
低く通る声。
入ってきたのはルーガンだった。
彼はまっすぐシュカの前に歩み寄る。その視線には、からかいと興味が同居している。
「まぁ“問題児組織”だってのは聞いてただろ?」
「えっと、まぁ……」
「悪いな、こんな歓迎で。ここは自由人の集まりだ。常識とか、あんまり期待するな!」
「……えぇ……」
(なんかもう僕が入ったからって、開き直ってないか?)
困ったように笑うシュカに、ルーガンも口の端を上げた。
「改めてようこそ。――アステリア旅団へ。シュカ、今日からお前も“常識外れ”の一員だ」
軽く差し出された手。
一瞬迷ったが、シュカはそっと握り返した。
荒れているけれど、不思議と温かい手だった。
「……よろしくお願いします」
「よし。まずは飯だな。空腹じゃまともに話もできねぇ」
ルーガンが立ち上がると、シンディとシェリンが「待ってました!」と勢いよく後を追った。
その背を見送りながら、シュカは小さく笑う。
――この旅団は、常識からもルールからも外れている。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
医務室を出ると、坑道のように続く石造りの通路が広がっていた。
壁にはランタンが吊るされ、淡い橙の光が揺れている。
地下にいるのに息苦しさはなく、微かに潮風のような匂いがした。
「この匂い……海、かな?」
思わず呟くと、先を歩いていたルーガンが振り返る。
「よく気づいたな。今の拠点は、エデンとの境界沿いの沿岸部だ。海は境界の向こうにあるが、匂いだけは漂ってくる。転移するたびに、空気の匂いも少し変わるんだ。――もっとも、“海”を実際に見たことがある人間なんざ、ゲヘナにはいねぇがな。どれも本の中の話だ」
「へぇ……」
感心して見回すシュカの肩を、シンディがぽんと叩く。
「最初は迷子になるけど、そのうち慣れるよ。道はややこしいけど、基地の構造は毎回同じだから!」
無邪気な笑い声が坑道に反響する。
その明るさが、ほんの少しだけこの地獄の底を柔らかくしていた。
やがて、通路の先に大きな木製の扉が見える。
ルーガンが押すと、ギィと音を立てて扉が開いた。
――そこは、まるで別世界だった。
広いホールに長いテーブル。焚き火のような光が天井を照らし、人々の笑い声と香ばしい匂いが満ちている。
まるでゲヘナじゃない――“人の暮らし”がそこにあった。
「おいルーガン!新入りか?」
カウンター越しに手を振る青年がいる。
長い黒髪をおろしたまま、片目に眼帯をしていた。
ルーガンが顎をしゃくる。
「あれがうちの援護部隊の副隊長、ルーシル・シェードハイン。気は荒いが腕は立つ」
「荒くねぇよ!」
即座にツッコミが飛び、場が笑いに包まれる。
「で、あっちで鍋をかき混ぜてるのがナヴァル。援護部隊の隊長だ」
「お前ら、飯が冷める前に座れー!」
ナヴァルと呼ばれた大柄な男が、お玉を振って笑った。
その合図でシンディとシェリンが駆け出す。
「この席、私のー!」
「残念、早い者勝ちでーす!」
賑やかな声と匂いの中、シュカは息をついた。
目の前の光景が、信じられないほど眩しい。
――ゲヘナ。恐怖と絶望の地。
けれど、この場所にはそれとは正反対のものがあった。
「気に入ったか?」
隣のルーガンが静かに問う。
「……はい。なんか……すごく、温かいです」
その言葉に、ルーガンは口の端をわずかに上げた。
「それでいい。俺たちは“空”を取り戻すために戦ってる。でもな、“空”ってのは場所のことだけじゃねぇ。――こういう時間を、当たり前に手に入れるために戦ってるんだ」
その声には、熱と優しさが混ざっていた。
シュカは黙って頷く。
――もう二度と笑えないと思っていた。
けれど、この場に響く笑い声が、確かに心のどこかを温めていた。




